半血魔王のクロニクル ~黒き貴公子シリーズ総集編~ 作:古弥須 凱
早朝の馬車の中で、クラレンスは無表情に座り、赤い瞳でルシエルを見下ろす。
「ルシエル様、魔力が少し早めに高まっておられるようですね。必要であれば、アカデミアに到着するまでに、ご奉仕いたします」
事務的な声が響く。ルシエルは窓の外に目を逸らし、唇を噛んだ。
「……問題ない」
「では、またご指示いたします」
「…………」
馬車が学府の門をくぐると、クラレンスは一歩後ろに控え、「ルシエル様、集中なさい」と冷たく言い放つ。
周りの貴族子弟たちは、少年従者たちと肩を並べて笑い合うのに、ルシエルはただ、女従者に指図されるだけだった。
「またあの
「時々、こそこそと二人でどこかへ消える。何をしているんだか」
「一本、抜いてもらっているのさ。いつも蕩けきった、疲れた眼をして戻ってくるもの」
陰口が、あからさまに耳に届く。ルシエルが視線を逸らし、頰が熱くなった。
彼らの想像する通りのことが、常にルシエルの日常となっていた。
アカデミアの授業は、魔術実習と剣術訓練が中心だった。
ルシエルは同年代の少年たちと比べて、どの教科でも抜群の成績を収めていたが、クラレンスは常にそれ以上の要求を突きつける。
「ルシエル様、まだ甘いです。もっと魔力を絞りなさい」
どんなに優秀な成績を修めても、それはただ、クラレンスの指示どおりに行ったからであるかのようだった。
彼女の冷たい視線は、女当主としての冷徹なベアトリチェによる、監視のようにも感じられた。
そしてあらゆる場所で、クラレンスが必要だと”適切に判断”したときには、その口唇で思うさま白濁の精を吸い出された。
学府での一日を終え、馬車で本邸に戻る頃には、ルシエルの体は魔力の火照りと疲労で重かった。
*
その日の夕刻、ベアトリチェがルシエルの部屋を訪れた。
黒い絹のドレスを纏い、プラチナブロンドの髪を優雅に揺らして。
「ルーク、今日はクラレンスなしで、私と一緒に領内へ狩りに行くわよ」
美しい姉君の声は、いつものように優しく響いた。
ルシエルは驚いて顔を上げた。
「狩り……ですか? 姉上」
ベアトリチェは微笑んだ。
「ええ。女貴族として、私は父上から狩猟の教育を徹底的に受けたの。
お前も、公爵家の貴公子として、学ばなければいけないわ。
クラレンスは連れて行かない。私が直接、
ルシエルは戸惑ったが、女当主であるベアトリチェの命令に逆らう術はなかった。クラレンスを伴わない、と姉君が言ってくれたことも嬉しかった。
「わかりました……姉上」
領内の森は、瘴気が薄く、魔獣が生息する危険な場所だった。
黄金の美しい馬に跨り、ベアトリチェは黒い狩猟服を纏い、弓を携えていた。
ルシエルも簡素な狩猟服に着替え、姉の後を追う。
二人は馬を並べて森に入った。夕陽が木々の間を赤く染め、黄昏時の薄明が森を神秘的に照らす。
魔獣の気配が濃くなり、影狼の遠吠えが聞こえてくる。
「ルーク、狩りはただの遊びじゃないわ。
魔界の貴族として、獲物を追う術は、戦場での生き延び方にも繋がるの」
ベアトリチェの声は冷徹で、しかし優しく響く。彼女は馬を止め、弓を構えた。
「見てなさい」
視線の先に、低く唸る影——小型の魔獣、影狼がいた。
ベアトリチェの指が弓弦を放つ。
矢は蒼い魔力を纏い、瞬時に影狼の喉を貫いた。
「獲物の息遣いを読み、魔力を集中させるの。無駄な動きは命取りよ」
ルシエルは息を飲んだ。
姉君の完璧な射撃、優雅な動き——それは、将来の女公爵として必要なすべての資質を体現していた。
「今度はお前がやってみなさい、ルーク」
ベアトリチェは弓を手渡した。ルシエルは緊張しながら構える。
紫の瞳を細め、魔力を集中するが、手が震えた。
矢は外れ、影狼の影をかすめただけ。
「まだ甘いわね。でも、血醒めの儀を終えたお前なら、すぐに上達するわ」
ベアトリチェは優しくルシエルの肩に手を置き、構えを直した。その温かな触れ方が、ルシエルを心地よくさせる。
「姉上……ありがとうございます」
ベアトリチェはくすりと笑う。
「なんだか、堅苦しいわね。私たちは同じ血の絆で繋がってるのよ、ルーク。
いつか、王宮の魔獣狩りで、お前が一等の
狩りが一段落し、二人は馬を降りて森の奥で休憩を取った。
夕陽が完全に沈み、森は薄闇に包まれ始める。
瘴気の薄い空気が湿り気を帯び、木々の葉ずれと遠くの魔獣の低いうなりが、静寂を破る。
ルシエルは姉の完璧さに憧れを覚えつつ、胸の奥でくすぶる苛立ちを抑えきれなかった。