半血魔王のクロニクル ~黒き貴公子シリーズ総集編~ 作:古弥須 凱
「おぅ、ルシエル」
まるで、最初からの知り合いであるかのような口調だった。
彼の名前は、もちろん知っていた。
成績は良くないが、軽口の巧みなお調子もので、クラスでも特に目立つ存在の中位貴族の子息だった。
「……ああ、マルコキアス」
思わず、釣られて返事をした。
クラレンスが、訝しげに若い主人を見た。いつ、彼らが知り合いになったのか……?と考えている様子だった。
実際のところ、ルシエルが学友らしい学友を持たないことは、
「お前は、
ルシエルは、その盤ゲームを誰かと楽しんだことは一度もなかった。
「ルールは、ある程度知っている」
「それで充分だ。少し俺とやらないか。この
はっきりと、そこが貴族の子弟だけに限られたエリアであることを、ルシエルの女従者にも聞こえるように言った。
「だが、その"
もちろん、そんな控え室があることを、ルシエルは知らなかった。
いつも影のようにルシエルに付き纏うクラレンスが、決して立ち入ることが出来ない空間を、マルコははっきりと示唆してくれていた。
「教えてくれれば、
マルコの方へ歩み出そうとして、冷たく女従者に名を呼ばれた。
思わず振り返ると、彼の女従者は冷たい目を崩さず、ルシエルの"ご学友"と睨み合っていた。
「馬車を待たせております、ルシエル様」
「馬車なんて、待たせておけば良い。おい、聞こえなかったのか、……
たかが
マルコキアスに下品に煽られても、クラレンスはその冷徹さを変えなかった。
ルシエルは、マルコの加勢を得たタイミングを逃さず、ただ短く彼女に「待っていろ」と言うことが出来た。
クラレンスは、口を結んで従った。
「……では。私はこちらで、お待ちしております」
女従者はその冷たい瞳で、少年たちを見据えていた。
*
貴族の子息たちは思い思いにタバコをふかし、雑談やゲームに興じている。
壁に貼られた、破れかけた卑猥なポーズの幼い少女の
「誘っておいて悪いが、まぁ正直なとこ、ここ20年は、誰も
マルコは誰かが脱ぎ捨てたマントをソファから払いのけて、どっかりと腰を下ろした。ルシエルも、さそわれるままに反対側に腰を下ろす。
「ここにゃ下らねぇものが、大量にある。時間潰しにはちょうど良い。エロネタ、ズリネタにも困らねぇぜ。持ち込み自由、持ち帰り自由だ」
尻の下敷きになっていた、雑誌や猥褻本を引き出し、ドサっと机の上に投げ出した。
何気なく手に取ると、
内容は大したことがない。
美しいが異常性癖の魔界の王子が、人間界の可憐な姫君につきまとい、罠におとしいれて犯しまくるだけの単純なストーリー。
美しい姫君はいやいやながらも下半身を差し出し、「いやあ♡ゆるしてぇ♡あんあん♡」を繰り返す。
敵に囚われた
この忌々しい禁欲の手鎖がなければ、一夜に何回でも果てることが出来そうな過激さではあった。
「……持ち帰りたいが、生憎、俺は二十四時間ずっと、あの
俺にいま、そっちの自由はゼロだ」
恥をさらしても、一向に構わない気持ちになっていた。
クラレンスに嵌められた両手首、その禁欲の印を見せると、マルコは目を丸くした。
「おーい、マジかよ……。
今どきそんなの流行らねぇぜ。こんなの虐待だろ。
強制オナ禁なんて、ちんぽの人権、尊厳に反する大罪だ」
「苦しいはずだ。おまえの姉上がやったのか」
「血醒めの儀のあと、魔力を制御しろと言われてる。姉上のご意向だが、やったのはあの……
俺を縛りつけ、監視し続ける。
イライラする、殺してやりたいくらいだ」
自然と、彼の女従者クラレンスへの嫌悪感が溢れ出た。
「従者ってのは、すぐつけあがるよな。時々ああやって、バーンと言って”わからせ”てやらないとダメだ。
ルシエルは小さく頷きながら、ぽつりと呟いた。
「俺も、手を焼いている。
あれは
従者なんて連中は、大嫌いだった。
信頼関係を築きたいとも、ああいう奴らを身近に置きたいとも、もはや微塵も思わなかった。
「従者部屋でも、あの
俺の従者が言うには……何人かがさっそく裸に剥こうと悪さを仕掛けたが、彼女の高位魔法にカリッと表面を炙られて、
もちろん、そのことをルシエルは知らなかった。
「無爵のお前にまで、高位魔術者の従者が付くんだから、さすがは大公爵家だな。
うちなんかショボショボ
「女公爵になるのは、俺の
「そうは言っても、あのハデス公の息子ってのは、すげーデカい看板だ。
お前には、魔界中の女貴族たちから、婿養子の口が山ほど押し寄せるだろう。
なんせ、
女ってのは結局、顔が良けりゃなんでもありだ。どんなドクズ野郎だってアンアン♡抱いてだぜ、畜生め」
マルコの遠慮のない言い回しに、ルシエルも思わず笑ってしまった。
公爵家の本邸では、狩猟術、魔術理論、詩作や礼儀作法といった、貴族の少年に相応しい厳しい教育がルシエルに課せられた。
その修練はどんなに厳しくとも、ルシエルを父の後継者、公爵位に相応しい男子とすることを「目的」としていなかった。
この家に側室の子として迎えられ、時が来たら"使い勝手のいい"婿養子、政略結婚のコマとして、他の有力な家門に送り出される——
美しい種馬候補生として、魔界中の女公主たち、高位の女性貴族たちに
それが、この美しい少年・ルシエルに与えられた現時点での”役割”だった。
「俺は……本当は、父のように勇ましい軍人になりたい。
父が従えと言ってくれれば、どんな辺境へでも赴くのに」
父であるハデス公は、なんどか娘のベアトリチェを、責任ある公爵家の嫡子として軍征に伴っていた。
すでに高位魔術者であり、公爵家に伝わる
「まぁ夢物語だな。
お前の姉上は完璧すぎる。ベアトリチェ嬢こそ、魔界の姫将軍だ。ハデス公の掌中の
お前にぶら下がってる
「俺も、せいぜい
マルコは、面白がるようにニヤリと笑った。ルシエルの自虐じみた言葉に、素直に好感を持ったようだった。
「ルシエル、お前はへんな奴だし、おかしな女従者を連れてて、みんな近寄りがたかった。
だが……話してみたら、お前は悪い奴じゃない。
独りでムッツリしてないで、たまにはここに顔を出して、息抜きしていけよ」
タバコを取り出して、ルシエルにも勧めた。
「ま、貴族になんて、生まれるもんじゃねーな。……みんな、長すぎる魔性の寿命にうんざりだ」
火を分け合いながら、マルコがそう言った。