※この作品はR-18です。

半血魔王のクロニクル ~黒き貴公子シリーズ総集編~   作:古弥須 凱

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9話 黒猫の死

魔界の辺境、黒い瘴気が渦巻く古戦場。

 

大公爵ハデス公の名代として魔獣討伐の任を負う、レディ・ベアトリチェは白銀の軽鎧に身を包み、長剣を構えていた。

 

彼女の周囲では、数十名の魔族兵たち——公爵家直属の重騎兵団が魔獣の群れと激しく交戦している。

 

「左翼第三隊、波動を集中。焼き払え」

 

ベアトリチェの念話が、配下全員に同時に響き渡る。

 

彼女は剣を一閃させ、青白い魔力の波動を放った。

 

波動は弧を描き、迫り来る影狼の群れを一瞬で焼き払う。

 

彼女の戦い方は、常に剣と自らの魔力波動による直接的な殲滅だった。

 

「右翼第二隊、間隔を詰めろ。中央は私が抑える」

 

冷静で的確な指示が、次々と配下に飛ぶ。

 

兵士たちは即座に動きを変え、うら若き姫将であるベアトリチェの指揮の下、次々と魔獣を制圧していく。

 

その時、頭の中に落ち着いた老人の声が響いた。

 

公爵家の家令である、アルフレッドからの念話だった。

 

(レディ・ベアトリチェ。急ぎのご報告です)

 

ベアトリチェは剣を振り下ろし、最後の影狼を波動で焼き払いながら、静かに応じた。

 

声は優雅で、しかし底に絶対的な冷徹さを宿している。

 

「続けなさい、アルフレッド」

 

(大変申し上げ辛いのですが、さきほど公爵家の本邸の……ルシエル様の部屋から大規模な火災が発生いたしました。

従者のクラレンスが重症を負っております。

状況はまだ不明ですが、ルシエル様は取り乱され、魔力を暴発させている状況で、現在は誰も中に近づけません)

 

ベアトリチェの瞳がわずかに細まる。

 

彼女は剣を鞘に収め、配下に念話を飛ばした。

 

「全隊、残敵掃討を継続。私は一時離れる。第五隊は後衛を固めろ」

 

配下から即座に了解の念話が返ってくる中、彼女は静かに息を吐いた。

 

「……私が必要であれば、屋敷に戻るわ」

 

(いえ、緊急ではありますが、今はまだ、私たちにお任せを。

使用人たちの流水魔法で、ひとまず消火し、延焼は防ぎました。

 

今はメイド長のアルマが、お部屋の外からルシエル様によびかけ、対話を試みている状況です。

彼女は、もとは別邸付きメイドで、幼いころのルシエル様をお世話していたことがあります。

 

彼女に任せます。信頼できる女性(こ)です)

 

「そのメイドは、どこまで術式を使えるの?」

 

(中位魔術までですが、相当な手練れです。いざとなれば、私も入ります。

 

クララ……いえ、クラレンスは、油断していたのか、まともに正面から受けました。

かろうじて生きてはいますが、……自業自得です。

私は……今の彼女はよくないと思います)

 

ベアトリチェの唇に、わずかに冷たい笑みが浮かんだ。声は優しいままだった。

 

「お前の主観はいらないわ、アルフレッド。でも、ありがとう。何かあれば、また教えて。

——お父様には、報告しない」

 

(承知いたしました、レディ・ベアトリチェ)

 

念話が途切れる。

 

ベアトリチェは剣の柄に手を置き、暗い森の奥を見つめた。

 

夜風がプラチナブロンドの髪を揺らし、彼女の瞳はどこまでも冷たく、優しかった。

 

「……ルークは、困った子ね」

 

彼女は配下に一言念話を送り、戦場に戻っていく。

 

遠くで新たな魔獣の咆哮が響く中、ベアトリチェは冷たい司令官の表情に戻り、部下を鼓舞した。

 

 

*

 

 

家令のアルフレッドが、ルシエルの部屋に足を踏み入れたのは、事件が起きてから相当な時間が過ぎた後の、真夜中だった。

 

ルシエルは、素裸にシャツをはおっただけの姿で、自分の寝台に眠らされていた。

 

メイド長のアルマが、ベッドの傍に寄り添っていた。

 

「やっと、落ち付きましたわ」

 

疲れた声だったが、安堵の感情がまず先に立っていた。

 

ルシエルの部屋のなかは滅茶苦茶に壊れ、本棚は吹き飛ばされていた。

 

窓はすべて割れ落ち、壁紙は半分以上が真っ黒に焦げている。

 

家具のニスまでが燃えおちた臭いが充満し、室内はとても、まともに寝られるような状態ではなかったが……それでもルシエルは、涙のあとを頬に白く残したまま、眠っていた。

 

「まったく、私の術を受け付けませんでした。

ずっと泣き叫んでおられて、感情とともに魔力が止まらない状態でした。

 

とうとう疲れはてて、私のかけた言葉に、ルシエルさまは一瞬、考え込まれました。

そこでやっと、私の”昏睡(コーマ)”が効きました」

 

アルマは、ルシエルの煤に汚れた髪を片手で梳いてやった。

 

「良くやってくれた……アルマ。お前でなければ、出来なかった。」

 

「お可哀そうな子です。みなで寄ってたかって、こんな風にいじめる必要があるんでしょうか」

 

「言葉を慎め、アルマ。私たちに出来ることをするしかない。

私からも先日、もう一度ベアトリチェ様に言上してみたが……、たかが使用人の言葉などにべもなかった」

 

アルフレッドが、念話で若い従僕たちを呼び集め、眠っているルシエルを客間へと運ばせた。

 

ただ短く、「2階の”月蝕の間”へ」と指定した。

 

そこは、ベアトリチェの私室から、一番遠くはなれた客間だということを、アルマは悟った。

 

アルマは、ベッドの脇に置かれた紙箱をそっと胸に抱え、アルフレッドに見せた。

 

ルシエルの飼っていた老いた黒猫のノワが、そこに冷たく、丸まったまま寝かされていた。

 

「クララは……ルシエルさまから、死んだ飼い猫を取り上げようとしたのです」

 

「それで、怒ったあの方に反撃されたのか……血まみれで、折れてない骨はないほどだった」

 

アルマは、少し逡巡した。

 

ルシエルから聞き出した事情は、アルフレッドが想像したことから大きく外れてはいないが、切っ掛けとしては少し違っていた。

 

「クララは高位魔術が使えました。いつものように反抗するルシエル様を魔力で拘束し、死んだ黒猫を取り上げた。

ルシエル様は、成人されたとはいえ、まだ子供です。

……家族のようにかわいがっていた猫を失い、ただ悲しむ時間が必要だったはずなのに。

クララは従者として冷徹に、スケジュール通りに行動することを強制しました」

 

「まさか、この猫を焼こうとしたのか?」

 

紙箱のなかの老いた黒猫は、艶を失った毛玉のように丸まっている。

 

「いいえ、家令様。

でもルシエル様の、——大切なスケッチブックを……クラレンスは、あの方の目の前で焼いたそうです。

ルシエル様が覚えていたのは、そこまででした。

——後のことは何も覚えていらっしゃらなかった」

 

アルフレッドは、言葉を失った。そして苦く、吐き捨てた。

 

「クラレンスは……使用人として相応しい子ではなかった。

高位の術者として、ベアトリチェ様の腹心としては役立つ女だったかもしれないが。

この屋敷でご家族に誠心誠意、仕える者として、私はあの娘を最初から排除すべきだった」

 

アルマは、そっと黒猫の遺骸に触れた。

 

白い指先を、猫の痩せた背に浮いている骨に押しつけ、内部にそっと冷却魔法をかけた。

 

「この猫(こ)を、ルシエル様のいる客間へ連れて行きますわ。

せめて、お目覚めになったとき、すぐお気づきになるように」

 

「そうして差し上げてくれ。……ベアトリチェさまがお戻りになるまで、まだ時間はあるはずだ」

 

一瞬、迷ったが——アルマに、思わず声をかけた。

 

「アルマ。ルシエル様に、なんとお声がけして止めたのだ?」

 

アルマの瞳が、わずかに揺れた。

 

まともに、老いた家令を見なかった。

 

「ルシエル様は、ただ同じことを何度も——誰も俺を愛さない。もう生きていたくないと、そう泣き叫んでおられました。まだ、たった130歳の少年が……」

 

アルマの瞳が、かすかに潤む。

 

「どうしてあんな事を言ったのか……自分でもわかりません。でも、こう申し上げました。

たとえ短い間でも、ノワと……ルシエル様が出会ったことには意味があったと……」

 

語尾は、かすかに震えていた。

 

「そしていつか必ず、ルシエル様も——本当に心から愛せるひとに巡りあえると、アルマは申し上げました。

私たち魔性の長すぎる命を、その日を待つ為に使いましょうと」

 

アルフレッドは、沈黙した。

 

魔族と人間の半血(ハーフブラッド)。

 

妖しいほどに、破滅的な美貌を持って生まれた、魔王の子。

 

ルシエルという——この「魔界で一番美しい少年」の数奇な運命を思うほど、この心優しい女性であるアルマの言葉は——彼女の儚い望みというよりは、痛切な祈りのようにさえ思えた。

 

アルマは小さく会釈すると、軽い小さな紙箱を抱いて、この無惨に焼け落ちた部屋から歩き去った。

 

老家令アルフレッドの記憶にある、別邸に隔離された側室の子。

 

半血のルシエル坊ちゃま……薄幸の人間の姫君が遺した、格別に美しい男の子。

 

ハデス公の側室の子にすぎないルシエルが、130才の美しい少年となってこの公爵家に引き取られてから、家門(いえ)そのものの、何かがおかしくなっている。

 

ルシエルは今日——怒りに我を忘れ、記憶もないままに。

 

高位魔術者であるクラレンスを、ほぼ半死半生の状態、その肉体を完膚なきまでに叩き潰していた。

 

その事実を、公爵家はまず真に受け止めるべきだった。

 

この屋敷で、たった130才にすぎないルシエルの魔力に勝てる者はもう、父ハデス公と異母姉であるベアトリチェしかいない。

 

ルシエルは、危険な存在だった。

 

——女公爵の地位を約束された、彼の美しい姉君、ベアトリチェ姫の妄執、支配欲、そして歪んだ愛情……。

 

アルフレッドが長年仕えてきた、魔界でも最も旧い一族のひとつであるハデス公爵家は明らかに——歯車が狂い始めていた。

 

それは何時か、この古き名門を破滅へと導く、不吉な予兆の姿をどこかに示しているのかもしれなかった。

 

しかしアルフレッドにはまだ、その全貌は判らなかった。

 

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