※この作品はR-18です。

半血魔王のクロニクル ~黒き貴公子シリーズ総集編~   作:古弥須 凱

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10話 十二夜のあやまち

黒猫のノワが死んでから、三日が経っていた。

 

ルシエルは自分の部屋に閉じこもり、食事もほとんど取らなかった。

 

学府(アカデミア)へも、当然行かなかった。

 

目覚めたあとも、冷たくなったノワを彼は離さなかった。

 

しかし、優しいメイド長のアルマが、彼の家族を眠らせるにふさわしい、しずかな場所を見つけてくれた。

 

領地の外れにある、いつも霧雨に濡れた静かな森。

 

小さな東屋があるだけで、ほとんど誰も立ち寄らない。

 

「お小さい頃のあなた様と、この森で遊びました。

わたしの魔法術式を見たがって、見ただけで、ルシエル様はすぐに覚えてしまわれた。

とうとう裏庭で火事を起こしかけて、アルフレッド様に叱られて、こんな森の中まで来ることになりましたわ」

 

ノワを入れた紙箱を、ふたりで樹木の根元に埋めながら、アルマが静かに言った。

 

「そうだったな。別邸にいたころ、俺に優しくしてくれたのは、ノワと、お前と、アルフレッドだけだった」

 

別邸の執事長だったアルフレッドも、メイドだったアルマも、彼らの有能さ故に本邸での職務に移り、ルシエルには黒猫のノワだけが理解者として残されていた。

 

そしてもう、ノワはその寿命を終えて、静かに旅立ってしまっていた。

 

黒い毛並みの優しい感触は、もうどこにもない。

 

ただ、胸の奥にぽっかりと空いた穴だけが、夜毎に疼いた。

 

 

*

 

 

ルシエルを常に監視していた、女従者のクラレンスは、知らないうちに屋敷から姿を消していた。

 

彼女が生きているのかすらも、誰も教えてはくれなかった。

 

その場で彼女の姿を見た者は、二度とクラレンスのことを語らなかった。彼女が高位魔術の使い手であることを知っている者なら、尚更だった。

 

運び出された肉体は破壊しつくされ、あらかたの骨が砕けていた。

 

たとえ生きていたとしても、二度と立つことも歩くことも出来ないことは明らかだった。

 

しかし——その惨劇の結果として、少なくともルシエル付きの従者は存在しなくなり、彼は少しばかりの自由を満喫できるようになっていた。

 

ある夜、ルシエルはノワが眠っている森を目指し、屋敷を抜け出して、ただ一人で歩いていた。

 

霧雨の降る夜だった。

 

見上げた月は、十二夜だった。

 

——魔界と人間界の境が薄くなる特別な夜は、ぼんやりと霧雨に煙っていた。

 

ルシエルは、古い東屋の前に立っていた。

 

蔦の絡まる朽ちたベンチに、ひとりの少女が座っている。

 

白いナイトガウンを着た、金色の髪の少女。

 

彼女は膝を抱えて、雨音を聞いていた。

 

その横顔は、とても寂しそうだった。

 

「おい……お前。ここはうちの領地(とち)なんだぞ。勝手に入るな」

 

非難したいわけではなく、ただ、うちの領地だ、と言ってみたかった。

 

ルシエルは、庶子であっても貴族の子だった。誰かが勝手に侵入したとき、彼にだってそういう権利があるはずだった。

 

少女が顔を上げた。

 

大きな瞳が、ルシエルをまっすぐ見つめる。

 

ルシエルは一瞬、言葉を失った。

 

彼女は人間の女の子だった。

 

なのに、この魔界の森の奥深くに、どうやって入ってきたのだろう。

 

「……わからないわ、気が付いたらここにいたの」

 

本当に、わからないといった雰囲気だった。

 

かわいらしい、女の子だ。

 

ルシエルは、思わず目をそらした。

 

「まぁ、別にかまわない。好きにしろ。——おれも、ただ猫を見に来ただけだ」

 

「猫ちゃんがいるの?見たい……見せて!」

 

「猫は……死んでしまった。そこの木のところに埋めたから、彼女とちょっと、何か話そうと思っただけだ」

 

少女は、ルシエルの後についてきた。

 

路傍の白い花を摘み、彼の猫のためにそっと盛り土の上に添えてくれた。

 

「彼女は、ノワといった。いつもごろごろ温かい毛玉みたいな黒猫だった」

 

「私も、子猫を飼っていたわ。

でも、意地悪な従兄弟に、橋の上から投げ落とされた。

私はそのまま飛び込んで、そのまま溺れてしまったの。

ドレスがすごく重くなって、息が出来なくなった。

見ていた衛士が私を助けてくれたけど、子猫はもう見つからなかった」

 

少女——リーザは、ルシエルと悲しみを共有するように、寂しい瞳を向けた。

 

「私には、子猫だけが友達だったのに。……また独りぼっちになったわ」

 

ルシエルは頷いた。

 

「俺も……ノワがいなくなったから、寂しい。」

 

誰にも言えなかった、心の内をすなおに明かしてしまうと、知らぬ間に涙がこぼれた。

 

リーザに見られないように、顔を背けた。

 

弱い、泣き虫の少年であることを、知られたくなかった。

 

 

*

 

 

ルシエルとリーザの二人は、東屋のベンチに並んで座った。

 

雨の音だけが、十二夜の夜に静かに降り注ぐ。

 

魔界の現在と、人間界の夢とをつなぐ……時間を歪め、繋ぎ合わせる不思議な空間が、公爵家の領地の外れの、このさみしい東屋を取り囲んでいた。

 

「ここは、貴方のおうちの領地(とち)なのね。

ごめんなさい、勝手にはいって。——あなたのお名前は?」

 

「俺は……ルークだ」

 

ベアトリチェが呼ぶ名前で、答えた。

 

「ハデス公爵の子だ。べつに、俺の身分に気後れする必要はないが、念のため言っておく」

 

リーザは笑い出した。

 

「あら、わたしは王女よ。あなたこそ、べつに気後れしなくていいわ、ルーク」

 

やり返されて、呆気にとられた。

 

しかし、この少女の明るい笑い声に、ルシエルもつられて笑い出したくなった。

 

リーザは、不思議な女の子だった。

 

あまり話し上手とは言えないルシエルの言葉を上手に読み取り、相槌を打ったり、自分でも思ってもみなかったようなことを聞いてくる。

 

話していると、あっという間に時間を忘れた。

 

誰かとこんなに、楽しく話したことはなかった。

 

それも、女の子と。二人きりで。

 

こんなに優しく話を聞いてくれる子は、初めてだった。

 

マルコに言ったとき、夢物語だと笑われた話をしても、リーザは真剣に聞いてくれた。

 

「俺は、強くなりたい。父上のような立派な男……強い武人になって、誰かを守れるようになりたい」

 

リーザは目を輝かせた。

 

「素敵ね。私も、いつか立派な王女になって、民を守れるようになりたいわ」

 

「お前は、女だろう。男の俺が、守ってやってもいい。もっと、年を取ってからだろうが」

 

おかしな言い回しになったが、それなりに恰好のつく事を言えたような気がした。

 

「それって、結婚の申し込みなの?ルーク」

 

ただ守ってやると言ったつもりだったが、急にそう言われて、ルシエルはどぎまぎした。

 

「そうだろうか。いや、そう取ってもらっていい」

 

また、何だかよくわからない言い方になってしまった。

 

リーザは笑った。

 

「そうね……もしあなたが本当に立派な殿方になったら、私にプロポーズしてくれてもいいわ。

すてきな騎士(ナイト)になって、民を守る王女である私を守ってちょうだい。それってすごく、格好いいわ」

 

ルシエルの頬が、赤くなった。

 

プロポーズしてもいい、というリーザの言葉が、ルシエルの胸に強く響いた。

 

彼に、リーザは守ってもらいたがっている。

 

ルシエルが思い描いてきた、軍勢を率いる勇ましい武者としての自分の姿と、姫君を守る騎士(ナイト)のイメージとが、二重写しになった。

 

「お前を守る、俺は男だから」

 

彼の姉君、ベアトリチェが狩りの場で繰り返した言葉を思い出した。

 

ルシエルは、姉君が言うように、生まれながらに男らしく、勇猛で、強い存在だった。

 

そして、そうでなければ価値がなかった。

 

ルシエルは、リーザの肩を掴んだ。

 

「リーザ……俺が守ってやる」

 

「え……?」

 

リーザが驚いた顔をする間もなく、ルシエルは彼女の唇に自分の唇を押しつけた。

 

柔らかくて、甘い感触。

 

「ん……!」

 

リーザの体が驚きに硬直し、震えた。

 

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