半血魔王のクロニクル ~黒き貴公子シリーズ総集編~ 作:古弥須 凱
ベアトリチェが、彼女の弟君との別離を決心してから、数か月が経過していた。
そして今もってまだ、彼らはより深く、はげしく愛し合っていた。
「ビーチェ。お前を失ったら、俺はだめになる」
すでに、汗がその肌を冷やし始めていた。
折り重なり、絡まり合った糸細工のように、いまだに美しい姉弟は分かちがたく結びついていた。
「私はここにいるわ、ルーク。ここにいるじゃない」
「——姉上がいなければ、俺は生きてはいけない」
「私はいるわ。いつもお前と一緒にいる」
弟君の声が震え、紫の瞳に涙が滲んだ。
ベアトリチェは静かに、彼女の美しい……
「ビーチェ、俺を見捨てないでくれ。
姉上は俺に強くなれと言った。
でも、俺をこんなに弱くしているのは姉上だ。
俺を愛してくれるのも、姉上だけだ。
ビーチェを失うなんて、俺には耐えられない」
「私たちは誇り高いハデス公爵家の
私たちは双頭の
二つの頭がお互いを愛し、飲み込もうとした……
最後には何も残らないわ。お互いを焼き尽くして消え去るのよ」
「——父上は、もう俺の婚約をお認めになったのか?」
「ええ、今朝になって、使い魔が書状を持ち帰った。
私に一任すると、ただそれだけよ。
次の私の婚約式に、数十年ぶりかに……戦地からお戻りになるわ。
久しぶりの……家族の団欒ね」
ベアトリチェは、最後には少し皮肉めいた口調になった。
「お前がもし兄で、私が妹だったとしても、きっと何も変わらなかったわ。
お前が純血の嫡男で、私が半血の庶子の姫君だったとしても同じよ。
私たちは必ず愛し合い、破滅の道へと走り続けた。
私は必ず、お前に魅入られて、愛し、破滅するわ。
どんな運命であっても変わらない。わたしたちが運命そのものだったのよ」
罪深い夜を重ねて、
「いつかお前には、誰か、ほかの
「そんな日は決して来ない、ビーチェ。俺にはお前しかいない」
ルシエルは彼女の手をとって、冷たい指先に口づけた。
「俺を愛してくれたのは、姉上だけだ。……俺はずっと独りだった」
「お前はまだまだ子供ね、ルーク。
でももう、お前は大人にならなければいけないわ」
ベアトリチェはルシエルの冷たい頬に触れ、まるで別れを惜しむように接吻した。
「あなたが好きよ、ルーク」
初めて、彼女の恋人を、あなたと呼んだ。
「あなたは私の最愛のひとなのよ。決して忘れないでね」
*
ベアトリチェの私室は、いつもより冷えていた。
蒼い月の光が黒曜石の床に差し込み、プラチナブロンドの髪を銀色に染めている。
彼女は机に向かい、ハデス公爵家の名代女当主としての署名を終えていた。
父であるハデス公爵への、ルシエルの婿入り先がほぼ内定したという報告だった。
ノックと、その後の許しを得て、家令アルフレッドが静かに入って来た。
ベアトリチェの前で、静かに頭を下げた。
「レディ・ベアトリチェ。——今しがた、御父上、ハデス公爵閣下が、お屋敷にお戻りになられました」
父の持つ、膨大な魔力の波動一つ感じなかったというのに、家令は低い声で、その信じがたい事実を女当主に告げた。
「………なぜ、いまのお戻りなの」
「レディ・ベアトリチェ……
大変申し上げにくいことですが、これ以上、隠し通すことはできませんでした。
私が……ハデス公爵閣下に、すべてを報告いたしました」
ベアトリチェは、表情を崩さなかった。
家令のアルフレッドは、ハデス公爵家で最も長く仕えてきた、父が厚い信頼を寄せる老人だった。
「知っていたのね、アルフレッド」
「メイド長のアルマが、気づきました。それでも、ずいぶんと時間がかかりました」
父が帰邸していた事実を知ると、部屋の空気が一瞬で、ベアトリチェにとって重く感じられた。
「閣下がお待ちでございます。お二人でお話されたいと。あなた様を、祖先の墓所へお呼びになりました」
静寂が部屋を満たした。
ベアトリチェはゆっくりと立ち上がり、窓辺に寄った。
外では、蒼い月が冷たく輝いている。
「……そう。少し待ってちょうだい」
傍らにあった、古びた革装の詩集を手に取った。
銀の羽ペンを手に取り、さらさらと短く一文だけを書いた。
ベアトリチェが愛し、歪め、壊しきった異母の弟への、愛のかたみだった。
最後に、B とだけ、彼女の
——永遠に、あなたを愛しているわ。 B
ベアトリチェの白い手の中で、小さな
「アルフレッド。あの子を、ルシエルを守ってあげて」
最期の
「家門の者が皆で、誠心誠意お支えいたします。……レディ・ベアトリチェ」
「ありがとう、アルフレッド。
——出来ることなら、あの子が私の亡骸を見ないようにして欲しいわ」
老家令は、一言も発することが出来なかった。
誇り高く、気高い女当主として、ベアトリチェは公爵家の地下、祖先の墓所へと歩み去っていった。