※この作品はR-18です。

半血魔王のクロニクル ~黒き貴公子シリーズ総集編~   作:古弥須 凱

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19話 最後の矜持

ハデス公爵は、祖先の墓所の最奥で、ベアトリチェを待ち受けていた。

 

最後に会った時と変わらない、鋭く凍てつくような瞳をこちらに向けていた。

 

「ベアトリチェ」と、最愛の娘に感情のない低い声で呼びかけた。

 

父上、と短く女公爵となるはずだった娘が応えた。

 

「恐ろしいことを聞いた」

 

すべてに冷徹な軍人らしく、簡潔な問いだった。

 

「すべて、事実ですわ。父上」

 

「まさか、お前がこの家門(いえ)を滅ぼすとは思いもしなかった」

 

「いいえ、滅ぼしたのは父上、あなたです。

人間の……プロセルピナ姫を側室に迎え、正妻である私の母を侮辱なさったのは父上ではありませんか。

私の母の地位を貶め、ご自身が継がれた公爵家の、血統の誇りをみずから踏みにじった」

 

公爵は、自身については言い訳めいたことは何も言わなかった。

 

「ベアトリチェ、よく聞け。

私は屋敷に戻る前、王宮のアスモデール殿下へ、密かにお目通りしてきた。

すべてをお伝えし、この婚約を破棄していただけるよう言上したが、殿下は却下なされた。

判断は変わらぬと仰られた。

お前がこのまま、正妃として殿下へ嫁すことを、強くご希望なされた」

 

アスモデールの言葉を聞かされ、一瞬ベアトリチェの感情が揺れた。

 

「そして、この件は、”家庭内の問題”として処理せよとだけ、仰られた。

私は長く軍務に追われ、この家門(いえ)を、女であるお前に任せすぎたのかもしれぬ。

ただ、今は殿下の御慈心のみを頼みにし、この公爵家を守らなければならない」

 

「父上は、伝統ある公爵家の恥辱に……口を拭って、私をこのまま嫁がせるのですか」

 

「そうだ。私はすべての政務から身を引き、隠居することにした。

帝室に領地の一部を返上し、ただ御仁慈の御沙汰を待つ。

取り潰しまで行かないことを祈るしかないが、お前たちの罪はあまりにも大きい。

長くサタン帝王に仕えた私であっても、全てを庇いきれないだろう。

しかし、もし家門(いえ)の存続が叶うのであれば、公爵位はそのまま、お前が継ぐことになるはずだ」

 

ベアトリチェは、静かに問うた。

 

「ルシエルは、どうなりますの」

 

「殿下は、家庭の問題として処理せよとだけ仰った。

皆までは仰られなかったが、あの子を——ルシエルを処断するしかあるまい」

 

「私たち二人の罪です。弟(あの子)だけを殺させはしない」

 

声を荒げはしなかった。しかし、怒りの感情が渦巻いた。

 

「ベアトリチェ、お前も武門の嫡子だ。そのように、私はお前を教育した。

ルシエルは……人間の母を持ち、爵位を継ぐことのない半血の子だ。

はじめから、お前とは立場が違う。

あの子の母、プロセルピナを愛したことが、私の罪というならば認めよう。

だがルシエルが、姉であるお前を犯し、この家門を滅ぼそうとしたことを、私は赦すわけにはいかない」

 

ベアトリチェは、その美しい顔を向けて、父にはっきりと告げた。

 

「父上は、ルシエルを……ご自身の血を受けた子を、半分だけだと蔑まれておられるのね」

 

「事実、その通りだ」

 

「でも父上は——あの子の半分に流れる、その公爵家の血にすがることになりますわ。

父上が何よりも大事にされている、この家門(いえ)の存続のために」

 

「どういう意味だ、ベアトリチェ」

 

「父上、私はやはり、アスモデール殿下のもとに嫁ぐことは出来ません。

殿下のありがたいお言葉だけを、頂戴させていただきます」

 

「すでに、裁可なされている。私たちに拒むことは出来ない。

お前を女公爵として嫁がせ、ルシエルを処断する。

それが、わが公爵家がかろうじて、生き残るための条件だ」

 

ベアトリチェは、艶然として微笑んだ。

 

「いいえ。そのように冷たいお心で、ただ家門存続を目的となさるならば。

 

父上はこの場で私を処断し、ル(・)シ(・)エ(・)ル(・)に(・)公爵位を継がせなければなりません。

 

ベアトリチェは、父上の為に、喜んでこの命を差し出します。

それが、女公爵となるために生きてきた、私の最後の矜持ですわ」

 

ハデス公爵は、しばし無言だった。

 

しかし、顔色ひとつ変えずに吐き捨てた。

 

「お前を処断するわけがない。お前は私の掌中の珠だ。

美しく、雄々しく、気高い。

我が公爵家の武門の誉れであり、私が望んだ嫡子の姿そのものだ。

お前の血は気高く、王族の妻となることは生まれながらに決まっていた。

お前が王子との間に為す子は、サタン帝室の嫡流となることを定められている」

 

ベアトリチェは、静かに膝まづいた。

 

父の前で顔だけを上げて、処断の時を待っていた。

 

「どうしても、もはや私は、アスモデール殿下の元へ嫁ぐわけには参りません」

 

「弟を愛しているというのか、ベアトリチェ。

あの子と共に、お前まで破滅させるわけにはいかない。

私はお前を愛している。

何にも代えがたい、私の宝だ」

 

父の言葉には、親が娘を思う、その情愛の気持ちが残っていた。

 

ハデス公爵のなかにその感情がまだあったことが逆に、今のベアトリチェにとっては空虚に感じられた。

 

そして、半血の子であるルシエルには、向けられることのない愛だった。

 

「父上が、そのようにぐずぐずなさるので、ついにベアトリチェは、この秘密を申し上げるよりなくなりました。」

 

ベアトリチェの言葉が、祖先の墓所に静かに落ちた。

 

「私はすでに、ルシエルとの子を身ごもっております」

 

ハデス公爵を正面から見つめ、ベアトリチェはその、最後の真実を告げた。

 

少女のように、どこか夢見るような口調だった。

 

「ですから、アスモデール殿下のもとに嫁ぐことは叶いません。

これが、父上が私を処断せねばならない、その理由でございます」

 

それが、彼女が発した最期の言葉だった。

 

ハデス公爵は、無言で剣を抜いた。

 

公爵家に代々伝わる宝剣——その束には赤く絡み合う双頭の竜の紋章が刻まれていた。

 

剣の鞘が石床に落ちる音が、墓所に小さく響いた。

 

少しも震えを見せない手でそれを受け取り、ベアトリチェは静かに父を見つめた。

 

「お前の弟に、何か言い残すことはあるか」

 

ベアトリチェは、何も答えなかった。

 

唇が、わずかに微笑んだように見えた。

 

宝剣の切先が凍るように冷たく、その白い喉に触れていた。

 

——少しも、ためらいを見せなかった。

 

ハデス公爵は、彼がもっとも愛した——純血の美しい娘の最期を、冷徹に見届けた。

 

血の匂いが、墓所の冷たい空気に溶け始めていた。

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