ドMで引きこもりな私でも露出調教してくれますか? 作:わずみかん
その記憶に刻まれていたのは、他でもない俺がかつて犯した過ちそのものだった。
どうして今まで忘れていたのか。そんな疑念さえも瞬時に理解してしまえるほどに、この記憶は俺にとって圧倒的な『トラウマ』だ。
考えるまでもなく、俺はをきっと自分からそいつを封印したのだ。もう二度と〝自分が〟苦しまなくて済むように。故意的か、それとも外的要因があったにせよ、少なくとも俺はこの記憶を『決して忘れない』という選択はしなかった。
そして頭から記憶だけが失われ、心の方だけが罪を引きずった後遺症として、俺にはこの特殊体質が残ったんだ。
『決して約束を反故にできない』
俺の持つこの体質の事の顛末とは、言ってしまえばつまるところ、こういう事だったのである。
「どうして……」
俺は時宮先輩に膝枕をしてもらったままに、勝手に溢れた涙を手で拭う。
「どうして俺……逃げちまったんだ」
自分の記憶から、しいては自分の過去から。
忘れると言う事は、つまりは目を背けたと言う事だ。
誰かを守れなかった記憶。自分の願いが果たせなかった記憶。
そいつをトラウマだからと、自ら切り捨てた。そう思えてならないからこそ目から涙が溢れた。
「俺、あいつらの協力者として失格だ」
笹原が克服しようとして、鈴谷が受け止めようとしたものを、俺は自分から切り離し、背を向けて逃げた。
忘却の中にそいつをしまい込んで、自分にすらバレない様に隠してしまった。他でもない、自分の為に。
「大丈夫。大丈夫だから」
すると時宮先輩は俺を落ち着かせるように、穏やかな声音をかける。
「どんな人にも、どんな人生にも、きっと逃げなきゃいけない物っていうのは有るんだと思うの。それがたまたま前田くんにとっては過去の記憶だったんだよ。たったそれだけの事なんだと私は思う」
「で、でも……俺……!」
たったそれだけ……。本当にそうなのか?
「俺は、救わなきゃいけない人を救えなかった。その約束を反故にして、最後には忘れちまうどうしようもない奴なんだ。それをたったそれだけだなんて……」
言えるはずがない。
とても言えるはずがないのだ。俺が犯した罪とは、守れなかったものとは、つまりは一人の女の子の人生そのものなのだから。
「ねえ、前田くん」
俺は恥ずかしげもなく泣いた。本当は泣くべきじゃないと分かってはいたけれど、それでも涙が止まらなかった。
ただ、先輩はそんな脆弱な姿を見せる俺に対しても、これまでと変わらずに囁きかける。
「私は、前田くんは十分に戦ったと思うよ。それに、きちんと守ったんだと思う」
「……っ! バカ言わないでくださいよ! だって、先輩だってあの時に……!」
「うん。私もあの時、あの場所に居たから。でもね、だからこそ言えるんだよ」
すると時宮先輩は、スカートから綺麗に切り抜かれた新聞紙の切れ端を俺に手渡した。
「前田くんはね。ちゃんとその子との約束を果たしたんだから」
俺は時宮先輩から受け取り、それを見た。
「こ、これっ……!」
新聞の切り抜き。地方新聞の、それもあまり大きな記事ではなかったが、そこには見出しでこう書かれていた。
「女子小学生暴行……未遂?」
「うん」
その新聞にはこうも書かれている。
「地元の不良グループが公衆トイレに女子小学生を連れ込み、性的な暴行を試みるも、寸前に駆け付けた警官が現行犯逮捕。少女は無事、無傷で保護された……」
「ね」
先輩は笑った。俺はそれから、先輩と新聞記事とを交互に見つめる。
「そ、そんなはず……!」
「簡単な事なんだよ? スズちゃんが攫われて直ぐに私が警察に連絡したの。それでもきっと普通なら間に合わなかったけれど、でも、前田くんが頑張ったから間に合った」
「で、でも……!」
俺はあの時すぐスズを追いかけたが、結局最後には思いつきでスズが公衆トイレに居ると予感したんだ。それが偶然当たっただけで、しかもあの砂浜にあった海浜公園の案内地図がなければ、とても公衆トイレにあいつらがスズを連れ込むだなんて思い付きもしなかった。
なのに警官が来て、間に合ってしまった。
「そんな、おかしいじゃないですか!?」
「ふふ。でも考えてみればごく普通な事なんだよ? 私があの後すぐに警察に電話して〝海浜公園の公衆トイレに女の子が連れ込まれた〟って言えば、ものの数分でか駆けつけてくれるんだから」
「なっ……」
時宮先輩は、さも当たり前のようにそう言った。
でも、それが当たり前であるはずがない。
「それじゃあ、時宮先輩はまさか最初からあの公衆トイレにスズが居るって、分かってたって言うんですか……!?」
「最初からは分からないわよ。私は未来が視える超能力者でも、ましてや全知全能な神様でもないもの。でも限られた情報を整理すると、やっぱりあの人達がスズちゃんを連れていける場所って、あそこしかないのよ」
「でも、それって」
それはつまり時宮先輩はあの高架沿いの、あの場所あの時点で、それこそスズが連れさられた直後には、もうその結論にたどり着いていたと言う事になる。
情報を整理すれば自ずと答えは見える。そう時宮先輩は言うけれど、やっぱり常人には不可能だ。あの街の地形、場所、時間。それらを瞬時に整理して、可能性を一つ一つ模索して、最後の一つまで絞り込むなんて途方もない作業を、この人はたったの一瞬で終えてしまった事になる。
要領が良いなんてレベルじゃない。それこそ常人の持てる技能を遥かに凌駕している。それをたった十三歳の女の子ができるはずがない。
「じゃあ、俺が記憶を無くした直ぐ後に……」
「そうだよ。警察の人が来て、スズちゃんは助かったの。もっとも傷だらけの前田くんを運ぶのは、私の役目になっちゃったけどね」
そうだ。それでも、それが出来てしまえるのがこの人なのだ。
普通の人なら出来ないことが出来て、普通の人ならやらない事がやれて、普通の人なら考えない事を考えられて、それでもただの女子高生としてここに居る。それが時宮先輩なのだ。
「本当は前田くんの怪我も酷くて、あのまま病院に行くべきだったと思う。けど、警察の人に話を聞かれたり、その後の事を考えると、前田くんがもっと酷く傷つくんじゃないかって思って……。だから私、こっそり前田くんだけあの場所から家まで運んだの。でも、結果的にはそれが余計に前田くんを苦しめることになっちゃったかもしれないね。……あはは。なぁんて、本当は子供料金でバスに乗ったのがバレたくなかっただけかもしれないんだけどね」
時宮先輩はそう言って恥ずかしそうにしながら、それから一呼吸つくと、だからね、と言葉を続ける。
「だからスズちゃんは助かったし、前田くんもきちんと約束を守ったんだよ。ね? だから前田くんはもう、過去に囚われなくても良いんだよ」
そう、微笑みながら俺に言った。
「……それじゃあ、やっぱり」
俺は考える。つい、考えてしまう。
時宮先輩がここに居る理由。ここでこうして、俺と居る理由。
もしかして、まさか。
「時宮先輩は、それを最初から言う為に……」
「あはは、バレちゃったか」
そう言うと、時宮先輩は照れ臭そうに笑った。
「最初はもっと簡単にできると思ってたんだけどなぁ。でも、我ながら自分のことを過信してたみたいね。前田くんと最初に会った時、つまり前田くんが中学生になって最初に顔を合わせた時、そこにはもう『コン』は居なかった。代わりに私が出会ったのは、やっぱり前田くんだったのよ」
そうだ。やっぱりこの人はそういう人なのだ。
「じゃあ、妹の綾子と話してたのも……」
「私はね、前田くんには過去の事を思い出してほしかったの。今のままじゃ、きっと前田くんはずっとあの体質を持ったままになっちゃうし、何より前田くんにとって一番大切な思い出を忘れたままじゃ、前田くん自身が本当の自分を知れないままになっちゃうんじゃないかって思ったから。でも、綾子ちゃんはそれには反対みたいだったから」
俺は思い出す。綾子が俺に、過去の話を打ち明けた時のあの顔を。
不安で、怖くて、それが積もって支えきれなくなる寸前だった綾子の顔を思い出す。
「綾子ちゃんは凄く優しい子だね。最後まで前田くんのこと、心配してた」
「……そうですね。あいつは、綾子はそういう妹ですから」
全てが繋がっていく。どうして先輩が昨日のプールの帰り、公園の公衆トイレでまるで別人のように〝演じて〟いたのか。その理由も全て。
「時宮先輩は最初からこうするつもりだったんですね。全ては俺があの夏の記憶を思い出すためにやった事だった……って訳ですか」
「うん。びっくりさせちゃってごめんね」
先輩はそう言うと、やっぱり照れ臭そうに笑う。
でも、普通はそんなふうに笑う事は出来ないのだ。
いや、普通ならこんな芸当、現実に行う事すら不可能なのである。
それは行動として可能か不可能かではない。たとえ可能性としてできる事であったとしても、やっぱり常人にはとても実現できない。
当たり前だし、当然だ。だって先輩のやった荒療治とは、当時を再現する事で強引に俺に記憶を思い出させるもので、それはつまり、自分がこの場であの時のスズのように〝レイプ〟されると言う事なのだから。
自分の身を犯してまで、先輩は俺に過去の記憶を思い出させた。自分が汚れることも、悪人になる事さえも厭わずに。
あまりにも酷い汚れ仕事を、時宮先輩は自分ではなく他人の為に引き受けたのである。これは、やっぱりとても『普通』とは呼べない。
でも、しかしそれが時宮先輩という人だったのだ。
普通じゃなくて、まともじゃない。でも誰かの為に何かをするという、そんな人として真っ当な事の為に、ただ誰かを助けたいという想いを叶える為に、この人は行動できる。
だからこそ時宮先輩は普通なのであり、常識人であり、他者から尊敬される人なのだ。そういう人だという事を、俺は改めて、今になって知った。
「……ありがとう、ございます。時宮先輩」
こんな謝辞ではとても償えないだろう。こんな事の埋め合わせなんて、きっと俺がこの先一生尽くしたって叶わない。
ただ、それでも俺の口からは感謝が漏れる。自分の大切だった過去と、そのトラウマを知れた事。そしてやっぱり、最後にはこの人が助けてくれたのだと言う事を、知れたことに感謝した。
「ううん。私の方こそ、まだ言えてなかったから。でも、これでようやく言えるね」
すると時宮先輩が見せるのは、やっぱりあの夏の時と同じような、眩しくなるくらいの清々しい笑顔だった。
「五年前のあの夏に、私と一緒に居てくれてありがとう。……コン」
家に帰ると、滅茶苦茶に心配していた妹から熱い抱擁を受け、兄として若干デレながら、そして同時に猛烈に力の入り過ぎた抱擁に体を軋ませながら、妹の準備していたコーヒーを飲んで就寝した。
そして次の日の朝。俺はインターホンで目を覚ます。
「時宮先輩……?」
「おはよう、前田くん」
寝巻のまま顔を洗って表に出ると、そこには制服姿の時宮先輩の姿が有った。
綺麗に手入れされたお下げに、丁寧に着こなされた制服。メガネと合わさると100点満点の生徒会長姿である。
「いや、この場合は学級委員長とか、文芸部の部長とか……の方が近いか……?」
「ま、前田くん?」
「あ、いえ、すいません」
いかん。寝ぼけた頭のまま考えたことがついそのまま出てしまう。
「前田くんは今日も部活行くんでしょ?」
「一応、そのつもりです」
「じゃあ私も一緒に行こうかな」
時宮先輩はにぱっとハニカミながらそうお下げを揺らす。
「分かりました。では直ぐに仕度するんで、中で待っててください」
「わ、私はここで大丈夫かなぁ」
背中から刺さる殺気にも似た気配と、それから時宮先輩の素振りに俺は色々と察する。
その後はぱっぱと制服に着替えて、軽い朝食だけ取ってから俺は玄関を出た。
「俺はてっきり、時宮先輩はもう部活には行かないものだと思ってましたけど」
「ふふ。これでも私だって約束はきちんと守る方なのよ? 卒業するまでは笹原さん達と一緒に活動するわ。それに……」
「それに?」
「前田くんとも、もう少し一緒に居たいしね」
「……えっと、それはどうして?」
「だって、前田くんがその……私の、初めての人だから」
「ゲフンゲフン!」
「ふふ、冗談冗談」
そんなふうに時宮先輩に茶化されながら、俺達は笹原の家へと向かう。
「おっはよー!」
なんて朝からご機嫌な笹原を拾うと、三人で学校の部室へと向かった。
「おはようございます、先輩」
そして部室には鈴谷が待っていて、やっぱりそいつもいつもと変わらない笑顔を俺達へと向けるのだ。
「…………それから、時宮先輩も」
少しの沈黙の後、鈴谷はそう付け足す。
「鈴谷さん。良かったら、廊下で少しお話できないかしら」
「……良いですよ。じゃあ、少し行ってきますね、先輩」
そう言うと二人は廊下へと出ていく。
「どうしたのかな?」
「……しばらく、待つしかないな」
俺はすれ違いざまに見えた鈴谷の頬の絆創膏を見てそう思う。
時宮先輩の顔を見ても、きっとあの時の落とし前と言うか、話を付けるつもりなのだ。
公衆トイレでやりあった二人は、互いに少なからず遺恨を残す形になっている。その件について、きっと時宮先輩は鈴谷との一件を落着させる為にケリを付けるつもりなのだ。
でも、本当にこれで良かったのだろうか。
これにしたって、本当ならやっぱり俺の役目なのだ。
だがしかし、時宮先輩はその役目を俺に負わせることを良しとしなかった。
俺達にとって一昨日の事も、あの夏の事も、やっぱり過去の事で、既に終わった事件だとそう時宮先輩は言った。だからこれまでの事がこれまで通りである為に、時宮先輩は今回も自分が役回りを買って出るのだと、そう俺に言ったのだ。
先輩がそう言った理由にもどことなく心当たりがある。それは俺達がその過去から今に唯一取り溢しているもの、つまりは鈴谷の事についてだ。
あいつはあの夏の事を、どこまで覚えているのだろうか。
スズではなく鈴谷としてこれまで接してきた俺達だったが、その鈴谷はどこまでスズとしての記憶を持っているのだろう。
鈴谷は言っていた。俺に惚れた理由は、過去に出会った英雄と雰囲気が似ていたからと。
その英雄の正体が誰なのか、鈴谷はどこまで分かっているのだろうか。スズにとっての英雄がもしもあの夏の事を指していると言うのなら、俺はやはりそれをスズに言うべきなのだろうか。
「……今はまだ、分からないよな」
俺にとって大切な記憶であるように、スズにとってもまた同じなのなら、俺にはやっぱり、そいつをどうしていいのかなんて分からない。
少なくともそれを伝えるという事は、今の関係を少なからず変化させてしまうと言う事で、俺の出した結論とはつまり、今はやっぱり今であり、俺達の抱える問題も、解決すべき目的も、過去じゃなくてこれからに有るのだと言う事だ。
こんな解決法は棚上げかもしれないし、ただの現状維持かもしれない。それでも俺は、このままこいつらと今と同じ時間を進むと、そう決心した。
「ただいまですっ!」
それからしばらくして、二人は何事もなかったように戻ってきた。俺は思わず時宮先輩の頬を見るが、そこには傷はついておらず、二人とも出て行った時と何一つ変わらない様子で戻ってくる。
「お話は終わったの?」
「びっくりしましたよぉ。先輩がいきなり一発殴れだなんていうんですから」
「ちょ、ちょっと鈴谷さん!?」
「でも、私にはこれっぽっちもそんな事をする心当たりなんてありませんから。ですよね、先輩」
鈴谷が俺に向けてそう言う。そいつは本当に、心の底から満足そうな笑みを作っていた。だからか俺は、そんな鈴谷を見てどこかホッとした。
「……ああ。そうかもな」
「それじゃあ今日も始めましょうか先輩方っ! 私達の部活動を」
「うんっ! これでやっと皆揃ったもんね」
鈴谷の声に、笹原もそう嬉しそうに返した。
これじゃあどっちが部長なのか分からないぜ、なんて俺は俺で呟いて、そうして俺達はやっぱり元の鞘へと戻っていく。
そこが必ずしも俺達にとって楽な場所ではないかもしれないが、それでも戻るべき場所が有るのなら、今はこれで良いと心の中で想いながら、俺は今日も灰色ではなく、かと言ってピンク色かと言われればそうとも限らなくて、やっぱりどこか青色に似た青春の日々を送るのだった。
昼過ぎになり、ホワイトボードに次に散策する候補場なんかをいくつか出したところで、今日は解散となった。
「うぅーん!」
廊下では窓からの日光を全身で浴びながら、鈴谷が大きく伸びをする。
「あれ、先輩まだ残ってたんですかぁ? 笹原先輩が出て行ったので、てっきり今日は笹原先輩と一緒に帰ったのかと思いましたよぉ」
「あいつなら、さっき時宮先輩が連れてったよ。次の活動内容ってのは御影先生に伝えるんだと」
「そうですか。あ! じゃあ今からしばらくは私が先輩を独り占めですねっ!」
鈴谷はそう言いながら俺へと近づいてくる。
一歩一歩、廊下をこちらに歩いてくる鈴谷の姿が、何故だか勝手に、あの日に本屋の前の木陰で、スズが俺に見せた姿と被った。
「ま、そうかもな」
「あれぇ? どうしたんです先輩。今日はあまり嫌がってくれないんですねぇ」
「別に。何時もの事で慣れたんじゃないか」
「先輩は今日も相変わらずツンデレ屋さんですねぇ、ふふん」
「だからツンデレなんじゃなくてこれが平常運転だっての。それにたとえ俺にツンが有ったとしても、デレなんて甘い要素は搭載されちゃいねえよ」
「そうですかぁ? あ、じゃあその内に飛び切りのツンを私に下さいよぉ。私が滅茶苦茶になるまでツンツンして下さい!」
「それツンってよりグサ、とかの方が正しくないか」
どちらも先の鋭い刃物の効果音っぽくはあるな。ただツンよりグサの方が生々しいけど。
「せーんぱいっ。時宮先輩との件は、ちゃんと片付いたんですね」
「まあな。つうか、その頬の傷大丈夫かよ?」
「大したことありませんよ。そもそもかすり傷ですし」
「その……悪かったな。お前まで巻き込んで」
「いえいえ、良いんです。私は先輩に惚れたんですから、もうべた惚れしちゃってるんですから。ほっぺたの一つくらいどうってことありません。なんなら今だって捧げちゃえます。先輩の熱いキスだって受け止められちゃいますぅ!」
「そう言うベタなのは良いから」
「もぅ、今日の先輩も中々乗ってはくれないんですねぇ」
「そんな超特急列車になんか誰が乗るかよ。俺は人生灰色だって決めてんだ」
そう。だからこうして今も体が火照っているのは、きっと夏の太陽が迷惑な輝きで俺達を照らしているからだ。心臓が鼓動するのも、きっとこの蒸し暑さにイカれたからだろう。
俺が鈴谷に惚れているわけでもないし、別に特別意識しているわけでもない。なにせ俺は、今後も変わらずこいつらの面倒を見る羽目になるのだろうと考えると、やっぱり溜息が出るのだから。
「先輩っ。何か考え事ですか?」
「そう見えるか?」
「はい、だって先輩って常に何か考えてそうですし」
「そいつは気のせいだな。考えてるとしたら精々今晩の献立くらいだ」
「私は先輩のそういうところ、とても好きですけど」
「そうか? 何時だって頭空っぽの方が人生だって楽だろ」
「そうかもしれませんけど、私は必ずしも辛い人生が不幸だとは思いませんよ」
すると鈴谷は廊下の窓辺にそっと背を預けて、俺の隣に立つ。
「……なあ、鈴谷」
「なんですぅ?」
「お前、その……前に言ってたろ。俺を好きになった理由っつうか、過去にお前を助けたやつがいるって話」
「え、え!? どうしたんですか!? ついに先輩、私に興味を持ってくれたんですかぁ!? 良いですよ良いですよ、なんならこの場でオ『ピー』コを広げて先輩の言いなりの下僕犬にでもなんでもなりますぅうう!!」
「わぁあああ馬鹿!? そう言う単語を廊下で叫ぶな反響してんだろ!?」
「で、でもどうしてそんな事をいきなり?」
「ま、まあ、なんつうか。少し気になっただけだよ」
「ふふ、先輩も私の初めてになれるかどうかが気がかりなんですねぇ」
「だからそんなんじゃねえって!」
「そのお話なら、前にも言った通りです。……ゴホン。では改めて言うとですね。私、小学生の頃から色々と性的関心が強い女の子だったのですが」
「それ本当にちゃんと関係あるんだろうな……?」
「だ、大丈夫ですよぉ!? それで、ですね。色々と弄ってるうちに女の子の大切なところと言いますか、あそこの膜と言いますか。まあ元々処女膜なんて生まれつきほとんど無かったんですけど、でも」
すると鈴谷はそのまま茶化し始めるのかと思ったが、すんと口を閉じると、どこか遠くを思い出すように目を細める。
「……でも、実は一度だけ、本当に無くしかけたこともあるんです。でも、その時に大切なものを失わずに済んだのは、私にとっての英雄さんが私を助けてくれたからなんですよ」
「そ、そうか」
「はい。でもその人は、私を守る代わりに凄く傷ついてしまって……。だからその時に私、思ったんです。もう二度と、大切な人に目の前で傷ついてほしくないって。だからその事件があってからは私、人見知りで臆病で、誰とも話せないような弱い女の子じゃなくて、もっと強い女の子になろうって。そう、思ったんですよ」
「……なるほどな」
俺はどこかつんとした態度で、やっぱり興味なさげにそう答える。
「で、そいつとはまた会いたいと思うのか?」
「会いたい……ですか。そうですね。私の恩人ですし、短い期間でしたけれど、大切な友人でした。だからこそ、合わせる顔が無いと言いますか。私の方から会いに行くのは、やっぱりどうしてもできそうにないなぁって思うんです」
鈴谷は優し気な顔で、だけどどこか寂しそうにそう微笑む。
「まあ、そういうもんじゃねえの。俺もよく分からんけどさ」
「でも私には、今は先輩が居ますから。その人が私を守ってくれたように、今度は私が先輩を守りますっ!」
「俺はどこぞのお姫様かよ」
「私にとってはお姫様でもあり王子様でもありますからね。あ、性的な意味でも私は両方OKなので全然問題ありません!」
「いや問題しかねえだろ! 聞いてもねえ情報をいちいち付け足すなっての」
つうことは、やっぱりこいつはまだ知らないのか。
俺は鈴谷の口ぶりを聞いてそう思う。どうやら鈴谷は、あの時にスズの目の前に立っていたコンの正体を、未だ知らずにいるようだった。
「でもいいんじゃねえの。そういうなんつうか、信条? みたいなのってさ」
「せ、先輩はその、強い女の子でも好きになってくれますか……?」
「なんだそのラノベタイトルみたいな台詞。しかもお前、確か時宮先輩に負けたよな?」
「ギクッ」
「ついでに言うと、俺は強い女子ってのは少し苦手だ」
「ウグッ!?」
「だからお前の事も、これと言って何とも思ってないしな」
「ウグファ!? せ、先輩って相変わらず女の子を虐めるのがお上手ですねぇ……」
「ご注文通りにちょいとツン対応をしてみた」
「はぁ、はぁ……。ですけど、そこが良いですぅ! これでこそ先輩ですぅ……ぽっ」
隣に変態的に頬を染めてる鈴谷に、俺は嫌気がさしたような苦い顔を向ける。
だが、そうか。こいつのやけに高い戦闘能力とか、どこか気持ち的に強い所がある理由ってのが、今になって分かった気がするぜ。
そんで鈴谷の方も思ってくれてたって事か。今度こそそいつを守りたいって、そんなふうにさ。
「ま、良いんだけどさ」
俺はそれから廊下を進み始める。
「あ、先輩置いてかないで下さい~!」
「置いてくも何も、そろそろあいつらも報告ってのが終わった頃合いだろ? だったら俺達もさっさと帰ろうぜ」
そう言って、俺は鞄を持って笹原達のいる保健室へと歩き始める。
隣には鈴谷が居て、それから笹原も時宮先輩も、御影先生も居て――。
こうしてまた、俺達の青春は動き始める。
その行く先はどこかは知らないけれど、後ろではなく、ただ前へと、また俺達は緩やかに動き出した。
【あとがき】
この度はご愛読ありがとうございます! 作者のわずみかんと申します。
予想以上に長くなった二章ですが、この場をお借りして改めて読者の皆様に感謝を伝えさせていただければと思います。この作品が有るのは、間違いなくこの作品を読んでくださり、そして愛してくださっている皆様のおかげです。本当にありがとうございます!
さて、ではこの作品もようやく一区切りがついて、前田と笹原、鈴谷や時宮先輩の抱えるそれぞれの葛藤や想い的な部分は描けてこれたかなと思います。本作はやはり青春ラブコメを謳っている以上、これからがむしろ本番の作品だと思いながら、続編の方も気合いを入れて綴らせていただこうと思います!
前田達に残された問題もまだまだ有りますが、二章は後半から特にバックグランド的な部分の堀下げが主だったので、次の章ではもっと青春させてあげたいなと思っています。夏と言えば!高校生と言えば!的なイベントを過ごす前田達の姿を楽しんでいただければ、そして本当はやりたかったけど尺の都合で出せなかったムフフなイベントもあれやこれやと盛り込んでいければと思います!
それでは短文にはなりますが、また次回でも皆様にお会いできる日を楽しみにしつつ、今回はこれにて一度ペンを置かせていただきます。ではでは三章に向けてまたペンを持ち上げるその時まで、アデューです!