ドMで引きこもりな私でも露出調教してくれますか? 作:わずみかん
「はい。先輩の分です」
プリクラを撮り終えると、筐体から出てきたシートの一枚を渡される。そこにはカラフルなフォントで落書きが加えられた写真がずらりと連なっていた。
「使い道無いだろこれ……」
おまけに写真写りとか最悪に悪いし。誰だこの極悪人みたいな顔してる奴。
「用が済んだならさっさと行くぞ。他に目ぼしいもんも無さそうだしな」
これより上の階にはゲーマー御用達のコーナーが目白押しだ。御影先生ならいざ知らず、デートであまり盛り上がるような場所ではなさそうだ。
それに何より、これ以上この場に留まっていると極度の緊張で胃液が逆流してきてしまう。やはり俺にはこういうリア充共の営みは耐えきれん。そういう体の造りになっているのだろう。
「先輩と撮ったこのプリクラですけど、折角なのでお気に入りのオモチャに貼り付けちゃいますね」
「そのオモチャって普通のオモチャだよね? いかがわしい方じゃないよね?」
とまぁそんなわけで、ゲーセンから出た俺達はそのまま秋葉原の探索を続けることにした。
デートとは言っても名ばかりだ。特にプランも決まってない俺達は、行先も決めないままブラブラと街をぶらつく。だがそこはやはりアキバの街。それでも何かとスポットに巡り合い時間は過ぎていく。
それからはガシャポンがやたらと置いてある場所に行ったり、日本橋の下のお洒落な雑貨店に行ったり、神田の神社に行ったりケバブを食べたり家電量販店に行ったりと、それなりに秋葉原を満喫し、そうしてまた駅前へと戻ってきた頃にはすっかり夕方へと変わって、一日の終わりを告げようとしていた。
「すみません。今日は少しはしゃぎ過ぎちゃいました」
「いや良いよ。俺も久々に歩いて運動になったし」
電気街口を北に出ると、そこには昔バスケットコートが有ったと言う大きな広場がある。さらにその奥には秋葉原UDYがあり、頭上を見上げるとクソほどデカイパブリックビューイングが今も爆音でアニメ映像を流していた。
「今日は凄く楽しかったです。こういう事を改まって言うのは少しだけ変かもですけど、その、ありがとうございます。先輩」
そこには少しの照れっ気が混じった鈴谷の無邪気な笑顔がある。
「い、いや……。本当にそういう事を改まって言うなよ」
それだけ見ると、やっぱりこいつも普通の女の子のようだ。
そうしていると俺は不覚にも、もしも自分に彼女が居たらこんな感じなのだろうか……。なんて、しなくてもいい妄想をしてしまう。いやいや。俺は何を考えているんだ。後輩と出かけたくらいで彼女の妄想とか、気が早いって言うかもはやキモいレベルだろそれ。
だがそういや、最初に鈴谷と会った時に言われたのは『私の飼い主をして下さい』だなんて可愛げの欠片も無い言葉だったな。
それが今ではこうして休日を過ごしている辺り、俺もあの時に比べれば鈴谷への印象も変わってきているのかもしれない。
「……なあ、鈴谷」
「はい? なんでしょう」
それから俺は、つい先日の事を思い出して何かを言いかける。
それは五年前のあの出来事の記憶で、鈴谷がまだ俺の中でスズだった頃の話だ。
印象が変わったと言えば、今の鈴谷は俺の知っているスズとは随分と違っている。
お淑やかで物静かだったスズとは違い、やっぱり鈴谷は超が付く変態で、美少女なのにどんな変態プレイでも受け入れてしまうおかしな奴で、それから笹原への罪を償う為に今も葛藤の真っ最中で……。
だが鈴谷がどんな人間でも、どんな出会い方をしたとしても、やっぱり俺の中で鈴谷は鈴谷で、スズとは違う俺の後輩なのだ。
片方だけがあの夏の記憶を持っているのは不公平かもしれない。それにスズだけが俺の正体を知らないまま、それでも俺の事を好きでいてくれる。そんな状況に甘えているのは俺の方かもしれない。
だがそれでも、たとえ相手の正体が分かっていたとしても、あの夏に起こった事はあくまでも『コン』と『スズ』の間に起こった出来事だ。だから俺はスズではなく鈴谷として接していくと、そう決めている。
「まあ、今日の事は気にすんな。お前にはその……少しだけ借りもあったからな」
だから今日はあくまでも一人の後輩と外に出かけたに過ぎない。たとえ一度は好きになった相手だとしても、やっぱり鈴谷への心情は変わらない。こいつは変態ドスケベな美少女で、それから部活動のメンバーで、そして肝心な時には俺を助けてくれる、そんな心強い後輩なのだから。
「それと良かったら少し休んでいこうぜ。流石に一日歩きっぱなしだと足が重くなってきた」
「そうですね。あ、ならあそこに座れそうな場所が有りますよ」
それから俺達はUDYのデッキへと上がり、休憩スペースで腰を下ろす。
周りでは同じように並んで座るカップルが、夕暮れにそまりつつある秋葉を見つめていた。
「私達も周りの人からはカップルに見られたりするんでしょうか」
「……いいや。それはねえよ。俺とお前じゃ釣り合わねえし、良いとこ買い物の荷物持ちだ」
鈴谷はそれこそ周りから嫌でも浮いてしまう程の可愛さと抜群の身体を持っている。
そんな人間と俺が隣り合って立っていたとしても、おそらく誰も俺を彼氏だとは思わないだろう。それほどまでに俺達には外見的な差がある。
もっと運動神経も抜群で、頭も良くて、高校でもカリスマだったりするイケ好かない奴の方が、きっと本来なら鈴谷に相応しいのだ。
「お前の方こそ、デートの相手が俺で良かったのか」
やっぱり俺と鈴谷じゃいくら考えたところで釣り合わない。そんな自己嫌悪にも駆られ、俺はついそんな事を鈴谷に問いかけてしまった。
俺みたいな顔も目つきも悪くて、言葉使いも荒いし、気遣いなんて下手過ぎてしない方がマシなレベルまであるような、そんなどこにもモテる要素どころかクラスじゃボッチ確定みたいな人間が、本当なら鈴谷みたいな学校で一番持てるタイプの女子と一緒に居る理由はないのだ。
「私は先輩が良いです」
しかし鈴谷は何の迷いもなく即答する。
「私は先輩が良いんです。先輩じゃなきゃダメなんです」
「……俺はお前の思ってるような奴じゃないかもしれないぞ。ほら、よく言うだろ。そいつの本性なんてのは、一年は一緒に暮らしてみなきゃ分からないってな」
彼氏と彼女が同棲すると、一年以内に別れる確率が最も高いらしい。
それもそうだ。人ってのは良い部分もあれば悪い部分もある。それを互いに知らないまま付き合って、それから同じ屋根の下なんかで暮らしていれば、そのうち嫌でも知らされる。そしていずれ相手に幻滅してしまうのだ。
かつての俺がそうであったように、誰にも踏み入って欲しくない場所がある。かつての俺が恐れたように、誰も他の誰かに主導権を握られたくはないのだ。
だから自分が一番大切で、自分を嫌いになるくらいなら誰かを嫌いになる。人と言うのは、そうやって自分を守りながら生きている。
「それじゃあ一緒に暮らしてみますか? 私なら、何時まででも先輩と一緒です」
しかしそれをこの後輩は、あっさりと放棄してしまう。
誰かを嫌いになるくらいなら、自分でその罪を背負おうとする。誰かを好きになる為ならば、主導権なんて惜しくはない。
鈴谷真昼と俺は、やはり真逆の人間なのだろう。
「別にそういう意味で言ったんじゃねえよ」
嬉しそうに頬を染めてそういう鈴谷に、俺は呆れた声を返す。
「……いや、無駄話だったな。忘れてくれ」
「先輩が私の愛を確かめたいって仰るなら、何時でも私は先輩に全てを捧げちゃえますよ?」
「そういう事をなんの躊躇いも無く言うなよな。言われた側はかなり困るやつだぞそれ」
「そうですか? なんなら先輩の好きなように私を使ってもらっても、私なら全然構わないんですけれどぉ」
「俺が構うんだよ。だからそういう事を易々と言うな」
「……ふふ。やっぱり先輩って、凄く優しいんですよね」
それから鈴谷は、俺の方ではなくビルの谷間から差す夕陽の木漏れ日を眺めながら言った。
「どうにでも出来る女の子がいて、どうにでもして欲しいって言われても、それでも先輩は、ちゃんと相手の女の子の事を考えてくれるんですから」
それからやっぱり悪戯っぽく笑いながら、鈴谷は言うのだ。
「だから私は、先輩の事を好きになったんです」
それは突然の告白で、幾度目かもわからない鈴谷からの『好き』で、もうすっかり慣れてしまったとばかり思っていた言葉で。
だけどやっぱり、今の俺はどうしようもなく心臓が唸ってしまう。
忘れてはいけない。けれど決して今に引き継いでもいけない。反映させてはいけない。自分の想いに、あの時の感情を。
「……そうか」
俺はそれだけを小さな声で答えて、それから鈴谷の見ていた夕暮れへと目を向ける。
「そういや最後に行きたいところがあるって言ってなかったか?」
「はい。良かったら先輩と、今日の最後に立ち寄りたい場所があるんです」
そう言うと、鈴谷はどこか遠くを見るように目を細める。
そんな鈴谷の顔は、ただ何かを見ていると言うよりは、その体に伝わる物全てを感じ取っているというか、まるで今と言う時間そのものを噛みしめているかのように見えた。
「どうかしましたか?」
「いやなんつうか、お前にしては珍しい顔するなと思ってさ」
「へ、へ? 私、そんなおかしな顔してました?」
すると鈴谷は不意を突かれたように、途端に羞恥に顔を赤くする。
「別におかしかったわけじゃないぞ。ただ鈴谷にしてはそういう顔もするんだなって、そう思っただけだ」
「わ、私、いったいどんな顔を……」
そいつはやっぱり鈴谷にしては珍しく動揺していて、あわあわと口元と慌てさせる表情は新鮮だ。
「な、なにを笑ってるんですかぁ!」
「いや、すまん。お前にしてはやっぱ普通の反応だなって、そう思ってさ」
「もぉ、だから言ったじゃないですか。私だって女の子なんですよ?」
それから休憩デッキに風が吹きつけて、その場にいた連中の髪を靡かせる。
陽も落ちてきて、僅かだが肌が涼しくなってきた。そんな今日という日の頃合いを感じながら、俺は身体に溜まった疲労感を抜くようにふっと笑みをこぼす。
「それじゃあ行くか」
俺はそう言って先に立ち上がると、鈴谷へ向けて手を伸ばした。
「あ、ありがとうございます」
「ん? どうかしたか」
「いえ、その……。先輩の方から手を出していただいたのなんて、あの時以来だなぁって……」
「そうだったか?」
あの時と言うのは、多分鈴谷が俺の部屋に来た時の事だろう。
自分の中にある葛藤や罪悪感を、俺に向けて告白したあの時にも、俺は鈴谷へと手を伸ばした。
鈴谷の正体も知らないままに、ただ目の前の女の子が泣いているからと、たったそれだけの理由で俺は一人の後輩に手を貸したのだ。
今にして考えればあの時からもう既に、俺の中の何かは狂い始めていた。そう思えてならない。
なにせ俺は本当であれば極度の面倒くさがり屋で、人との関係などばっさり切って捨ててしまうことを是とするような、そんな人間なのだから。
「そういや、そんな事もあったな」
「はい。なので私は先輩に伸ばしていただいたこの手は、きっと最後まで離しません」
「いやそこは直ぐに離してくれ。歩きづらいから」
「きっと先輩の家についても、先輩が眠りについても、この手はきっと離しません」
「どこぞのヒロインっぽく言っても、お前の場合は単なるストーカー宣言だからな?」
「あはは。バレちゃいましたか」
それから鈴谷はどこか恥ずかしそうにその手を握ると、さっと腰を立たせる。
「最後はどこ行くんだ?」
「それは最後の最後まで秘密です」
なんて言って、口に人差し指を当てる鈴谷。
それから俺達はUDYのデッキから降りると、電気街口を通って南の方へと出る。
結局どうして今日になってデートをしようだなんて言い出したのか、そんな鈴谷の思惑は分からないまま、俺達は最後の目的地へと向かう。
「ここです」
そうしてやってきたのは、看板から何から緑色に染まったこれまた一棟建てのビルだ。
「なんつうか、赤だったりオレンジだったり青だったり、秋葉原のビルってのはどうしてこうもカラフルなんだろうな」
そこは一見すれば何かのグッズショップのようだ。最後に秋葉の土産でも買って帰るのだろうか。
「ほらほら、先輩も入りましょ」
それから後輩に連れられて、俺は自動ドアをくぐる。
だが。
「お、おま……」
「あぁ、なんて所なんでしょう。まさにこの世の天国ですぅ」
やたらとテンション上げてはしゃぐ鈴谷だったが。
そこに見えたのは、大量に陳列されたバイブにローターだった。
言うなれば大人のオモチャと言われる物が、棚の端から端までそこらじゅうに並べられている。
周り一面が全てピンクで、それこそ閻魔大王も逃げ出すんじゃないかってほどに地獄絵図な光景がそこにはあった。
「私、実はここに一度来てみたかったんですよぉ」
なんて言う後輩。
最後にと言われて来てみればこれだ。俺は自然とこめかみに力が入る。苛立ちとか怒りとか、さっきまでの雰囲気とかいったい何だったんだと思いながら、俺は拳を強く握る。
「あいたっ! もぉ、何するんですか先輩ぃ?」
「それはこっちのセリフだ。まさか最後の最後に連れてこられたのがアダルトショップとか、お前はホント毎度毎度なに考えてんだよ」
俺は急いでアダルトショップから出ると、今更にその店の看板が目に入る。
『大人の殿堂! エロスのデパート!』
俺もまさかビル一つ全てアダルトなグッズで埋め尽くされた卑猥な店だとは思わなかった。ここまで来るともはや秋葉原恐るべしと言う他ない。つうかなんだよそのキャッチコピー。どこぞのディスカウントストアかよ。
「だってぇ、こんなに大きなお店ですよぉ? きっとここなら心ときめくようなエッチで素敵なものがたくさんありそうじゃないですかぁ!」
「馬鹿な事言ってんなよな。そういうのはまずは自分の恰好見てから言え」
「うぅ、先輩のイジワル~!」
そんなわけで、俺は制服のコスプレのまま大人のオモチャな店に入ろうとする鈴谷を大慌てで引きずり出す。
「お前な。ホントそのうち通報されても知らないからな」
「その時は先輩もご一緒ですよね♪」
「ご一緒しねえよ。なに人のことまで道連れにしてんだ」
「ほんのちょっとだけ! せめて一階だけでもぉ!」
「ダメなもんはダメだ。つうか昼間にも追い出されたところだろ」
「うぅ~! だってぇ!」
アダルトショップに入れないからと駄々をこねる女子高生を連れて、俺はまた秋葉原の駅の方へと戻ってくる。
「もぉ。あのお店ならきっと『あぁん、こんなの入れたら絶対にあそこさけちゃうぅ!』的な禍々しい形のオモチャとか、色々見つかると思ったのになぁ~」
「そんなふうに顔を膨らませても駄目だ」
「なんならその場でお試し使用するつもりだったんだすよぉ? 極太なバイブとかあそこに入れてぇ、先輩にリモコンでいじめられながら街を歩くのとかぁ、私的には超萌える展開だったのにぃ」
「健全な男女がデートで立ち寄る最後の店がアダルトショップとか、お前が良くても世間と俺が許さねえからな」
そんな感じに、どうにか最悪の事態だけは回避した俺だったが、しかし我ながらかなり油断していた。
そうだ。いくらそれまでがセンチメンタルな雰囲気だろうが、前後の脈絡も完全無視してぶち壊す。そしてエロやらフェチやらを全面にまで持っていくのが鈴谷の特性であり毒性である。
「先輩もきっと楽しめたと思うんですけどぉ」
「あんな店で何をどう楽しめってんだよ」
「だってですよぉ? あのお店ならきっと先輩の気に入りそうなオナ〇ールとかエッチなDVDとかも種類豊富じゃないですかぁ?」
「生憎とその手の物を年下の女子の前で吟味するような性格じゃないんでな」
「最近のはパッケージの女の子とかも凄く可愛いですし、きっと笹原先輩っぽい女の子のエッチなビデオも見つかると思ったんですけどねぇ」
「…………」
「オ〇ホールとかもぉ、最近は欲求不満な先輩でも満足いくようなぁ、笹原先輩みたいなきつきつなロリオナホールとかもたくさん有りますぉ?」
まったく。こいつはさっきから何を言ってるんだ。だいたいそんな物で俺が乗せられるわけ無いだろ。
この紳士の権化たる俺が、そんなゴム製品なんかに欲情する変態なわけがない。アマ○ンの貴方におすすめ商品でたまに出てくるのも、きっと通販サイトの方が俺を勘違いしているからだ。うん、そうに決まっている。
「……先輩、もしかしてイケない事とか考えて興奮しちゃってます?」
「興奮してないしお前の言うような事は微塵も考えちゃいねえよ」
「本当ですかぁ?」
「なんだよその顔は」
「いえいえ。そこまでおっしゃるなら私が直接確かめちゃおうかなぁ、なんて」
「それ以上この流れを続けるなら本当に帰るからな」
「あ、ごめんなさいですぅ! 分かりましたよぉ、諦めますぅ」
なんて不貞腐れたように口を尖らせる鈴谷。
「じゃあ代わりに、もう一か所だけ付き合ってくれますか」
「……今度こそまともな場所なんだろうな」
「安心してください。きっと先輩も楽しめると思いますから」
「……次が本当に最後だからな」
と言う事で、俺達は再び移動を始めた。
それからやって来たのは、俺も良く知った場所だ。
「ここは……葛西臨海公園じゃないか」
「はい。先輩も好きだって言ってましたので」
あれから電車を乗り継ぎ、いつの間にか日もすっかり沈んだ頃にやってきたのは、俺も良く知る葛西にある臨海公園だった。
鈴谷も制服コスプレではなく来た時の私服姿だ。コスプレ衣装は秋葉原を出る前にメイド喫茶まで返しに行ったのだが、その時にメイドさんから『クリーニング代は結構ですから。帰ってこのままお楽しみ……私が洗っておくので!』なんて言われた言葉とあの笑みがなんとも下卑ていたような気がしてならない。しかしきっと俺の気のせいだ。そういう事にしていこう。
「それで何するんだ? この時間だし、もうかなり暗いぞ」
臨海公園は所々に街灯が点いているものの、海の直ぐ近くにある公園ということもあってか、夜になると街中よりも一層に暗くなる。
さらに言えばもうじき午後の8時になろうかという時間のせいもあって、中には人の姿もほとんど見えなかった。
「ねぇ、先輩」
すると鈴谷は、どうしてだか囁くように言った。
「私がもしも、先輩を独り占めしたいって言ったら、どうしますか?」
それから、鈴谷は俺の腕にぎゅっと抱き着いてくる。
鈴谷の身体の柔らかさやひんやりとした冷たさが、腕を伝って感じられる。それはやっぱり、どうしても意識してしまう異性のものだ。
「私、分かってるんです。先輩は笹原先輩と幸せになるべきだって。それは私だって、分かってるんですよ?」
「……別に俺は、笹原とどうこうするつもりはねえよ。あいつと一緒に居るのは、そういう約束だってだけだ」
「…………なら」
すると鈴谷は、掴んでいた俺の腕をぎゅっと手繰り寄せて、そして俺の身体に自分の身体を押し付けるように抱き着いた。
「私も、先輩ともっと一緒に居ても……良いですよね」
どうして、なぜ今になって鈴谷はそんなことを言い出したのだろう。
けれど、その声はどこか不安を押し殺しているみたいだった。口調は鈍くて、言葉も微かに震えている。
「先輩……私のこと、好きですか?」
「…………いや」
「じゃあ、嫌いですか?」
「……そういうんじゃ、ねえけどさ」
「なら私の事、抱いてくれますか?」
「それなら今だって抱いてるだろ。まあ一方的に抱きつかれてるだけとも言えるけどな」
「……違います。そっちじゃないです」
すると俺を抱きしめる鈴谷の力がさらに強くなる。
「先輩。私と……エッチ、して下さい」
暗闇の、真っ暗闇な公園の中で、鈴谷はそう俺に囁いた。
人の気配も無い。おそらく誰にも見られる心配はないだろう。そんな場所で、鈴谷は俺にそう言ったのだ。
「私にも先輩の……男の人の物が、欲しいです」
「鈴谷、お前なに言って……」
「ここなら誰にも見られたりしません。だから先輩。私を、ここで……」
そう言うと、鈴谷はスカートのホックを外す。
パサリと落ちたロングスカートの下には、うっすらと浮き上がった鈴谷の下着と、露になった太ももが見えていた。
「……それとも先輩は、私とはエッチなこと、したくないんですか?」
「……そ、それは」
正直どう言えば良いのか分からなかった。
こんな唐突に、それも鈴谷の方からそんな事を言われて、戸惑わない方が間違っているとすら思う。
けれど俺にはどうしても、やはりあの夏の時に見たスズの姿が鈴谷に重なってしまう。
あれだけ意識しないようにと決めていても、やっぱりどうしても、俺にはスズと鈴谷が切り離せない。
だからこそ俺は、自分の中から湧き上がる劣情をぐっと押さえて、鈴谷の肩と掴んで身体を引き離した。
「……俺にとって、鈴谷は大切な後輩だ。それにお前の気持ちにもちゃんと応えてやらなきゃいけないのも分かってる。だけど、それでも今は」
自分でも不器用だと思う。何かに踏ん切りをつけなければ、それ以上前には進めないなんて。
けれど、それでも俺は、笹原を置いて他には行けない。行くことは出来ないと、そう思ってしまう。
「……やっぱり、先輩って優しいです」
「すまん、鈴谷……俺は」
「先輩? ちゃんと私の顔、見て下さい」
そこで俺は、やっと鈴谷の顔へと目を向ける。
「分かってます。私も先輩がどういう人かって言うのは。だからこれは、ほんの意地悪です」
鈴谷の顔は、何故だか落ち着いていて、まるでさっきまでの言葉は全部嘘だったとでも言いたげににこやかに笑っていた。
「先輩ってば最近はすぐに他の女の子になびいてしまうので、今回は私からのちょっとした注意です」
それからスカートを穿き直すと、鈴谷は何事も無かったかのように歩き出す。
「お、お前……まさかこれも」
「はい。お茶目な後輩の演技です。でも先輩が悪いんですよぉ? 時宮先輩やお姉さんにまで下心を持つからです」
「だ、誰も下心なんか持っちゃいねえっての」
「本当ですか? ならさっきみたいにお二人から言い寄られても、先輩は我慢しちゃうんですかぁ?」
「そ、そりゃまあ、もちろんだよ」
「ふふっ。なんだか信用できませんねぇ」
「だからお前は俺をどんな人間だと思ってるんだよ」
「いえいえ。ちゃんと分かってますよ。先輩が本当はとてもスケベな人で、女の子にイケない事をたくさんしたいと思ってるってことは」
「やっぱこれっぽっちも分かってねえじゃねえか」
「それに、先輩が本当は色々なことを考えながら、私達と居てくれてるって事も、私はちゃんと分かってますよ」
そう言いながら、鈴谷は一人歩いていく。
どういうつもりで、いったい何を考えているのか。俺にはまったく分からないが、それでもしょうがなく俺はそんな鈴谷の背中を追いかける。
「それでどうするんだよ。まさかここに来たのはさっきの為か?」
「うーんと、そうですけど?」
「うわすげぇ殴りてぇ。電車賃払って損したわ……」
今日一日ですっかり心身ともにくたびれたのか、俺は身体を引きずる様に鈴谷の横を歩く。
「あ、先輩」
「今度はなんだよ」
「最後にあれ、乗って行きませんか」
そういって鈴谷が指さしたのは、臨海公園のシンボルの一つ。夜の沿岸で色とりどりのネオンを灯す観覧車だった。
「つっても、もう営業時間ギリギリじゃないか?」
「走って行けば間に合いますよっ!」
「あ、ちょ!?」
鈴谷は俺の腕を引っ張ると、勢いよく走り始める。
くたびれた身体に鞭打つような思いでなんとか俺も走っていくと、ちょうど観覧車の乗り場に係員の人が出てきた。
「まだ間に合いますか!」
「そうだね。君たちが最後のお客さんかな」
そう言うと、係員の人はハンサムにもこちらに親指を立てる。
「足元に気を付けてね。それじゃあ良い眺めを」
「はい、ありがとうございますぅ」
「はぁ……はぁ……。マジで、息が……」
俺の方はもやしっ子としての本領を最大限に発揮しながら、今にもぶっ倒れそうな勢いで観覧車へと乗り込んだ。
そして係員の人が観覧車の扉を閉めると、ゴンドラは弧を描きながら徐々に高く上がっていく。
「良い眺めですね」
「あぁ、そうだな。つっても眺めを見る余裕なんざこれっぽっちもないけどな」
ぐでっと肩を落として、座席に背を着けると、俺もようやく窓の外へ目をやった。
「あそこに見えてるのは船橋か。ならあっちに見えてるのはちょうど千葉の辺りだな」
「凄く綺麗ですね。街の明かりがキラキラしてて」
俺と鈴谷はゴンドラから見える街明かりを眺める。
鈴谷の言う通り、高い場所から見渡す夜の街は輝くように光っていた。
そういった夜景を楽しめるようにか、ゴンドラの中は明かりが灯されておらず、ほんのりと光る観覧車のネオンだけが手元を照らしている。
「そういや、今日はどうしてデートだったんだ?」
しばらくの無言が続いた後、俺は今日の間ずっと疑問に感じていたところを鈴谷に投げかけた。
「だって先輩ですもん。いざって時に練習しておかないと、女の子をエスコートなんて出来ないでしょ?」
鈴谷はどこか穏やかな面持ちで、俺にそう言葉を返した。
「だからなんの為だよ、練習つったって。俺には女子とデートに行く予定なんて身に覚えも無いわけだが?」
「大丈夫ですよ。いずれその時はきっと来ますから」
それからまた鈴谷は東京湾の夜景へと目を向けて、そっと零れるように口にする。
「もしも笹原先輩の体質が治ったら……、こんな感じにデートできると良いですね」
その言葉は誰に向けたものなのか、声を聴いただけでは分からない。
だがどうやら、俺の後輩は何も考えていないようで、やはり陰ながらに色々と考えていたようだ。
まったく、どうにも俺の周りにはお節介を焼きたがるやつばかりと言うか、余計なお世話をしたがる連中ばかりなんだろうな。
だがそんなお人好しに囲まれて過ごす青春を、俺はいつしか面倒ではなく、悪くないなと、そう思えるようになっていた。
それから観覧車のゴンドラは時計の針のようにゆっくりと回転し、その間は俺と鈴谷で他愛のない話を続けていたような気がする。どんな内容の話だったかは、正直あまりよく覚えていない。
それから観覧車が一周すると、俺と鈴谷はまた電車に乗り千葉へと帰っていく。
今日と言う日が何の為にあったのか、本当に必要だったのかすらも分からない。それにより俺達にどんな変化が有って、何をもたらしたのかも分からないままだ。
けれどそんな一日と、俺と鈴谷の男女としてはあまりに不健全なデートは、こうして終わりを迎えたのだった。