ドMで引きこもりな私でも露出調教してくれますか? 作:わずみかん
車両からホームに降りると見えたのは簡素な構内だ。乗降場はまるで滑走路のように真っ平らでベンチ一つ置かれておらず、他には掘っ立て小屋のようなトタン屋根の改札口と、その改札口と乗降場を繋ぐ歩道橋が高々とコの字に建てられている。
「いい風ね」
時宮先輩は靡く髪を手で押さえながら海の方を見渡した。
少し向こうには海岸線が見えており、そこから吹く海風はこちらまで届いている。辺りが自然に囲まれているせいもあってか、夏の日差しが照りつける中でも涼しさを感じられた。
「良い避暑地だな。こうなるともう千葉の方には帰りたくねぇ」
「眺めも良いし風も気持ち良いし、お散歩するには打ってつけね」
因みにここで言う千葉は千葉駅周辺の事だったりする。千葉県民豆知識だ。
心地良い風に吹かれながら、一同は歩道橋を渡り改札口へと向かう。歩道橋は辺りに高い建物が無いからか、上から駅の近くが良く見渡せた。大方の予想通りこの辺りはやはり田舎のようで、海岸線の近くにはそれなりに店や住宅が並んでいるが、山の方はポツポツと小民家があるだけだ。
「あ、ねぇねぇ! あそこにパンフレットがあるよ」
麦わら帽子を押さえながら、笹原は改札近くにあるパンフレットスタンドを指差す。
「ふむふむ、どうやらいくつかの散策コースがあるみたいですね」
鈴谷が手に取ったパンフレットをガバッと広げたので俺も覗いてみると、そこには周辺マップと近隣の説明が書かれていた。
海岸線を沿うように引かれた赤い線と、駅をぐるっと一周する黄色い線、それから山の方へ続く青い線が引かれている。それぞれ「海遊びコース」「ほのぼのジョギングコース」「地獄の登山コース」と名づけられており、長さもまばらだ。
中でもこの「地獄の登山コース」は特に酷く、おおよそ山を登り峠を越えてまた下って帰ってくるというその名の通り地獄のようなルートらしく、所要時間も6時間と書かれている。普段から運動するようなスポーツマンならいざ知らず、一般庶民ならまず間違いなく途中でダウンするだろうな。
「どうする?」
笹原が俺の顔を覗きこみながら意見を煽ってくる。
まあその辺は流石にこいつらも弁えてるだろう。となると、ここから選ぶなら「海遊びコース」か「ほのぼのジョギングコース」だ。個人的には海遊びコースの方が楽そうなので推したいが、無理に意地を張る必要も無いだろう。
「別に何でもいいんじゃねえか。折角ここまで来たんだし、全員が行きたい場所で」
「じゃあいっせーのーせでいくね」
そう言うと、笹原は「いっせーのー」と音頭を始める。
おそらく各々で行きたいコースを指差せって事なのだろう。ようは多数決だ。まあそれでもこの「地獄登山コース」になる事はまかり間違ってもない。鈴谷はおそらく「海遊びコース」だろう。こいつの事だから海遊びに乗じてまた碌でも無い迷惑行為をしでかしそうだ。笹原は純粋に海で盛り上がってたし同じくこちらのコースかな。時宮先輩はどちらか読めないが、折角きたのだからと言う理由で少し長めの「ジョギングコース」を選ぶかもしれない。
だとしたら俺もバランスをとって「ジョギングコース」にしておくか。海で厄介事を起こされても困るし、最悪二対二で分かれても両方行けば良い話だ。それでも登山コースに比べれば何倍もマシなのだから。
「せっ!」
最後の掛け声で皆が一斉にマップを指差す。
結果は。
俺:ジョギングコース
笹原:登山コース
鈴谷:登山コース
時宮先輩:登山コース
「…………」
あれ?
「それじゃあ登山コースで決定だね」
「楽しみね」
「あ、あの、え、ちょっと待って」
「ほら何してるんですか先輩。早く行きますよ~?」
「…………」
いやなんでだよ!!
こいつら何なんだよマジで!? 分かってんのかホントに!?
6時間だぞ!? 山道を6時間。絶対に途中でクタばって死ぬ事になる。
「えっと、まずはどっちの道に行くんだろ?」
「多分あっちだと思いますよ笹原先輩。ほら、何やら標識のようなものが見えますし」
だがもはや決定を覆すだけの猶予はないらしく、三人は一目散とばかりに道を歩いていく。
「あ、いや、じょっとばって……うひっ」
絶望のあまり変な嗚咽を漏らす俺。
え、なんなのこいつら。この部活ってそんなストイックなとこだったの?
いくら海風があるとはいえ夏の炎天下だ。それも山に入れば海風だって届かない。
見たところ駅前に辛うじてバス停はあるようだが、その他の公共交通機関は一切見当たらず、電車にしたってこの駅のみ。タクシーなんて勿論走ってない。
つまり途中で行き倒れれば助けは絶対にこないデスレースである。
「先輩ぃ~! ほらほら行きますよ~!」
「あの、俺だけここで待ってるっていうのは、はは……実は持病の腰痛と肩こりと足首の捻挫が再発しそうでさ。なんなら昔膝に受けた弓矢の傷まで疼きだしてきた」
「帰ったらいっぱいマッサージしてあげますから! なんでしたらぁ……、先輩になら、体の隅々まですっきりと解してあげますからぁ……ふふ」
ダメだこちらの言い分がまるで通らない。
「お前ら本気かよ。だって地獄だぞ、地獄って書いてあんだぞ? この先に閻魔様とかが待ち構えててもしらないからな」
「だって折角来たんですし、少しくらい探索していきたいじゃないですか」
「これのどこか少しなんだよ!?」
「そうだよ? 前田君も少しは運動しないと。ただでさえ普段から家に引き篭もってるんだから」
「お前にだけは言われたくねぇ!!」
「わ、私はべ、べつに引きこもりたかったから引きこもりになったわけじゃないもん」
「うるせぇこの座敷わらし。大体どうして揃いも揃って登山コースなんだよ。少し探索するなら海遊びコースとかでも良いじゃねえか」
「だって山だし?」
「うん、山だものね」
「山ですね!」
なんなのこの人達? 山ガールなの? そうじゃないなら特殊訓練でも積んだレンジャー部隊か何かなの? 山の中じゃないと落ち着かない人種なの?
がっくりその場に座り込んでうな垂れるが、しかし鈴谷がしつこく手を振って呼び掛けてくるので渋々標識があるという方向へと重い足を踏ん張らせる。あぁ、どうして何時もこうどうしようもない事になるんだ。
「こういう所もなんだか良いよね。長閑って感じで」
「そうね。千葉の辺りもそれなりに都会だから、自然に囲まれた場所ってあまり無いかもしれないわね」
「野生の動物とか見れたりするかな! 鹿とか熊とか」
「笹原先輩ぃ~! 熊は流石に私達が食べられちゃいますよぉ」
そんな気の抜けた話し声を聞きながら、こちらはなんとか失いかけた気力を奮い立たせて駅から道沿いに山の方へ進んでいく。
途中に見える風景は青々とした森林や、田畑に貯水用の溜池だったりと、いかにも田舎っぽい景色だ。だが笹原の言う通り、こういう静かな空気が吸える場所は千葉の周辺にはあまりない気がする。口から吸い込む空気がなんだか透き通ってるようで、心地が良い。
「ふふ、ちゃんと部活っぽくなってますね」
山間へ真っ直ぐ伸びたアスファルト道路の歩道を歩きながら、鈴谷はこっそりとそう話す。
「まぁ、そうだな。あいつも楽しそうにやってるし、こう言うのも悪くは無いんだろうけどな」
「先輩ってなんだかんだ言っても笹原先輩には優しいですよね」
「別に優しくしてるつもりはねぇよ。俺は俺であいつとの約束を果たさなきゃならないからな。だからその為の最短ルートを取ってるだけだ」
「ふーん、そうですかぁ~。でもま、今はそういう事にしておいてあげますよ」
「そのニヤついた顔やめろっての」
前では先を歩いている時宮先輩と笹原が楽しそうに談笑している。こうしてみると不思議な組み合わせだ。つい少し前まで、俺達は互いのことすらしらなかったはずなのに、今ではこうして四人で出かけているんだからな。それも出来たばかりの部活動のメンバーとして。
「先輩ぃ。それなら一つだけ聞いても良いですか」
鈴谷は後ろで手を組んで、きゅっと狭めた肩を俺に押し付けながら、蠱惑的に目を細める。
「なんだよ」
「それってつまり約束だから笹原先輩に付き合ってるんですよね? じゃあ、もしも先輩の体質が笹原先輩みたいに少しずつでも治って、約束を守らなくて済むようになったら、どうするんです?」
「それは……」
鈴谷は言い淀んでいる俺の顔をじっと見つめる。まるで俺の口からその答えが出るのを期待しているかのように。
「俺は面倒が嫌いだ。だからもしそうなったら、俺は笹原からは手を引くだろうな」
それは言ってしまえば建前だ。正直、鈴谷の問いに俺はほんの少し動揺してしまったかもしれない。そんな事は考えた事も無かったし、だから直ぐに答えなんて言えるはずがない。
「そうですか。うん、そうですよね」
それでも鈴谷は何かに納得したように頷いた。そしてどこか遠くを見るように目を逸らした後、そのまま言葉を続ける。
「私は、笹原先輩には幸せになって欲しいんです。私はずっと笹原先輩に罪悪感が有って、実際に笹原先輩には私を恨む十分な理由が有りました。でも、笹原先輩は私の事をしっかりと抱きしめて、受け入れてくれました。だから私も、今度は罪滅ぼしじゃなくて、やっぱり笹原先輩にこそ幸せになって欲しいんです」
鈴谷はそれから前でさらさらと髪を揺らす笹原の後姿へ目をやった。
「その為になら、私は……」
鈴谷はそれから何かを零しそうになって、だが結局その口元から台詞が続く事はなかった。
「やっぱり何でも有りません! ほら、道のりは長いですから、先輩も張り切っていきましょ」
鈴谷はニコリと嬉しそうに微笑むと、そこから足を速めて前の笹原と時宮先輩の間に顔を出す。それから「なーに話してるんですかー!」と談笑に混ざり込んだ。
「もしもこの体質が無くなったら、か」
俺達を取り巻く関係は複雑だ。俺はまだ、その整理すら完璧には済ませられずにいる。
だがそれでも、少しずつでも前に進んでいるのなら、今はこれで良しとしておこう。その方が、きっと何かが壊れずに済む。そんな気がする。