ドMで引きこもりな私でも露出調教してくれますか? 作:わずみかん
俺は家に帰った後、軽く一杯のコーヒーを飲んだ。それは優雅な一時を彩るキリマンジャロでも、ほろ苦い青春に花を添えるモカでもない。一杯の値段にすれば10円にも満たないような、インスタントコーヒーの粉をお湯で溶かしただけの至極身の丈に合った代物だった。
「ふぅ……。今日のコーヒーはやけに染みるな」
誰も居ないリビングの、それもガラス越しの夕陽を浴びながらの一言としてはこれ以上ないほどにキザなセリフを吐きながら、俺はことりとコーヒーカップをダイニングテーブルに置く。
まったく、とんでもない事になったもんだ。
頭の中は混乱がこんがらがって、むしろ嫌に秩序が取れている。簡単に言ってしまえば、テンパり過ぎてむしろ一周してから冷静になっているとでも言えば良いのだろうか。
ともかくとして、俺の取るべき行動がこうも一本道にされてしまうと、後は方法論でもタイミングでもなく、それこそやるかやらないか、ONかOFFかの話だ。そして俺は既にその結論を決めてしまっているからこそ、頭の中がやけに冷静と言うか、冷めたままなのだろう。
コーヒーを飲むとカフェインのせいか、ほんの少し心臓が高鳴る。下手に言えばあれほど暴れ狂っていた俺の心臓がカフェイン程度の鼓動に収まっているとも言えた。これがコーヒーの効能かとも思うと、毎朝浴びるように両親がインスタントコーヒーを飲んでいる理由も少し理解できる気がする。
「ただいまー」
玄関で声がした。妹の綾子の声だ。
「おぅ」
「……兄ちゃん、ただいま」
玄関から姿を見せた妹の綾子へ視線を向けると、あちらはオセロの白が黒になるように、反射的に目を少し逸らしてから、そう小さく声を交わした。
「今日の夜に、時宮先輩と会う事になった」
「……っ!」
俺の言葉に綾子はぐっと目を丸くする。そして視線は外したままに、その口を小さく開いた。
「に、兄ちゃん。本当に大丈夫……? なんだったら、私が」
「大丈夫だって。ほら見ろ。帰ってから一杯のお茶をするくらいには兄ちゃんは余裕だ。もっとも飲んでるのはお茶じゃないんだけどな」
なんてことを言ってみたりもするが、我ながらそのあまりのしょうもなさに身震いしそうになる。しかし今の俺が気位を保つには、このくらいの戯言はむしろ有用に働いているような気がした。
「ケリをつけようと思ってな。たとえどんな犠牲を払ってでも、やんなきゃいけないって気がするんだ」
「で、でも……兄ちゃんがこれ以上傷付く必要なんて、ないんじゃないの」
「必要が有るか無いかで言えば、そりゃまあ無いんだろうな。元々この体質になってから何年も経つし、苦労はするが死ぬほどじゃない。時宮先輩とのことも適度に折り合いをつければ、そりゃタダで済むとは思わないけれど、人生を棒に振る程にはならないだろう。……けどな、綾子」
俺には綾子の気持ちが嫌って程に分かる。元々人と距離を置いていた俺が、家族とは言え他人の感情を理解できるようになったのは、おそらくここ最近の経験が大きいのだろう。
言ってしまえば、綾子は怖いのだ。おそらく、俺が時宮先輩と対峙した時以上に怖いのである。
実の兄である俺が訳の分からないままに妙な体質を持ってしまい、その原因が記憶を失う程の事だとなれば、家族であれ恋人であれ、そんな事象とは関わってほしくないと思うのが人情だろう。そして綾子は他人でもなければ恋人でもない。俺の唯一にして無二である、俺の妹なのだ。
だから昨日にあんな問答をしたにせよ、やっぱり綾子からすればこれ以上俺に無茶をして欲しくないと願う気持ちは痛いほどに分かる。しかしそれでも俺がこの問題を解決しなければならない理由があるとすれば、それは俺が同じく問題を抱えながら、それを解決しようともがく二人の女の子をこの目で見てしまったからだ。
「俺はそれでも前に進むよ。昨日にお前から話を聞いて、そう決めたんだ」
おそらくこの言葉は、否、この台詞は、俺という人間の生涯において最高にカッコいい物になるだろう。そんな予感がする。
最も、これ以上のハイライトに成りえるシーンなんておおよそ思い浮かばないし、よしんばそれが有ったとしても、苦難苦境に立たされるような未来なんて俺が望むべくもない。
だからこそ、今この瞬間が俺のピークであって欲しい。半ばそう思いながら、俺は妹に慣れない笑みを向けるのだった。
「……シチュー、作って待ってるから」
「おいおい。俺は妹の作るシチューなら幾らでも食べれる自信があるけれど、それでもたまには別のメニューが良いぜ。こんな時くらいはさ、もっと豪勢であっても良いと思うんだ。いや、妹の作るシチューが豪勢でないかと言われれば、兄貴心からすれば十分豪勢なんだけどさ」
「分かった。じゃあ一杯のコーヒーだけ用意して待ってる」
「……あぁ。そうしてくれると、助かる」
事を終えた帰りに愛すべき妹と、愛すべきコーヒーが待ってると思うと、俺の方もいくらかの勇気が湧いてくるってもんだ。
こうして俺は妹への事後承諾を経て、いよいよその時を待つことにした。
午後11時50分
家から歩いて30分ほどしたところにある某公園に向かう道すがら、俺はその公園の高台から見える町の夜景を見渡していた。
この緊急事態に、こんな場所でロマンチックにも感傷に浸るつもりはなかったわけで、今こうして手すりに体を預けている理由といえば、呼び出された場所へ向かう途中の道すがら、偶然にもふと横に目を向けると見えたのが夜の千葉のパノラマだったからだ。
「しかしこうして見ると、俺の住んでる町も広いんだな」
夜の風に髪をなびかせながらそんなことを呟いてみる。それから小さく息を吐くと、夏の夜の匂いと涼しさが体に充満した。
夜景はとても鮮やかで、それから綺麗だった。千葉駅の方を見て見ると、高所までそびえるビルやらホテルやらが見えて、その向こうには真っ暗な海が広がっている。
「俺も、少しずつは変わってきてんのかな」
眠そうに瞬きしながら、景色を見て俺はそう思う。
これが俺の望んだ青春なのかと聞かれれば、答えは違う。俺の望んだ青春はもっと平坦で、灰色で、何事もなく淡々と毎日が過ぎていく。そう言う青春だった。
それが今ではこうして、俺の望んだ青春からはほど遠い場所に居るわけだけど、それでも俺がこの青春を謳歌しつつある点で言えば、俺の方が青春の側に染まりつつあるのかもしれない。……なんて、らしくもなく情緒的になったところで、俺はまた歩みを進めた。
公園とはいえ深夜になれば薄暗いものである。ぽつぽつと街灯は立っているにせよ、基本的に道順から少し逸れればそこは森の中のように程に暗闇に包まれていた。
普段からたまにこの公園へ訪れていた俺は、記憶を頼りになんとか例の公衆トイレへと向かう。すると人工的に植えられた木々の奥でほんのりと漏れる明かりを見つけた。
ガサガサと葉をと土を踏みしめながら、俺はその明かりの元へと向かう。そして見えたのは、その光をバックにして立つ一人の影だった。
シルエットから見て分かるのは、お下げであることと、それからスカートを穿いているということ。こんな深夜に、それも公衆トイレに佇んでいるシルエットとしては些か不自然では有るけれど、しかし俺からすればそれは必然以外の何でもなくて、その影は自分へと近づいてくる俺を見つめるようにただ真っすぐこちらに向いていた。
そして影に近づくにつれ鮮明になっていく顔を見ると、頬を柔らかく緩ませる時宮先輩が、メガネ越しに俺の到着を待っているのだ。
「約束通り、ちゃんと来てくれたんだ」
公衆トイレに着いて、その『男子トイレ』側の入り口で先輩と鉢合わせる。
「それで、話って何かな」
そう言いながら先輩は笑った。
ここだけ切り取ると、まるで俺が先輩に恋の告白でもするかのような場面じゃないか。しかし先輩には、前後の事柄をまったく無視してそう錯覚させるだけの魅力が有る事もまた事実なわけで、俺にはやっぱり、そんな時宮先輩が俺を脅迫してまで本気で行為に及びたがっているとは、どうにも未だに到底思えない。何と言うか、現実感が無いのだ。
まあ現実感だなんて言ってしまうと、そもそもここ数日の行動はそれこそ浮世離れした経験だったわけだけど、それは相手もまた浮世離れした存在だったからこその物だと思う。それにあの二人と比べると、時宮先輩もやっぱり世間離れはしているのだが、それは日常の範疇からは決して逸脱しない種類の物だ。
だからこそ俺は、未だにこの人の心の奥が分からずにいる。
「やっぱり辛そうにしてるわね。気持ち悪そうな顔してるけれど、体調は大丈夫?」
「……その原因になってる人が、嬉しそうに言う言葉じゃないですよね」
「ふふ。でも、心なしか浮かれてるようにも見えるわ。またエッチな想像でもしてたの?」
「お陰様でそっち方面はもうお腹いっぱいなんですよ。それよりも今は甘酸っぱい青春って方が俺には魅力的に思えるんです」
「なるほどね。けど、それもそうか。なにせ私達って思春期なんだもの。当然の事を聞いてしまったお詫びと言う訳じゃないのだけれど、もし前田くんさえその気なら、いっそのこと私達、本当に付き合ってみるなんて言うのはどう?」
時宮先輩はそう言うと、その太陽のように眩しい笑顔を俺に向けた。いや、眩しいのはたんに公衆トイレの照明が眩しいだけかもしれないのだが、しかし世の男性からすれば、それはやっぱり年頃の女子が見せる輝かしい笑顔なのだろう。
「なんて、今から私をレイプする人に言う言葉じゃなかったかしら」
そして時宮先輩は悪戯っぽくこちらに目を細める。だが、どこかその表情にしても、さっき路地で見た時や、昨日の物よりもずっと時宮先輩らしい素顔に見えた。
「それで、前田くんは私にどんな事を聞きたかったんだっけ」
その言葉もやはり時宮先輩の焦らすような思惑が見えて透けるものだ。
その結論を知っていながら、しかし俺の口から敢えて言葉を出させるためにされた質問に、俺は馬鹿みたいに真っ向から答える。
「俺の……俺の過去について……! それから、この体質と時宮先輩、あなたとの関わりについて……!」
今の俺はさぞ苦そうで、苦しそうな顔をしているのだろう。顔からはひっきりなしで汗が出て、口からは常に熱い息が吐かれている。
この衝動を自らの意志でコントロールすることは今の俺にはできない。だから俺が時宮先輩と対峙するために必要な対策であり、同時にしなければならない覚悟とは、つまりはたった一つだけなのだ。
妥協と諦めを積み重ねてきた俺だけど、今回ばかりはそれでは済まない。だけどそれでも、俺は今夜、前に進むと決めたのだから。
「……そうね。うん、分かった。前田くんの言うとおり、全部教えてあげる。でも、その前に……ね、前田くん?」
時宮先輩の手が俺の胸に触れる。そしてそっと抱きしめられた。
時宮先輩の柔らかい胸の感触がじわりと体に流れる。髪の匂いがして、そして体温を感じる。時宮先輩の全てが、俺の方にじわりと移っていくように。
「私ね、前田くんになら良いんだよ? 公園の公衆トイレなんて誰も見てないような場所に連れ込まれて、それこそトイレみたいに良いように扱われながら、ボロ雑巾みたいになるまでずっと嬲られるの。悲鳴を上げる事すら許されなくて、後の事なんてお構いなしに私の全てが滅茶苦茶にされて……。そう言うのが好きって、やっぱり変かな。でもね、それでも私はあなたにレイプされてみたい。それをいくらあなたが拒絶しても、私があなたにそれを許さないから。だからね、前田くん。覚悟は、もう決められた?」
「…………」
俺は無言で時宮先輩の肩を握り、そして公衆トイレの中へと連れ込むと、時宮先輩の体を男子トイレの床へと押し倒した。
「きゃっ」
そのわざとらしい声にスイッチを入れられたように、俺は自分の中に溜まった欲求が体を熱くさせる。
こんな形で誰かを犯すなんて俺の望む青春には1ページすら出てこないわけで、だけどそれでも、そうしなければ前に進まないと言うのなら――。
だから今夜、俺は先輩を、時宮先輩を、この場でレイプすると決めた。