【後日談:長谷川家の小さな質問者たち】
1. 三年の月日と、交わされた約束
あの梅雨明けの劇的な再会と、お酒の勢いも手伝って一晩に三度も深く身体を重ね合ってしまった「あの日」から、早いもので三年の月日が流れていた。
酒宮由海――改め、長谷川由海は、二十六歳になっていた。
住宅メーカーでの営業職は三年というキャリアを経て完全に軌道に乗り、持ち前のおっとりとした、けれど誠実な人柄でお客様からの信頼を不動のものにしていた。社内でも「酒宮さんに任せれば安心」と言われるほどの頼れる中堅社員となり、外回りで日々忙しくも充実した毎日を送っていた。
一方の浩介も、建材メーカーでの実績が評価され、若くしてプロジェクトのリーダーを任されるなど、仕事は順風満帆。お互いに社会人として、一人の大人として、大きく成長を遂げていた。
もちろん、二人の関係もあの夜を境に、自然消滅していた頃の空白を埋めるように急速に深まっていった。
お互いに仕事で疲れた夜は、どちらからともなく部屋に集まり、美味しいお酒を飲みながら他愛のない話をして笑い合う。そして、お酒が回って由海が「ぽわ〜」とした表情を見せるたび、浩介は彼女の変わらない「断れない」優しさに甘え、何度も何度も彼女の柔らかな身体を深く抱き締めてきた。
付き合い始めて三年目の記念日。
お互いの仕事がひと段落し、将来への見通しが完全に立った絶妙なタイミングで、浩介は由海をあの思い出の洋食屋へと連れ出した。
コース料理を終え、少し緊張した面持ちで浩介がポケットから小さな箱を取り出したとき、由海は紅茶色をした丸い瞳をパチパチと瞬かせた。
「由海。……あの時から、俺の気持ちは一歩もブレてない。これから先、何十年もずっと、俺の隣で笑っていてほしい。……俺と結婚してください」
その真っ直ぐなプロポーズに、由海は隠しきれない嬉しさで胸をいっぱいにしながら、大粒の涙をポロポロと溢れさせた。そして、おっとりとした彼女にしては珍しいほどの勢いで、満面の笑みを浮かべて「二つ返事」で頷いた。
「――はいっ! 私でよければ、喜んで……っ!」
二人は晴れて夫婦となり、お互いの同僚や高校時代の部活の仲間たちから、割れんばかりの祝福を受けて温かい家庭を築き始めた。
2. 天使たちの悪戯
結婚した翌年、長谷川家にはさらなる大きな幸せが舞い込んだ。
由海の小さなお腹の中に、新しい命が宿ったのだ。しかも、お医者様から告げられたのは「双子ですね」という驚きの言葉だった。
妊娠中、由海の豊かな胸はさらに一回り大きく膨らみ、マシュマロのようだった身体は、命を育むためにさらに柔らかく、愛おしい丸みを帯びていった。浩介はそんな由海を宝物のように大切に扱い、家事のすべてを買って出て彼女を支え続けた。
そして迎えた出産の日。
元気な産声を上げて生まれてきたのは、一卵性の双子の女の子だった。
姉の「つむぎ」と、妹の「ひかり」。
それから数年が経ち、赤ん坊だった双子たちも、今ではすっかり大きくなっていた。
母親である由海のおっとりとしたタレ目を受け継ぎながらも、父親である浩介のハキハキとした聡明さも持ち合わせた二人は、最近ではすっかり言葉も達者になり、周囲が驚くほど「おませさん」な姉妹へと成長していた。
ある、穏やかな日曜日のリビング。
窓から差し込む柔らかな木漏れ日の中、長谷川家は家族四人で平穏な休日を過ごしていた。
浩介はソファに腰掛け、由海が淹れてくれたコーヒーを飲みながら、テレビのニュースに目をやっている。由海はダイニングテーブルで、娘たちの幼稚園の持ち物に可愛いワッペンを縫い付けていた。
そこへ、リビングの床でお人形遊びをしていたつむぎとひかりが、トコトコと小さな足音を立てて由海の元へと駆け寄ってきた。
「ねぇねぇ、ママ」
姉のつむぎが、お人形を胸に抱いたまま、くりくりとした綺麗な瞳で見上げてくる。
「なぁに? つむぎ、ひかり」
由海は針を休め、娘たちと同じ目線になるように優しく微笑みかけた。
すると、妹のひかりが、少し首を傾げながら、子供特有の純粋無垢で、しかし鋭い質問を投げかけてきた。
「あのね、テレビでね、『けっこんしき』やってたの。ドレス、すごーく綺麗だった!」
「ふふ、そう。綺麗だったねぇ」
「それでね、気になっちゃったの。……どうしてパパとママは、けっこんしたの?」
「え……?」
由海の動きが、ピタリと止まった。
「そうだよママ! つむぎも知りたい! パパとママは、いつから仲良しになったの? どうして結婚することにしたの?」
おませな双子たちの純粋きわまりない追憶への呼び水。
その瞬間、由海の脳裏に、あの三年前の「夜」の光景が、鮮明すぎるほどの超高解像度で一気にフラッシュバックした。
お酒の勢いでベロベロに酔っ払い、浩介の部屋のベッドで自ら「シヨ?」と誘ってしまったこと。
外回りでほんのりと蒸れた衣服を脱がされ、恥ずかしいのに「後ろからならいいよぉ!」とお尻を突き出して四つん這いになったこと。
「ゴポゴポ」と卑猥な水音を響かせながら腰を突き上げられ、人生で初めて、シラフの頭で浩介の熱い精液を胎内いっぱいに受け止めたこと。
そして極め付けは、翌朝、お互いに完全な全裸のままベッドの上に正座して、「由海、昨日のお前すごかったんだぞ」「潮まで吹いたんだからな」と浩介に詰め寄られた、あの伝説の『全裸会議』の記憶――。
「――っっっ!!!!」
一瞬にして、由海の顔面が沸騰したかのように真っ赤に染まった。耳の裏まで真っ赤になり、手に持っていた裁縫用の針をあやうく落としそうになる。
「む、むむむ、つむぎ……ひかり……っ。それはね、その……お仕事の、お仕事の展示場で、偶然会ってね……?」
「うん! それで、そのあと居酒屋さんに行って、それから……?」
ひかりが目を輝かせて続きを催促する。居酒屋という単語が出ただけで、由海は「ひゃんっ」と奇妙な悲鳴を上げそうになり、両手でボッと熱くなった顔を覆ってテーブルに突っ伏してしまった。
「マ、ママ……? お顔、真っ赤だよ? お熱あるの?」
心配そうに由海の背中をツンツンと突く双子たち。
その様子をソファから見ていた浩介は、コーヒーを喉に詰まらせそうになりながら、激しく咳き込んだ。
「ごほっ、ごほっ! ……おいおい、つむぎ、ひかり。ママをあんまり困らせるなよ」
浩介はバツの悪そうな、しかしどこか懐かしむような苦笑いを浮かべながら、娘たちを宥めるために助け舟を出した。もちろん、浩介の脳裏にも、あの夜の由海の信じられないほど淫らで愛らしかった姿や、翌朝の全裸での話し合いの光景が、昨日のことのように浮かび上がっている。
「パパ! じゃあパパ教えてよ! パパはママのどこが良くて結婚したの?」
ターゲットが浩介に移る。つむぎとひかりが今度は浩介の膝の上にプロペラのように飛び乗ってきた。
「どこって、そりゃ……ママは昔から、すごく優しくて、おっとりしててさ。パパが困っている時に、いつも断らないで助けてくれたんだよ。……まぁ、ちょっとお酒を飲むと、パパの言うことを何でも聞いてくれちゃうところとかさ」
「浩介くん……!! もう、子供たちの前で変なこと言わないでぇ……っ!!」
布団に丸まっていたあの朝のように、テーブルに突っ伏したまま真っ赤な顔でポカポカと空を叩いて抗議する由海。
その変わらないおっとりとした、でも最高に愛くるしい反応に、浩介は「悪い悪い」と言いながら、心底幸せそうに声を上げて笑った。
「パパとママ、やっぱり仲良しだね!」
「うん! ひかりも、大きくなったらパパみたいに優しい人とけっこんする!」
キャッキャと嬉しそうに笑う双子の天使たちの声が、明るいリビングに響き渡る。
恥ずかしさで死にそうになりながらも、由海はそっと顔を上げ、娘たちを愛おしそうに抱きしめる浩介の横顔を見つめた。
あの自然消滅からの、奇跡のような再会の夜。お酒の力を借りて、少しだけ大胆になって、浩介の愛を全身で受け入れたからこそ、今、この世界で一番愛おしい宝物たちに囲まれた幸福な時間がここにある。
(あの時、浩介くんの手を……離さなくて、本当に良かったなぁ)
胸の奥に溢れる確かな温もりを感じながら、由海は赤みの引かない頬を少しだけ緩め、世界で一番大好きな夫と、愛する娘たちに向けて、ふわりとおっとりとした優しい微笑みを浮かべるのだった。
第1章 完結