※この作品はR-18です。

魔法少女がZ指定なんて、聞いてないんですけど?! 〜死にぞこないの燃費戦争〜   作:nelldrip

2 / 6
十五年間、白い病室の天井しか見てこなかった少女・子音は、四度目の心室細動でついに「死んだ」。

――そのはずだった。

目覚めた朝、彼女の胸には教科書通りの美しい心音が響いている。
肥大した左心室も、中隔の穴も、脳の浮腫も、まるで最初から無かったかのように消え失せて。
十年間その心臓を聴き続けてきた主治医・今井は、聴診器を握ったまま凍りつく。
医学という物理法則が、少女ひとりの前で敗北した瞬間である。

だが、それは治癒ではない。

――試してみるかい?

これは、精巧に偽装された死体が、戦場へ歩き出すまでの話だ。


第一話:再起動

意識が浮上した。

視界に飛び込んできたのは、無機質な病院の天井ではなく、泣き腫らした両親の顔だった。

 

「……しおん、しおん……!」

 

母の叫びが、耳の奥で震える。

間髪入れずに、温かな重みが身体にのしかかってきた。全身を締め付けるような、あの懐かしい母親の香りと、涙の温度。

 

「ちょ、ママ、苦しいって……もう!」

 

口をついて出たのは、死の淵を彷徨っていた少女の台詞とは思えないほど、ありふれた日常の文句だった。

十五年。病院で過ごした人生のすべてが、この抱擁の強さに凝縮されているようだった。

 

(あぁ、わたし、本当に生きてるんだ)

 

胸の奥――かつて出来損ないだった心臓があった場所に、そっと意識を向ける。

以前とは全く違う感覚。

かつては常に「いつ止まるか」という不安のノイズが付きまとっていたのに、今はまるで、完璧に校正された精密機器のような、静かで力強いリズムだけが刻まれている。

鼓動の一回一回が、あまりにも正確で、いや、正確な鼓動なんて体験したこと無いけど、多分これが正常なんだろう、とわかる。

 

それは、生身の肉体というよりは、高度にチューニングされた「何か」に近い感覚だった。

魔法少女になった恩恵なのか、あるいは代償なのか。

 

父は一歩後ろで、言葉を失ったまま震える手で目元を覆っていた。

普段、感情をあまり表に出さない父が、あそこまで崩れているのは初めて見た。

 

病院のスタッフたちは、未だにモニターの数値から目を離せず、何かを書き留めるような素振りで狼狽えている。

彼らにとって、この回復は「奇跡」という言葉でも処理できない、医学という名の物理法則の敗北に等しい事象なのだろう。

 

母の腕の中で、子音はふと天井の隅に視線をやった。

そこに、あのマスコットの姿はない。

けれど、魂の奥底には確かに刻まれている。あの淡々とした契約の感触が。

 

「……ごめんね、心配かけて」

 

少し起き上がりながら、子音は母の背中に手を回し、不器用にぽんぽんと叩いた。

もう、死へのカウントダウンを怯える日々はない。

ただ、これから始まるであろう「魔法少女」としての日常という名の、新しい非日常への予感だけが、子音の心臓を静かに波打たせていた。

 

「しおん、起き上がっちゃダメ! 横になってなさい!」

 

母が血相を変えて、子音の肩をベッドへ押し戻そうとする。無理もない。

今までの子音なら、こんな風に上半身を自力で起こすなど自殺行為に等しかったからだ。

 

いつもなら、ほんの少し身体を動かしただけで、胸の奥を太い針で抉られるような鋭い痛みが走り、呼吸は浅く狂い、視界が急速にブラックアウトしていく。

主治医の今井からは「絶対に自分から起き上がろうとしないでください。その一瞬の負荷だけで、心臓が止まるリスクがあります」と厳しく言明されていた。

 

だから、母がパニックになるのは当然だった。

 

「……あれ?」

 

けれど、子音はベッドの上で、自分の両手を見つめたまま固まっていた。

あまりの体の軽さに、自ら起き上がろうとしていた、してしまったのだ、

 

苦しくない。

どこも、まったく、痛くないのだ。

 

いつも胸の底に鉛のように居座っていた、あの不快な重苦しさが綺麗さっぱり消えている。

頭は驚くほど冴え渡り、視界はこれまでにないほどクリアだった。

急に起き上がったというのに、立ち眩みひとつ、動悸ひとつ起きない。

 

(というか……わたし、今、自分の力で起き上がれた?)

 

これまでは、看護師の介助なしには寝返りさえ打つのが怖かったのに。

今の自分の胸の内で脈打つ心臓は、母に抱きつかれて負荷がかかろうが、急に姿勢を変えようが、そんな些細な変化など完全に無視して。

ただただ「心臓として完璧な正常さ」で、滑らかに血液を全身へと送り出し続けている。

 

今までを思うと、それは感動を通り越して、どこか不気味なほどの全能感だった。

 

「先生! 今井先生、早く!」

母の声で、ようやく我に返った今井が、弾かれたように聴診器を握りしめてベッドへ駆け寄ってくる。

 

「子音ちゃん、そのまま動かないで……!」

 

十五年という長い闘病生活の中で、医師に胸を晒すことなど飽きるほど経験してきた。

今更そこに羞恥心なんてない、と思っていたはずだった。

けれど、いつも冷静な主治医がこれほどまでに余裕をなくし、必死な形相で迫ってくるというシチュエーションには、さすがに、うん……少しだけ、どきどきしてしまった。

だが、今井の耳は、少女のそんな微かな動揺など完全に置き去りにしていた。

子音を寝かせたまま、強引に病衣をはだけさせた今井の手が、かすかに震えている。

チェストピースをあてたまま、今井の表情が凍りつていた。

 

静まり返る病室。聴診器を通じて今井の耳に届いているはずの音

――それは、かつて彼が子音の主治医として十年間聴き続けてきた、弱々しく不規則な、いつ壊れてもおかしくないガラス細工のような心音では、断じてなかった。

聞こえてくるのは、子音の、少し早めの、けれど驚くほど明瞭な規則正しい音。

 

かつての子音の心臓が奏でていたのは、今にも止まりそうな。弱々しく、不規則な、死の足音のような雑音だった。

左室を中心に、収縮不全と様々な箇所の異常形成がもたらす不協和音。

弁が完全に閉じないことによる血液の不気味な逆流音。

そして、心室中隔の穴が引き起こす激しい異常血流の風切り音。

昨日、子音に致死的な発作を起こさせ、その生命を終わらせようとしていた異常が、

今井が十年間、嫌というほど耳に焼き付けてきた「異常な音」が――

 

何一つ、聞こえない。

 

そこにあるのは、完全に、健康な心臓だけが刻むことのできる、教科書通りの美しい心音だった。

 

(そんな、馬鹿な……)

 

今井は聴診器を握る手にぐっと力を込め、あてる位置を何度も変えた。

左心室の肥大も、硬化も、逆流も、すべてが幻だったかのように消え失せている。

目の前でベッドに腰掛けている少女の胸の内で、今、人類の医学では絶対に修復不可能だったはずの臓器が、完全な「正常」として、力強く、何にも臆することなく時を刻んでいた。

 

今井の顔から血の気が引いていく。

これは奇跡などという生ぬるいものではない。構造そのものが、根本から書き換えられている。

 

その驚愕の沈黙の中で、子音は自分の胸に手を当てながら、静かに息を吐いた。

いつも自分を縛り付けていた、あの冷たい鉄の枷が、本当に外れてしまったのだと、医者のその狼狽ぶりを見て確信していた。

 

ただ

 

「……ん…」

 

今井の右手、その手の甲が位置を変えるたびに子音の乳房に触れる。というか、うん、もう何度も。乳首にすらである。

いつもなら、多感な時期の女の子であることに細心の注意を払って、極力触れないよう慎重に診察してくれていた先生だ。

なのに今は、完全にその配慮がお構いなしになっている。

 

気を使う余裕なんて一ミリもないのは、子音にだってよく分かる。

分かるのだけれど、さすがにダイレクトに感触が伝わってくると、身体が自然と反応してしまう。

男性経験こそ無いが、そこが、性行為の際に激しく愛される部位であることくらい、わかる。まぁ自分にその機会が来るとは到底思えなかったが。

 

触られること自体もそうだが、そのせいでみるみる昂ぶっていく自分の鼓動が、聴診器を通じて先生の耳に丸聞こえになっているという事実が、なによりも恥ずかしい。

 

「ちょ、先生……当たってる、当たってるから……っ」

 

顔を真っ赤にして身を縮めながらそう告げると、今井はようやく我に返ったように弾んで一歩下がった。

 

「あ……す、 すまない、つい取り乱して……」

(うぅ……めちゃくちゃドキドキしてるの聞かれたし。先生のバカ……)

 

ベッドの上で膝を抱え、小さく愚痴をこぼす。

けれど、当の今井はそれどころではなかった。医学的に絶対にあり得ない「今」という現実を前にして、文字通り世界の前提をひっくり返されたような顔をしている。

信じられないという表情のまま、けれどその目は、どこまでも真剣に子音の命を見つめていた。

 

そして何より――彼が、自分がこうして生きながらえていることを、心の底から激しく、狂おしいほどに喜んでくれているのが痛いほど伝わってきた。

 

(ま、まあ……そんなにわたしのこと心配してくれてたんなら、いっか)

 

いつもは冷静な大人が、ここまで格好悪く狼狽えるほど自分を想ってくれていたのだ。

そう思うと、少しからかわれたような気恥ずかしさはあっても、本気で怒る気にはなれなかった。

 

その後は、嵐のような検査の連続だった。

いつもの聴診器に始まり、十二誘導心電図の測定、車椅子で運ばれての胸部CT、そしてゼリーを塗られての超音波(エコー)検査。

 

長年の闘病生活で数え切れないほど受けてきた、いつもの「お決まりのセット」だ。

けれど、今回は検査を終えた後、報告室に集まった医師たちの態度がこれまでとはまるで違っていた。

 

まず、昨日まで寝たきりで、自力で起き上がることすら禁じられていたはずのわたしが、今は何食わぬ顔でパイプ椅子にちょこんと腰掛け、背筋を伸ばして話を聞いている。

その光景自体が彼らにとっての怪奇現象だった。

 

そして何より、手元にある検査結果のデータそのものが、彼らにある種の「恐怖」か「畏怖」、そういった、人間の理解を超えた超常現象に対する生々しい感情を抱かせているのが、空気の震え方でよく分かった。

 

今井は机の上に何枚もの画像を並べ、子音と両親に向けて静かに口を開いた。

 

説明されたのは、あの致命的な発作が起きる直前のデータ。

そして、発作の終末期――つまり、子音の魂が肉体を離れ、マスコットと対峙していたまさにその瞬間のデータだった。

 

「まず、こちらが昨日の発作前のものですが……」

 

今井の口から語られる内容は、何度聴いても気が滅入るものばかりだった。

一度は宣告された内容であり、両親にとっては「もう次はない」と絶望を突きつけられた時の記録そのものだ。

心臓の壁は異常に変形し、血液を送り出す力は限界を迎えている。

状態が悪すぎて、むしろなぜこれで命が繋がっているのかが不思議なレベルだ、と。

 

そして、話が「発作終末期」に移ると、子音は聴いているだけで胸の奥が締め付けられるような錯覚に陥った。

 

「これは、四度目の心室細動が起きていた時のエコーと心電図です。

心筋は完全に硬直しており、冠動脈の血流も途絶……医学的な判断を言わせてもらうなら、この時点で生存は不可能です。いや――」

 

今井は一度言葉を切り、苦渋をにじませるようにして画像を指さした。

 

「実質的に『死亡していた』としか言いようのない状態でした。

 

アドレナリンへの反応もなく、脳への酸素供給も完全に停止していた。

私たちは、蘇生を中止する以外の選択肢を失いかけていたんです」

 

淡々と告げられるその事実は、子音にとってあまりにも生々しかった。

医師たちの緊迫した叫び声や、物騒な医学用語が飛び交っていたあのICUの光景が、魂の記憶として鮮明に蘇ってくる。

データの上でも、自分は間違いなく一度「死んで」いたのだ。両親は今井の言葉を聴きながら、あの時の絶望を思い出したのか、お互いの手を固く握りしめて声を殺して泣いていた。

 

そして……こちらが先程撮った、今の子音さんのエコーとCT、そして心電図です」

 

今井は、震える手で新しい液晶モニターに画像を映し出した。

 

それまで重苦しく沈み込んでいた室内の空気が、別の意味で張り詰める。

両親が涙を拭い、食い入るように画面を見つめた。

 

画面に映し出されたのは、あまりにも美しく、完璧な一定のピッチを刻む洞調律の線だった。

 

「死線を超えてほぼ平らだった波形が、今はこの通り、完全に正常な洞調律を示しています。異常な期外収縮も、不整脈の兆候も一切ありません。それどころか……」

 

今井は次に、心臓の断面が映し出されたエコー動画と、鮮明な3DプリンターのCT画像を並べた。

 

「信じられないことに、あれほど肥大し、硬化していた左心室の壁が、完全に正常な厚みへと戻っています。心室の弁や心室中隔にあったはずの欠損――つまり血流の逆流を引き起こしていた『穴』が、綺麗さっぱり消えて塞がっている。冠動脈の閉塞も跡形もありません。機能的にも、構造的にも……まるで数時間前までの心臓をまるごと捨てて、完全に新品の、健康そのものの臓器へ『植え替えられた』かのようです」

 

絶句する両親を前に、今井は手元の資料を握りしめ、言葉を絞り出すように続けた。

 

「さらに、頭部CTの結果ですが、あれほど進行していた脳の浮腫も、影も形もなく消え去っています。通常、長時間の心停止や深刻な虚血を経験すれば、脳には重大な後遺症が残るか、最悪の場合昏睡から目覚めないのが医学の常識です。ですが……今の子音さんには、そのダメージの痕跡が、文字通り『一箇所も』見当たりません」

 

そこまで一気に説明すると、今井は深く息を吐き、机に両手を突いて子音を真っ直ぐに見つめた。

その目は、奇跡を喜ぶ医師のそれであると同時に、未知の超常現象を前にした恐怖と畏怖の念が隠しきれずに揺れていた。

 

「……あり得ない。現代医療の全てをひっくり返しても、こんな現象は説明がつきません。子音さん、君の身体の中で、一体何が起きたんだ……?」

 

そう問いかけられても、子音はただパイプ椅子の座面に置いた自分の両手をぎゅっと握りしめることしかできなかった。

 

(何が起きたかって言われても、アニメみたいなマスコットと契約して魔法少女になったから、なんて……絶対に言えないよね)

 

胸の奥で、健康そのものの力強いリズムを刻み続ける新しい心臓。

それは確かに、生きるための蜘蛛の糸だった。

しかし同時に、自分がもう「普通の人間」の枠から外れてしまったのだという冷徹な事実を、今井の狼狽ぶりを通じて嫌というほど突きつけられているようだった。

 

ふと自分の胸元に目を落とす。病衣の隙間から覗く肌には、まだ生々しい赤紫色のあざが残っていた。

 

今、目の前にいる主治医の今井が、そしてICUのスタッフたちが、わたしの命をこの世界に繋ぎ止めようと、必死になって何度も何度も胸を押し続けてくれた――あの凄まじい心臓マッサージのあざだ。

 

彼らは全力で闘ってくれた。

けれど、わたしの命を奪おうとしていた心臓の異常そのものを消し去ったのは、現代医学ではない。

 

(わたしにも、何がどうなったのかは分からない。ただ、魔法少女になった。それだけしか分からない……)

 

胸の奥で、あきれるほど滑らかに、力強く脈打つ新しい心臓。

そもそも、魔法少女って人間なのだろうか。

心臓の状態を瞬時に書き換え、脳の浮腫を一瞬で消し去るような存在が、はたしてこれまでと同じ「人間」と言えるのか。

その辺りの仕組みや理屈は、あの怪しいマスコットから何も説明されていないし、今のわたしには全く分からなかった。

 

「……とにかく、信じられないことですが、子音さんの身体は今、完全に健康な状態です」

 

今井は眼鏡の位置を直しながら、なおも困惑を隠せない声で言った。

 

「ですが、医学的なデータがあまりにも常軌を逸しています。一度心停止した肉体がここまで急速に、完璧に回復した例は世界のどこにもありません。急激なリバウンドや、未知の拒絶反応が起きないとも限らない。申し訳ありませんが、原因が解明されるまでは、しばらくこのまま入院を継続し、徹底的な経過観察と精密検査をさせてください」

 

「はい……。よろしくお願いします」

 

両親が静かに頷いた。

こうして、死の淵から生還したわたしを待っていたのは、自由な外の世界ではなく、これでもかというほどの検査漬けの毎日だった。

 

---

 

毎日何度も血を抜かれ、心電図のコードを貼り付けられ、あらゆるスキャン機器の中を通される。

けれど、どんなに最先端の医療機器で調べようとも、そこから弾き出されるのは「どこからどう見ても、完璧に健康な十五歳の少女」という、医師たちをいっそう狂わせるだけのデータだった。

 

白い病室の窓から、子音は外の景色を眺める。

手に入れた、新しくて、不気味なほどに元気な身体。

あのマスコットは、あれ以来一度も姿を現さない。

けれど子音は、自分が遠からず、この静かな病院の壁を出て、あの怪物が用意した「戦場」へ引きずり出されることになるのを、確信を伴って予感していた。

 

経過観察の検査入院に切り替わって、三日目の夜。

消灯時間を過ぎ、静まり返った病室に、あいつが再び姿を現した。

 

暗闇に浮かび上がる、あの深夜アニメのマスコットのようなシルエット。

子音はベッドの上に座り直すと、ずっと胸の内に渦巻いていた疑問をぶつけてみた。

 

「ねえ、わたしの身体……本当はどうなっちゃったの?」

 

あいつから返ってきた答えは、子音の淡い期待を無残に打ち砕くものだった。

わたしの身体は、治ってなどいなかった。

 

「勘違いしないでほしいんだけど?キミの肉体は治癒されたわけじゃない。ただ、魔法少女になったことで、魔力がキミを生かしているだけさ」

 

マスコットは淡々と残酷な事実を告げる。

あいつの説明によれば、今のわたしの全身には「魔力回路」という見えない血管のようなものが巡っているのだという。

その魔力回路が、二十四時間絶え間なく心臓の異常を強制補正している。

中隔にあいた穴は魔力で塞ぎ、歪に形成された弁を修復し、肥大した左心室の筋肉を無理やり正しい形に補正しているに過ぎない。

 

「脳の浮腫(ふしゅ)だってそうさ。本来なら、キミはあの時点で脳死状態になっていたはずなんだ。それを細胞単位で魔力が修復して、ニューロンが灼けてしまった部分の機能代替まで行っているんだよ」

 

つまり、魔力という強力な生命維持装置が、壊れた肉体を内側から強引につなぎ止めている状態なのだ。

 

さらに、あいつは「魔法少女としてのコア」について語り始めた。

戦闘用の姿になればそのコアが最大化し、髪を留めるバレッタの宝石になるのだという。

なにそれ……ちょっと見てみたいかも

不謹慎ながらもそんな年相応の好奇心が頭をよぎる。

今はどこにあるのかと尋ねると、いつの間にか右耳についていた、小ぶりなピアスがそれだと言われた。

 

「ただ、これには絶対的なルールがあってね」

マスコットの、感情の平板な声が続く。

「コアは体内にあってはならないんだ。必ず体外になくてはならない。外から、壊される位置に、奪われる位置にある……そういうルールなんだよ」

 

「なんで? ていうか、もしそれが壊されたり、奪われたり……たとえば、このピアスを今ここで外したら、わたしどうなっちゃうの?」

 

子音がそう問いかけた瞬間、マスコットは不気味なほど愛らしい顔を少しだけ傾けた。

 

「試してみるかい?」

 

ぞくり、と全身に強烈な寒気が走った。

「まあ、本当に外して、ボクの手が届かないところに持っていかれると困るからね。……だから、身をもって理解してもらうために、今から5分間だけ、魔力回路を止めてあげるよ」

 

「え、なにそ――」

 

異論を唱える猶予さえ、あいつは与えてくれなかった。

言葉の途中で、脳のスイッチを唐突に切られたかのように、子音の意識は暗転した。

 

---

 

それはちょうど、夜間の巡回に来た看護師の鈴木が、ベッドサイドで子音と就寝前の他愛のない会話を交わしていた、まさにその瞬間の出来事だった。

 

子音にしてみれば、実体のないマスコットと、目の前の看護師の二人と同時に会話をこなしていたつもりだった。

我ながら器用な真似をしていたものだと思う、と少し自慢げに感じていたその瞬間。

 

その会話の途中、子音は白目を剥くようにして突如激しく痙攣し、そのままベッドの上へ崩れ落ちたのだ。

 

「え……? しおんちゃん……!?」

 

鈴木の顔から一瞬で血の気が引いた。

ベッドに倒れ込んだ子音は、目は半分開いたままで固定され、喉から奇妙な音を漏らしたきり、完全に呼吸を停止させている。

 

「しおんちゃん! 嘘、嘘でしょ……!?」

 

鈴木は取り乱しそうになるのを必死で堪え、震える指先で子音の手首に触れ、頸動脈に指をあてた。

 

(……ない。脈がない……!)

 

たった数秒前まで、あんなに元気に笑って話していた少女の脈が、完全に消失している。

深夜の病室に、鈴木の悲鳴のような叫びと、緊急事態を告げるコードブルーの要請が響き渡った。

 

もちろん、意識を強制遮断され、再び「ただの死体」に戻された子音自身は、病院中がひっくり返るような大騒ぎになっていることなど、知る由もなかった。

 

---

 

深夜の病室は、一瞬にして凄惨な戦場へと変貌した。

 

「コードブルー! 302病室、大至急!!」

 

鈴木の悲鳴に等しい怒号が廊下に響き渡り、静まり返っていた病棟が一気に狂乱に包まれる。

運のいいことに――あるいは、この不条理な運命の悪戯か――その夜の当直は、子音の主治医である今井だった。

 

「子音ちゃん! 子音ちゃん、しっかりしろ!!」

 

駆けつけた今井は、子音の完全に弛緩した顔を見るなり、すべてを察してベッドに飛び乗った。

迷うことなく、その小さな胸部へ向けて全体重をかけて心臓マッサージを開始する。

 

「バックバルブマスク、早く! 酸素マックスで流せ!」

「心電図モニター装着! 急げ!!」

 

意識のない子音の肉体は、今井の手によって機械的に上下に揺さぶられる。

心臓マッサージの手を休めることなく、ベッドごとエレベーターへ押し込み、集中治療が可能なERへと猛スピードで搬送していく。

 

だが、搬送中に急ぎ取り付けられたモニターの画面を見た瞬間、今井は己の目を疑った。

 

(……嘘だろ。そんな馬鹿なことがあってたまるか……!)

 

液晶画面を走る線は、波形すら作っていない。完全な平坦――心停止(Asystole)を示す一本の冷酷な直線だった。

 

三日前、あんなに完璧な「正常」を取り戻し、ついさっきまで看護師と普通に会話していたはずの身体だ。

それなのに、信じられないほど状態の悪化が早すぎる。

通常、心臓の機能がこれほど急激に、何の前触れもなく文字通り『ゼロ』になることなどあり得ない。

まるで、肉体を動かしていた根本的なエネルギー源が、ある一瞬を境にパツンと遮断されてしまったかのような、不自然極まる停止の仕方だった。

 

「心マ継続! アドレナリン1ミリ静注! デフィブ準備!」

 

今井の額から、大粒の汗がボタボタと子音の、裸の胸に落ちる。

必死に呼びかけ、胸を押し続ける今井の頭の中は、激しい混乱と、それ以上に深い絶望で狂いそうになっていた。なぜだ、何が起きた、あんなに綺麗に治っていたはずじゃないのか。

 

その必死の救命措置が続けられる、暗黒の意識の底で。

子音の魂は、冷徹に刻まれる「5分間」の砂時計を、ただ見つめていることしかできなかった。

 

---

 

「アドレナリン、もう一アンプル追加! 急げ!」

 

今井の怒号がER(救急外来)の硬い壁に跳ね返る。

すでに心電図は完全な平坦。医学的には「これ以上悪化しようがない」絶望の極致だった。

今井は半ば狂気に突き動かされるように、通常では考えられない致死量ギリギリのペースでアドレナリンを何度も投入させ、それが駄目ならと血管収縮薬のバソプレシンを立て続けにオーダーした。

 

「ルートからの静注じゃ回ってない! 心筋に直接打つ!」

 

今井は太い注射針をひったくるように受け取ると、心臓マッサージを一瞬だけ止め、子音の細い胸部に迷わず突き刺した。

直接、心臓の筋肉へ薬剤を叩き込む。

かつてないほど侵襲的で、物騒な救命処置。だが、そこまでしても子音の心臓はピクリとも反応しなかった。

 

子音が倒れてから、すでに三分が経過していた。

 

心電図のモニターは、相変わらず冷酷に横一文字の直線を引いたままだ。

心臓に直接打ち込まれた薬剤も、まるでただの水でも注がれたかのように完全に無視されている。

画面が微かに揺れるのは、今井が全体重をかけて胸を押している瞬間だけ――すなわち、心臓マッサージによる機械的なアーティファクトだけだ。

だが、ベテランの今井にはそれすらも絶望的に感じられた。

 

(硬い……! 心臓が全く広がってない……!)

 

強烈な拡張不全。押した胸が戻る際、心臓が血液を吸い込む感覚が全くない。

ただ純粋に、死んで硬直しかけている胸の骨と筋肉の振動を、センサーが拾っているだけに過ぎなかった。

文字通り、心臓は完全に「ただの物」と化して沈黙している。

 

もし、三日前と同じように冠動脈が激しく閉塞しているなら、この強引な心臓マッサージは心筋を内側から破壊する逆効果になりかねない。

今井の頭にはそのリスクが過った。だが、手を止める選択肢など最初から存在しなかった。

手を止めれば、そこで全ての可能性がゼロになる。

 

三日前の、あの医学の常識をあざ笑うかのような奇跡の蘇生。

あれがもう一度だけ起きてくれることを、今井は神に祈るように、いや、目の前の少女の魂に懇願するように、必死に叫び続けた。

 

「子音ちゃん! 戻ってこい! 起きろ!!」

 

声を枯らし、汗で視界を滲ませながら、今井は子音の胸を押し、押し、押し続けた。

 

その凄惨な現地の様子を、時間停止のような暗黒の中でただ見つめるしかなかった子音の魂は、あまりの光景に震えていた。

先生が、あんなに必死になって、わたしの体を蘇生しようとしている。自分のために、あそこまでボロボロになって闘ってくれている。

 

(先生……ごめんなさい、ごめんなさい……! わたし、ここにいるよ……!)

 

けれど、どれだけ叫んでもその声は肉体に届かない。

あいつが告げた「五分間」のタイムリミットまで、あと二分。

肉体が完全に物理的な限界を迎えて崩壊してしまうのが先か、魔力が再起動するのが先か。

子音はただ、祈るように闇の中でその瞬間を待つしかなかった。

 

すべては虚しく虚空に消えた。今井の手のひらから伝わるのは、ただただ冷たくなっていく肉体の質量だけだった。

 

---

 

「……ここまで、だ」

 

子音が倒れてから、ちょうど五分。

だが、今井にはどれほど時間が経ったのだろうか、と感じられる五分。今井の掠れた声が、ERの中に重く落とされた。

 

彼の額からは滝のような汗が流れ落ち、子音の胸を押し続けていた両腕は、疲労と絶望で激しく震えていた。

致死量を超える薬剤を投与し、心筋へ直接注射を試みても、心電図の直線が揺らぐことはついぞなかった。

 

「蘇生……中止。時刻、十時、十五――」

 

今井の口から、最も重く、敗北に満ちたその言葉が告げられ――彼が子音の胸からゆっくりと手を離し、時計の針へ視線を向けた、まさにその瞬間だった。

 

死亡――ちょうど、その言葉を口にしようとした、その瞬間。五分が経過した。

 

途絶えていた魔力回路に、濁流のようなエネルギーが猛然と再充填されていく。

 

(――あ、戻る……!)

 

子音の魂が強烈な力で肉体へと吸い込まれた。それと同時に、完全に沈黙し、物言わぬ器と化していた心臓へ、見えない魔力の触手が滑り込む。

 

あいた穴を瞬時に塞ぎ、硬直した筋肉をほぐし、神経細胞を無理やり叩き起こす。

ただ、あまりに一瞬で完璧に拍動を再開させては、今度こそ医師たちに人間ではないと見破られてしまう――魔力はまるで意志を持っているかのように、不自然にならない絶妙なステップを踏んで、肉体を再起動させていった。

 

今井が死亡宣告の時間を告げるより早く、心電図のモニターが奇妙な音を立てて跳ね上がった。

 

ピッ、……ピッ、…………ピピッ。

 

「心拍、再開……!? 嘘、信じられない……先生っ!」

看護師の悲鳴のような声が上がる。

 

しかし、三日前のあの「完璧な奇跡」とは違っていた。

あいつが意図したのか、あるいは五分間完全に停止していた肉体の物理的な限界のせいか、今度の再起動はひどく不安定だった。

 

モニターに刻まれるのは、今にも消え入りそうなほどの徐脈(じょみゃく)。

心拍数は三十をかろうじて下回るレベルで、しかも波形はぐにゃりと歪み、危険な期外収縮を何度も繰り返している。

 

「徐脈です! 不整脈(ブロック)併発……!」

「アトロピン急いで! ペーシングの準備を!」

 

ERの中が再び別のパニックに包まれる。

だが、子音は知っていた。これは肉体が自力で生きようと足掻いている音ではない。

全身を這う見えない魔力の糸が、限界を迎えた心臓の弁や筋肉を、まるであやつり人形のように無理やり引っ張って動かしているのだ。

 

(あぁ……本当に、あいつの言う通りだ……)

 

意識の端々で、激しい期外収縮の不快な揺れを感じながら、子音の魂は自分の肉体へとゆっくりと沈み込んでいく。

 

治ってなんかいない。わたしはあの耳のピアスが外れたら、あるいはあいつが魔力を止めたら、その瞬間にただの死体に戻るんだ。

 

医師たちが「まだ助かる可能性がある」と信じて必死にペーシングの処置を進める中、子音は半分開いた目の隙間から、ERの激しい照明の光をぼんやりと見つめていた。

生き延びた安堵よりも、自分が背負ってしまった「魔法少女」という名の呪いの重さに、ただただ静かな戦慄を覚えていた。

 

---

 

あの恐怖の夜から、三日が経った。

 

わたしの心臓は、今や何事もなかったかのように、憎らしいくらい正常に、力強く動いていた。

 

今にして思えば、あの夜の後半の不整脈や徐脈は、すべてあいつの「演出」だったのだ。

 

医師たちが必死にアトロピンを投与し、電気ショックの準備を進める中。

あいつはまるで名高い舞台監督のように、その処置のタイミングに合わせて、少しずつ心臓の波形を『回復』させてみせた。

 

現代医学の懸命なアプローチに、心臓が奇跡的に反応した――医師たちにそう「誤認」させるために。

 

結果として、今井先生をはじめとする医師団は、見事にその演出に騙されてくれた。

 

「一度は Asまで行ったのに、そこからの薬剤への反応、そしてこの完全なリカバリー……。子音ちゃんの心臓は、ガラスのように脆い。けれど、同時に奇跡のように粘り強い、信じられない生命力だよ」

 

回診に来た今井先生は、手元のタブレットを見つめながら、感嘆ともため息ともつかない声を漏らした。

 

喜んででいいのか悪いのか。実態はその生命力はないわけで。うん、わたしはとっくに死んでるのである。

 

だが、わたしの心臓は病院の中で、「いつ砕け散るか分からないが、死線の淵から自力で這い上がってくる奇跡の心臓」として完全に認知されたらしい。

 

先生のその言葉を聞きながら、わたしはベッドの中で、右耳の小さなピアスにそっと指先で触れた。

 

(ガラスのように脆い、か……。うん、合ってるよ、先生。だってこれ、ただの張り子の虎だもん)

 

あいつの魔力という細い糸が切れたら、その瞬間に粉々に砕け散るガラス細工。

 

それが今のわたしの命の正体だ。医師たちがどれだけ真剣にわたしの身体を分析しようとも、彼らが診ているのは、魔法によって美しく精巧に偽装された「死体」のデータに過ぎない。

 

「でも、本当に良かった。もう一度、君をこちら側に引き戻せて、本当に、良かった……」

 

先生は、少し疲れた、けれど心底安心したような顔で微笑み、わたしの頭を優しく撫でた。

先生の大きな手の温もりが、髪を通じて伝わってくる。

 

その温もりを感じるたびに、胸の奥がチクリと痛んだ。

心筋症の痛みじゃない。先生の純粋な優しさと、自分のついている巨大な嘘のギャップに耐えかねた、胸の痛みだ。

 

先生、ごめんなさい。先生たちが救ってくれたんじゃないんだ。

わたし、もう人間じゃないかもしれない。

 

病室の窓の外には、夏の青空が広がっている。

徹底的な検査の末、ついに「退院」の二文字が現実味を帯びてきつつあった。

待ち望んでいたはずの、病院の外の世界。けれどそこは、あいつとの契約に縛られた、過酷な魔法少女としての戦場でもある。

 

手に入れた新しい命と、右耳に光る呪いの結晶。

わたしはそれを身に付けたまま、間もなく、十五年間閉じこもっていたこの白い箱から、一歩を踏み出そうとしていた。




第一話をお読みいただきありがとうございます。

この作品で最初に決めたのは、「魔法少女になる=救われる」を絶対に書かない、ということでした。
よくある変身譚では、契約は不幸の終わりとして機能します。
ここではその逆。
契約は延命装置のスイッチでしかない。

子音の心臓は治っていません。ただ、外からその器として、無理やりに機能させられているだけです。

ガラス細工ですらない、張り子の虎。

第一話は、あえて戦闘も敵も出さず、ほぼ全編を病院の中で進めました。
魔法の"正体"を、魔法側の説明ではなく、医療側の狼狽で描きたかったから。

平らな心電図、心筋への直接注射、蘇生中止の宣告——現代医学が全力を尽くして負ける様子を丁寧に書くほど、それを一瞬でひっくり返す魔力の異物感が際立つ。

一部、緊迫を優先して簡略化した箇所がありますが、医療描写は可能な限り実際の手順に沿わせています。

中盤の「五分間」。
この物語のルールを読者と主人公に同時に叩き込むための場面です。

マスコットは脅していません。事実を再生して見せただけです。
そして最後に不整脈と徐脈という"演出"を挟み、医師たちに「自分たちの処置が効いた」と誤認させる。

次話からは、いよいよ退院して、"外"の話になります。
感想・評価をいただけると大変励みになります。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。