魔法少女がZ指定なんて、聞いてないんですけど?! 〜死にぞこないの燃費戦争〜 作:nelldrip
徒歩十五分の通学路。三年C組。廊下側の、一番後ろの席。
うるさい教室。同級生の声。
全部が、はじめての経験の中。
聞き捨てならない言葉が、刺さった。
この学校は、ピアス禁止である。
第三話:教室という戦場
制服というものを、生まれて初めて着た。
紺のブレザーに、チェックのスカート。白いブラウスに、臙脂色のリボン。
姿見の前に立って、しばらく動けなかった。
(……本当に、着る日が来たんだ)
この制服は、中学に上がる年に、母が一応、と言いながら採寸だけはさせてくれたものだ。
当時のわたしは、入学式に出るどころか、ベッドから上体を起こすことすら禁じられていた。
それでも母は、採寸の日に病室へ業者さんを呼んで、寝たきりのわたしの肩幅と着丈を測らせた。
「着れなかったら、そのときはそのときよ」
母はそう言って笑っていたけれど、内心では、たぶん、泣き出しそうなのがわかった。
二年遅れで、わたしはようやくその制服の袖に腕を通している。
サイズは、とっくに合わなくなっていたはず。
だけど、ピタリとあった。
そうだ。
去年、退院の見込みなんて欠片もない段階で、母が買い直してくれていた二着目である。
うちのママ、そういうところ、あるよね。
どうしようもなく、あきらめが悪い。
リボンの結び方が分からなくて、鏡の前で五分ほど格闘した。
どうにもならなくて、母に結んでもらって。
十五歳、リボン、結べない。
魔法少女以前に、女子中学生としてのスペックが致命的に足りていないのを、わからされた。
魔法少女になったわたしの敗北は、よりによって、またしても服の着方、である。
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学校までは徒歩十五分。
朝の通学路には、同じ制服の生徒たちが、ばらばらと同じ方向へ歩いていた。
イヤホンをつけて音楽を聴いている子。友達と大声で笑い合っている子。あくびをしながら自転車を押している子。
(すごい……みんな、普通に生きてる)
あまりにも当たり前の光景に、わたしはまた一人で勝手に感動していた。
たぶんこの中の誰一人として、今日、心臓が止まる心配なんてしていない。
朝起きて、制服を着て、学校に行く。
それが未来永劫続くことを、疑いもしていない。
その無自覚さが、眩しくて、少し腹立たしくて、そして猛烈に羨ましかった。
右耳のピアスに、指先で触れる。
わたしは違う。
この小さな石ころが外れた瞬間。
道端で、この通学路のアスファルトの上で、ただの死体に戻る。
すれ違う誰も、そんなことは知らない。
(……まあ、知られたら知られたで、大騒ぎだけど)
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校門をくぐる。
二年遅れの、初登校。
職員室で担任の先生と合流し、教室まで案内された。
廊下を歩きながら、先生は何度も「無理はしないでね」「しんどくなったらすぐ保健室に」と繰り返した。
事情は当然、学校側に共有されている。
重度の心筋症。長期入院。医学的に説明のつかない回復。二週間に一度の精密検査。
先生の目には、明らかに「爆弾を抱えた生徒」を預かる者の緊張が見えた。
無理もない。
学校からすれば、わたしは校内で突然死しかねない生徒だ。実際、その認識は正確である。
むしろ、そんなリスクを承知で受け入れてくれたことに、わたしは感謝すべきなのだろう。
教室の前で、先生が立ち止まる。
中から、朝のホームルーム前の、ざわざわとした喧騒が漏れ聞こえてくる。
(……いよいよか)
心臓は、相変わらず完璧なリズムを刻んでいた。
緊張すれば、鼓動は早くなる。早くなるが、感情が制御されている気もする。あれだ、オバロのアインズ様みたいなものかもしれない。
魔力回路が、わたしの心に介入して、粛々とあるべき感情と拍動を維持している。
(こういうときくらい、もっと緊張させてくれてもいいんだけど)
不便な仕様その二。
恐怖すら、この身体は正しく表現してくれない。である。
ドアが開いた。
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教室が、静かになった。
比喩ではなく、本当に、水を打ったように。
三十近い視線が、一斉にわたしへ突き刺さった。
「……えー、転校……じゃない、復学…だな。三年C組に、今日から桐生子音さんが来ます」
先生の紹介は、ぎこちなかった。
そりゃそうだ。「転入生」でも「新入生」でもない。二年間ちょっと、名簿にだけ名前があって、一度も教室に来たことのなかった生徒。
それが、卒業を控えた夏に突然現れたのだ。
分類する枠が存在しない。
「桐生子音です。……えっと、長いこと入院してました。残り半年くらいですけど、よろしくお願いします」
我ながら、ひどい自己紹介だと思う。
とは言え、仕方ないだろう。
何を話せばいいのか、まったく分からなかったのだ。
十五年間、わたしの会話相手は医師と看護師と両親だけだった。
同年代と話した経験が、人生でほぼゼロ。
コミュニケーションのプロトコルを、わたしは実装していない。
そんなわたしに、多くを求めないでもらいたいところである。
反応は、綺麗に二つに割れた。
半分は、信じられないという顔。
目を見開いて、まじまじとわたしを見つめている。
彼らはたぶん、わたしの事情を知っている。
二年半、いや、小学生から同じ校区なら、もう八年半。
学年集会か何かで「病気で来られない子がいる」と説明されてきたのだろう。
卒業まで生きているか分からない。
一生病室から出られない。
そう、聞かされていた少女が、今。
二本の足で立って、普通に喋っている。
もう半分は、興味なさそうな顔。
ああそうなんだ、くらいの温度。スマホをいじっている子もいる。
こっちの方が、正直ありがたい。
別に、腫れ物として扱われたいわけじゃないのだ。
そして。
窓際の、後ろから二番目の席。
見覚えのある顔があった。
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祐希だ。
橘祐希。
わたしが、二度だけ会ったことのある、同年代の男子。
一度目は、たぶん五歳か六歳の頃。
親同士が友達だという理由で、彼は母親に連れられて、わたしの病室にやって来た。
記憶はほとんど曖昧で、小さな男の子が病室で、母親の後ろに隠れながらわたしを見ていた、という断片しか残っていない。
二度目は、三年前。中学に上がる年だった。
あの日のわたしを、思い出す。
痩せこけて、腕は枯れ枝みたいで、顔色は死人と大差なく。
点滴とモニターのコードに繋がれて、上体を起こすことすらできず、ベッドに沈み込んでいた。
入院着の襟から覗く鎖骨が、彫刻みたいに浮き出ていた。
そんなものを、思春期に突入したばかりの男子に見せて、いったい何を期待しろというのか。
祐希は、終始バツが悪そうにしていた。
何を話せばいいのか分からず、母親に肘で小突かれて「が、がんばって」みたいなことを絞り出して、それきり黙っていた。
正直に言えば、わたしだって同じ立場ならそうなる。
自信を持って言える。
あれは祐希が悪いんじゃない。あの状況で気の利いた言葉を出せる小学六年生がいたら、そいつはもう人間として完成しすぎている。
「病弱で儚げな美少女」なんて言葉が美しいのは、字面の上だけだ。
実物は、ただの、死にかけた子供でしかないのだから。
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その祐希が、今。
わたしを見ている。
お化けを見るような目で。
(……いや、おい)
ほぼ三年ぶりの再会である。
奇跡的に退院したクラスメートである。
もうちょっと、こう、あるだろ?
驚きとか、喜びとか、せめて「よかったな」的な何かとか。
なのに、あいつの顔に浮かんでいるのは、純度百パーセントの「畏れ」だった。
死んだはずの人間が歩いているのを目撃してしまった、みたいな人間の顔だ。
(……あー、うん)
まあ、正直、腹は立たない。
だって、実際そうだから。
院内心停止四回からの蘇生。
そのあと、あの腹黒マスコットのくだらない実演のせいで、もう一度の完全な心停止。
この一か月で、わたしの心臓は都合五回止まっている。
そのうち二回は、医学的に蘇生が不可能な領域まで踏み込んでいたわけで。
今井先生の言葉を借りるなら、わたしは「死線を超えて戻ってきた」のである。
いや、違う。
戻ってきていない。
わたしは死んだままだ。
死体の内側を魔力の糸が這い回って、心臓を無理やり握って開いて握って開いてを繰り返し、生きているように見せかけているだけ。
医師たちが眺めている美しい洞調律は、精巧に偽装された死体のデータに過ぎない。
お化け。
うん、正しい。
祐希の目は、驚くほど正確に、わたしの本質を射抜いている。
(……なんか、複雑だな)
思春期男子の直感、侮りがたし。
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ただ、それはそれとして。
わたしは、この三年間、ずっと勝手に決めていたことがある。
もし奇跡が起きて、もしわたしが病院を出られて、もし「青春」なんてものを一かけらでも取り戻せる日が来たなら。
そのときは、あいつがいい、と。
橘祐希。
二度、見舞いに来てくれた男子。
……我ながら、チョロすぎる。
二回だぞ。二回。
しかも二回とも完全に親のセットアップで、本人はバツの悪そうな顔で「が、がんばって」しか言っていない。
その程度の接触で、勝手に十五年分の青春の希望を託された男子。
ほとんど言いがかりだとは自分でも思う。
でも。
仕方ないじゃないか。
わたしの「同年代の男子」のサンプル数は、二回来た祐希と、ゼロ回のその他全人類しかいないのだ。
母集団がバグっている。
……いや、違うな。
チョロいんじゃない。
単に、人見知りなだけだ。
知らない人間に自分から話しかける勇気なんて、この十五年で一度も使う機会がなかったのだから、当然、育っているわけがない。
だから、一度でも顔を知っている相手に縋りたくなる。
ただそれだけの、みっともない話だ。
わたしと目が合った瞬間、慌てて視線を逸らす祐希を見て。
……こっち見ろよ。お化けじゃないんだぞ、と思いながら。
あ、いや、お化けか…と自ら突っ込まずにいられなかった。
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席は、廊下側の、一番後ろだった。
保健室に近い前側にしようか、という配慮もあったらしい。
だが、最終的に「万一の時に救急隊の動線を塞がない位置」という、露骨に緊急事態を想定した理屈で決まったらしい。
完全に授業中に心停止する前提じゃないか。
わかりやすくて、いっそ気持ちがいい。
一時間目は、数学だった。
驚いたことに、授業は普通についていけた。
これでも、病室のベッドの上で、タブレットとオンライン教材。あとはテレビと配信サイトが唯一の暇つぶしだったのだ。
やることが他に何もない人間の勉強時間というのは、健常者のそれとは桁が違う。
(……勉強だけは、負ける気がしない)
十五年間の入院生活が唯一残してくれた資産である。
悲しいけれど、これしかない。
チャイムが鳴って。
わたしのはじめての一時間目が、終わった。
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その、直後だった。
椅子が引きずられる音が、複数、一斉に鳴った。
顔を上げると、女子が五、六人。
わたしの席を、完全に取り囲んでいた。
「桐生さん!」
「ねえ、ほんとに大丈夫なの? 体、しんどくない?」
「ずっと入院してたって、ほんと?」
「え、心臓の病気って聞いたけど、もう治ったの?」
「てか、めっちゃ肌白い! 病院にいたから?」
「髪さらさらすぎない? なにそれずるい」
情報の入力速度が、処理能力を完全に超過した。
わたしの脳は、この十五年間、一対一の、しかも大人相手の、ゆっくりとした会話しか処理したことがない。
複数人が同時に、しかも高速で、しかも話題を次々に切り替えながら喋りかけてくるという事態を、まったく想定していなかった。
(無理。むり。処理落ちする)
外の世界の情報量が桁違いだということは、退院初日にアスファルトの上で思い知ったはずだった。
けれど、風や光や匂いなんて、まだ生ぬるかった。
女子中学生の会話。
これが、この世で最も情報密度の高い現象だ。
「あ、えっと、その……はい、大丈夫、です」
「敬語!?」
「なんか丁寧! かわいい!」
「ちょ、待って、みんな一気に喋ったら混乱するって。桐生さん、ずっと病院だったんだよ?」
一人の子が、両手を広げて他の子を制した。
ショートカットの、背の高い女子。
「ごめんね、うちのクラスの子たち、悪気はないんだけど、テンションがバカなの」
「バカとは何よ」
「事実じゃん」
わあ、と笑いが起きる。
わたしは、その輪の真ん中で、呆然としていた。
(……なんだ、これ)
同年代の人間の声。
複数の。
同時に鳴っている。
うるさい。
本当に、めちゃくちゃうるさい。
なのに。
(……あ、やば)
目の奥が、熱くなった。
これが、教室の音だ。
十五年間、病院の、白い天井の下。
静かな電子音と人工呼吸器のリズムだけを聴いて過ごしてきたわたしが、ずっと、ずっと聴きたかった音。
タブレットの画面の向こう側でしか鳴っていなかった、あの音。
うるさくて、無秩序で、意味のない笑い声が混ざって。
話の筋なんてすぐに脱線して、誰も何も深刻に考えていない。
生きてる音だ、と思うと、目頭が熱くなった。
「え、ちょ、桐生さん!? 泣いてる!?」
「うそ、ごめん! わたしたちがうるさすぎた!?」
「ちがっ……ちがうの、ごめん、なんでもない、ほんとに、なんでもないから」
慌てて袖で目元を拭った。
情緒がおかしい。
退院してからずっとこうだ。
なんでもないことで涙腺が決壊する。
十五年分の感情の在庫が、一気に押し寄せて来るたび、処理が追いつかない。
「……ちょっと、嬉しかっただけ」
正直に、そう言った。
女子たちは一瞬きょとんとして、それから、なんとも言えない顔をして、
そして、さっきのショートカットの子が、わたしの肩をぽん、と叩いた。
「うん。おかえり、桐生さん」
(……あ)
ずるい。
そんなの、ずるいだろう。
わたしは、この教室に一度も来たことがない。
「おかえり」なんて言葉が成立する筋合いなんて、どこにもない。
なのに、この子は、そう言ってくれた。
三年間、名簿の上にだけ存在していたわたしの席を、この人たちは、たぶん、ずっと空席として認識していてくれたのだ。
「……ただいま」
言えた。
家では言えなかった、その言葉が、なぜか、ここでは言えた。
---
そして。
その、和やかな空気が、ぴたりと止まる。
「……あれ?」
一人の女子が、わたしの右耳を見ていた。
「桐生さん、それ、ピアス?」
教室の温度が、一度、下がった気がした。
「うち、ピアス禁止だよ?」
「え、まって、それガチのやつじゃん。生徒指導の岩崎に見つかったら、その場で外させられるよ」
「岩崎、マジで容赦ないからね。去年、三組の子が泣かされたって聞いたし」
女子たちは、心配して言ってくれている。
善意だ。純粋な、クラスメートとしての親切だ。
だが、その全員の言葉に、わたしの背筋は氷のように冷えた。
(……外させられる)
右耳の、小さな石。
魔法少女としてのコア。
体内にあってはならず、必ず体外に、壊される位置に、奪われる位置になければならない。
これが外れたら、わたしはどうなるのか。
答えは、もう知っている。
蘇生から三日目の夜。
あの腹黒マスコットが「身をもって理解してもらうために」と言って、五分間だけ実演してみせた。
完全に、平らになった心電図。
今井先生が、汗と涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、わたしの、死体の胸を押し続けたあの五分間が。
また、起きるのだ。よりによって、この教室で。
十五年ぶりに手に入れた、うるさくて、あたたかくて、生きている音の真ん中で。
三十人の前で。
突然心停止した同級生、というホラーを見せて、わたしは死ぬわけだ。
自分の右耳に触れる指先が、かすかに震えているのを感じていた。
それでも、わたしの心臓は。
相変わらず、完璧なリズムを刻んだままで。
第三話です。
桐生子音、十五歳。心筋症で十五年入院。
潜れなかった。いや、潜ってしまった死線をもう一度インチキして、生まれてはじめての登校。
やることは、たいしたことではありません。
制服に負けて、通学路を歩き、自己紹介をして、授業を受ける。
同級生に囲まれて、名前を呼ばれる。
全部、普通のことです。
普通のことを、一度もやったことがない人間が、やります。
そうして、死亡宣告を受けるわけで。