『Fate/Desire of Thunderbolt』 作:山嵐のハイオーク
――それは刹那が戦いに巻き込まれる、いくらか前のこと。
繁華街の喧騒から少し離れた、霧に煙るロンドンの裏路地。その一角に、一人の魔術師が趣味と実益を兼ねて営む、どこか退廃的で艶やかなバーが存在していた。
「――全く、どいつもこいつも! カウレスから『聖杯大戦』の話を聞きつけたからと、授業の後に集まってはしゃぎおって! 亜種聖杯戦争などと、あんなただ危険なだけの白物。本質を見失った新世代どもめ、魔術の積層とはもっと地道なステップだということが、なぜ理解できん……っ!」
カウンターの奥で、高級な葉巻の煙を苛立たしげに吐き出しながら、泥酔してくだを巻いていたのは、現代魔術科(ノーリッジ)の学部長――ロード・エルメロイⅡ世だった。普段の理性的で偏屈な姿はどこへやら、連夜の激務と他のロードからの干渉に疲れ果てた彼は、琥珀色のグラスを指先で乱暴に弄んでいる。
「はいはい、ロード。愚痴ならいくらでもお聞きしますから、そのグラスいいやつなんだから割らないでよ?」
トントン、と小気味よい音を立てて新しいグラスを差し出したのは、その店のママを務める女性だった。
イギリスの冬の夜、デコルテを深く覗かせたシックな黒のドレスの上に薄手のショールを羽織り、どこか幸薄そうな、影のある妖艶な美貌を浮かべてカウンターに身を預けている。傷ついたⅡ世の心を優しく包み込むような、深く甘い包容力を湛えた微笑を浮かべる彼女だったが――その眼鏡の奥の瞳は、Ⅱ世を昏く見据える。
「……フン、わかっている。だがな、ジュリア……っ。君のその、対象を一瞬で構造化する『解析魔術』、その改ざん速度だけは……っ、あの頭の固いロードどもにも見せてやりたいくらいだ。君ほどの才能が、なぜこんな夜の街に埋もれているんだ……っ!」
泥酔したⅡ世は、普段の威厳をかなぐり捨てて彼女の腕にすがるように、ウザく、狂おしくダル絡みを始めていた。誰よりも他人の才能に対してシビアな彼が、完全にその母性に身を委ね、甘えるほどの圧倒的な魔術的実力。
「おっとロード、お酒が回りすぎです。わたくしのことはいいですから、さっきの聖杯大戦の話、もっと詳しく教えてくれませんか?」
「……そうだったな。そう、あれは私が――」
Ⅱ世が酔った頭で漏らした、聖杯のシステム考証と英霊への知見。妖艶で包容力溢れるバーのママ――ジュリアはその因果の数式の全てを完璧に脳内へコピーし、いつでも改ざん可能な状態へと落とし込んでいた。
グラスに反射するカクテルの赤を見つめながら、彼女の胸の奥で、時計塔の退屈をブチ壊すような強欲な野心の火がパチパチと静かに灯ったのは、まさにこのロンドンの夜のことだった。
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――かつて、轟家の古びた日本家屋で過ごした真夏の記憶。
「いったたたたたたっ!? 親父、マジで何すんだよ! げんこつ痛すぎ!」
「やかましいわ、刹那! 集中力が切れとるぞ! 黙って机に向かわんか!」
まだ中学生だった頃の轟刹那(とどろき せつな)は、頑固親父からの理不尽なげんこつを脳天に食らい、涙目で頭を押さえていた。強いて言えば、親父の拳が振り下ろされた瞬間、本当に頭の中に直接バリバリと本物の雷が落ちてきたかと思うほどの不条理な衝撃。当の親父自身は「魔術」などという存在をこれっぽっちも自覚していなかったが、そのげんこつの異常な痛さだけは、轟家に流れるごくわずかな雷の血の証明だったのかもしれない。刹那自身は、自分の指先から時折パチチ、パチチと漏れ出る奇妙な微弱な電流に、薄々気が付いてはいた。だが、特にそれをどうこうしようとも思わず、ただ「他人に触れると静電気が起きるから、少し友達ができづらいな」という程度の、ささやかな悩みを抱えながら平凡に暮らしていたのだ。(当時の数少ない幼馴染だった晃が、その孤立を利用して刹那を自分だけのものとして独占しようとしていたとか、いなかったとか――その、泥の底に沈んだ真相は、今となっては完全に闇の中であるのだが) そんな、あまりにも退屈で閉じた日常が、ある真夏の日に唐突に崩壊した。
「ごめんくださーい。ここに勉強がうまくいってない可愛い男のコが住んでるって聞いたんですけど」
カララ、と古びた玄関の引き戸を開けて入ってきたのは、ほんの少しの旅荷物を肩に携えた、燃えるような美しい赤髪の女性――蒼崎青子(あおざき あおこ)だった。彼女は、突如現れた異物に警戒する親父を前にして、けらけらと不敵に笑いながら、一枚の推薦状を差し出してみせた。
「こちらの息子さん、刹那くんの学業から生活態度まで、住み込みで面倒を見させていただけませんか?」
その圧倒的な美人としての佇まいと、有無を言わせぬ男前な胆力。そして何よりも、彼女の纏う空気がこの上なく「誠実で信頼できる教育者」そのものに見えたため、頑固親父も
「う、うむ……そこまで言うなら……」
と、あっさりと彼女の滞在を許してしまったのだった。――それが、世界に五人しかいない魔法使いがほんの悪戯心で編み上げた、脳髄を優しくハックする『暗示』の術式によるものだとは、頑固な親父は夢にも思わずに。こうして始まった、赤髪の家庭教師による「個別指導」。青子センセーが刹那に手ほどきしてくれたのは、普通の学校の数学や英語の勉強、そして――刹那がただの静電気だと思い込んでいた、その能力の真実だった。
「いい? 刹那。君が指先から出しているそれはね、静電気なんかじゃない。魔術という、世界の裏の理なの」
「え……っ? ぼ、僕のこれが……魔術……?」
呆然とする刹那。青子は中学生の彼の背後から包み込むように寄り添い、彼女の温かい指先を、刹那の小さな手へと優しく重ね合わせた。
「そうよ。魔力っていうのはね、力任せに体外へぶち撒けるものじゃないの。自分の肉体の神経、ツボ、その一本ずつの通り道を完璧に意識して、波長を合わせるようにコントロールするのよ。ほら、お姉さんの波長に合わせてみて」
密着する彼女のしなやかで豊かな肉体の感触、首筋にくすぐったく触れる長い髪、そして鼻腔を焦がす大人の女性の甘い香りに、刹那の脳髄は強烈な恥じらいとドギマギとした困惑で破裂しそうになっていた。だが、彼女のその徹底した「手ほどき」があったからこそ――刹那は2世代目の薄い血筋でありながら、指先の微弱な電流を使って空間の霊脈から晃の魔力の波長をダイレクトに追跡するだけの、確かな魔術の技能をその身体へと完璧に刻み込むことができたのだ。(……このショタのあまりの愛らしさに、その後、蒼崎青子がどうしても性欲を抑えきれなくなって、刹那の記憶を都合よく隠蔽した上で完璧な『筆おろし』を済ませていたことなど、今の刹那はまだ、夢にも思っていないのだが――)
「よし、今日の個別指導はここまで! よく頑張ったわね、刹那」
「あ、ありがとう、青子センセー……っ」
顔を耳まで真っ赤にして麦茶を啜る少年の横顔を、青子はどこか瑞々しく、いたずらっぽい慈愛に満ちた瞳で見つめていたのだった。