『Fate/Desire of Thunderbolt』 作:山嵐のハイオーク
昨夜、寂れた擬似工房の地下霊脈が、異常な青白い雷光によって一時的に外部から侵食されたその瞬間。この極東の街の高級ホテルの最上階の一室で、贅沢なシルクのガウンを羽織った女性の魔術が、その世界の歪みを鋭く検知していた。
「――はっはーん☆ 見ぃつけた★」
イギリスにいた頃の、デコルテを覗かせた黒ドレスにショールを羽織った、どこか幸薄そうで包容力溢れる大人のママの姿はどこへやら。女は、この極東の戦場に馴染むために自らの外見の構造を完璧に作り変え、誰もが情欲を掻き立てられるような、恐れ知らずの不敵な“ギャル”へと完全な擬態を遂げていた。彼女は事前に街の霊脈へと密かに配置しておいた、自らの視覚を同期させた使い魔の目を駆動させる。使い魔の網膜が捉えたのは、落雷の爆煙を突き抜け、お団子ハーフアップの白金髪をなびかせた西洋騎士風の美女(セイバー)が、小柄な少年を軽々と横抱きにして神速の風で夜空を翔け去っていく姿だった。
「なにあれ、超ウケるし☆ 解析する限り、マスターの男の子、魔術のいろはも知らないようなただの無知な素人じゃん★ ――よし、あのアパートね」
神速の風の軌道を瞬時に数式化し、彼女は刹那の六畳一間のアパートの場所を完全に特定した。魔術師としての経験も覚悟もなさそうな、容易に手駒にできそうな哀れな少年マスター。いかにも信頼できそうな慈愛溢れる『頼れる味方』として優しく近づき、偽りの同盟を結んで都合よく盾として使い捨ててやろう――。彼女の碧眼の奥の瞳が、魔術師特有の冷徹な野心で妖艶に細められた。
◇
真夏のまばゆい朝日が、アパートの古い畳をじりじりと灼く翌朝。昨夜の過酷な死線と、その後に訪れた宗茂との初めての情事による疲弊,そして頭を灼いた朧げな夢の残片の余韻によって、刹那の身体は心地よい気だるさに包まれていた。しかし、そんな日常の朝にのんびりと留まる余裕はない。友人・鴻上晃の死、および自分の隣に佇む「立花宗茂」と名乗る美女の存在。
「主殿、まずは生きるための糧の調達、およびこの現代という世界の市場を視察に行くべきではないか?」
白金の長い髪を揺らし、凛とした武人としての姿に戻った宗茂に促され,刹那は未だに身体の芯に残るドギマギとした恥じらいを隠すようにして、アパートの近くの商店街へと買い物に出ていた。
「――お困りのようだね、迷える子猫ちゃんたち★」
商店街の喧騒のなか、不意に、背後から底抜けに明るく、けれど脳髄の芯を直接揺さぶってくるような強烈な魔力の圧を孕んだ声がかけられた。刹那と宗茂が振り返った先に立っていたのは、自分と同じ年齢層に見える、金髪碧眼の外国人女性だった。真夏の陽光に照らされた眩いばかりの金髪と、吸い込まれそうなほど澄んだ青い瞳。高級なブランド物の過激な夏服に身を包み、男の情欲をこれでもかと激しく掻き立てる圧倒的な色香を放つギャルが、そこに仁王立ちしていた。
(……うわ、すごい綺麗な人……って、何考えてるんだ俺は)
衣服の上からでも容易に想像がつく、ジュリアの豊満で暴力的なまでにエロティックな肢体に、刹那は普通の男の子らしく一瞬、言葉を失って呆然と見とれてしまう。隣に立つ宗茂が、刹那を守るように一歩前に出て、目に見えぬ一振りの刃に手をかけようとしたその瞬間、ジュリアは両手をひらひらと頭の上に掲げて、無防備なポーズを取ってみせた。
「おっと、ストップ☆ ウチは絶対に君たちの敵じゃないから、まずはその警戒、解いてくれないかなー?★」
ジュリアは自らの『解析魔術』による冷徹な追跡の痕跡を完璧に隠蔽し、まずは自分が明確な殺意や敵意を持っていないという「客観的な事実」を、魔力の波長を相手に同調させることで証明してみせた。まずは自分が敵ではないという安心感を与え、相手の警戒心を根底から完璧に融かしていく。それこそが、彼女が時計塔の最高峰の一角として培ってきた、老獪なネゴシエーションの技術だった。
「ウチの名前はジュリア☆ 驚かせてごめんね。でも、昨日の夜、あの擬似工房で大変な目に遭っちゃったでしょ? 警察もあてにならないこの街の闇、ウチなら、君たちの力になってあげられると思うんだよねー★」
いかにも誠実で、信頼できそうな完璧な笑顔を作り上げてみせるジュリア。魔術の世界の不条理に困惑する小柄な刹那。その純朴な少年の可愛さに、ジュリアの胸の奥で、魔術師としての利用価値とはまた別の、女としての邪な独占欲が微かに疼いたのは内緒である。
「あ、あの……君も、魔術師、なのか……?」
「そう☆ だから安心しなよマスターくん♡ ウチら魔術師同士、この狂った聖杯戦争を生き抜くために、まずは手を組んで『同盟』、結んじゃわない?♡」
ジュリアの計算通り、容易に手駒へと引きずり込める完璧な同盟への誘い。目の前の金髪碧眼のギャルの美しさにドギマギしながらも、世界の深淵に片足を突っ込んでいる異物の気配に、刹那の心が傾きかけた、まさにその時だった。真夏のじっとりとした静寂を切り裂くように、一陣の突風がふっと商店街の路地を烈しく駆け抜けた。
「きゃっ!? ――ちょっと、なによこれぇ☆」
唐突な大気のうねりは、男の情欲を煽るためにジュリアが穿いていた、およそ防壁としての意味をなさぬ極薄のミニスカートを容赦なく巻き上げた。陽光の下に晒される、眩いばかりのしなやかな太ももと、隠しきれぬ秘部の輪郭。刹那が年相応の男の子としてその暴力的なエロティシズムに思わず息を呑んだ次の瞬間、彼はあまりの不条理な光景への狼狽とパニックのあまり、顔を耳まで真っ赤に染め上げながらブンブンと視線をあらぬ方向へとそらし、冷や汗を流しながら引きつった笑顔を浮かべた。
「あ、あははは……っ。き、今日は、なんだか風が強い日ですね……っ」
あまりにも異様な状況の中で、純朴な彼がひねり出した精一杯の「女性への気遣い」としてのシュールな世間話。ジュリアは思わず、スカートを太ももで押さえつけたまま
「……いや、そこは普通に謝るところでしょ、マスターくん」
と呆れたようにツッコミを入れる。だが、その風が乗せて運んできたのは、単なる真夏の熱気だけではなかった。魔術の血を引く刹那の肌をチリチリと灼く、世界の裏側から漏れ出た圧倒的な不条理の残滓。この突風が生まれた、人間を寄せ付けぬ深山の奥深くでは――。アトラス院の異端アルベリヒが放った、わし様を一人称に戴く強欲と圧倒的な武を誇る覇王バーサーカー(ドゥリーヨダナ)の巨大な棍棒の猛撃と,それを迎え撃つ、ユーリの絶望の執念が掲げた、いかなる理不尽な暴虐をも遮断するシールダー(大アイアス)の黄金に輝く『絶対防壁』の防衛線が、世界の裏側で激しく激突し、凄惨な死闘の火花を散らし始めていた。ジュリアの偽りの同盟の微笑みの裏で、聖杯戦争の真の残酷な不条理が、深山から不気味な咆哮を上げて、着実に刹那たちの日常の境界線を侵食し始めていたのだった。