男性家従、30代から40代を想定。
それは、陸仁が二十一の誕生日を過ぎ、誓子が十八の誕生日を数か月後に迎える初秋のハイキングでの出来事だった。
陸仁と寛代子の一行は、お付きの者として六条雅忠・誓子の兄妹を同行させ、北関東の美しい山々を訪れていた。
久々のお忍び、それも宿泊を伴う外出ということもあってか、寛代子の弾むような高揚は止まるところを知らなかった。道中に見つけた珍しい高山植物に目を輝かせては足を止め、風光明媚な地に差し掛かれば「あちらからの景色も見てみたい」と、お付きの誓子の手を引いて歩調を乱す。普段の宮邸では見せない寛代子の可愛い我が儘に、陸仁は苦笑交じりに溜め息を吐き、雅忠は予定を気にし冷や汗をかきながら宿泊所との連絡を取りつつそれに従うしかなかった。
そうして一行の予定が大幅に遅れたことが予期せぬ危難を招いた。
麓の宿泊所に辿り着く前に山の天気が急変し、突如として、激しい風雨が一行を襲ったのである。
遮るもののない山道で、叩きつけるような雨がまたたく間に視界を奪っていく。雷鳴が尾根を震わせ、豪雨が横殴りに叩きつける。
轟音を立てて狂い始めた濁流が彼らの退路を断とうとする中、陸仁は一切の動揺を見せず、冷徹な判断を下した。
「宿泊所に向かう事も引き返す事も不可能だ。あそこへ入るぞ」
陸仁が鋭く指し示した先にある、近くの営林署の巡視小屋へと、一行は滑り込むようにして辛うじて身を寄せた。
重い木扉を力ずくで閉め切った瞬間、鼓膜を圧していた暴風雨の咆哮が、一段低く壁を震わせる地鳴りへと変わる。
板張りの室内に照明はなく、窓から這い入る初秋の薄い微光だけが、互いの輪郭を不気味にぼんやりと浮き上がらせていた。一同の衣服からは、容赦なく冷たい雨水が滴り落ち、床板に黒い染みを作っていく。
緊張の糸が切れる間もなく、身辺を守る数名の護衛たちが、直ちに薄暗い巡視小屋の入口と其処から続く土間を固めた。万が一の事態に備え、主君の退路と安全を確保するための、迅速で無言の配置。
その護衛たちの背を抜けた奥の板間では、誓子が、ずぶ濡れになって息を切らせる寛代子を気遣い、雅忠が無線機へと手を伸ばしていた。
静寂を破るように、激しいノイズがスピーカーから弾けた。
「無線は通じたか?」
「この雷で雑音がひどく、使い物になりません」
「ヤタガラスの導きも雷だけはどうにもならぬか。やむを得ぬ、ここで夜を明かそう。救助も明日には来るであろう」
「最後の無線で知らせた予定の行程からはだいぶ外れておりますが」
「この雨も朝には止むであろう。そうなれば居場所だけは知らせられる。水も食料も問題ない。大丈夫だ」
陸仁がどれほど冷静に状況を分析してみせても、寛代子の胸には、予定の行程を大幅に狂わせ、全員をこのような山深くの遭難寸前にまで追い込んだ元凶が、他ならぬ己の我が儘であるという思いが刻まれ、その重圧と激しい罪悪感、焦燥で押し潰されそうになっていた。自分が蒔いた種で、兄や大切な臣下たちが孤立している──その耐え難い罪悪感が、彼女の理性を狂わせた。
「私のせいで皆を危険に晒してしまったわ。私が麓まで下りて救助を呼んでくる!」
「お待ちください、殿下! 外は雷雨でしかも夜です、危険過ぎます!」
「雷雲が過ぎて居場所を伝えればそれで事足ります」
その言葉に一度は思いとどまったが、雷鳴が遠ざかるにつれ、胸を焼く焦燥と猛烈な責任感が再び彼女の理性を塗りつぶした。
このまま守られているだけの「重荷」でいることへの耐え難い恐れ。寛代子は固く唇を噛み締めると、土間に置かれていた己の小さなリュックサックをひったくるように背中に担ぎ直した。焦乱の底にありながらも、山に下りるには雨具や予備の道具が入ったリュックが無ければ話にならないということだけは、過剰な緊張ゆえに冷たく冴えた頭の隅に残っていたのだ。
「殿下、何を──っ!」
雅忠が顔色を変えて手を伸ばした瞬間、寛代子は巡視小屋の重い木扉を力任せに押し開き、漆黒の雨の中へ飛び出してしまった。
「殿下を御止めせよ」
その言葉に周囲の状況確認のため外へ出ていた護衛が制止しようとする。
寛代子はその腕を小さくかわし、脇をすり抜けて漆黒の雨の中へ飛び出した
「殿下!?」
驚愕する護衛たちの声を背に、彼女は雨の吹き荒れるぬかるんだ斜面へと消えていった
慌てて雅忠と山に慣れた家従達が、彼女の後を追いかける。
──避難小屋から聞こえる制止の声を振り切り、漆黒の雨の中へ飛び出した寛代子を待っていたのは、容赦なく視界と足元を奪う大自然の猛威だった。
「殿下! お待ちください!」
背後から響く雅忠の必死の声を遮るように、遠くから雷鳴が轟く。焦燥と罪悪感でパニック状態に陥っていた寛代子は、ぬかるんだ急斜面に足をすくわれ、悲鳴をあげる暇もなく数メートル滑落した。
「あ、……っ!」
右足首に走る、焼けるような激痛。
泥まみれになってうずくまる彼女の元へ、雅忠と山慣れた家従たちが滑り込んできたのは、その直後のことだった。
「殿下! ご無事ですか!」
「雅忠、私……足が、動かないの……」
立ち上がろうとした寛代子は、激痛に顔を歪めて再び泥濘に膝を突いた。右足首はみるみるうちに腫れ上がっていく。この嵐の中、歩行不能の人間を背負って下山するのは、全員の共倒れを意味していた。
雅忠は、父親譲りの冷徹なまでの生真面目さで、即座に身分秩序に則った生存戦略を選択した。
「お前たちは麓へ走れ。救助隊を編成し、夜明けとともに若宮様の小屋とここへ向かわせるのだ」
「しかし、六条様をお一人残しては……。私も残ります」
名乗り出た女性家従に、雅忠は一瞬、考え込んだ。
「……確かに女性のそなたが共に残れば、殿下の身の回りのお世話もしやすいか。ならばそなたを残し、もう一人の男手を麓へ……」
と言いかけたが、雅忠は激しい雨の夜道を見やり、すぐに首を振った。
「いや、とは言え、この嵐だ。いくら山慣れているとはいえ、男手一人だけで下山させるのはあまりに危険すぎる。万が一、途中で遭難でもされたら、小屋におられる若宮様は兎も角、登山道から外れた、ここに居られる殿下を救う術が断たれてしまう。ならば、私も共に下りて道を切り開くか……?」
しかし、すぐ後ろで痛みに顔を歪めている寛代子の姿が目に入る。
「いや、それもだめだ。私まで下りてしまえば、女子(おなご)二人だけでこの暗闇に取り残されることになる。何かあった時、あまりにも無防備で危険すぎる……!」
巡らせた思考の果てに、やむを得ぬ、と雅忠が断を下した。
「……私も皇室を支える藩屏の一員だ。私が責任をもってここに残り、殿下をお守りする。其方達は二人揃って麓に降り、急を知らせよ。二人なら遭難のリスクも減る」
「畏まりました」
「行け!」
その声に家従達が弾丸のように闇へ消えていくのを見届けた後、雅忠は寛代子を背負い、激しい風雨を凌げる近くの頑強な岩陰へと退避した。
そこは、激しい風雨こそ凌げたが吹き付ける風の音と寒気で、さながら現世の果てのようだった。
雅忠は自らの乾いた上着を脱ぐと、濡れそぼった寛代子の身体を包み込み、冷たい雨水を含ませた布で彼女の右足首を固く縛って固定し応急処置を施した。
水を含んで繊維が膨張し、鉄のように硬くズシリと重くなったベンタイル地の登山服は、寒さでガタガタと震える寛代子の身体に容赦なくまとわりついている。肉体的な苦痛と、またしても全員の足を引っ張ってしまったという絶望的な罪悪感。寒さと恐怖、それ以上に己の我が儘が招いた遭難という重圧に、寛代子の心は完全に限界を迎えていた。
「……ごめんなさい、雅忠。本当に、ごめんなさい……っ。私の、私のくだらない我が儘のせいで、皆をこんな目に遭わせて……。もしお兄様に、誓子に何かあったら、私……っ」
雅忠の厚い胸板に泥に汚れた額を押し付けたまま、彼女の小さな唇から、自らを切り刻むような自虐の言葉が堰を切ったように溢れ出る。
「お兄様は宮家になくてはならない方なのに……私のような出来損ないが足を引っ張って、お兄様や、未来のある貴方たちまで巻き添えにしてしまうなんて。いっそ私がこのまま凍えて死んでしまえばよかったのよ……! そうすれば、誰もこれ以上、私に振り回されずに済んだのに……っ!」
それは、皇族としてのプライドをすべて削ぎ落とした、血を吐くような自己否定だった。普段は完璧なまでに隠されていた陸仁という完璧な兄の影で、彼女がどれほど孤独に、自らの存在意義に飢えていたか──その魂の「歪み」が、この異常な状況で雅忠の胸へと容赦なく突き立てられた。
──これ以上、聴いていてはいけない。殿下の呪詛を御身に向けさせてはいけない。
我が身を呪い、消えてしまいたいと泣きじゃくる高貴な少女の姿に、雅忠の胸の中で、これまで頑なに守り続けてきた「臣下としての倫理」が、音を立てて粉々に砕け散った。
「……寛代子様っ!」
衝動のままに、雅忠はその名を叫んでいた。
叫ぶと同時に、彼は自らの大きな掌で、その呪詛を吐き出し続ける彼女の小さな口元を押さえ──ず、その震える唇を、自らの唇で強引に、乱暴に塞いでいた。
「ん……っ!?」
寛代子の瞳が、驚愕に丸く見開かれる。
宮邸でいつも一歩下がり、畏まって自分に傅いていたあの六条雅忠が、いま、自らの唇を奪っている。その生々しい熱量が、激しい雷鳴よりも深く彼女の脳裏を揺るがした。
ほんの一瞬の、しかし永遠のような口づけ。
雅忠が唇を離したとき、その漆黒の双眸には、一人の男としての、狂おしいほどの情熱と決意が宿っていた。
「二度と、そのようなことを仰るな……! 貴女が死ねば、私はどうすればいい! 誓子は、若宮様は……私は、誰のために命を懸ければいいのですか!」
肩を掴む雅忠の手のひらは、驚くほど熱く、そして硬く震えていた。
「貴女は出来損ないなどではない。貴女のその瑞々しいお心のままの輝きに、どれほど私が、宮邸の人々が救われてきたか……! 自分を呪う言葉で、そのお身体を汚してはなりません」
雅忠は、怯える寛代子の身体を、今度は一寸の隙間もないほどに、力任せに自らの胸へと引き寄せ、力強く確と抱きしめた。
「……お許しください。私はもう、貴女を『殿下』としてはお守りできない」
衣服が擦れ合い、冷え切った彼女の肌へ、雅忠の生々しい体温が、彼の激しい鼓動とともに直接伝わっていく。
それは、これ以上彼女を壊さないための、最も不敬で、最も確実な「看護」であった。
寛代子は、雅忠の逞しい腕の中で、ただじっとその熱に震えていた。
口元を塞がれた衝撃の余韻と、背中に回された彼の大きな手の温もり。心身ともに弱り切っていた彼女の心は、雅忠の命懸けの不敬によって、皮肉にも救われていた。
「雅忠!」
寛代子が激しく雅忠に縋りついた。
泥と涙に汚れた両腕が彼の逞しい首筋へと絡みつく。濡れた衣服越しに伝わる彼女の限界の震えが、雅忠の胸板を容赦なく叩いた。
「お願い……離さないで。私を一人にしないで……っ! 殿下なんて呼ばないで、私を見て! 宮家の出来損ないの、ただの私を……っ。お願いだから、いまだけは、私を壊して……!」
それは、皇族としての誇りも、淑女としての矜持もすべてをかなぐり捨てた、身を焦がすような懇願だった。完璧な兄への劣等感と、自らの我が儘が生んだ恐怖の底で、彼女はただ、歪んだ形でもいいから「己の存在」を誰かに強く刻みつけて欲しかったのだ。
雅忠の首筋に顔を埋め、言葉にならない悲鳴を上げながら、寛代子は自らの小さな歯を彼の鎖骨の根元へと狂おしく突き立てた。
「──っ、ん、……」
男の硬い皮膚を裂くような、痛切な噛みつき。
だが、雅忠は声を上げなかった。鎖骨からじわりと広がる熱い痛みが、彼の脳裏で辛うじて均衡を保っていた「忠義」の鎖を、内側から激しく焼き切っていく。
目の前に涙に濡れた寛代子の双眸が、嵐の暗闇の中で怪しいほどに瑞々しく、そして絶望的に美しく揺れていた。
自分を求めて泣き叫ぶこの高貴な少女を、身分という冷たい壁の向こうへ押し戻すことなど、いまの彼には到底不可能だった。彼女を呪うすべての言葉を、その華奢な身体ごと、自らの情熱で包み込み、貪り尽くしてしまいたいという、狂おしい男の本能が完全に覚醒する。
「……寛代子、様。……寛代子」
掠れた声で、ついにその名を呼び捨てにした瞬間、雅忠の、臣下としての倫理を、そして一人の青年としての理性を、繋ぎ止めていた鎖が断ち切られた。
──寛代子の、まるで自らの存在を消し去ろうとするかのような狂おしい縋りつきによって。
泣き叫ぶ彼女の声を再び唇で塞いだ瞬間から、雅忠の頭脳は冷徹な「六条家の嫡男」としての機能を停止し、ただ目の前の、己を求めて震える高貴な肢体を、凍えさせぬように、壊さぬように、しかし容赦なく自らのものとして貪る飢えた獣と化した。
岩陰の、誰も見ることのない漆黒の闇の奥へと彼女を押し込んだ。
水分を吸って鎧のように強張った高密度コットンの生地が、擦れ合って鈍い音を立てる。
実用本位の無骨なベンタイル地の登山服。水を吸ってズシリと重くなったその前合わせを、雅忠の大きな手が手荒に、力任せに割り開く。
そして衣服が割り開かれた瞬間、無骨な上着の奥から、寛代子の白皙の素肌が暗闇の中でも鮮烈に浮かび上がった。
華奢な鎖骨、雨水を含んで白く柔らかな肌にぴたりと張り付き、内側を艶めかしく透かせている最高級のレース地キャミソールに包まれた膨らみ──。
我を忘れた雅忠の指先が、その薄い絹を乱暴に押し上げた。
行く手を阻むのは、夜会服の美しい背中を魅せるために彼女が好む、フロントホックのブラジャーだった。
雅忠の荒い指先が、その豊かな双丘の、まさに中心を繋ぐ留め具へと掛けられる。硬質な音が闇に爆ぜ、繊細な布地が左右へと一気に割り開かれた刹那、露わになったのは、あまりにも無防備で瑞々しい、処女(おとめ)の膨らみのすべてだった。
宮邸の奥深くで大切に育まれた高貴な肉体の輪郭。それを覆っていた濡れて硬い防風服との強烈なギャップが、雅忠の飢えた視線を完全に狂わせた。
「あ……っ、だめ、雅忠、見ないで……っ」
恥ずかしさに身をよじる寛代子の拒絶など、いまの雅忠の耳には届かない。雅忠は低く唸りをあげると、その白い膨らみの頂点へと貪るように唇を押し当てた。
「んあ……っ! あ、……っ」
熱い舌が尖端を捉え、その周囲の柔肌を烈しく吸い上げるたびに、寛代子は生まれて初めて知る強烈な快感に身体を弓なりに反らせ、狂おしい悲鳴をあげる。日頃は畏まって自らに傅く臣下の、男としての凶暴なまでの愛撫と、嵐の冷気など一瞬で吹き飛ぶほどの熱い息遣いが、彼女の胸元を何度も通り過ぎた。
だが、雅忠の執着はそれだけでは止まらない。
逃げようとするそぶりを見せながらも、狂おしく己を求めてくる寛代子の華奢な身体を捕らえ、雅忠はみずから泥まみれの床に仰向けになると、その上に彼女を同じく仰向けに重ねるようにして組み敷いた。
男が下、女が上となり、互いに天を仰ぐ『撞木反り』の体勢。
正面から向き合う不敬にすら耐えかねた男が、背後から主君のすべてを強欲に物にするための体勢であった。
背中から直に伝わる臣下の逞しい肉体の熱と、完全に自由を奪われたその強固な拘束に、寛代子は身を焦がすような強烈な歓喜に身を震わせる。
日頃は自分に傅いているはずの雅忠が、いまや狂おしい熱情の獣となり、彼女の背中をみずからのぶ厚い胸板へときつく、逃げ場を塞ぐように押し付けていた。
男の無骨な両手が、アウターを剥ぎ取られた最高級のレースの奥へと容赦なく滑り込み、その瑞々しい双丘の重みを、形が変わるほどの強固な愛撫で蹂躙していく。
「ん……、あ……っ、雅、忠……っ」
身分を捨て、名前を呼んで縋りつく寛代子の、そのあまりにも脆く、あまりにも扇情的な肉体の輪郭。雅忠は彼女の細い腰を強引に抱きすくめ、その身体に愛撫を繰り返した。
やがて寛代子の身体から力が抜けると、雅忠は寛代子を脱がせた服の上に横たえ、その柔肌に何度も熱い口づけを落とし、激しく吸い上げていった。
視界を遮られた闇の中で、寛代子は自らの胸を容赦なく揉みしだく掌の熱に、頭の芯が痺れるような快感に身を震わせた。
自身から漏れ出たその声の淫らさに、信じられぬ思いと羞恥を覚えながらも、「お兄様の影ではないただの私」を破壊してくれる男の熱量に、寛代子は顔を林檎のように赤く染めて歓喜する。
激しく肉を穿つことだけはならぬと、華族としての、臣下としての最後の理性が辛うじて男の腰を縛り付けていた。だが、その一線を越えられぬ反動としての飢えが、寛代子の白く細いうなじへと向けられる。
雅忠は低く、掠れた喘ぎを漏らしながら、羞恥と熱で激しく脈打つ彼女の小ぶりな耳たぶへと唇を寄せ、逃がさぬように前歯で深く、きゅうと肉を割り込むように甘噛みした。
「あ、っ……! ん、う、く、っ……」
脳髄を直接灼くような、甘く鋭い刺激の電撃。初めて知る自身の耳の弱さ。吹き付ける雨音の隙間を完璧に埋めるように、鼓膜のすぐ傍で男の荒い呼吸が響き、耳たぶに確かな質量の痛みが刻まれる。
だが、雅忠の強欲はそれだけでは収まらない。甘噛みの痛みに身悶えする彼女の耳の輪郭を熱い舌先でねっとりと濡らし、そのまま、無防備に晒された耳穴の奥へと、濡れた舌を深く、深く、蹂躙するように突き入れた。
「──ッ、は、ぁ、んく、っ……!」
物理的に声を出す手段を奪われたわけではないのに、鼓膜のすぐ傍で鳴り響く臣下の低い喘ぎと、脳の髄まで直接掻き回されるような淫らな水音に、寛代子は最大の悲鳴を喉の奥で押し潰す。
主君の胸を荒々しく揉みしだき、耳の最奥を濡れた舌で執拗に穿つという、最大の大不敬。極限の背徳感と、生まれて初めて知る強烈すぎる快楽の波が、未だ処女である寛代子の身体を容赦なく狂わせていく。下腹部から突き上げる熱い衝動には抗えない。
「あ、だめ、頭が、おかしく、なっ……ぅ、あ!!」
身体を弓なりに強張らせ、寛代子は暗闇の中で一度目の絶頂へと強制的に叩き落とされた。ビクビクと小さく痙攣し、熱い吐息を漏らす彼女の身体を、しかし雅忠は解放しなかった。
一度の絶頂でさらに感度が跳ね上がり、狂ったように熱を帯びた耳穴へ、二度、三度と容赦なく追撃の舌が突き入れられ、胸元を蹂躙する手のひらの圧迫が強まる。
「いや、待っ、休まっ……もう、許し……っ、あ、ん、あぁっ!」
波が引く間もなく襲いかかる快楽の暴力に、寛代子は皇族としての声を殺すことすら忘れ、ただ自分を求めて猛り狂う臣下の腕の中で何度も、何度も、壊れた人形のように激しく果てさせられていった。
──真夜中、時計の針が午前一時を回る頃。一度は小康状態を保ちかけていた山塊の空気が急変し、大自然の牙がさらなる狂気を伴って岩陰の二人へと襲いかかった。
ピシャァァァン!! と、頭上の岩盤を直接引き裂くような落雷の轟音が山々に炸裂し、凄まじい地響きが激しく身を震わせる。それと同時に、滝のような大雨が再び雷を伴って、漆黒の闇を塗りつぶすように激しく降り注ぎ始めた。
その嵐の狂気と同調するように、岩陰の最奥の蹂躙もまた、一気に頂点へと加速していった。
「──っ、あ、あ、……ッ!」
落雷の明滅が、影となって重なり合う二人の肉体を一瞬だけ白日の下に晒し、すぐさま深い闇へと突き落とす。
胸と耳たぶを責め立てられ、完全に思考を奪われていた寛代子の全身に、雅忠は容赦なく己の痕跡を残した。
(いっそこのまま最深部を貫き、望み通り彼女のすべてを奪い去ってしまおうか)
そんな衝動が、幾度も雅忠の腰を突き動かそうとする。だが、その一線を越えることは、この高貴な少女の未来を完全に泥に塗れさせ、破滅させることを意味していた。
雅忠は己の脳裏で暴れ狂う獣を、血を吐くような理性で抑えつけ、自らの唇を噛み切らんばかりの震えとともに、ただ彼女の白い身体中に、己が男である証を、狂おしいほどの痕跡として幾度も、幾度も深く刻みつけていった。
それは、最後の一線だけを踏みとどまった、男の限界の、そして最も不敬な愛の証明だった。
午前二時を過ぎても一向に衰えぬ雷雨の轟音の中、汗と泥に濡れた互いの肉体が激しく擦れ合い、互いの激しい呼吸と、衣類が擦れる鈍い音が、狭い岩陰に容赦なく生々しく鳴り響いた。
うつ伏せに組み敷かれ、泥まみれの上着に顔を押し付けられたまま、剥き出しのうなじや背筋の窪みを深く、深く貪るように吸い上げられたかと思えば、次は強引に仰向けへと引っ繰り返され、その華奢な身体を雅忠の逞しい胸板へと無慈悲なほどに圧し潰される。
それだけでは飽き足らず、雅忠は自らの上に寛代子の身体を力任せに引きずり上げ、その細い腰を大きな両手でガッチリと掴んで、まるで己の肉体と同化させるかのように激しく抱きすくめ、その唇を幾度も、幾度も狂ったように奪った。
逃げ場のない漆黒の闇の中、重力から解き放たれたように、雅忠の逞しい腕で上下に、前後にと自在に抱き寄せられ、翻弄されるたびに、寛代子は生まれて初めて知る快楽の深淵へと引きずり込まれていく。
日頃は自分に傅いているはずの雅忠の、獣じみた低い喘ぎと、骨が軋むほどに自らを縛り上げる強固な圧迫感だけが、吹き付ける雨音の隙間を完璧に埋めていた。
雅忠の逞しい身体の質量に圧し潰され、その強烈な口づけと抱擁に翻弄されながらも、引き裂かれるような快楽の中で、確かに「自分がここに存在している」という強烈な生の実感を味わっていた。
──だが、その狂おしい情熱が頂点を迎え、すべてが終わった瞬間。
岩陰の密室を支配したのは、ロマンスの余韻などではなく、恐ろしいほどの、冷え切った「現実」だった。
ハッと我に返った雅忠の全身から、一瞬にして血の気が引く。
自らの腕の中にいるのは、衣服を乱し、涙に濡れた瞳で自分を見つめている皇族の姫宮──寛代子女王であった。
万死に値する、大不敬。
もしこれが明るみに出れば──。
その恐怖もあったが、それ以上に、一線を越えることこそ踏みとどまったものの、目の前のこの清らかな少女の身体に、自らの獣じみた情熱で無数の淫らな痕跡を刻みつけてしまったのだという、底知れない罪悪感が雅忠の胸を抉った。
雅忠は、ガタガタと震える手で、急いで自らの上着を彼女の裸体に掛け直した。その顔は青ざめ、呼吸は激しく乱れている。
「……私は、なんということを……」
絶望に声を震わせる雅忠。その時、彼の引き締まった首筋に、冷え切った、しかし驚くほど確かな寛代子の指先が触れた。
「……雅忠」
寛代子の声からは、昨夜の錯乱も自虐も、綺麗に消え失せていた。
そこにあるのは、泥にまみれ、衣服を乱されながらも、厳然として京極宮家の血を引く者としての、冷徹なまでの「覚悟」を宿した皇族の瞳だった。
「顔を上げなさい、雅忠。……私を見なさい」
「……殿下……」
「昨夜、ここで起きたことは、すべて嵐が見せた『幻』よ。……いいえ、最初から何も無かったの。貴方は私を、命を懸けて見事に看病し、守り抜いた。それだけが真実。……そうでしょう?」
雅忠は息を呑んだ。
彼女は、己を、そして六条家を救うために、この一晩の熱情を「無かったこと」にせよと命じているのだ。一人の女としての矜持も、生まれて初めて知った男の熱も、すべてを胸の奥の暗闇に埋め殺し、完璧な「皇族と臣下」の仮面を被り直せと言っている。
「……墓場まで、持って行くのよ。私と貴方の、二人だけの秘密として」
微かに微笑む寛代子のその瞳の奥に、引き裂かれた少女の絶望と、それでもこの男を守り抜くという強固な意志を見た瞬間、雅忠は静かに、岩肌に額を擦りつけるようにして頭を垂れた。
「──御意。この命に代えましても、昨夜のことは、永遠の闇に」
そこから始まったのは、この世で最も冷徹で、最も生々しい「隠蔽の儀式」だった。
雅忠は極限の冷静さを強制的に呼び戻し、震える指先を抑えつけながら、身を震わせる彼女の衣服へと手を伸ばした。
寒さと疲弊で指先が凍え、下着の金具一つ嵌められぬ主君に代わり、微塵の不審も残さぬよう、その手で完璧に仕立て直すために──。
昨夜、己の衝動がすべてを剥ぎ取り、手荒に解き放った衣服の数々。それを一から着せ直していく作業は、かえって恐ろしいほどの現実味を帯びて二人の間に横たわる。
正面から向き合えば、露わになった主君の瑞々しい双丘を嫌でも直視することになる──その不敬に耐えかねた雅忠は、せめて視線を外すようにして寛代子の背後へと回り、背後から寛代子を包み込むように抱き締めた体勢のまま、手探りで彼女の豊かな胸元へと大きな手を回した。
だが、その指先が触れたのは、背中ではなく、左右のカップを中央で繋ぐフロントホックの留め具だった。背後からの目隠し状態では、その小さな金具はあまりにも扱いづらい。背後から手探りで、その双丘の中心を繋ぐ小さな留め具を合わせようとする不器用な指先が、まだ微熱を帯びた彼女の滑らかな肌に幾度も触れる。
肉を押し上げるような無骨な指が触れる度に、寛代子の喉から、うっすらと甘い吐息のような声が漏れた。
「っ……」
その艶めかしい声に、雅忠の身体が強張る。己の不敬と、指先から伝わるあまりの柔らかさに再び理性を奪われそうになり、雅忠は弾かれたようにその手を引き戻そうとした。
だが、それを許さなかったのは寛代子の方だった。
寛代子は逃げようとする彼の逞しい腕を自らの豊かな胸に、ぎゅっと強く押し付けたのだ。驚きに息を呑む雅忠の腕の中で、彼女は少しだけ振り返り、悪戯っぽく、しかし厳然たる主君の瞳でじっと臣下を見据えた。
「……手を引いてはなりません、雅忠。このように私を中途半端な姿にしたまま、衆目に晒すつもりかしら? 最後まで完璧に仕立て直し、藩屏たる華族の義務を果たしなさい」
すべてを闇に葬るための、冷徹で、しかし酷く妖艶な絶対の命令だった。
雅忠は己の胸の高鳴りを必死に抑え、今度は留め具が逃げぬよう、その柔らかな膨らみの重みを掌で包み込む。
「んっ……」
寛代子の喉から、うっすらと甘い吐息のような声が漏れた。
己が命じたこととはいえ、容赦なくその肌を包み込んでくる男の無骨な掌の熱に、彼女の身体が甘く震える。
背後から彼女の華奢な輪郭を完全に包み込み、その豊かな重みを掌に感じた瞬間、雅忠の脳裏に昨夜の飢えた獣が再び這い出してきた。すぐ目の前にある、白く細い主君のうなじ、そして羞恥に微かに震える耳たぶ。
引き戻そうとした手を引き止められ、逃げ場を失った雅忠の理性が、ぷつりと音を立てて微かに歪む。雅忠は低く、掠れた吐息を漏らしながら、吸い寄せられるようにその小ぶりな耳たぶへと唇を寄せ──昨夜、彼女の理性を完全に叩き切ったあの不敬の痛みを、今度は無言の烙印を押すように、きゅうと深く前歯で割り込んだ。
「あ……っ、ん……っ」
脳髄を直接灼くような、昨夜と全く同じ甘く鋭い刺激。寛代子は背後から与えられた不意打ちの快感に、小さな爪を雅忠の逞しい腕へと立て、しがみつくように身体を弓なりに強張らせた。
一線は越えない。だが、これは紛れもなく、自らを「女」にした男からの、言葉なき独占の烙印だった。雅忠は熱い舌先でその噛み痕をそっと慰めるようにひと撫でし、耳元へ深く、熱い呼気を吹き付けた。
雅忠もまた、掌から直に伝わる、昨夜みずからの手で暴き、貪り尽くした肉体の、息を呑むような柔らかさとその熱量に、脳が焼き切れんばかりの衝動を覚えた。かろうじて純潔のままで留め置いたものの、紛れもなく自分の激しい愛撫によって『女の悦び』を覚えさせてしまったのだという狂おしい現実が、罪悪感と共に掌から溢れかえってくる。これは仕立て直しという名の、あまりにも過酷な愛撫だった。雅忠は己の理性をすり潰すようにして、逃げ惑う小さなホックを手探りで噛み合わせ、薄暗い岩陰に引き締まった施錠の音を微かに響かせた。
続いて雅忠が手を伸ばしたのは、足元に落ちていた最高級のレース地キャミソールだった。
大雨の水分だけでなく、二人が貪り合った生々しい熱情の痕跡までをも吸い込んでズシリと重くなったその絹地は、早朝の夜気にさらされて酷く冷え切っている。
(このままでは、殿下の御肌をこれ以上凍えさせてしまう……)
雅忠は苦渋を滲ませながらも、繊細なレースを傷めぬよう、みずからの大きな掌でそっと、しかし極力水分を追い出すようにしてその薄い布地を絞った。完全に絞り切ることなど到底できないが、せめてもの気休めになるようにと、己の体温で少しでも温めるように掌で包んでから、彼女の身体へと滑らせる。
「っ……」
衣服が白皙の肌に触れた瞬間、肌に張り付く凍えるような布地の冷たさに、寛代子が小さく身震いし吐息を漏らした。
雅忠はその華奢な肩へとそっとストラップをかけながら、胸の奥を引き裂かれるような罪悪感に苛まれる。
ほんの数時間前、我を忘れてその白い身体のあちこちに幾度も熱い口づけを落とし、激しく吸い上げていった記憶──。キャミソールの奥に広がる柔肌には、いまや言葉なき不敬の痕跡(きずあと)がびっしりと刻まれているのだ。
キャミソールの匂いだけは大自然の風が綺麗に掻き消してくれた。宮廷の誰も、二人の不敬を嗅ぎつけることはできない。
意識が完全に覚醒しているがゆえに、雅忠の指先が触れるたびに、寛代子は頬を赤く染めて身を縮こまらせ、恥ずかしそうに視線を彷徨わせた。雅忠もまた、己の不敬の生々しさに耳の裏まで血を昇らせながら、必死で事務的な手つきを装った。
その上に重ねるのが、一度乱されればその痕跡が嫌でも残る、実用本位の頑丈なベンタイル地の登山服だった。
水分を含んで重く、強張ったアウターを彼女の身体に羽織らせ、二重の防風フラップを合わせる。何個も並んだ硬いボタンを、雅忠は一つ、また一つと、凍える指で正確に嵌め直していった。
布地を整え、ウエストを絞る強固なベルトを引っ張り、金属の金具をきつく締め直す。足首を固定する泥まみれの紐を、一寸の狂いもなく正確に結び直していく。
その作業を繰り返すたびに、先ほどまで貪り合っていた互いの生々しい肉体の熱と、秘められた最高級の絹の下着が、完璧に登山服の下へと冷酷に閉じ込められていった。
衣服を重ねるたびに、雅忠が狂おしく貪り尽くした主君の肉体の熱と、冷たく湿った下着の感触だけが、誰にも暴かれぬ二人だけの生々しい刻印として、確かに彼女の肌に密着していく。
吹きさらしの岩陰であることが幸いした。雨は上がっていたが、早朝の濃い霧を孕んだ冷たい夜気が、二人の肌から立ち上る残り香を消し去っていた。衣服さえ完璧に整えてしまえば、二人の『不敬』を暴く匂いなど、大自然の空気がすべて無に帰してくれるはずだ。
寛代子は途中から人形のようにじっと動かなくなり、臣下の指が自らの身体の輪郭をなぞり、不敬の証拠を消し去っていくその感触を、ただ静かに見つめていた。
乱れた髪を櫛で梳かし、顔や首筋に残る涙の跡を、肌についた情事の痕跡を、冷たい雨水を含ませた布で完全に拭い去る。
それは、熱情の余韻を完全に圧し殺すための、血を流すような、しかし互いの熱を肌で確かめ合うような共同作業であった。
──朝を迎え、救助隊が到着したとき、そこに佇んでいたのは、足を痛めながらも気高く毅然とした寛代子女王と、それを一分の隙もなく警護する、生真面目な臣下・六条雅忠の姿であった。
「……信じられん。あの嵐の中、この軽装備で、しかも女性を守り一晩持ちこたえたというのか」
駆けつけた救助隊の隊長は、泥にまみれた岩陰の二人を見て、内心で舌を巻いていた。負傷したお忍びの皇族の救助という極秘任務ゆえに詳細な状況は知らされていなかったが、お付きの青年華族──六条雅忠の、一寸の乱れもない油断なき佇まいと、冷徹なまでに張り詰めた双眸に、プロの山岳救助員としての直感で「ただ者ではない」と察した。
隊員たちの手によって、寛代子の腫れ上がった右足首には無機質な白いテーピングが強固に固定されていく。
隊長は彼女の身分を慮りつつ、実務的な進言をした。
「殿下、急性期の腫れです。テーピングを施したとはいえ、この泥濘の山道を自力で歩くのは到底不可能です。即座に担架を用意させますので、これに──」
「お兄様たちの安否を確かめるまでは、私はここを絶対に動きません」
寛代子はそれを冷然としりぞけた。
泥に汚れ、疲弊しているはずのその横顔には、すでに昨夜、岩陰で男の愛撫に狂っていた少女の面影など一寸もなかった。厳然として京極宮家の血を引く皇族の、凛とした、そして付け入る隙のない拒絶。
担架での下山を頑なに拒む彼女の威厳に救助隊員たちが気圧される中、隊長は困惑を隠せず、思わず雅忠へと視線を向けた。いくら高貴な方の御意志とはいえ、男の肩を借りる程度で歩かせては、滑落や再負傷のリスクが高すぎる。プロとしてこれ以上の危険は看過できなかった。
「六条様。……畏れながら、あの御足ではお一人で立つのすら危ういかと。我々が無理にでもお運びしなければ、山を降りることも──」
「懸念はもっともだ」
「では」
「だが殿下は決して筋を曲げられぬお方ぞ」
「しかし……」
寛代子を見やり、大きく溜息をつく雅忠。
「……やむを得ぬ。私が背負っていく」
雅忠の言葉に、救助隊一同は顔を見合わせた。
主君の御身体を背に負うという大不敬。だが、この頑なな姫宮が他人の、それも荒々しい救助隊員の担架や背中を拒むのであれば、気心の知れた、そしてこの修羅場を一晩守り抜いた忠臣の背に頼るのが、身分秩序としても、安全面から見ても最も現実的な妥協案だった。
「……承知いたしました。では六条様、くれぐれも足元にご注意を。我々が前後を固めます」
隊長が納得し、隊員たちに周囲の安全確保を命じて一斉に背を向けた。
「若宮様のもとへ、お連れいたします。殿下、お背中へ」
雅忠は一歩下がり、臣下としての完璧な礼を尽くして、その広く逞しい背中を差し出した。
衣服越しに伝わる寛代子の確かな身体の質量が、ゆっくりと、しかし躊躇なく雅忠の背へと預けられる。彼女の華奢な両腕が雅忠の首回りに回され、その豊かな双丘の重みが、今朝ほど完璧に仕立て直したはずの登山服の生地を挟んで、雅忠の背板へとダイレクトに押し付けられた。
雅忠がその細い腿を大きな手で抱え、ぐっと腰を落として彼女の身体を背中に固定した刹那、雅忠の脳裏に電撃のような戦慄が走る。
周囲を救助隊が囲み、全員の視線が「前方の安全な足元」へと集中しているその死角──まさに、その一瞬の隙だった。
雅忠の首筋にしがみついた寛代子は、己の衣服を完璧に整えさせた主君の特権を行使するように、雅忠の引き締まった耳の輪郭へ、その濡れた小さな舌先をねっとりと触れさせたのだ。
背後から、誰の目にも触れることのない完璧な密室で行われた、あまりにも大胆で、あまりにも残酷な夜の仕返し。
昨夜、自らの耳の最奥を執拗に穿ち、蹂躙し尽くした臣下への、音のない執念の裏返しだった。
(──っ!?)
ピクリと雅忠の首筋の脈が跳ね上がり、全身の血が逆流するほどの不敬の快感と恐怖が彼を襲う。もし、いま少しでも身じろぎすれば、あるいは声を漏らせば、前を歩く救助隊に二人の「大不敬」がすべて露見してしまう。完璧なポーカーフェイスを強制され、背中で彼女の柔らかな重みを受け止めさせられたままの雅忠の耳元で、寛代子は悪戯っぽく、しかし冷徹な主君の声音を、極小の吐息に潜ませた。
「完璧な仕立て直しだったわ、雅忠。……合格よ」
耳たぶをかすめるように囁かれたその言葉は、二人だけのあまりにも不敬で、あまりにも孤独な「秘密の共有」だった。
素早く唇を引いた寛代子は、何事もなかったかのように、雅忠の首筋にそっと顔を伏せ、再び気高く冷然とした「寛代子女王」の仮面を被り直した。
雅忠は、自らの耳に残る彼女の舌の濡れた感触と、衣服の下に隠された最高級の絹地の肌触りを網膜の裏で狂おしく反芻しながら、ただ黙々と一歩、また一歩と泥濘を踏みしめて歩むしかなかった。嵐の去った冷たい朝の光が、二人の完璧な仮面を、残酷なほど白日の下に晒し出していた。
──その、数時間前。
寛代子が漆黒の嵐の中へと飛び出し、雅忠たちがその後を追った、あの後の避難小屋の中では、もう一つの「儀式」が始まろうとしていた。