※この作品はR-18です。

陸仁王物語―異伝―   作:fire-cat

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第4話 宮邸の沈黙と、引き裂かれる兄妹

 北関東の山岳から京極宮邸へと帰還した一行を待っていたのは、大雨の余韻を吹き飛ばすような、張り詰めた、そして冷徹な沈黙だった。

 無事の帰還を祝う空気など、宮邸のどこにも存在しなかった。

 宮邸の家令としての職務をこなす六条雅武(まさたけ)は、帰京した息子・雅忠の顔を見た瞬間、ただごとではない気配を察知した。雅忠の目は血走り、その拳は白くなるほどに握りしめられていたからである。

 その夜、家令の執務室の重い扉が閉められた。

 

「……本当なのか、雅忠」

 

 雅武の低い声が、深夜の室内に響く。

 雅忠は、避難小屋の朝、妹の誓子が自分に見せた、あの弾かれたような過剰な拒絶の有様を、絞り出すように父親に告げた。

 

「間違いありません。誓子のあの怯えよう……あれは、普通の雨宿りで生まれるものではない。若宮様は、あのお方は、我らが幼い頃から忠実にお仕えしてきたことを知りながら……よりによって、妹の純潔を、力ずくで奪われたのです!」

 

 ガタ、と雅武の身体が大きく揺れた。

 実直に、ただ誠実に京極宮家に人生を捧げてきた家令にとって、それは世界の崩壊に等しかった。慶仁を支え、今またその息子の陸仁に仕えてきた。その若宮が、己の愛娘を、密室の闇で手籠めにしたという事実。

 だが、雅武は怒りの向こう側にある、底知れない絶望の深淵を見つめていた。

 相手は国家の根幹をなす皇族であり、次代を担う苛烈な若宮だ。男爵家にすぎない六条家が、どれほど声を大にして叫ぼうとも、宮内省によって「家令の娘の不敬、あるいは狂言」として闇に葬られるのは火を見るより明らかだった。

 

「おのれ……ッ、いかに若宮様とはいえ、このような不埒が許されてたまるか! 誓子はまだ十八にも満たぬのだぞ。宮家に奉職したばかりの、我が家の誇りを!」

 

 そう叫ぶ雅忠の脳裏に、一瞬、嵐の岩陰で自らが剥ぎ取った最高級のレースの感触と、カチリと引き締まった下着のホックの冷たさが過った。あの夜、自らが犯した大不敬。だが、あれは寛代子女王に請われ、彼女を救うために施した「忘却の儀式」であり、無かったはずの幻だ──雅忠は己の胸を焦がす罪悪感を押し流し、臣下としての、そして兄としての純粋な怒りだけを燃え上がらせて机を叩いた。

「雅忠、静かにしろ。……誓子を、すぐに六条の本家へ送る。兄ならある程度は察してくれる。女官の職は病気療養として辞職の手続きをとる。これ以上、あの御方の近くに置いておくわけにはいかん」

 雅武の声は、怒りではなく、深い絶望に震えていた。長年仕えた主君への信頼は、一晩にして、修復不可能なほど粉々に砕け散っていた。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 宮邸の敷地内にある女官用の狭い個室で、誓子は一人、暗闇の中に膝を抱えていた。

 彼女を支配していたのは、身体に残る痛みや唇に残る陸仁の熱い呼気の生々しさだけではなかった。

 

(もし……もし、身籠ってしまっていたら、どうなってしまうのだろう)

 

 それは、十八歳の瑞々しい肉体を持つ女性として、あまりにもリアルで、あまりにも巨大な生物学的恐怖だった。

 あの物置の奥で、陸仁は理性を焼き切られた猛禽そのものの目で、彼女の細い腰を強引に抱きすくめ、その肉体を容赦なく貪り尽くした。そこに、普段の怜悧な若宮の自制などひとかけらもなかった。

 危険な日ではなかったとはいえ、もし、万が一にも自分の胎内に、京極宮の血が宿ってしまっていたら。

 それは男爵家である六条家の破滅を意味する。宮内省の大人たちが「不貞の小娘」として自分を冷酷に裁き、父や兄の首を刎ねるように社会的に抹殺する凄惨な未来が、容易に想像できた。

 毎月のものが、予定通りに訪れるかどうか。それだけが、今の彼女の生死を分ける境界線だった。

 

 一歩、足音が廊下に響くたびに、誓子の身体はビクリと強硬に強張る。

 

 

 翌朝、公務のために回ってきた書類を陸仁の前に差し出す際、彼女の指先は微かに震えていた。

 

「若宮様、こちらが本日の、宮内省からの伝達事項でございます」

 

 いつものように端正で冷徹な、しかしどこか物憂げな瞳で自分を見つめてくる二十一歳の主君。

 陸仁は、あの夜、誓子が死に物狂いで前歯を突き立てた己の親指の付け根──そこにかすかに残る、衣服では隠しきれない小さな傷跡を、わざとらしく誓子の目の前で弄んでみせた。

 そして、あの朝に雅忠が煤を払おうとした彼女の首元のあたりへと、酷薄なまでの独占欲を孕んだ視線をゆっくりと這わせる。

 

「……苦労をかけるな、誓子。昨夜はよく眠れたか?」

「は、はい……。ありがたき幸せに存じます」

 

 その漆黒の瞳の奥に宿る、隠されもしない酷薄なまでの独占欲とすべてを見透かしたような笑みを見るたびに、誓子の心臓は恐怖で早鐘を打った。













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