それから数日後の事だった。
数日先のドッジボールの話題に興じていた5人の屯するサロンの重厚なマホガニーの扉が、静かに開いた。
「みんな、ここにいたのね」
静かな足音とともにサロンの重厚な扉が開き、寛奈が顔を覗かせた。そのすぐ後ろには、影のように照仁が控えている。さらには法仁まで、どこか神妙な持ち顔で続いて入ってきた。
「……ッ!?」
一瞬で、サロンの空気が凍りついた。
姿を現したのは寛奈だった。そのすぐ後ろには、影のように照仁が従っている。19歳という若さにしてすでに漂う絶対的な威厳と、冷徹なまでに整った美貌。しかしその瞳は、寛奈の細い腰や華奢な肩へ絶え間なく注がれ、寸分の隙もない保護と甘い執着を色濃く滲ませていた。
「──ひっ……! 」
5人の背筋に、氷水を浴びせられたような激痛が走った。
寛奈の雰囲気に、見逃しようのない変化があった。どこか柔らかく、それでいて肌の奥から匂い立つような秘めやかな艶。
(あの艶は……間違いない、あっちの世界と同じ……ッ!)
山小屋で照仁を極限まで煽り倒して足腰を立たなくさせられ、戻った宮邸でも性懲りもなく煽り重ねて完全に一線を越えさせられた──そんな真実など、5人が知る由もない。
貴美の背筋を冷や汗が伝う。
そして寛奈の隣に立つ照仁の視線が、ふっと自分たちに向けられた瞬間、5人の膝が同時にガクガクと震え出した。
朝、鏡を見るたびに太ももの付け根や胸元に残る内出血の痕跡。あの平行世界で、二十代前半の照仁と十代後半の法仁によって与えられ続けた蹂躙と甘美な服従の感触が、目の前の「本物」の威圧感と完全に重なり合う。
5人の太ももが勝手に震え、着ている制服の布地を内側から擦り合わせる。
「……照仁様。それに法仁様まで」
霧葉が声の震えを必死に抑えて立ち上がろうとしたが、腰に力が入らない。照仁がただそこに立って自分たちを見下ろしているだけで、背筋を這い上がるような熱気と、あの手際よく服を剥ぎ取られた記憶が皮膚を焼き焦がす。
「立ち上がらなくていい」
照仁の低く落ち着いた声がサロンの空気を払った。彼は寛奈の細い肩に自然な手つきで手を添えると、5人を順番に見つめた。
照仁の視線が、5人の青ざめた肌、冷や汗に濡れた額、そして何かに脅えるように小さく震える肩へと落ちる。
寛奈の隣で、照仁の鋭い双眸がわずかに細められ、その眼差しは、哀憐と、そして静謐な怒りを孕んでいた。
「寛奈から話は聞いている。……ここ一週間ほど、君たちの様子が明らかに異常だったとね」
5人の心臓が跳ね上がった。
(異常……? 私たちが、あの世界の記憶に狂わされていることがバレた……!?)
「何か……恐ろしいものに怯えているようだ、と。着替えの最中には寛奈からひどい痣や傷を気にして顔を真っ赤にしていると聞いている。寛奈に尋ねたが、ここ最近それほどひどい痣が付くような運動や行事は無かったと聞いている」
一週間ほど前から、婚約者である寛奈の大切な友人たちの様子が明らかに狂い始めていた。登校することすら怯え、不自然に肌を隠し、誰かの影に怯えるように挙動を不審にさせている。
彼女たちの保護者から相談を受けた際も、理由を尋ねて誰も口を開かないと頭を抱えていた。ならば考えられる可能性は、限られていた。
不埒な輩の手による薬物の投与か。
純潔を汚されたか脅かされたような卑劣な犯罪か。
あるいは、それらを画像や映像に収められ、口封じのために脅迫されているのか。
(私の大切な寛奈の周りで……このような卑劣な真似を企む虫ケラがいるとは)
照仁の胸中で、静かな、しかし氷のように冷たい怒りが渦を巻いた。
社会の規範となる皇族として、寛奈の平穏を守る者として、照仁はこの事態を看過するつもりなど毛頭なかった。
照仁は一歩、前へ踏み出した。
それだけで、5人は「囲い込みが始まる」と誤認し、悲鳴すら上げられずに固まる。
「安心するといい。君たちがどれほどの恐怖に耐えてきたのかは分からん。だが、これ以上、不法な脅迫者の影に怯える必要はない」
照仁の低く響く声には、一切の揺らぎがなかった。
「すでに君たちの保護者には話を通し、手配を完了させた」
「……保護、者……?」
香織が掠れた声で漏らす。
「そうだ。これ以上、君たちを危険に晒させるわけにはいかない。君たち5人を、正式に宮家で寛奈付女官として雇い入れる手配を完了した。学業に関しても通信課程へと切り替え、この宮邸内で寛奈と共に履修させる。ここならば、外部の犯罪者の手は絶対に届かない。ご両親も涙を流して同意してくださったよ」
──がたり、と誰かの膝が崩れる音がした。
女官。
寛奈付の女官。
通信課程による完全な社会からの隔離。
それはつまり──この宮邸に、四六時中閉じ込められるということ。
(女官……兼……『秘密の情人』エンド………………!?)
5人の頭の中で、あの世界の照仁が浮かべた冷酷で甘美な笑みがフラッシュバックする。「逃げられると思うな」と囁かれ、5人まとめて同じ部屋で愛玩として貪られたあの悪夢──。
表向きは「女官」。しかしその実態は、宮邸の奥深くに幽閉され、逃げ場を奪われたまま夜ごと男たちの情欲に晒される悪夢の日々。
(逃げられない……! ごまかしたつもりが、自分から檻の中に飛び込んでしまったの……!?)
貴美の目からぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。霧葉は青ざめた唇を震わせ、里緒は言葉を完全に失って絶望に瞳を揺らした。実家の部屋をダンボール三箱分に整理したあの準備は予知だったのだと。5人の顔に浮かんだのは、救済への感謝などではなく、この世の終わりを迎えた者の完璧な絶望だった。
だが、照仁にはその絶望の意味がまったく正しく伝わらなかった。
(……これほどまでに怯えているとは。犯人は、彼女たちにどれほどの恐怖を植え付けたのだ)
5人の引きつった顔、絶望に濡れた瞳、震える唇。それら全てを、照仁は自分たちを救おうとする宮家すら信じ切れぬほど、卑劣な脅迫者に深く傷つけられた証拠だと受け止めた。
照仁の胸中で、静かな怒りが鬱積していく。
婚約者である寛奈が信頼する古くからの親友たちを、ここまでボロボロに破壊した正体不明の犯人。
その顔も知れぬ卑劣漢に対し、照仁の瞳に冷徹な殺意が宿った。
「あの……照仁様……っ。私たち、本当に脅迫なんて……」
歌乃が擦り切れそうな声で絞り出そうとするが、照仁は静かに、しかし絶対に反論を許さぬ口調で言葉を遮った。
「無理をして隠さなくていい。君たちが口を開けないほど恐ろしい目に遭ったことは、その姿が証明している。……悪いのは君たちではなく、君たちの尊厳を汚した脅迫者だ」
絶望に満ちた彼女たちの表情を見て、照仁は確信した。
(ここまで追い詰められているのか。……どれほど凄惨な脅迫を受けているというのだ)
5人が浮かべる恐怖の色彩を、照仁は「卑劣な暗躍者に脅かされている証拠」と完璧に誤認した。婚約者の友人をここまで精神的に破壊し、いたぶっている顔も見えぬ脅迫者に対し、照仁の胸中で静かに、殺意に近い怒りが再度燃え上がる。
「心配はいらない」
照仁は寛奈の肩を抱き寄せ、冷酷なまでに美しい笑みをその唇に浮かべた。
「君たちをそのような目に遭わせた元凶は、私が責任を持って必ず突き止め、二度と日の目を見られぬよう徹底的に叩き潰す。……だから、安心して宮邸に身を委ねるといい」
『逃がさない』と言わんばかりの圧倒的な庇護の言葉。
それが5人にとっては「一生ここから出さない」という終身刑の宣告にしか聞こえない。
「あ……あ……」
言葉にならない悲鳴を飲み込みながら、5人は互いの手を手繰り寄せ、固く握りしめ合うことしかできなかった。
法仁もまた真摯な心配と温かな励ましを込めた微笑みを向けた。
「お姉様方。事情は兄さまから伺いました。……明後日の海のドッジボール、楽しみにしていましたけどそれどころではなかったのですね。今までそんな恐ろしい思いをされていたなんて知らなくて、ごめんなさい。でも、ここなら安心です。私もしっかりお姉様方をお守りしますから、宮邸で一緒に頑張りましょうね」
悪意など微塵もない、純粋な思いやりに満ちた笑顔。しかし今の5人には「昼は女官、夜は兄弟揃っての玩具」という凄絶な未来の予告にしか聞こえない。
まともな倫理観のもと、純粋な正義感と過保護さで友人を匿おうとする照仁。
「今日から君たちの荷物を順次、宮邸の西翼へ運び込ませる。……ゆっくり休むといい」
バタン、と重厚な木製ドアが閉まる音。それがまるで、自分たちの人生の檻が施錠された音のように聞こえた。
静まり返ったサロンで、5人はお互いの顔を見合わせた。
どこにも「犯人」などいない。薬を打たれた事実も、写真等で脅されている事実もない。ただ自分たちが、別の世界の淫靡な記憶(と本人たちが意識していない蹂躙された経験)に怯えていただけなのだ。
だが、その理由を正直に話せば──「異世界の記憶で照仁様と法仁様に淫らに調教されたと思い込んでパニックになっていました」などと本当のことを言えば、狂人として精神病院へ送られるか、あるいは別の意味で二度と外に出してもらえなくなる。
「……ねえ」
香織が、魂の抜けたような声で呟いた。
「……通信課程の教科書と……ドッジボールの運動靴……宮邸に届くように注文しておこうか……」
マカイバリ茶園の甘い香りが漂うサロンに、勘違いという名の深すぎる泥沼が、静かに、そして完璧に完成していた。
後書き代わりの座談会
香織
ねえみんな……! 恵梨子ちゃんから『観察日記⑤』の次回作として送られてきた『⑥』の原稿、読み終わった……? 提案なんだけど、ちょっと一旦紅茶飲んで深呼吸しない? 私、読み終わった瞬間に眩暈がして倒れそうになったんだけど!
歌乃
あははは! 香織ちゃん顔色真っ青よ! でも分かるわ〜! 前回『⑤』の時は『浜辺変』を先に読んじゃって勝手に悲鳴上げてたけど、今回の『⑥』はまた別のベクトルで恐怖と腹筋が崩壊する怪文書だったわね!
貴美
ちょっと歌乃、笑い事じゃないわよ……! 今回の『⑥』、作中世界の展開が悲惨すぎるでしょう!? 前作で『13歳の法仁様の言葉はただのビーチドッジボールの復讐宣言だった』って胸を撫で下ろしたばかりなのに、作中の私たち、またしても勝手に『女官兼・秘密の情人エンド』って絶望して自分で自分の首を絞めてるじゃないのよ!
霧葉
ふふ、実に興味深い『すれ違いの構造』ね。作中世界の状況を論理的に整理してみましょうか。作中の寛奈は17歳で、19歳の照仁様に従われて宮邸通信教育を受けさせられている。そして作中の私たちは、前々作あたりで『色々開発された別世界(法仁様18歳・照仁様23歳)』から心身が作中世界(法仁様13歳・照仁様19歳)に飛ばされてきたわけでしょう?
里緒
そうですわね! 作中の私たちは、あの開発されつくした別世界で二十代前半の照仁様や十代後半の法仁様に散々蹂躙された凄惨で甘美な記憶と、身体に残った痕跡を抱えたまま、この17歳の平和な作中世界に放り出されてしまった……。だから目の前の『本物』の19歳の照仁様と13歳の法仁様を見ただけで、トラウマがフラッシュバックして膝ガクガクさせちゃってるんですよ!
香織
そう! それなのに! 作中の19歳の照仁様がまた無駄に正義感と過保護の塊だから『一週間ほど様子が異常だ。不審な痕跡がある』って気づいちゃって!『卑劣な犯罪者に薬物投与されたか、純潔を汚されて脅迫されているに違いない!』って1000%の善意と勘違いで大激怒してるのがもう、痛快を通り越して地獄絵図なのよ!
歌乃
照仁様としては『大切な寛奈の親友たちを陰で脅かす悪質な犯人から守るため』に、超迅速な手配で両親を説得して、私たち5人を『寛奈付女官』として宮邸に引き取って通信課程に切り替えさせたわけよね。照仁様の胸中では『犯人は絶対に逃がさん、二度と日の目を見られぬよう叩き潰す』って冷酷な殺意を燃やしているという……。
貴美
なのに作中の私たちは『きゃあーっ! 女官兼・秘密の情人エンドよーっ! 四六時中宮邸の奥深くに幽閉されて、昼は女官で夜は兄弟揃っての玩具にされるーっ!』って勝手に解釈して白目剥いて絶望してるの! 理由を聞かれても『異世界の記憶で18歳の法仁様と24歳の照仁様にイジめられた記憶でパニックになってました』なんて言ったら精神病院送りだから本当のことも言えなくて! 詰んでる! 完全に詰んでるわ作中の私たち!
里緒
あの、作中の13歳の法仁様の『お姉様方、ここなら安心です。私もしっかりお守りしますから宮邸で一緒に頑張りましょうね』っていう純粋無垢な笑顔のシーン……あんなに爽やかな善意の笑顔なのに、作中の私たちにとっては『昼は女官、夜は兄弟揃っての玩具』という終身刑の宣告にしか聞こえていないのが悲しすぎますわ……。
霧葉
しかも秀逸なのは、照仁様が絶望してボロボロ泣いている5人の顔を見て『これほどまでに追い詰められているとは……どれほど凄惨な脅迫を受けているのだ』って、さらに勘違いを深めて殺意を燃やしているところよ。存在しない犯人を追って国家権力レベルの捜査網が動き出そうとしている。完全なる誤解の永久機関が完成しているわ。
香織
本当によ! 最後に香織(作中)が魂の抜けた顔で『通信課程の教科書と……ドッジボールの運動靴……宮邸に届くように注文しておこうか……』って呟くところで私、お腹痛くなるまで笑っちゃったわよ! 絶望の極致で届くのがドッジボールの靴って何なのよ!
歌乃
あははは!『逃げられないならせめて宮邸の中で生き抜くしかない』っていう、あまりにも明当外れな腹の括り方が最高に愛おしいわね! でもさ、改めて冷静に考えると……私たちって本当によかったわよね?
貴美
え? どういうこと歌乃?
歌乃
だって、現実の私たちは至って健康で健快な17歳の華族令嬢で、異世界の記憶も無ければ、13歳の法仁様や19歳の照仁様に追い詰められて宮邸に幽閉される予定も全くないんですもの! 恵梨子ちゃんの描く小説の中の私たちが勝手に『開発された別世界』からトリップして自爆しまくっているだけだから!
里緒
本当ですわね……。もし現実の私たちが作中世界みたいに17歳で宮邸の西翼に隔離されて、13歳の中学生の法仁様や19歳の照仁様に過保護に監禁……じゃなくて保護されたら、もう学校にも通えなくなってしまいますもの。現実のお茶会でこうして優雅にマカイバリのシルバーニードルズを飲める平和さが、どれほど尊いか身にしみますわ
霧葉
ええ。現実世界の年齢関係を再確認しておくと、私たちは17歳で、作中世界での法仁様は13歳、照仁様は19歳、普仁様は10歳。作中世界の17歳の時点でのこの『善意の保護という名の大誤解監禁』は、恵梨子ちゃんのコメディセンスの極致と言えるわね
香織
本当よ! 存在しない犯人を探して怒りを燃やす19歳の照仁様と、純粋に保護できたと喜ぶ13歳の法仁様。そして『終わった……私たちの人生、ここで一生終身刑だわ……』って涙目になりながらドッジボールの靴をネット注文する17歳の私たち……。恵梨子ちゃんの観察日記、回を追うごとにすれ違いのスケールが大きくなりすぎてて怖いわ!
貴美
ふふ、でも次の『⑦』がどうなるのか、ちょっと気になっちゃうわね。果たして照仁様は『存在しない犯人』をいつまで追い続けるのか、そして宮邸に運び込まれたダンボール箱と共に始まる『女官生活』がどう描かれるのか……。
歌乃
次回作も楽しみね! 今度はどんな『過剰自爆』を見せてくれるのかしら! さ、怖くておかしい原稿も読み終えたことだし、スコーンのおかわりをもらいましょうか!
里緒
賛成ですわ! 私たちの現実は、どこまでも平和で安全なのですから!
(甘く爽やかな香りが漂うサロンに、現実の17歳令嬢たちの健やかな笑い声がいつまでも響き渡っていた)