珍しく仕事のために家から出ることが必要になり、1日家を開けた日の帰り。久々に出社した所為もあってか、飲み行こうと誘う同僚をあしらって帰宅し、玄関を開けると、独特の臭気が鼻を突いた。
初めて嗅いだときはこれを悪臭と断ずることしかできず、これをなくす為に様々な努力を重ねたものだが、今となってはこの匂いを嗅ぐだけで体が食事の準備を始める。
玄関の扉を閉めると、大きな音がエントランスに響き、それを聞いて誰かがこちらへ駆けてくる音がする。
「おかえりなさいませ!」
廊下からこちらへ顔を出し、エリーが弾んだ声を響かせる。食事の用意をしていたのだろう。以前買い与えた紅色のエプロンをしている。
「ただいま。」
返事をしつつ、エントランスの階段を上がる。2階にある仕事用の部屋に向かい、鞄とコートを置く。そのまま今度は1階へ降り、私室で私服に着替える。
着替えが終わってからダイニングルームへ向かうと、既に食事の用意が整えられており、座って待っていたエリーが立ち上がり、私の座る椅子を引く。
食卓に並べられた今日の献立はホワイトシチューだ。
エリーは我が家のシェフにレシピを聞きながら料理の練習をしている。そうして習得した料理を、私に対してこうして振る舞うのが、最近の夕食だった。もはやシェフは我が家において料理の先生になりつつある。
現状特にエリーに対して料理のリクエストはしていない。それ故か、出て来る料理はどれも彼女がスラムで作ったことのある料理のレシピを改修したもののようだ。
その為か、調理法のレパートリーはさして多くなく、焼くか、煮るかの2択になる。とは言え、材料が豊富なこの家であれば、それでもかなり多様な味付けには出来るようで、事実この2月の食事は概ね楽しいものだった。
「これ、うちの子達の間では、結構人気だったんですよ。牛乳が良い臭み消しになるので、みんな美味しく食べられるから。」
その言葉に軽く頷いてから、挨拶をして食事を始める。味は、普通のホワイトシチューと大差ない。エリーの説明通り、牛乳が臭みを消す上、煮込み料理は煮込む時間を増やせば肉の硬さを軽減することが出来る。実際、彼女が作る肉料理のレパートリーは、先述の2択の中でも煮込み料理に偏っていたと、シェフが話していた。
彼女がスラムで作っていた料理は、結局生きるために必要なものであり、私のように道楽のためではない。貴重な肉を、1人でも多くの子供が抵抗なく口にできるようにという努力が、彼女の料理からは見えた。
「やはり、物足りませんか?」
特に料理について何も言わずに食べる私を見て、外食の際、普通の食事をしているときの私と結びつけたのだろう。エリーが尋ねる。
「確かに、満足だと言えば嘘になってしまうが、しかし感心はしている。よくこれだけ人の肉を食べやすく調理できるものだな。」
そもそも、今が私に取っては調理の真っ最中であることを考えれば、食事が味気ないことなど特に問題ではない。そういう期待感の上では、彼女の作る料理の、ある意味での凄さや、稀にやってくるクセの強い料理等の楽しみがあるだけ、この2ヶ月間、私の食事が楽しいというのは、嘘偽り無い感想だ。
「ええまぁ、お肉は貴重品でしたから、匂いや味で嫌がってしまうと勿体無かったですし、数少ないお肉を食べる機会が、嫌なものになってしまうのは悲しかったので。」
言いながら、シチューを口に運び、顔を綻ばせる。
この2ヶ月、エリーと生活をしてわかったことがある。
1つ。人肉を食べることを行い始めたのはエリーであること。
2つ。彼女自身は、人肉を食べることを楽しんでおり、その楽しみを広めるためにスラムで人肉食を広めていたこと。
3つ。彼女のいたスラムは近場に海があったため、タンパク源はもっぱら魚であったこと。
つまり彼女は、育てるまでもなく私の同類であった。どうも殺人こそ犯していないものの、それに近いことはしていたらしい。例えば、助けられた人を見捨てて、その肉を得る等、かなり危ない橋も渡っている。
尤も、彼女曰くスラムで食べていた肉はあまり質が良くなく、決して美味しい物ではなかったらしい。彼女にとっては、手に入る肉がそれだったというだけの話なのかもしれない。屋敷に来てからは、質の良い肉を手に入れられるので、美味しさ2倍だそうだ。
そのうち、また私好みの食事に連れ出そうとも思うが、1つの迷いもある。
同類を食べるということを目的とするなら、既にその目的は達成されてしまっている。ならば、それこそ明日にでも彼女を殺すことが、当初の計画ではなかったのだろうか。私は、今のこの日常を楽しんでしまっている。
あるいは、あまりにもあっさりと達成された目標の所為で、肩透かしを食らったような感覚になり、いつものような達成感を味わえていないのだろうか。
最近、食事の度に頭をめぐる考えに、結局今日も結論を出せずに食事を終え、エリーに礼を言う。
「今度、また食事に出かけよう。私の友人になかなか面白い食べ方をする奴がいる。」
席を立ち、片付けを始めたエリーにかけた誘いに、彼女は顔を輝かせ、はしゃいだ。
もう少し、食の好みを私に寄せよう。滅多にない機会だ、納得の行くまで育てればいい。