ロマーニャ王国 宮廷 女王の私室
「女王ちゃん大丈夫だった?」ルッキーニが心配そうに話しかける。隣にはシャーリーが立っている。
「先日、ミーナ総統と坂本少佐がいらっしゃいました。オラーシャが周辺諸国に侵攻しているとのこと。そして欧州がひとつになり、これに当たらねばならぬということ。ロマーニャはこの提案に全面的に賛成いたしました。私としても混乱は望みませんが、これ以上オラーシャの侵略を許す訳にはいきません。」ロマーニャ女王は淡々と話す。
「スオムスへ救援の艦隊を送ったそうですね。」シャーリーが女王に尋ねた。
「はい。ロマーニャ最強の艦隊です。きっとオラーシャ軍を撃退してくれるでしょう。」女王はうなずき答えた。
「ねぇ、しゃーりー。アタシたちも行こうよ。ストライカーを使えばすぐに追いつけるよ。」ルッキーニはめずらしく真剣な表情だ。
「いえ、シャーリーさんはリベリオン空軍の方です。ロマーニャの軍事作戦に同行させる訳にはまいりません。」女王が止めた。
「それなんですけどね。女王様。実は私、もうリベリオンの軍人じゃないんですよ。」
シャーリーは頭をかきながら言った。
リベリオン合衆国。そこは星型の大陸。欧州から大西洋を挟んだ場所に位置する。自由の国と言われるが、人種の差別は激しい。欧州に比べネウロイの被害は比較的少ない。ネウロイ撃退の為に主に軍需物資や資源の提供などで世界に貢献してきた国である。世界の食料庫としてもとしても有名で広大な農地が広がる。
五〇一解散後シャーリーはリベリオンに帰ってきていた。ネウロイがいない以上もはや自分が軍隊にいる必要はないと感じていた。最近リベリオンでは国の防衛はウィッチたちではなく近代兵器によるものが主流になりつつあった。以前は空母や戦闘機などで扶桑に遅れをとっていたが、現在はその差はほとんどなくなっている。ネウロイ撃退に多大な功績のあるシャーリーだったが、リベリオン軍に居場所はなかった。だが、そんなことを気にするシャーリーでもなく日夜ストライカーユニットの改造とスピードの探求に明け暮れていた。それでいいと思ってた。
ある日、新型の戦闘機の試験飛行があるというので、シャーリーは見学に行く。かなりのスピードが出るという噂だ。「ま、あたしにはかなわないけどな。」だが、シャーリーは思い知る。その戦闘機は軽々とマッハを越えたのだ。シャーリーのショックは計り知れなかった。シャーリーはその足で軍を除隊し、ガレージに閉じこもる日々が続いた。機械音が鳴り響いていた。
そんな生活を送っていたシャーリーだったが、ある日不穏な噂を耳にする。
「原子力爆弾だと?」
リベリオンは世界で初めての原爆の実験に成功した。ネウロイという絶対的な脅威の去った今、次の脅威は高い科学力を誇るカールスラントや強力な海軍を有する扶桑だった。リベリオンの力を世界に知らしめる。そんな野望を抱いていた。
リベリオンに失望したシャーリーは、ルッキーニを頼りロマーニャへ渡る。
「原爆の実験の話は私の耳にも入っています。」女王陛下は苦々しい顔でうつむいた。
「どんなものかは想像がつかないが、実験をした島が完全に消えたらしい。」シャーリーは険しい表情だ。
「しゃーりぃ……」ルッキーニが心配そうな顔でシャーリーを見上げた。
シャーリーはルッキーニの頭を撫でながら、二カッと笑った。
「それで女王様。私は今無職なんですよ。ロマーニャ軍で雇ってもらえませんかね?」
「あなたに来て頂けるなら、これほど心強いことはありません。是非お願いします。ロマーニャの……いえ、欧州の危機を救う為にも。」女王陛下はシャーリーの手を握り見つめた。
シャーリーは少し目を潤ませ、静かに頭を下げた。
「いくぞ。ルッキーニ。」
「あい。」
二人はストライカーユニットを装着し、大空へ舞い上がった。ロマーニャ海軍を追って北西へ進む。
二人がブリタニア近海を通り過ぎようとした時、ルッキーニが妙な物を見つけた。
「シャーリー?あれ何だろう。」
「あれは……。旗?」シャーリーが目を凝らす。
「ロマーニャ海軍の旗だ。」ルッーキーニが驚いて海に浮かぶロマーニャ海軍旗に近づいた。シャーリーもそれに続いた。
「何だよ……これ。」シャーリーが唖然として海面を見つめた。
「船が……ロマーニャ海軍の船が……」ルッキーニはわなわなと震え目を伏せた。
沈んでいた。ロマーニャの戦艦一隻、巡洋艦四隻、駆逐艦八隻が無残な姿で海に浮かんでいた。おびただしい砲弾の跡は戦闘の激しさを物語っていた。
「艦長は? 乗組員は? いないのか? 誰も? ひとりも?」シャーリーは残骸となった船の周りを飛ぶ。しかし人の気配はまるでなかった。
「シャーリー……。オラーシャが、オラーシャ軍がやったの?」
「いや。それは考えづらいな。地理的にあいつらがここまで艦隊を送れるとは思えない。」
「空からとか……ネウロイが……」
「ネウロイなら可能だろうが……。あいつらはもう全滅したはず。巣は世界のどこにもない。」
「シャーリー!あれ見て!」ルッキーニが指差す。
「な……まさか……なんで……」シャーリーが震えた。
ルッキーニの指先の彼方に見えたのは艦隊だった。遠目にも百隻以上はいた。やつらは悠々とブリタニアに引き上げて行く。
「海軍旗が見えるぞ。」
「ブリタニアだね……シャーリー。」
確かにブリタニア政府はカールスラントのオラーシャ包囲網に難色を示していた。ロマーニャはそれに賛成している。だが、それだけの理由でスオムス救出に向かうロマーニャ軍を壊滅させるだろうか。ブリタニアの行為はシャーリーに疑問を抱かせる。しかしこのままでは済むまい。これでブリタニアは第三国ではなくなった。完全にロマーニャの敵になったのだ。
「ルッキーニ、とりあえず、あたし達はロマーニャへ引き上げよう。」
「スオムスは放っておいていいの?」
「こうなっては、仕方ない。女王陛下に報告して、今後の展開を考えないとな。」
「わかった。」ルッキーニが頷く。
二人は踵を返してロマーニャ海軍の凄惨なる戦場から引き上げていった。
カールスラント司令本部 休憩室
あ、こんばんは。宮藤芳佳です。私を中心に物語は進むと思ってたんですが、私の出番やたら少ないですね。私が主人公なんですよね? え? 何の話をしてるのかって? ナイショですよ。
私は休憩室の木でできた長椅子に座り、窓の外を眺めていた。外はもう真っ暗だ。ミーナ総統たちは作戦会議室でずっと会議中。もう四時間は経つ。そろそろお尻が痛い。
私は立ち上がりラジオ体操を始めた。「おいっちにー、さんしー。」動きに熱が入り、徐々に本気になって動き出す。
「うぉりゃぁー、たりゃぁー。」
ギィっとドアの開く音。眼鏡をかけたハルトマンさんが入ってきた。私は腕を水平に、足はがに股の状態で、二人の時間は三秒ほど止まった。
「コーヒー……。お持ちしました。」
「え?あ、はい……どうも……」
いつも間違う。ほんとそっくり。双子だから当たり前か。ウルスラ・ハルトマンさん。
「秋とはいえ、カールスラントは寒いと思って……。ストーブに火を入れますね。」
私に気を使ってくれたのだろう。ウルスラさんはコーヒーを私に差し出し、休憩室の中央に設置された、ストーブに火を点した。
コーヒーの香りと油の臭い。暖かい空気が私を包んだ。
「ありがとうございます。」私は小さく頭を下げ、コーヒーに口をつけた。ほのかに甘くて、苦かった。ウルスラさんが微笑んだように見えた。
「みぃーやぁふじぃー。会議が終わったよー。」
眼鏡をかけていない方のハルトマンさんが休憩室に入ってきた。その後ろから、バルクホルンさんとミーナ総統も入ってくる。
「宮藤さん。ずいぶんと待たせてしまってごめんなさいね。」
ミーナ総統は疲れた表情でこちらを見た。
「まったく、あいつら説き伏せるのに苦労したよ。」バルクホルンさんが腕を前で組んだまま言った。
「意見がまとまらなかったんですか?」私がそう尋ねると
「ええ。専守防衛派が以外に多てね。」ミーナ総統がため息をもらす。
「最後はぶちきれたトゥルーデの脅迫で、全員黙っちゃったけどね。」ハルトマンさんが楽しそうに話す。あ、眼鏡をかけていない方の……、ってもういいか。
「とにかく、カールスラントの方針は決まりました。」ミーナ総統が国を守る者の目になった。
「スオムスの救援は当然行います。オラーシャをこれ以上増長させる訳にはいきません。」ミーナ総統はそう言い、ハルトマンさんの方に顔を向けて、「ハルトマンは護衛を二機率いてスオムスへ向います。その後を陸軍歩兵一万と戦車部隊が追います。」ハルトマンさんが頷く。
「あの、私は……」私がそう言うとミーナ総統は
「宮藤さんは、軍医としてハルトマンに同行してください。」
「は、はいっ」
「トゥルーデは、カールスラントの国境にいるオラーシャ軍の掃討。そしてヴェネツィアの国境に迫っているオラーシャ軍はハイデマリーに行ってもらいます。」
「宮藤……。無理はするなよ。」バルクホルンさんが心配そうに私を見つめる。その瞳はすごく儚げで、なんかこう、私好みだった。ちょっと興奮した。
「あ、そうだ。」私は自分の少ない荷物の中をあさった。
「あった。」小さなお守り。以前へんな神主さんにもらったものだ。安産祈願と書いてるが、まぁ、問題ないだろう。バルクホルンさんを守ってください。そう願いを込めてお守りに癒しの魔力を送り込んだ。
「バルクホルンさん、これ持っていてください。きっと守ってくれます。」
「これは……扶桑のお守りだな。私はそんなまじないなど信用しないのだが。」
バルクホルンさんは、お守りの端をつかんで言った。
私がちょっと目を潤ませるとバルクホルンさんはあわてて、
「だが、お前がくれるというのなら話は別だ。一生大事にする。」顔は真っ赤、鼻息を荒くしてお守りを自分の首にかけた。
「出発は明朝〇六〇〇時、みんなよろしく頼むわね。」ミーナ総統が言った。
「了解!」私達は五〇一にいた頃のように元気に返事をした。
その夜。私とハルトマンさんは同じ部屋で寝ることになった。シングルベッドがひとつと小さな丸テーブルに椅子が二つ。飾り気の無い簡素な部屋だった。普通の兵士は大部屋で雑魚寝らしいが、ハルトマンさんは将校なのでこれでもいい方の部屋らしい。べっ別に豪華な部屋を想像していた訳じゃないからね!
二人でひとつの毛布にくるまり、ハルトマンさんの体温を感じた。ハルトマンさんはぎゅっと私を抱きしめる。私はちょっと興奮した。でもすぐに冷めた。
何でかって?
ハルトマンさんは震えていた。ぷるぷると子犬のように。こんなハルトマンさんを見るのは初めてだった。ネウロイと戦っていた頃もこんな感じだったのかな。これはこれで悪くはないけどね。
「宮藤、おかしいかい? あたしだってこんなの初めてだよ。怖いんだ。」
私もハルトマンさんを抱きしめる。金色の髪の毛に顔をうずめた。
「ネウロイがいなくなって、もう大丈夫だと思ってた。もう大事な人を危険な目に合わせないで済むって思ってた。」
「ハルトマンさん…」
「宮藤……しばらくこうしてていい?眠るまで。」
「は、はい。ハルトマンさん。」
私はきゅっとハルトマンさんの体を抱きしめた。
「ぐごー。」
寝るのはえーよ……
朝になった。出撃の朝だ。私は顔を洗って身支度を整える。
私はベッドに目を向ける。きれいに毛布が折りたたまれていた。ハルトマンさんの姿は無い。てっきり全然起きなくて、バルクホルンさんが怒鳴りながら起こしに来るものだと思っていたんだけど。楽しみにしてたんだけど。私は夕べのことを思い出しておしいことをしたと思った。
「おはようございます。」私は挨拶しながらドアを開ける。
指令本部の一階にある食堂。ハルトマンさんとバルクホルンさんが何か話し合っている。ハルトマンさんがぎゅっとバルクホルンさんの手を握り真剣な目でバルクホルンさんを見つめる。バルクホルンさんはコクリと頷いた。
「絶対にムリしちゃだめだかんね。」
「わかってる。お前やクリスを悲しませるようなことはしない。」
「うん。絶対だよ。」
私は二人に声をかけず、食堂の端の席に座り、朝食を済ませた。
誰も死なせない。
「出撃!」一斉にカールスラントのウィッチ達が飛び立つ。あと、わ・た・し。
その後を戦車部隊、歩兵部隊が追う。ウィッチ達は偵察の役目もある。後ろから来る部隊の為に道を切り開く。
ハルトマンさんくらいになると、ひとりで一万の軍に匹敵するとか。怖い怖い。とにかく私はハルトマンさんの盾になり、スオムスへ行く。スオムスの人たちがようやく手に入れた幸せを壊させないために。
私達は北西へ飛ぶ。雪がちらついた。
「急がないとな。完全に冬になってしまうと地上での行軍が難しくなる。」
「寒いのみんないやですもんね。」私は真面目な顔で応えた。
「いや……そういうことじゃなくて……。まぁいいや。」ハルトマンさんが笑顔を見せた。そうですよ。その笑顔がハルトマンさんですよ。すごくかわいいです。
私達はスオムスとオラーシャの国境にたどり着いた。特に途中に妨害もなかった。
「おかしいな。人の気配がしないぞ。もうオラーシャ軍は引き上げたのか?」ハルトマンさんは首をひねる。
更に雪の舞うスオムスを中心部に向かって進む。途中に発見したものは破壊された戦車や墜落した戦闘機。生存者がいるかもしれないので、私はそれをひとつづつ調べる。誰もいなかった。脱出できたのかな。それならいいけど。
「なんだよ。やられてんのは全部スオムス軍じゃないか。」
ハルトマンさんの頬にうっすらと汗が流れる。でも私達が本当に戦慄を覚えたのは、ヘルシンキ市街に入った時だった。
真っ赤だった。白い大地が真っ赤だった。どす黒い赤だった。人の気配は全くない。ここで戦闘があったことは間違いないけど、それにしてもおかしい。
「何があった?ただ戦闘するだけじゃこうはならない。街のひとたちはどこへ行った?なんで死体のひとつもないんだ?これだけ血が流れているのに。オラーシャ軍が持って行ったとでも?」
ハルトマンさんと私は赤い静寂の街を飛び続けた。しかし、生きている人も死んでいる人も見つけることは出来なかった。
私達はスオムス空軍基地へ向かった。しかし誰もいない。おびただしく赤い液体が流れているだけだ。
ハルトマンさんはぎりっと奥歯を噛んだ。
「宮藤……。あたしたちは何と戦おうとしているんだろ。」
私は応えることはできなかった。ただ首を横に振って
「とにかく、引き返しましょう。後続部隊にこのことを知らせないと。」ハルトマンさんが頷いた。
後続部隊は全滅していた。何があったのかはわからない。戦車は煙を吐いている。外れた車輪がカタカタと鳴っていた。一万の兵士は誰もいなかった。
「カールスラントに戻る。これを知らないままオラーシャと交戦したらトゥルーデが危ない。」
「は、はいっ」
私達は急ぎカールスラントへ引き返した。
「こちらハイデマリー。バルクホルン大尉応答願います。」
「あー、バルクホルンだ。聞こえているよ。」
「ヴェネツィアとオラーシャの国境付近にはオラーシャ軍はいませんね。」
「そうか、しかしどこかに潜んでいるかもしれん。警戒を続けてくれ。」
「了解しました。」
バルクホルンは今カールスラントとオラーシャの国境にいる。二万の兵士と共に。
「これ以上、好きにはさせんぞ。オラーシャ。これ以上カールスラントを傷つけさせるものか。」バルクホルンは静かに青い闘志を燃やしていた。
「敵兵発見!目視でおよそ百万!」
上空の偵察機から連絡が入る。五十倍の兵力。通常なら撤退か、援軍を要請する。だがバルクホルンはどちらも選択しなかった。
「全軍、私に続け!カールスラントの精鋭はこの程度の兵力差に屈することはない。」
バルクホルンは両手に武器を抱え空へ飛び立つ。敵軍へ一直線に。
「おかしいな。」バルクホルンは疑問を感じる。手ごたえが無い。敵兵の装備があまりにも貧弱。航空部隊は無く、戦車もない。トラックさえないのだ。ただ百万の人間が猟銃を持ってカールスラント国境に迫っているだけだ。
その異様な光景にバルクホルンは空中で立ち止まった。そしてその兵士達を良く見た。
「違う……あいつら……人間じゃない……」
オラーシャ軍は人の形はしていたが人間ではなかった。いや、かつて人間だった物。片腕が腐り落ちた死体、眼球が飛び出た死体、下半身だけが走っている死体。バルクホルンの背中につめたいものが流れる。
「どちらにせよ、こいつらをカールスラントに侵入させるわけにはいかない。お前ら遠慮はするな。木っ端微塵に砕いてやれ!」
バルクホルンは死体の群れに突っ込んだ。カールスラントの精鋭二万が後に続く。機関銃を打ち鳴らし、次々と死体の群れを打ち崩す。バームクーヘンを外側から剥がすように、次々と死体たちを倒していく。死体たちはたいした抵抗も出来ずに地面に崩れていった。
ここでバルクホルンは気づく。死体の胸が赤く光っていることを。
「まさか、こいつらネウロイなのか?しかし……再生能力もないようだ。大体あいつらが死体を操るようなことはしない。わからん。わからんが!」
今はその事よりもこの動く死体たちをなんとかすることが先決だ。バルクホルンは更に機銃を振るう。
カールスラント兵は強かった。バルクホルンの奮戦もあったが、わずか二万の軍勢で百万のオラーシャ軍を破ったのだ。動く死体は全て動かない死体へと変わっていた。カールスラント兵はまったくの無傷。数に驚かされたが、手ごたえのない敵だった。
バルクホルンはオラーシャ兵の死体のひとつを見た。胸はもう光ってはいない。
「バルクホルン大尉、オラーシャよりこちらへ向かう敵影を発見。その数およそ五万。距離は約四十キロ!」偵察機から連絡が入る。
「よし、そいつらも片付ける。」バルクホルンは小さく頷くとオラーシャに向かって飛び立った。まだ戦い足りない精鋭たちも勇ましく進軍していった。
ガリア ペリーヌの屋敷
少し肌寒い。ゆらゆらと流れる雲の隙間から太陽が顔を出す。屋敷の広い庭では使用人たちが野菜の収穫に忙しい。
「おかえりなさい。ペリーヌお姉ちゃん。」
子供達がペリーヌを出迎える。ネウロイとの戦争で親を失った子供達だ。ペリーヌはその子供達を引き取り、屋敷で共に生活をしている。
リーネはペリーヌに連れられ屋敷に招かれていた。古い屋敷ではあるが外壁はきれいに修繕されている。以前リーネが来た頃はまだ修理中だった。
「ほら、リーネさんにご挨拶は?」子供達はペリーヌに促されてリーネを見る。以前来たことのあるリーネだ。子供達は満面の笑みでリーネにご挨拶。
「ひさしぶりだね。今日はごちそうつくっちゃうよ。」リーネが子供達ににっこり笑って言う。
リーネは子供達と挨拶した後、一頻り子供達と遊んだ。簡素な積み木など手作りの物ばかりだが、子供達は楽しそうにしている。リーネは心が少し暖められるような感じがした。
夕飯はペリーヌと一緒に作った。今日はじゃがいもがたくさん採れたそうなので、じゃがいも三昧。マッシュポテトやとろとろあつあつのじゃがいもスープなど。子供達は大はしゃぎ。リーネはペリーヌの気遣いが嬉しくて、涙が出る思いだった。
子供達を寝かしつけると、ペリーヌは一緒のベッドで寝ようと言う。初めてだ。リーネはペリーヌが自分の為に気を使っていることは感じていたが、それにしてもペリーヌがそんなことを言うなんて、以前では考えられないことだった。
リーネはペリーヌのベッドに座る。すぐ隣にペリーヌが座った。少し手が触れた。ペリーヌはリーネを見つめて手を握る。少しリーネの顔が赤くなった。
「リーネさん。宮藤さんなら大丈夫。あの人の強さはあなたが一番ご存知でしょ。」
「うん……」
リーネは小さく頷いた。そしてふたりでひとつのベッドに入った。眠りにつくまで二人の手は握られたままだった。
オラーシャ ある森の中
「さて?ここはどこだ?」周りを見渡す。一面の銀世界。あるものといえば雪に埋もれた森の風景と、みごとに地面に突き刺さった軍用機があるだけだ。遠くでうさぎのようなものが跳ねた気がする。それにしてもこんなところで墜落とは我ながら情けない。軍用機がいけなかったのか。さすがにかなり古いものを軍から払い下げてもらって自分で改造したからな。シャーリーならうまく修理できそうだが。いや、スピードは出るかもしれないが、すぐに墜落しそうだ。いや、そんなことより……「ここはどこだ?」
坂本美緒は、エイラとサーニャを捜索するために単身オラーシャに乗り込んだのだが、美緒の乗った飛行機は雪深い山の中に墜落していた。
寒い。恐らく気温は氷点下。美緒はぶるっと震える。さすがの美緒でも寒いものは寒い。彼女の格好はスクール水着、いやズボンと軍服を羽織っているだけ。右手には愛用の烈風丸が握られている。
「あっはっは。さすがに寒いな。このままでは死んでしまうな。」腰に手を当て高笑いする美緒。この人はアホかもしれない。魔法は使えないし、困った。
そこを実に都合よく熊が通りかかる。北の地に生息する獰猛な熊だ。体長はおよそ二メートル。白い息を吐き、鋭い爪で周りの木をガリガリと削っている。
熊が美緒に気づいた。ゆっくりと美緒に近づく。熊の口から白い息がふしゅぅと漏れ、うなり声をあげる。敵意をむきだしにして、美緒に襲い掛かった。
「無益な殺生は好まぬが。私が生きるため……。許せ!」
すぱーーーん
烈風丸が熊の首を一閃。熊は何が起こったかわからないという風に美緒を見る。そのまま首だけが白い雪の中に落ちた。
美緒はこなれた手つきで熊をさばく。烈風丸は実に便利だ。すぱすぱ切れる。そして周りの枝を集めてきて、火をおこした。「わたしだって、木を乾かしたり、小さな火をおこす程度の魔法は使えるんだぞ。」美緒は誰に向かって言ったのかわからない台詞を言いつつ、熊の解体作業を続ける。そして器用に熊の肉をこぶし二つ分くらいに切り分けると木の枝に刺し、焚き火であぶった。そしてかぶりつく。美緒の口のまわりに肉の脂がべっとりとはりついた。
「はふっ。あつあつ。もうちょっと焼いた方がよかったか。ちと生だな。しかしあれだな。塩とかあると良かったな。贅沢は言ってられんが。」
美緒は憐れな熊の方に目をやる。さすがに一人じゃ食べきれないなと思っていると、後ろに気配を感じた。
「しまった。もう一匹いたか。さっきのより小さいようだが。だが殺気はかんじられん。襲う気はないのか?」
美緒は烈風丸を握り締め静かに振り向いた。そこにいたのは熊ではなかった。
「少佐……。何やってんだヨ。こんなところで。」
オラーシャの軍服に身を包み、足には黒いストライカー。坂本が探していた人物が真っ赤な血に包まれてそこにいた。
「エ、エイラお前。熊と格闘でもしたのか。血だらけだ。」
「熊と格闘してたのは少佐ダロ。」
「私は達人だから返り血など浴びん。とりあえず、火に当たれ。ふらふらしおって、今にも倒れそうだぞ。」
美緒に促され、エイラは黒いストライカーを外し、美緒の隣に座った。エイラの足がカタカタと震えている。エイラは黙って焚き火に手をかざしていた。
「肉食うか?ちと生臭いが。食えないことはないぞ。」
美緒が木の棒に刺した肉をエイラに渡す。肉汁がぽたぽたと垂れている。
エイラは肉を受け取ると小さく一口かじった。
辺りは薄暗い。火の勢いが弱くなってきた。美緒は薪をくべる。火は赤く二人を照らした。
「エイラ、お前ここで何をしている?サーニャの両親を探していたのではないのか?」美緒がそう問いかける。だがエイラの反応は無かった。がくっと首を垂れてエイラは動かない。一口かじられた熊の肉は地面に転がっていた。
「エイラ? どうした、エイラ? しっかりしろ。」美緒はエイラの肩をつかむ。エイラの息が荒い。なにかうわ言を言っている。美緒はエイラの額に手をやった。
「すごい熱だ。どこかに寝かさないと。」
だが見渡す限り雪の森。このままではエイラが危ない。
「くっ。魔眼が使えれば村のひとつくらい見つけられるものを……」
殺気がした。ひとつ……、ふたつ……、みっつ。
美緒の周りに三つの影が静かに近づいてきた。美緒はエイラを抱きかかえ、烈風丸を握り締めた。三つの銃口は美緒へと向けられている。
「まずいな。私ひとりなら切り抜けられるが、エイラを抱えたままでは……。」
エイラを守らなくては。守りたい。守りたい。大切な仲間を。傷だらけで横たわる少女を。私が……。私が……。
その時見えた気がした。魔力があった頃見えていたものが見えた気がした。
一度失った魔力が戻った人物を知っている。そうだ。宮藤芳佳だ。これがそうか?湧き上がるこの気持ち。守りたいと思う気持ち。そうか。これがそうか宮藤。
美緒の魔眼は開放される。魔力のオーラが美緒を包み込んだ。「何だ……こいつらは……」美緒の魔眼が捉えたものは人では無かった。しかし「ネウロイでもない……」
人のような形、そして胸に赤い光。しかし、ネウロイではない。これは……
「死者が動いているのか……。信じられん……。だが」
三つの銃口が火を吹く。美緒はすばやくシールドを張り、自分とエイラの周りを回転させた。銃弾はシールドに弾かれ地面に落ちた。「遠慮はいらんな。」美緒はそうつぶやくとエイラを左手で抱えたまま立ち上がった。右手に烈風丸を握り締め、小さく、動く死者に向かって突き出した。
烈風丸の刃先から波動が死者に向かって伸びていく。魔力の波動が。
「烈風斬」
ぶしゅ
死者のひとりが倒れた。死者の胸には大きな穴が開いていた。
「この漲る魔力は……。一体。烈風丸を動かさずとも、衝撃波が敵を貫く。」美緒は烈風丸を見つめる。
残った二人の死者が同時に襲い掛かった。銃弾を放ちながら美緒とエイラに迫る。美緒は事も無げに銃弾を払い落とす。
「ダブル烈風斬」
美緒は静かに烈風丸を動かしただけだ。静かに魔力を込めて。ただそれだけで、二人の死者は弾けとんだ。
「これで全部か……。いや、まだいる……。」
更に美緒とエイラに影が忍び寄る。静かに、銃を構えて。
「今度は何人だ?ひとり?」
美緒は魔眼を見開く。死者ではなかった。もちろんネウロイでも。
「あんたら、大丈夫か?銃声が聞こえたんだが。」
近くの村人か。猟師か。猟銃を構え近づいてきた。女が二人だからか、あまり警戒の色はない。だが……。
「こ、これは、あんたがやったのか?」
美緒の周りに転がる三つの死体。胸に大きな穴のあいた三つの死体。美緒は「まずい」と思った。これではまるで自分は殺人犯ではないか。
杞憂だった。その猟師風の男は胸に穴の開いた死体を足蹴にした。
「ざまぁみやがれ。この野郎が。」
何度も何度も頭を踏み潰す。死体の頭はパキパキと脆い音を立てて崩れていった。
「はぁはぁ、こいつは、こいつらは、俺の村を襲った。何人も殺された。はぁはぁ、銃で撃たれて殺された。」
「こんなやつらが他にもいるのか?」と美緒が聞く。エイラは抱きかかえられたままだ。
「ああ。そうだ。あいつらは熊よりたちが悪い。って熊もいるじゃねぇか。」
猟師風の男が目を丸くして尋ねた。
「あんたら、何者だ?」
「私は扶桑海軍少佐、坂本美緒と申す。訳あってこのオラーシャで二人の人物を探している。一人は見つかったのだが。」 美緒はエイラに視線を落とす。
「扶桑?あのサムライの国か。どうりで強い訳だ。」
男は一人で納得している。美緒は特別だろう。
「頼みがある。この少女を村で休ませてやってはもらえないだろうか?」
美緒はエイラを胸に抱いたまま猟師風の男に頭を下げた。
「ああ、もちろんだ。あんたはこいつらをやってくれたからな。村はこの山を下りたところにある。ちいせえ村だけど寝るところぐらいならあるぜ。」
「かたじけない」
「その子おぶってやろうか?」
「いや、私がおぶっていく。大切な仲間なんだ。」
美緒はエイラを優しく背負った。
「んじゃ、俺はこの熊でも引きずっていくか。今夜はごちそうだな。」
へへっと猟師風の男が笑う。美緒はエイラを背に猟師風の男と共に村へと降りていった。男はサムライがどうのこうの話をしながら山を下りていたが、美緒には男が何を言ってるのかよくわからなかった。
村に着いた。エイラの容態はあまりよくない。熱もさっきより上がっているようだ。
閑散とした村だった。レンガ作りの小さな家が数件ある程度だ。雪はそれほど積もってはいないが、人は誰もいなかった。
「少し前まで、二、三十人は住んでたんだけどよ、あの気味の悪い連中が出没するようになって、今じゃ村人は誰もいなくなっちまった。」男はくやしそうに話す。
「おっと、そのお嬢ちゃん、寝かせてやんねえとな。」
男はエイラの顔を覗き込み、心配そうな顔をした。
「この家だ。好きに使ってくれよ。ベッドとテーブルくらいならあるからよ。」
男は一軒の家を指差す。一階建てでさほど広くはない。煙突があり、ちいさな窓がひとつ。もっとも、この村ではこれが平均的な家だろう。
美緒は家の中に入る。少しカビ臭い。しかし贅沢は言っていられない。家の中の広さは八畳くらいだろうか。まぁ、雨風がしのげればそれでいいのだが。
その後、男は布団と薪を持ってきてくれた。美緒はエイラを寝かせる。この血だらけの服も着替えさせたい所だ。と美緒は思った。
美緒は暖炉に薪をくべた。火をつけると薪は赤々と燃え上がった。暖かさが冷えた体に染み込むようだ。男は着替えも持ってきてくれていた。質素な服だった。いくつものつぎはぎが見えた。男の妻のものらしい。きれいに洗濯され折りたたまれている。美緒が「大事な物なんじゃないのか?」と聞くと、男は寂しそうに笑って、「もう使わねえもんだから。」と言っていた。きっとあの男も地獄を見たのだろう。と美緒は思う。この村にはあの男しか住んではいないようだ。
男は熊をさばいて料理を作ると言ってこの家を出て行った。
暖炉の火はパチパチと燃えていた。この家はかなり暖かい。北国ならではの工夫でも施されているだろうか。
美緒はエイラに目をやった。エイラは静かに寝息を立てている。
「とりあえず、血だらけの服じゃな……。」
美緒はエイラの服を脱がす。
「傷だらけだな……」
エイラの体には無数の擦り傷や切り傷、火傷の跡。古いものもあれば、新しいものもある。
「これは戦いでできた傷ではないな」と美緒は思う。手首にはロープの跡。何度も縛られたのだろう。赤黒く変色していた。背中は焼けただれ、いびずに皮が固まっている。
「誰かに捕まり拷問でも受けたか? しかしエイラを捕まえられるような奴なんているのか?」美緒は疑問に思う。
「それにこの傷は一度でつけられたものではない。」
毎日のように縛られて、体中を殴られている。時には鞭のようなもので。時には硬い棒のようなもので。最も酷かったのは下半身の傷だった。ズボンを脱がすと、美緒が眉間にしわをよせ、目を逸らした。
「酷すぎる。お前が何故こんな目に合わねばならんのだ……」
エイラの体に付いた血を湯でぬらした布で優しく拭き取る。
「宮藤ならお前を癒せるものを。」
美緒はエイラに先ほど借りた服を着せる。分厚いワンピースのような服だった。スカートの部分からエイラの頭にかぶせる。服の首の所からエイラの顔が覗く。
エイラの目は開かれていた。じっと美緒を見つめている。
「エイラ、すまん。起こしてしまったか。」
「そりゃ、裸にされて転がされりゃ目も覚めるヨ」
エイラの頬がぷっとふくれる。
「とりあえず、服から頭を出せ。亀みたいになってるぞ。」
美緒とエイラは顔を見合わせふふっと笑った。
エイラの熱はまだ下がらない。さっきよりはだいぶましのようだが。美緒はエイラを寝かせる。
毛布から顔を覗かせ、エイラが話しかける。
「なぁ、少佐。少佐はなんでこんなオラーシャの山奥にいるんダ?」
「私はお前とサーニャを同窓会に出席させるために来たのだ。」
「あはっ、同窓会? なんダそれは。」
「かつての仲間が集まり、親睦を深める催しであろう。」
「ワタシだって、それくらいは知ってるヨ。」
「ふむ。ミーナの発案でな。我ら十一人で飲んだり食ったり歌ったりしようということらしい。」
「そんなことで、少佐はわざわざオラーシャに来たのカ?てか、何で山奥で熊と戦っていたんダ?」
「あっはっは。私の飛行機が墜落してな。腹が減った所に丁度良く熊が襲ってきたんでな。」
「少佐らしいナ。」エイラは少し微笑んだ。
「ワタシはサーニャの所へ戻る途中だった。なんか懐かしい感覚があったんで、降りてきたんダ。」
「サーニャも無事なのか。良かった。お前一人だけだったんで心配していたのだ。」
「無事……無事ねぇ。あれが無事と言えるのならナ。」
「エイラ……」
二人の間に沈黙が流れる。エイラは両手をぎゅっと握り締めてうつむいている。
美緒はエイラの肩に手をまわし静かに抱きしめた。
「エイラ、私達十一人は仲間、いや家族だ。お前もサーニャも大事な掛け替えの無い家族だ。私はお前の為なら何でもしよう。たとえ誰を敵に回そうとも。」
「少佐はいい匂いがするナ。サーニャとは違うケド、すごく落ち着く。守られてるって感じがするヨ。」エイラの目からポタリと毛布に涙が染み込んでいった。
「もう少し寝ていろ。めしが出来たら起こしてやるから。」
美緒がそう言うと、エイラは目を閉じ、また眠りについた。
美緒は、エイラが寝たのを確認すると、烈風丸を持って家を出た。美緒はどんなときでも素振りは欠かさない。今の美緒の素振りには殺気が篭っていた。
美緒は何百回と烈風丸を振り落とす。
怒っている。美緒は怒りに震えている。なんだこれは。なんなんだこれは。何が起こっているんだ。エイラは何故あんなにボロボロになっているんだ。サーニャはどうなっている。あの動く死体と何か関係があるのか。わからない。
美緒の汗が飛び散る。その横にさっきの猟師風の男が呆然と立っていた。
「め、めしできたけどよ……」
美緒は殺気の篭った顔のまま男の方へ振り向いた。男は二三歩後ずさる。
「すまない。世話をかける。」美緒は手を止め、男の方に頭を下げた。
熊の肉をふんだんに使った料理だ。もっとも今ある材料は熊の肉と少しの野菜しかない。だが猟師風の男は実に器用に料理を作った。病人にも食べやすいように小さく肉が切ってある。
「早く食わせてやりなよ。」
男はにっと笑って美緒にスープを差し出した。
小さな家のドアを開け、美緒は食事を持ってきた。
「エイラ、めしをもって来たぞ。」
エイラはどこにもいなかった。
カールスラント対オラーシャ最前線
「大尉、敵兵が反転し、撤退を始めております。」
「かまわん、追撃しろ。」
バルクホルン隊二万は、サンクトペテルブルクの方へ逃げる動く死体のオラーシャ軍を追っていた。
動く死体は遅い。バルクホルン隊との距離はみるみる縮まっていった。
「やつらがサンクトペテルブルクへ入っていきます。」
「まずいな。街が危ない。その前に叩いておきたかったが。」
バルクホルンは少し考えてから軍へ指示を出した。
「急ぎサンクトペテルブルクへ突入せよ。動く死体を始末し、民を救う。」
バルクホルンは気がついていた。これはカールスラントとオラーシャの戦争ではない。動く死体を殲滅するための戦いなのだ。ネウロイと戦った頃のように世界はまた団結するだろう。
サンクトペテルブルクの目の前までバルクホルン隊がたどりついた。一兵も損なわずに。
しかし……。「やつらはどこだ?」
どこにも動く死体はいなかった。
「とにかく、サンクトペテルブルクの街へ入ろう。警戒を怠るな。」
バルクホルン隊は移動を始めた。
「静かだ。静か過ぎる。誰もいないのか?」
サンクトペテルブルクの街に人の気配は全くなかった。バルクホルン隊は慎重に街の中心部まで進んで行く。明かりが見えた。ぼんやりと赤く……。禍々しい光が。
中心部には王宮があった。頑丈な石造りの高い壁で囲まれた王宮の最上階の部屋がぼんやりと光っていた。その王宮の前の広場にバルクホルン隊が集まった。
王宮を囲む壁は高い。十メートルくらいか。空から行くべきか。バルクホルンは考える。王宮に突入することには抵抗はあるが、場合が場合だ。
「王宮に突入する。ウィッチ隊は私に続……」
バルクホルンがそう言った時だった。サンクトペテルブルクの街が火を吹いた。至る所で爆発音が聞こえる。轟音と共に崩れてく町並み。王宮とその前の広場を除いて全てが赤々と燃え上がった。そして無数の死者たちがバルクホルンの部隊へ襲い掛かった。
「ば、ばかな……」バルクホルンの頬に冷たい汗が流れる。
「全員、広場の中央に集まれ。」バルクホルンが兵に指示を出す。
誰も聞いてはいなかった。聞こえてはいなかった。浮き足立ったバルクホルン隊二万の精鋭は黒い波へと飲まれていた。兵士たちの叫び声が聞こえる。
知能のある化け物。これはやっかいだ。力はさほどではない。一対一なら楽に勝てる相手だ。だがやつらは銃を使う。集団で少数を襲う。胸の赤い光をつぶさない限り何度でも立ち上がってくる。
「私たちは罠にかかったのか?まさか街の全てを破壊して我々を囲むとは……。」
「隊長、とにかくここを脱出してください。やつらは空までは追ってきません。私たちウィッチなら脱出できます」部下のウィッチたちがバルクホルンを逃がそうとしている。だがバルクホルンは静かに首を振った。
「私だけが部下をおいて逃げるなどということができようか。お前達は急ぎ帰還し、ミーナにこのことを伝えろ。」
「待ってください、隊長!」
部下の声にバルクホルンはふりむかなかった。
「うぉぉぉぉりゃぁぁ」
バルクホルンは雄たけびを上げ、低空飛行で動く死体の群れへ突入していった。
ロマーニャ王宮 女王の執務室
「そう……ですか。」女王陛下は小さな声で応えた。
シャーリーが続ける。
「何故ブリタニアがこんなことをしたのかはわかりません。ですが非常にまずいことになったと思います。」
ブリタニア軍がロマーニャ海軍を殲滅した。ロマーニャはスオムスに到着することもできずにブリタニアの海域でただ全滅した。ひとりの生存者も残らなかった。
女王陛下はうつむき、つぶやく。
「私が殺してしまった。私の決断で無駄に兵士を殺してしまった。」
「女王ちゃん……」ルッキーニは心配そうに女王陛下を見つめた。
コンコンとドアをノックする音。
「執事です。入ってもよろしいですか?」
「どうぞ……」
「緊急会議の準備が整いました。大臣達が集まっております。」
「わかりました。すぐに行きます。」女王陛下がこたえる。
「陛下!」シャーリーが女王陛下を呼び止めた。
「スオムスはオラーシャ包囲網を約束した、いわば同盟国です。同盟国を助けるのは当然のこと。陛下はなにひとつ間違ったことはしていません。」
「ありがとう、シャーリーさん。」女王陛下は少しだけほほえんで部屋を出て行った。
二人は執務室に取り残された。
「シャーリー、あたしどうしたらいい?」ルッキーニが涙目でたずねる。
「お前は近衛兵だろ。近衛兵なら女王陛下を守ることがお前の仕事だ。」
「うん。わかった。シャーリー。」ルッキーニは頷くと女王陛下を追って出て行く。
「私もいくか。」シャーリーもルッキーニを追って部屋を出た。
カールスラント司令室
私とハルトマンさんはカールスラントに戻っていた。司令室にはミーナ総統とハルトマンさんと私の三人。ミーナ総統は私たちの報告を聞いて難しい顔をしている。
「信じられない……。一体オラーシャは何をしたの。何をしたらそんなことが起こるの。」ミーナがつぶやく。
スオムスに誰もいなくなった。死体も残さず、ただおびただしい血が流れていただけ。この異常な事態にミーナは驚きと戸惑いの色を隠せない。
「トゥルーデの部隊が既にサンクトペテルブルクまで攻め込んだという情報が入っています。」ミーナが言った。
「まずいよ。あんな得体のしれないやつらの懐に入っていっちゃ、まずいよ。」
ハルトマンさんが言った。
トゥルーデ部隊から入る報告は戦勝報告が続いた。破竹の勢いで進撃していく。まさに電撃だった。このまま首都を制圧すればこの戦争は終わる。ミーナはそう確信していたが……。ハルトマンの報告で不安が大きくのしかかってきていた。
「そ、総統……。」
黒い軍服に身を包んだ少女だ。ブリタニアでも見たな。肩で息をしている。
「たった今、外電が入りました。」
少女はワナワナと震えていた。
「どうしたの?早く報告なさい。」ミーナ総統がそういうと、
「は、はい。報告します。バルクホルン大尉が……バルクホルン大尉が……サンクトペテルブルクにて戦死したとの報告が……入りました。」
え?
時間が止まった。誰も身動きひとつできなかった。私は何か言おうとしたけど言葉が出てこない。
「そんな訳ないだろ!」
ハルトマンさんが少女に掴み掛かる。少女は胸倉をつかまれ、激しく揺すられているが、視線を下に落としたまま、ハルトマンさんの成すがままになっていた。
「やめて下さい、ハルトマンさん。」
私はハルトマンさんを後ろから羽交い絞めにする。ミーナ総統は下を向いたまままだ動けないでいた。
「トゥルーデがぁ、トゥルーデがぁ、そんな訳ないだろが。トゥルーデはあたしと約束したんだ。妹だって帰りを待ってるんだ。死ぬわけないだろがぁ。」
「ハルトマンさん。やめて、ハルトマンさん……」
私は泣きながら、ハルトマンさんを抑える。
パシっとハルトマンさんは私の手をはねのけ、「宮藤、もう暴れないから、手離していいよ。」と言った。
私は、恐る恐る手を解く。
「ミーナ、あたし今からサンクトペテルブルクに行く。トゥルーデを助けに行く。」
ハルトマンさんはそういうと、司令室を出て行った。
「わ、私も行きます」私もハルトマンさんの後を追う。
「待って……」
だけどミーナ総統は追いかけてはこなかった。
ハルトマンさんがストライカーユニットを装着する。青白い炎がハルトマンさんを包んだ。
「宮藤、飛ばすぞ。遅れるなよ。」鋭い目つきでハルトマンさんは言った。
轟音と共に二人のウィッチがオラーシャへ向けて飛び立つ。風を巻き上げ高くそして速く。サンクトペテルブルクへ。
「このルートをトゥルーデの部隊は通ったんだな。」
ハルトマンさんは確認しながら進む。さすがに冷静だ。
国境を越えた辺りで大量の死体を発見した。オラーシャ兵のようだ。
死体の道が出来ていた。流れた血は川へたどり着き、赤く染める。真っ赤な濁流は大量の死体をばらばらにし、押し流していく。どこまでも死体の道は続くかと思われた。バルクホルン隊の苛烈さが伺える。
「これ、全部トゥルーデの部隊がやったのか……。たしか二万の部隊と聞いていたけど……。この死体の数……。百万くらいいるぞ。」
ハルトマンさんは半ばあきれた顔でそういった。さすがに気持ち悪くなった私は飛びながらはいた。
「こんなに強いトゥルーデ隊が負けるなんてありえないよ。絶対ガセ情報だ」
「油断は禁物ですよ。ハルトマンさん」
「わかってる」
私たちは飛び続けた。サンクトペテルブルクの王宮前の広場に向かって。死体の道を辿りながら。
「なぁ、宮藤。おかしくないか?」
「はい……。さっきは気持ち悪くてよく見ていなかったんですけど……」
「溶けてるよね。死体。」
「溶けてます。どろどろに溶けてくっついてます。」
オラーシャ兵の死体は溶けて融合し、地面を赤黒く覆っていた。徐々に原型は無くなり、死体は液体になっていく。
「スオムスで見た、あの光景は……これなのか?」ハルトマンさんがつぶやく。
私たちはサンクトペテルブルクの王宮前広場に辿りついた。敵の妨害は全く無かった。
「なんだ……。これは……」
ハルトマンさんが呆然と空中で立ち尽くす。私も動きが止まった。広場を埋め尽くす死体の山。どろどろに溶けてひとつに融合し、まわりの建物まで死体が覆い尽くしていた。もし地獄というものがあるのならこういう光景だろう。吐きたいけど、私の胃からはもうなにも出てこなかった。
「カールスラント兵は?トゥルーデはどこ?」
ハルトマンさんが必死の形相で溶けた死体の山の周りを飛び回る。まさか、バルクホルンさんもこの溶けた死体の中に……。そんな思いを振り切り、探す。バルクホルンさんを。そんなはずはない。あのバルクホルンさんがそんな……。
「トゥルーデ!」
ハルトマンさんが飛ぶ。バルクホルンさんは高い木の枝にぶら下がっていた。気を失っているようだ。
ハルトマンさんがバルクホルンさんを抱きかかえ、半分崩れた家の屋根まで飛んできた。私もそこへ向かう。早く治癒魔法をバルクホルンさんにかけなくては。
「ハルトマンさん、今バルクホルンさんに治癒魔法を……」
ハルトマンさんは呆然としている。ただ、バルクホルンさんを抱きかかえたまま。
私はバルクホルンさんの胸に耳を当てる。「トクン」わずかだが音がする。
「バルクホルンさんは生きてます。」私はそう叫んで、バルクホルンさんに治癒魔法をかけた。必死の思いで。渾身の力を込めて。
ハルトマンさんはまだ呆然としていた。無理もないと思う。私だってそうだ。生きていたことは嬉しいけど。こんなのって残酷過ぎる。
無かった。バルクホルンさんの両足が無かった。溶けたように膝の下から両足が無かった。
「トゥルーデぇぇ」ハルトマンさんがバルクホルンさんを抱きしめて泣き崩れる。
でも生きてる。バルクホルンさんは生きてる。私は治癒魔法をかけ続ける。
少しだけバルクホルンさんの頬に赤みがさした。バルクホルンさんの長い睫毛がぴくっと動く。静かにうっすらとバルクホルンさんの目が開いた。そしてバルクホルンさんの乾いた唇が動く。
「ハ……ルトマンか……。えらくなったもんだな。わ…たしを起こしにくるなんてな。」
「トゥルーデ!トゥルーデぇぇ」
バルクホルンさんはすぐにまた気を失った。でもバルクホルンさんの心臓の鼓動はさっきよりも強く打ち始めていた。
「宮藤、とにかくトゥルーデを連れて帰ろう。宮藤の魔力だってそろそろ限界でしょ」ハルトマンさんは落ち着きを取り戻していたようだった。
「はい。でも、もう少し……もう少しだけ」
私はバルクホルンさんに治癒魔法をかけ続ける。もう少しだけ……。
そんな私たちの前にゆっくりと人影が現れた。
「へぇ……懐かしいやつらが集まってるナ」
灰色の軍服に帽子。黒いストライカー。冷たい瞳で私たちを見下ろしていた。
「エイラ……ここで何をしている?それにその軍服……オラーシャ将校のようだけど」
ハルトマンさんがエイラさんを睨む。
「宮藤、トゥルーデを頼む。」
ハルトマンさんはそう言って、エイラさんの前まで飛んでいった。
「何をしているって、こっちの台詞だゾ。サーニャの国で暴れやがって」
「お前がやったのか?これは。トゥルーデの部隊もお前がやったのか?」
「さすがにバルクホルン隊は強かったナ。百倍以上のウチの兵がやられちゃったヨ」
ハルトマンさんはエイラさんの胸倉をつかんだ。
「お前がやったのかと聞いているんだ!」
「アタシはこの広場の周りに伏兵を置いておいただけサ。バルクホルンが勝手に飛び込んできただけダ」
「なんで、なんでオラーシャ軍なんかにいるんだ?スオムスがどうなってるのか知らないのか?」
「離せヨ」エイラさんはハルトマンさんの手を跳ね除けた。
「知ってるヨ。だってスオムスはアタシがやったんだもん」
「スオムスはお前の故郷だろ。なんで、なんでだよ。なんでそんなことが出来るんだよ」
「うるさいナ。アタシはサーニャの為ならなんでもやるヨ。世界中の人間を殺したってかまわない。サーニャの為ならナ。」
「そんなことサーニャが望むわけないだろがぁ」
ハルトマンさんは銃を構えた。
「ハルトマン、アタシにそんなもん当たるわけないダロ。アタシは未来予知の魔法が使えるんだゾ」
「シュトルム!」
風が舞い上がる。突風がエイラさんの周りを幾十にも取り囲んだ。
「な……」
エイラさんの頬に汗が流れる。次の瞬間ハルトマンさんはエイラさんの後ろにいた。冷たい銃口がエイラさんの後頭部に突きつけられた。
「アンタの予知より速く動けばいいだけでしょ」
「ま、まてヨ。まさかアタシを殺すワケないよナ」
「あたしがこれからどうするか予知してみたらいいじゃん」
エイラさんは顔に汗をびっしょりとかいて両手を挙げた。
「待てって、待っててば……」
「さよなら。エイラ」
ハルトマンさんの銃口が火を吹く。エイラさんの頭が吹き飛び、頭の欠片がひらひらと地面に落ちていく。
「ハルトマンさん……」
私は治癒魔法も忘れ、戦いに見入っていた。一歩も動くことはできなかった。
「宮藤、カールスラントに帰ろう。」
エイラさんの返り血を顔に浴びたままぬぐいもせず、ハルトマンさんは言った。
「はい……」
私たちはその後、一言も話さずバルクホルンさんを連れてカールスラントへと戻った。