九ヶ月目の朝
地下室の狭いキッチンで、アスナは鼻歌交じりに朝食の支度をしていた
「団長、ご飯できましたよ〜」
アスナの料理の腕はめきめきと上がっていて
テーブルに並んでいるものはどれも美味しそうだ
料理を食べようとする“あなた”の隣に座ると
椅子を限界まで近づけて体を密着させてくる
「いや、食いにくいんやけど」
「いいじゃないですか、こうやってくっついてるのが落ち着くんです」
アスナは“あなた”の脇腹に手を回し、無邪気に笑った
そこには依存と愛情に満ちた幸せそうな少女の姿があった
その日は買い物のため街に出た
深くフードを被り、仮面とマントで全身を覆う
もはやこれなしではアスナは街に出られなくなっていた
(あの人以外の誰にも見られたくない……)
この姿なら誰も自分に声をかけてこない
彼以外に自分を見せたくない
元々持っていた強い貞操観念が
“あなた”の邪悪な支配を受けた事で歪な形に昇華されていた
市場の喧騒の中、懐かしい人物が見えた
「あの後ろ姿は……」
足を速めて近づく、確かにミトだった
以前より痩せこけ、目の下に深い隈ができている
装備も十分メンテナンスされているとはいいがたい
ずっと無理をしてダンジョンを捜索しているのが一目でわかった
(あれからどれだけ探してもアスナや太った男を見つける事はできなかった……)
ミトの瞳には絶望と疲労しかなかった
これだけ探して見つからないならもうダメかもしれない
だが、あきらめられない…………
一度油断して3層で誰かに見られてしまった“あなた”は
病的に慎重になり、通常エリアには絶対に現れなくなっていた
自分がクソザコで、どんなプレイヤーだろうが戦えば必ず負ける事を自覚しており
対人戦というシチュエーション自体を徹底的に排除しようとしたのだ
アスナと狩りをしていた場所は地下室から掘り進めた経路づたいからしか行けない
マップにも載っていないような
いわば空間のバグでのみ行けるたぐいのエリア外の僻地だった
(深澄……)
喉元まで出かけた声を飲み込む
自分は彼を選んでしまった
そんな自分が今更どんな顔をして会えばいいのか
だがその時、昔“あなた”に言われたことが頭をよぎった
『逃がさんで、アスナ。わいは欲しいもんは絶対に逃がさんのや』
ミトは間違いなく自分の「大事な人間」だ
今回だけ、あの人のようにわがままになってもいいのかもしれない
(嫌われてもいい、一度だけ話がしたい…)
そう思うと体が勝手に動いていた
「ねぇ、久しぶりだね、深澄」
振り返ったミトの顔に、困惑の色が広がった
「あんた、誰?」
全身を覆い隠し仮面を着けた、まるで悪魔博士のような…
見るからに怪しい人物が現実での自分の名前を呼んできた
(なんなのこいつ…ろくな感じがしない…噂に聞く殺人ギルドってやつ?)
自身の装備を確かめ警戒して距離を取る
そんなミトに仮面の隙間から覗く目が、優しく細められる
「わたしだよ、わかるでしょ深澄」
信じられないといった表情のミト
しかし、アスナの声と雰囲気から確信を得たようだ
「うそ……ほんとに……?」
「色々あったの。話したいんだけど、ちょっと来てもらえる?」
アスナが促すとミトは素直についてきた
人気のない路地裏に辿り着くと
アスナはゆっくりと仮面を外した
「本当に……アスナなの……?」
「生きてて…よかった…」
喜びの涙が溢れるミト
アスナは微笑みながら語りかける
「ずっとわたしを探してくれてたんだね、ありがとう」
「また、一緒に冒険してくれる?」
その言葉を聞いた途端、ミトの表情が曇る
「ごめん、それは無理」
「わたしはあんたを助けられなかった。次もきっとそう。だから一緒には居られない」
悲しみに満ちた声、ずっと自分を責め続けてきたのだろう
うつむいて血を吐くように語る姿に胸が締め付けられる
(やっぱり深澄は優しい、でも、そんなに苦しまないで…)
自分をずっと探してくれていた親友が愛しくてたまらない
そしてその親友を苛み続ける
心に刺さったトゲを取り払ってあげたかった
どうすれば…
そう思った時、“あなた”の顔が脳裏に浮かんだ
そうだ、あの人に手伝ってもらえば…!
「大丈夫だよ、深澄」
アスナはポケットから小瓶を取り出した
密閉された中に透明な液体が揺れている
「ちょっとびっくりするけど、我慢してね」
小瓶を地面に叩きつけるとそれは催眠ガスとなってミトとアスナを包み込んだ
アスナを信じていたミトは反応しきれずに吸ってしまいその場に崩れ落ちた
いつの間にか仮面をかぶっていたアスナは何事もなかったように立っている
この仮面にはガスマスクの機能もあるのだ
「ごめんね……でも、わたしがきっと助けるから……」
慈愛に満ちた微笑みを浮かべるアスナ
大切な親友を背負い、静かに地下への道を辿った
地下室に戻ると、“あなた”が出迎えた
「お帰り……なんやソレ?」
背負った大きなずた袋を大事そうに床に下ろすアスナ
その袋は人型に膨らんでいた
困惑した表情の“あなた”に対し、彼女は嬉しそうに答える
「私の親友の深澄です。彼女も団員にしてあげてください」
「は?なんでや?」
「だって……深澄はもう自分で自分を許せないから」
アスナの目に迷いはなかった
「団長が深澄を赦してあげてください」
“あなた”は唖然としたまま、しばらくアスナと気絶したミトを見比べていた
「お前……ほんまに狂うてもうたな」
「狂ってるわけじゃないですよ?」
アスナは静かに微笑んだ
「深澄を助けてあげるんです」
その言葉に、“あなた”はようやく理解した
自分が調教で吹き込んだ数々の邪悪な言葉が
元々アスナが持っていた優しい心や思いやりと融合して
いびつな情愛として確立してしまったことを
「なら好きにせい」
肩を竦める“あなた”
「ただし、管理はお前が責任持ってやれよ」
「もちろんです!」
嬉々として答えるアスナ
彼女の中では何の矛盾もないのだ、ただ大好きな親友を助けたいだけ
数時間後、目覚めたミトは裸で拘束されていた
理解不能な事態に混乱と恐怖に襲われる
「ここは……?」
「おはよう、深澄。起きたんだね」
優しく声をかけるアスナだが、その目には異様な光が宿っていた
「アスナ……何してるの?」
「何って、あなたも団員になる準備をしているところだよ」
「え?」
“あなた”がにやりと笑った
「奈落の蜜壺、団員二号の誕生や」
「冗談じゃない!」
暴れようとするミトを、アスナは優しく宥める
「大丈夫だよ。私たちがずっと一緒にいるから」
その狂気と慈愛に満ちた表情は
かつてのアスナからは想像もできなかったものだった
「……いやだ……こんな……」
絶望に沈むミト
だが、彼女にはもう逃げ場はなかった
かつての親友であり、今や“あなた”に異常な愛と盲信を抱くアスナと
地下室の支配者である“あなた”
二人の手により、新たな奴隷の人生が始まろうとしていた