「プロット、完成させました」
俺は数枚のプリントアウトを、テーブルの上で羽良嶋さんの方へ滑らせた。指先が微かに震えているのが自分でもわかる。今度こそ。
羽良嶋さんはプリントを手に取り、無言で目を通し始めた。会議室の静寂が、俺の心臓の音をやけに大きく響かせる。
「……東風舞希。夜な夜な自室で、亡き夫の面影すら追えぬほどの疲労と欲求の狹間で自らを慰める。そこを、息子同然に育てた使用人の少年が覗き見る」
彼女は朗読するように呟いた。
「前回の修正点である『主人公の能動性』。これをどうクリアしたのか、読み進めます」
彼女の視線が、プリントの中央あたりで止まった。
「彼は、逃げない。襖を開ける」
「はい。ただ見ているだけじゃ、自分の欲望に折り合いがつかない。彼は、覚悟を決めて部屋に入るんです」
「舞希様の反応は?」
「最初は拒絶します。『何をしている』と。彼を叱責し、部屋から追い出そうとする。でも、彼女の身体は拒絶しきれていない。自慰の余韻で、まだ熱く濡れている。彼は、その矛盾に気づく」
俺は言葉を続ける。脳内に、鮮明な映像が浮かんでいる。
「彼は言うんです。『僕が、代わりに』と。夫の代わりじゃない。当主の代わりでもない。ただの男として、彼女の渇きを癒すために。それを聞いた舞希さんは、一瞬呆気にとられる。でも、すぐにその表情を消して、彼をベッドに引き寄せる。『調子に乗るな』と言いながら、彼の手を自分の胸へと導くんです」
「なるほど。拒絶と誘導の同時攻撃。舞希様らしい」
羽良嶋さんの口角が微かに上がる。
「中心となる場面ですね。彼が彼女の身体に触れる。乳首を吸い、秘所を指で愛撫する。ですが、舞希様は受けているだけじゃない。彼の手つきが未熟であれば、『もっと強く』『そこじゃない』と指示を出す。主従関係はそのままに、男女の営みを重ねる」
「その通りです! 舞希さんが上のまま、彼に跨るんじゃなくて、彼を騎乗させる。彼女の豊満な身体が彼を包み込み、揺れる。ただの年上の女と若い男のセックスじゃなくて、絶対的支配者と、その腹を割らせた男の共犯関係。そこに惹かれるんです」
「意外性は?」
「彼女が彼に、自分を壊すことを許す瞬間です。ずっと当主として振る舞ってきた彼女が、初めて『ただの女』として泣き叫ぶ。その姿を、彼だけが見る。でも、朝になれば彼女はまた当主に戻る。そのギャップと秘密の共有こそが、この作品のカタルシスです」
「結末は」
「翌朝、彼がお茶を淹れて舞希さんの部屋へ行く。彼女はいつものように着物を正し、凛としてお茶を啜る。でも、お茶を置く彼の手に、舞希さんの指が触れる。『昨夜は……感謝』とは言わない。ただ、『今日も精進しなさい』と言う。その言葉の裏にある、湿った温もり。彼は頷き、部屋を出る。関係は続いていく。背徳的なハッピーエンドです」
俺は一気に喋り終え、荒い息を吐いた。テーブルの下で、拳を握りしめている。
羽良嶋さんは、プリントの最後のページを机に置いた。長い沈黙。その灰色の瞳が、じっと俺を見据える。
「……いいでしょう」
彼女は短く言った。
「前回の『受動的な男』から脱却できています。彼は、彼自身の意志で線を越えた。そして、その結果として舞希様という聖母の裏側に触れた。この『主従逆転の模擬』こそが、先生の描くエロティシズムの真骨頂ですね」
「ありがとうございます」
「ただ、ページ配分には気をつけてください。覗き見から介入までを10ページ。行為を20ページ。事後と朝の余韻を10ページ。40ページの中で、この配分が崩れると、説得力が落ちます。尤其是シーン、彼女の『指示』と『喘ぎ』のバランス。ただのSMにならないように、あくまで『舞希様らしさ』を崩さないでください」
「はい。承知しました!」
俺は深く頭を下けた。これで、やっとネームに入れる。
* * *
その後の記憶は、断片的だ。
仕事部屋に籠もり、ペンを走らせた。
舞希さんの黒髪の艶。はだけた浴衣から覗く白い肌。揺れる豊満な乳房。
そして、その胸に顔を埋める主人公。
コマの隅々にまで、背徳感と愛憎を塗りつぶした。
眠気と疲労が何度も襲ったが、その度に羽良嶋さんの言葉と、舞希さんのあの潤んだ瞳がフラッシュバックして、俺を突き動かした。
ペン先が紙を削る音だけが、俺の世界の全てだった。
* * *
「……先生。先生!」
肩を強く揺さぶられ、俺はハッと顔を上げた。
目の前には、羽良嶋さんの顔があった。
「あ……」
辺りを見回す。ジャンプBLACKの編集部。打ち合わせスペースだ。
俺は机に突っ伏したまま眠ってしまっていたらしい。頬に原稿の跡がついているかもしれない。
目の前には、クリップで留められた原稿の束がある。
「できた、んですか?」
俺は掠れた声で聞いた。自分でも情けない声だ。
「はい。拝見しました」
羽良嶋さんは、原稿の束をテーブルの上に置いた。その表情は、いつもの冷徹な編集者のものではなく、読書に没頭した後の余韻が残っていた。
「……舞希様が、彼の手を取るシーン。あれは良かったです。『これ以上はいけない』という境界線を、自ら踏み越えるかのように、彼の手を胸に導く。その指先の震えと、目の強さ。両立していました」
「ほ、本当ですか……?」
「ええ。そしてラスト。お茶の席での、あの視線の交錯。言葉にしないからこそ、二人の関係の深さと背徳感が際立ちました。これこそが、BLACKで描くべき『大人のファンタジー』です」
彼女は、原稿の束をパチンと叩いた。
「無事、完成です。お疲れ様でした、綴木先生」
「……あ」
全身の力が、音を立てて抜けていく。
できた。描き切った。
あの泥沼のような執筆期間を経て、俺の最高傑作が、ここにある。
「あ、ありが、とう……ございました……」
立ち上がろうとしたが、足に力が入らない。椅子の背もたれに身を預け、俺は天井を仰いだ。視界が滲む。泣きたいわけじゃない。ただ、身体が限界を迎えているだけだ。
「今日はもう、帰ってください。そして、死ぬように寝てください」
羽良嶋さんが、呆れたような、でもどこか慈愛を含んだ声で言った。
「……すみません。そうさせてもらいます」
俺はふらつく足で立ち上がり、カバンだけを握りしめた。原稿は羽良嶋さんが持ってくれる。もう、それを確認する気力もない。
編集部を出て、エレベーターに乗り、夜の街へと出る。
霓虹灯が滲んで見える。
よろよろと、人形のように歩く。
電車に揺られ、駅から自宅へ。
鍵を開け、靴を脱ぎ捨て、服も着替えずにベッドに倒れ込んだ。
泥のような眠りが、秒速で襲ってくる。
意識が闇に沈む直前、ふと、舞希さんが主人公に向けた、あの毅然としながらも欲情を含んだ瞳が浮かんだ。
(……勝てるかどうかは、分からない。でも、やれることはやった)
それだけを確信して、俺は深い眠りの底へと落ちていった。
ジャンプBLACKのアンソロジーになる作品は?
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HUNTER×HUNTER
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NARUTO
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ONE PIECE
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鬼滅の刃
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ダイの大冒険
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チェンソーマン
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ドラゴンボール
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魔都精兵のスレイブ
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僕のヒーローアカデミア