発売から一週間が経った夜、編集部の打ち合わせスペースで俺は神様の裁定を待っていた。
天井の蛍光灯がやけに白く眩しい。コーヒーの湯気が揺らめく。
羽良嶋さんがファイルを開いた。その動作はあまりにも日常的で、俺の心臓が早鐘を打つのが場違いな気がした。
「結果が出ました」
彼女は一枚のプリントをテーブルに滑らせた。
視線が数字を追う。
総合順位――二位。
「くそっ…!」
思わず口をついて出た悔し紛れの言葉。テーブルの下で拳を握りしめる。爪が掌に食い込む痛みだけが、現実感を繋ぎ止めていた。
「一位は、久我山先生の『冥加理宇』です」
羽良嶋さんの声は冷静だ。俺の感情を見透かしたように、事実だけを並べる。
「内訳を見ましょう。あなたの『東風舞希』は、電子版単話売上で一位を獲得しました。初動の勢いも良く、舞希様のキャラクター吸引力は証明されています」
「だったら、なんで総合で負けたんですか!」
声が大きくなった。近くのデスクにいた編集者がこちらを瞥むが、構っていられない。
「読者アンケートの厚みが足りませんでした」
羽良嶋さんは眉一つ動かさずに答えた。
「久我山先生の作品は、読者アンケートでも一位。そして編集部評価でも圧倒的一位でした。あなたの作品はアンケート三位。売れたのに、心に残らなかった読者が一定数いたということです」
俺は唇を噛んだ。売れた。それは事実だ。舞希さんの圧倒的な色気と、主人公との背徳的な関係。それは間違いなく読者の下半身を刺激した。でも、それだけだったのか?
「久我山先生の描いた冥加理宇様は、老いと性欲の化け物でした。醜悪でありながら、どこまでも人間的。読者はそのグロテスクなまでの生々しさに吐き気を催しながらも、最後まで目が離せなかった。読了後、胃に重く残る不快感こそが、彼の作品の強さです」
対して、俺の作品はどうだ。
主導権争いの末に結ばれる二人。事後の優しい余韻。
「あなたの描いたハッピーエンドは綺麗にまとまりすぎていました。舞希様の抱える東家という重圧、寡婦としての孤独。それらを性欲で解決したように見えて、実はうやむやにしただけではないかという指摘が編集部からありました」
図星だった。
彼女の中に寄り添うことはできた。でも、彼女の背負うものを真正面から受け止めきれなかった。主人公が「代わりになります」と言って彼女を抱いたのは、彼女の重荷を肩代わりする覚悟の表れだったはずだ。でも読者には、それが「都合のいい免罪符」に見えたのかもしれない。
「…悔しいです」
俺はうつむいたまま言った。声が震える。
「四位から二位には上がった。単話売上も一位だった。でも、まだ頂点じゃない。久我山先生の作品のように、読者の魂を抉り取るような物語は描けなかった」
「ですが、確かな手応えはあったはずです」
羽良嶋さんが静かに言った。
俺は顔を上げた。彼女の灰色の瞳が、真っ直ぐに俺を見据えている。
「前回の『鬼の姉子』では、主人公の欲望が足りないと言われました。でも今回は、彼は自分から襖を開けた。線を越えた。その結果として単話売上一位を取った。あなたの描く『男の能動的な欲望』が、読者の支持を得たという証明です」
彼女はファイルを閉じた。パタン、と乾いた音が響く。
「問題は、その欲望のベクトルです。性欲だけで押し切るのか、それとももっと深い人間の渇望として描くのか。久我山先生に欠けているのは『救い』です。彼は人間の業を描く天才ですが、救済は描けない。だからこそ、あなたが勝つためには業と救済の両立が必要です」
…救いか。
舞希さんを抱くことが救いになるなら、もっと彼女を追い詰めなければならなかったのか。彼女が崩れ落ちる寸前まで追い込んで、そこから手を差し伸べて初めて、ハッピーエンドは輝きを増すのか。
「二位という結果、受け止めます」
俺は深く息を吸い込み、震える拳をゆっくりと開いた。
悔しい。あと一歩だった。でも、四位だった自分より、確実に一歩前に出ている。自分の武器が「キャラクターの魅力」と「男の欲望」だと確信できた。あとはその切っ先を、相手の急所に突き立てるだけだ。
「次こそは、編集部評価も読者アンケートも全部取ります。久我山先生にも勝ちます」
「期待していますよ」
羽良嶋さんが微かに笑った。
見本誌の表紙の京香が、まるで「まだまだこれからでしょう?」と言っているように見えた。
ランキング二位。
敗北ではないが、勝利でもない。
俺の戦いはまだ始まったばかりだ。
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