ジャンプBLACK編集部は、少年ジャンプと同じフロアの別区画に存在していた。
「――それで、綴木先生? 話は聞いてるんですか」
「…ふぁっ!? き、聞いてますよ! ちゃんと!」
俺はビクッと顔を上げた。指先には、削りかけのガンプラのパーツ。昨晩、緊張をほぐすつもりが夢中になりすぎて、気づけば朝の四時だった。案の定、今は強烈な眠気と戦っている。
「はあ。その目の下の隈で言われても説得力がありませんね」
服部さんが呆れたようにため息をついた。受付で渡されたコーヒーの紙コップを、俺はむっつりと啜る。
「いや、違うんですって。これはその…取材ですよ、取材。次の読み切り、もしかしたらロボットものかメカものになるかもしれないじゃないですか。プラモの内部構造とか、関節の可動域とか、そういうリアリティを――」
「言い訳はいいです。今日は編集長に顔を出すだけですから、緊張しすぎですよ」
(だって緊張するだろ…! 新しい職場ってだけで胃がキリキリするのに、ここの編集部、空気が違うんだもん…)
そう、空気が違う。
少年ジャンプ編集部が「熱気」と「活気」のるつぼなら、BLACK編集部は「静かな熱」とでも言うべきか。デスクに積まれた資料の山、壁に貼られたポスターはバイオレンスやサスペンスの劇中カット。奥の打ち合わせスペースからは、編集者らしき男が作家に淡々と企画の修正点を伝える声が聞こえる。
「あ、あのー…隣のブース、結構ピリピリしてません?」
「当たり前です。ここは大人の読み切り一本で評価が決まる場所だ。みんな真剣ですよ」
俺はごくりと唾を飲み込んだ。
(やべえ、ここで結果出さなきゃ、本当に「はいさようなら」だ。ガンプラ作ってる場合じゃなかった…! でも昨日の俺は、「リラックスが大事だ!」とか言いながらザクの関節を削り出してて…)
「ああ、それと」服部さんが歩を止めずに言った。「いいものが出来ましたね、前に指摘した怪盗ものの修正、よかったですよ」
「えっ」
「ヒロインがターゲットに接近する理由が、ただの任務だけじゃ弱い。だから彼女自身の『過去のトラウマ』を伏線として織り込んだ。あの心理描写があったから、最後のアクションシーンで服が破ける必然性に読者が納得する」
俺は目をパチクリさせた。まさか褒められるとは思っていなかった。
(あの時、服部さんに指摘されて、俺なりにキャラの掘り下げ方を考えたんだ。ただのエロ要員じゃない、一人のプロフェッショナルとして彼女を描こうって…)
「ただ、その分だけ前戯が長すぎる。ページ数が足りなくなる前に、本番のアクションへどう雪崩れ込むか。次の企画では、そこを考えてください」
「…はい」
結局、最後は課題で締められる。でも、悪い気はしなかった。
編集長室の前に着く。服部さんがドアを三回ノックした。
「どうぞ」
中から聞こえたのは、想像よりずっと穏やかな声だった。俺は背筋を伸ばし、寝不足でボンヤリする頭に活を入れた。
(さあ、いよいよだ。『ジャンプBLACK』の漫画家、綴木想真。まずは顔と名前を覚えてもらわないと)
編集長室を出た俺の背中は、言い知れぬ重圧で張り詰めていた。
「綴木先生、こちらへ」
服部さんに案内されたのは、個室ではなく、ガラス張りの小さな打ち合わせスペースだ。奥にはすでに人が座っている。
俺は息を吸い、心臓の鼓動を一つ落ち着けてから、席に向かった。
「こちらが『ジャンプBLACK』であなたの担当になる、羽良嶋累(はらしま・るい)です」
紹介されたその人物を見て、俺の足がピタリと止まった。
(……え?)
打ち合わせ席に座っていたのは、女性だった。
黒髪はショートボブに切りそろえられ、長い前髪が右目を覆い隠している。紺色のパンツスーツに、白いシャツ、暗い赤色のネクタイ。細身で背が高く、直立すれば俺と目線が近いかもしれない。何より、その全体から滲み出る空気が、冷たく研ぎ澄まされていて――まるで冬の夜空みたいだった。
「初めまして、羽良嶋累です」
声もまた、凛として硬質だった。
「あ、えっと……綴木、想真、です」
俺は思わず声が上擦りそうになるのを堪えた。
(いや、待て。女性? 担当編集が? しかもこんな美人? 俺、これからこの人と“エロ”とか“欲望”とか“際どいネーム”について、顔を突き合わせて話すのか!?)
脳内で理想と現実のギャップがド派手な破裂音を上げた。昨晩作ったガンプラより、よっぽど衝撃的だ。
「……綴木先生?」
羽良嶋さんの左目――見えている方の瞳が、じっと俺を捉えた。灰色がかったその瞳には、温度がなかった。
「座っても?」
「あ、はい! すみません!」
俺は慌てて対面の席に座った。テーブルの上には、俺のこれまでの読み切りがまとめられたファイルと、新品のノートパソコンが置かれている。
「服部さんから話は伺っています。色々なジャンルを描ける才覚、読み切りでの勝負強さ。そして、露出や誘惑の描写に指向性が高いことも」
羽良嶋さんは間髪入れずに言った。淡々とした口調だが、一語一語に重量がある。
「えっと、指向性っていうと…」
「『ミス・ハニートラップ』の高評価、見せましたよ。服部さんに」
彼女はファイルを開いた。そこには俺が描いた、ヒロインの際どいシーンのネームコピーが挟まれていた。
「なるほど、確かに湿り気のある描写には長けています。ただ……」
彼女の長い指が、ネームのあるページを押さえた。そこはクライマックス直前、ヒロインが敵の罠にかかって拘束されるシーンだ。
「綴木先生。これ、欲しいんですか?」
「へ?」
唐突な問いだった。
「ヒロインは、ターゲットの弱点を暴くために危険な罠に飛び込みました。でも、その瞬間の『表情』が足りていない。ただ服が破かれて声を上げているだけだ」
彼女の指が、ヒロインの顔のコマをトントンと叩く。
「この彼女は、ただの被害者です。ですが、本当は……違いますよね?」
俺はごくりと唾を飲んだ。彼女の言いたいことが、痛いほど分かった。
「…確かに。彼女はプロのスパイです。敵の罠だと分かってて、あえて踏み込んでる。だから、このシーンはただ辱められてるんじゃなくて、こいつ、腹の中で『かかったな』って笑ってなきゃいけない」
「そういうことです」
羽良嶋さんの口角が、微かにだけど確かに上がった。
「その『食い違い』こそが、大人の漫画の醍醐味です。外面と内面のズレ。背徳感とカタルシス。――でも先生、残念ながら今のままでは、そのズレの深さが足りません」
椅子に深く座り直し、彼女は腕を組んだ。
「ジャンプBLACKの読者は、単なる肌色だけを求めていません。『なぜ彼女はそこまで堕ちるのか』『彼が抱く欲望の本当の形は何か』――そうした人間のドロドロした部分を、論理的に積み上げて見せてほしい。そうでなければ、胸に残らない」
(論理的…か)
「さて、次号の『ジャンプBLACK』のテーマなんですが」
羽良嶋さんはそう言うと、足元のアタッシュケースをカチャリと開けた。
「テーマ?」
俺は首を傾げた。雑誌ごとに共通の題材で競うというシステムは聞いていたが、まさか初手から指定があるとは。
「はい。次号は『妖怪』です」
「ヨーカイ…?」
脳内に、 ge ge ge の鬼太郎や、某.analytics のナズナが浮かぶ。いや、BLACKだぞ? 幽霊部室で怪談大会して豆電池一つで終わるような企画なわけがない。
「資料、用意しました」
言うが早いか、羽良嶋さんはアタッシュケースから分厚い文献の束をドサッとテーブルに叩きつけた。重たい音が、静かな打ち合わせスペースに響く。
「う、うわっ…」
cumulative な重みに、俺は思わず身を引いた。表紙を見るだけでも、『江戸怪異教研』『土偶と呪術の性愛史』『未確認生物交遊録』など、明らかにアカデミックすぎる、あるいは怪しすぎるタイトルばかりだ。
そして、問題はそれだけじゃなかった。
「例えば、この雪女の記述なんですけど!」
羽良嶋さんの瞳が、ドピューっと鋭い光を放った。右目は前髪に隠れているが、左目だけで十分すぎるほどの熱量がある。
「判然とした伝承では男を凍えさせるとされていますけど、実は古い密やかな記録には『接触の瞬間にのみ熱を与える』という変種があってですね、これが体温の奪い合いのメタファーだとしたら、もう背徳感が止まらなくて! あ、あと河童の皿の欠損に関する_shamanic な解釈も独創的で!」
「あ、あの…羽良嶋さん?」
「それから狐の嫁入り! あれは天気雨のことじゃなくて、狙った男の理性を曇らせる幻覚.description で…!」
彼女の口調は早口になり、原本をペラペラとめくる手つきはもはや条件反射のようだった。さっきまでの冷徹な編集者はどこへやら。オタク特有の早口でまくし立てる彼女の顔は、紅潮しているようにすら見えた。
(…察し。この人、ヤバい方の妖怪マニアだ)
俺の背筋に、冷や汗がツーっと伝う。平静を装っているが、彼女の内なる情熱はマグマだ。間違っても「妖怪とかポップで可愛い感じでいきましょう☆」とは言えない空気が完成していた。
「…ハッ!」
羽良嶋さんは突然、大きく息を吸い込み、バッと手元の資料を閉じた。そして、コホンと一つ咳払い。
「…失礼。少し膝が乗りました」
「いや、全然。インパクトありましたよ」
「と、とにかく!」
彼女はネクタイを直し、居住まいを正した。
「妖怪を題材にする作家は、他にもいます。ホラーで攻めるか、アクションで攻めるか。でも先生、あなたには……ハッピーエンドを描いてほしいんです」
「ハッピーエンド? 妖怪で?」
またしても意外的な組み合わせが出た。妖怪といえば、祟り、呪い、因習。どれをとっても負の遺産だ。そこからハッピーエンドへ持っていくのは、真っ直ぐなバンジージャンプより難しい。
「はい。先生の作品は、最後が『救い』にある。どんなにドロドロしても、最後は笑顔で終わる。それがあなたの魅力です。だからこそ、妖怪と人間が幸福な結末を迎える物語を描けるのは、先生しかいません」
彼女の灰色の瞳が、揺るぎなく俺を見据える。
「妖怪と、エロティシズムと、ハッピーエンド。この三つを矛盾させずに描いてください。ただし、安易な共生エンドはNGですよ。そこに至るまでの『欲望』と『代償』を忘れないでください」
(妖怪×エロ×ハッピーエンド……)
俺はテーブルの上の資料を見つめた。雪女、河童、狐。彼女らはなぜ人間に害をなすのか。なぜ誘惑するのか。
そこに「彼女たちなりの愛情」や「人間側の本音」があれば。
ジャンプBLACKのアンソロジーになる作品は?
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HUNTER×HUNTER
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NARUTO
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ONE PIECE
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鬼滅の刃
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ダイの大冒険
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チェンソーマン
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ドラゴンボール
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魔都精兵のスレイブ
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僕のヒーローアカデミア