椅子に深く腰掛けた俺は、白紙のノートを前にして、指先でペンを回し続けていた。
一位。その二文字が、脳裏に焼き付いて離れない。
「これまでで最も過激なテーマ…」
編集部から通達された次回読み切りのお題は、たった二文字だった。
『学校』
羽良嶋さんのコーヒーを片手に、向かいのソファから俺の様子を窺っている。今日は珍しく、彼女の傍らには例の妖怪資料の山ではなく、小中学校の卒業アルバムや、青春小説の文庫本が積まれていた。
「学校。これ、BLACKの読者に向けて描くとなると、結構えぐいテーマですよ。いじめ、虐待、スクールカースト、援助交際…。暗い題材はいくらでも転がってます」
「だが、お前は暗いだけの話を描くな。お前の持ち味はハッピーエンドへの渇望だ。このテーマで、どうやって救いを描くか」
羽良嶋さんが、静かに、しかし鋭く結論の先を促す。彼女はいつも答えを与えない。問題点を突きつけて、俺が悩むのを待つ。
「…『純愛』でいこうと思います」
俺はノートに、大きな円を二つ描いた。
「学校、しかも夜の校舎。誰もいない教室で、女子生徒が一人、机に突っ伏して泣いている。そこに、主人公の男子生徒が、清掃用具を抱えて現れる。主人公は、いわゆる落ちこぼれ。クラスでも透明な存在。ヒロインは、その正反対で、成績優秀、スクールカーストの頂点にいる生徒会長。絶対に交わらないはずの二人が、深夜の教室で出会う」
「なぜ二人は、深夜の校舎にいるんですか」
「主人公は、内申点のために雑用を押し付けられて、夜中まで清掃をさせられてる。ヒロインは、優等生としての重圧に押しつぶされて、誰にも言えない悩みを抱えて、昼間の自分を捨てるために夜の校舎へ逃げてきてる。彼女が泣いている理由は、完璧であることの孤独」
俺はペンを走らせ、ノートの端に、主人公とヒロインのラフを描いた。ヒロインは、乱れた制服のまま、主人公を見上げている。目には涙が残っているが、その奥に、危うい好奇心が宿っている。
「主人公は、泣いている彼女を放っておけない。でも、どう声をかけていいか分からない。だから、無言で、彼女の隣の机を、持ってきた雑巾で拭き始める。それが、二人の最初の会話です」
「会話になっていませんが」
「そう。会話にならない。でも、それがいいんです。言葉じゃなくて、行為で、自分の居場所を伝える。そして、次第に二人は、毎晩、教室で落ち合うようになる。昼間は一切話さない。目も合わせない。でも、夜が明けるまで、教室で二人きり、自分の愚痴や、将来への不安、家族の話をする」
「そこで、『純愛』の核となるべきものは何ですか」
「禁断の関係です。二人の間に、性的な緊張が生まれます。ヒロインは、完璧な優等生を演じるために、親の教育方針で、恋愛どころか男子と二人きりになったこともない。主人公は、彼女に触りたい、抱きしめたいと願いながら、その手を、どうしても伸ばせない。自分のような汚い存在が、彼女の清さを壊してしまうことを恐れている」
俺はノートの新しいページを開き、教室の真ん中で向かい合う二人の絵を描いた。
「中心となる場面です。ある晩、ヒロインが主人公に、生徒会長としての自分を演じることに疲れた、と打ち明ける。主人公は、『じゃあ、ここでは、俺の前では、演じるのをやめろ』と告げる。それに対してヒロインは、突飛な行動に出る」
「…何をしますか」
「制服のリボンを外し、シャツのボタンを二つ、自分で外すんです。彼女は、これまで誰にも見せたことがない、素の自分を、主人公に見せようとしている。主人公は、彼女の白い肌よりも、その震える指先に気づく。彼女が、拒否されることを、何よりも恐れていることに。だから主人公は、彼女の手を、自分の両手で包む」
「それで、二人は結ばれるわけですか」
「いいえ。しません。この話、最後までセックスシーンはありません」
俺ははっきりと告白した。すると意外なことに、羽良嶋さんは静かに頷いた。
「ほう。BLACKで、あえて性描写を収めずに描く、と」
「はい。今回の読者は、今までと違う層もターゲットにしたい。単純にエッチなシーンが見たい読者じゃなくて、青春の痛みを抱えた大人にこそ刺さるような、切なさを求めたい。彼女の触れたいけど触れられない、そのもどかしさと、欲望のドロドロとした空気感が、物語の主軸です」
「結末は、どうするんです」
「朝が来ます。ヒロインは、主人公の胸で泣き疲れて眠っていました。彼女の寝顔を見て、主人公は、彼女の口元に手を伸ばす。でも、唇の直前で手を止める。代わりに、乱れたリボンを結び直してやって、自分は教室を去る。翌日、学校の廊下で、彼女とすれ違う。彼女は、いつもの完璧な生徒会長の顔に戻っている。でも、すれ違いざまに、彼女のリボンが、確かに彼女自身の手で結ばれているのを見て、二人は、目で笑い合う。秘密の共有。それが、この作品のハッピーエンドです」
俺は一気に話し終え、ノートを羽良嶋さんに向けた。
沈黙が、教室に落ちる。羽良嶋さんは、机の上のラフをしばらく見つめた後、ゆっくりと口を開いた。
「綴木。お前、暗い結末が嫌いだから、最後に救いを描く。それは分かっている。だが、『触れないための手』と『結び直すリボン』が、読者の胸を打つかどうかは、描写の精度次第だ。ただの清らかな青春では、BLACKの読者は満足しない。背徳感を、もっと匂わせるべきよ。例えば、彼女の乱れた制服。誰が見ても、『ああ、抱かれたんだな』と思うような、痕跡。でも、本当は、手すら握っていない。その、『誤解されること』に対する二人の緊張感と、『誰にも本当のことは言えない』という秘密の共有を、もっとエロティシズムとして描けるはずです」
彼女の言葉に、俺の脳内が、新たなアイデアを電撃のように走らせた。
「朝、教室から出ていくとき、主人公、彼女の制服に残った涙の跡を、自分のハンカチではなく、彼女のハンカチで拭くんです。でも、そのハンカチは、前夜に彼が、涙で濡れた彼女の目元を拭ったもの。証拠品です。二人は、それをどちらが持つか、無言で押し付け合う。でも、結局、彼女が主人公の胸ポケットに、ハンカチを押し込む。その指先が、胸元に触れた瞬間の、鼓動の速さ。読者には、二人が既に一線を越えたのか、それとも何もなかったのか、最後まで分からない。でも、二人の中には、確かに『ただの友情』を超えた何かが存在している」
「…ええ。それよ。その『秘密の共有』こそ、お前の描くエロティシズムの最前線。道徳や倫理では、裁けない関係。それを、二人だけの聖域として、美しく描け。学校という息苦しい監獄の中で、誰にも見つからない、切ない悦楽。その純粋さと背徳感を、矛盾なく描いた時、お前の一つの到達点になるはずよ」
羽良嶋さんの声には、いつもの冷静な分析ではなく、期待の色が、ほんの少しだけ混ざっていた。
「サブタイトルは…『ソーア』で」
俺はノートの表紙に、大きく二文字を書き込んだ。空。二人が出会う、あの屋上のように、開放的で、それでいて、閉じ込められた場所。
「テーマは、学校。コンセプトは、純愛。切り口は、秘密の共有。この読み切りで、必ず一位を獲ってみせます」
俺が宣言すると、羽良嶋さんは微かに笑った。
「期待していますよ。締め切りは、来週の金曜。今回も素晴らしい地獄を見せてくれるんでしょうね」。
ジャンプBLACKのアンソロジーになる作品は?
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HUNTER×HUNTER
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NARUTO
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ONE PIECE
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鬼滅の刃
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ダイの大冒険
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チェンソーマン
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ドラゴンボール
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魔都精兵のスレイブ
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僕のヒーローアカデミア