汗が冷えていく。
オルソラは俺の胸の上に崩れ落ちたまま身じろぎひとつしなかった。肩で息をしながら、時折びくりと小さく震えている。俺も指一本動かす気になれなくて、繋がったままの互いの熱だけがまだ現実だと教えてくれるようだった。
彼女の髪の匂いがする。汗の匂いとどこか甘い花のような残り香。修道院で焚かれている香油の名残かもしれない。その匂いが、今夜という夜が現実でなかったかのような錯覚をいっそう強めている。
「……動けないや」
オルソラが掠れた声で呟いた。その声がおかしかったのか、自分でふふっと笑っている。
「無理しなくていい」
俺の声もひどく掠れていた。喉が焼けるように乾いている。彼女が腕の中で小さく息を吸うたびに、胸のあたりがむずがゆいようなくすぐったいような感覚が残る。
「あったかいねえ」
彼女が囁く。繋がった場所から彼女の体温がまだ流れ込んでくる。心臓の鼓動が少しずつ落ち着いていくのが分かる。二つの心音が別々のリズムを刻みながら、やがてゆるやかに重なっていく。
俺はそっと彼女の背中に腕を回した。
汗で湿った肌が掌に吸い付く。肩甲骨のあいだに指先を滑らせると、彼女がくすぐったそうに身を捩った。
「……あんたの手、冷たいよ」
「お前が熱いんだろ」
「そうかも」
オルソラが顔を上げる。
俺の目を覗き込む彼女の瞳は、涙のあとがうっすら残っていてだけどその奥はひどく静かだった。さっきまでの激しさが嘘みたいに凪いでいる。
「……後悔してるかい?」
彼女が尋ねた。その声に卑下も恐れもない。ただ単純に、俺の心の中を確かめるような口調だった。
俺は少し考えた。後悔という言葉が、この時間にそぐわない気がして。
「してないよ」
正直にそう答えた。彼女の口元がふわりと緩む。
「そっか」
それだけ言って彼女はまた俺の胸に額を押し当てた。繋がったままの身体が、彼女の寝返りに合わせて浅い角度で揺れる。その刺激が、もう突き刺すような快感ではなくただ互いの存在を確かめるための感触に変わっていた。
「……なあ、オルソラ」
「んー?」
眠気を含んだ声。彼女の睫毛が俺の胸に触れて、小さく瞬いている。
「俺は……お前のこと、守れると思うか」
自分でもなぜそんな言葉が出たのか分からなかった。彼女の温もりに触れているうちに、どうしようもなく不安になったのだ。守れるかではなく、守っていいのか。そんな資格が俺にあるのか。
オルソラは少しの間黙っていた。そして、かすかに笑う気配がした。
「守ってほしいとは、思ってないよ」
その言葉に、胸の奥が小さく軋んだ。
「あたしは……あたしのことは、あたしが守る。あんたはあんたのことを守って。そうして、たまにこうやってあったかくしてくれたらそれで充分」
彼女の言い方はあまりにもきれいで、あんまりだと思うほど優しかった。
「……寂しくなったら、お前はどうするんだ」
「そのときは、あんたを思い出すよ」
彼女は俺の胸に頬を寄せたまま、うとうとと目を閉じかけた。
「あんたのこのむさくるしい胸の匂いと、乱暴な手つきを思い出す。……そうしたら、きっと笑えるから」
「……それ、思い出すだけで笑える要素あるか?」
「あるある」
くくっと笑う彼女の吐息が、胸の肌をくすぐった。
俺は天井を見た。暗い天井の木目が、ランプの淡い灯りでぼんやりと浮かんでいる。夜はまだ、私たちが思うよりずっと深い。
彼女の手が俺のわき腹に触れた。熱い手のひらを、そうっと差し込むように押し当ててくる。それから彼女はゆっくりと俺の上から降りて、横たわり直した。繋がりがほどけて名残のように精液が滲む感覚が腿のあいだを汚す。だがその不快感すら、なぜか心地の良い余韻のように思えた。
「……すごかったねえ」
彼女が天井を見つめたまま呟いた。その声はすっかり眠りの縁にいる。
「……馬鹿みたいに、何回も」
「まだ元気そうだったよ」
「あれ以上は死ぬ」
「死なないよ」
オルソラが笑った。その笑い声が、空気に溶けるように消えていく。
「……また、できるのかな」
彼女の言葉の輪郭が、もう曖昧だった。意識が沈みかけている。
「できるさ」
俺は答えた。本当にできるかどうかは分からなかった。任務が終われば、どうなるか。彼女がここにいて俺も生きているとは限らない。それでも、今だけは肯定を選びたかった。
「……そっか」
オルソラの声が小さく途切れる。瞼が閉じていく。呼吸が深く、ゆっくりになっていく。
彼女は俺の腕の中で、小さな子どものように背を丸めて眠り始めていた。その寝顔は、修道女としての凛とした姿とはまるで違いただの──いや、ただの女の顔をしていた。
俺は彼女の髪に手を触れた。汗で湿った金の髪をそっと指で梳く。
「……ずっと、こうできたらいいな」
半分眠りに落ちかけた彼女の唇が、そう動いた。
それが寝言だったのか、本心だったのか俺には分からない。ただ、その言葉が胸の内側に落ちて小さな波紋を広げるのを感じていた。
「ああ」と、俺も呟いた。「そうだな」
彼女の呼吸はもう眠りのそれだった。裸の肩に薄布を引き上げかけて、しかしすぐにやめた。いまは彼女の体温をお互いに肌で感じていたかった。
俺も目を閉じる。
遠くで風の音がしている。窓の外で木々が揺れる音が、子守唄のように夜へ沈んでいく。二人分の呼吸が重なって、いつの間にか境目が分からなくなっていく。
眠りは、静かに、そして確実に俺たちのところへやってきた。
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