ペン先が、原稿用紙の上を滑る。
いや、滑っているんじゃない。食らいついているのだ。
カッカッカッ、というペンの走る音だけが、仕事部屋に響いている。エアコンの低い駆動音も、隣室の住人がテレビをつける音も、今の俺には聞こえない。聞こえるのは、荒覇吐呑子の荒い吐息と、俺自身の心臓の音だけだ。
(……あと、五ページ)
デジタルのタイマーが示す残り時間は、もはや精神的な意味を持たない。残っているのは、白紙という名の敵地を、どれだけ血を流しながら制圧できるかという問題だけだ。
「くそっ、ここか……!」
俺は震える指で、新たな原稿用紙をセットした。第十八ページ。茂みに押し倒されるシーンだ。
羽良嶋さんの言葉が、脳内でリフレインする。
『意味を持たせてください』
ただ服を脱がせて、胸を揉んで、喘がせる。そんなのは『ジャンプBLACK』の敗北だ。それじゃあ、ネットの薄い動画と変わらない。
俺はペンを握り直した。掌が汗で滑る。
呑子は、震えている。
鬼の力を使った反動で、身体が熱くてたまらない。でも、その奥にあるのは「また自分は人間と違う何かになってしまった」という恐怖だ。彼女は主人公に抱きつくことで、自分がまだ「人間」であることを確認しようとしている。
だから、主人公のアクションは「征服」じゃなくて「受容」でなきゃいけない。
(彼女の震えを止めるには、どうすればいい?)
俺はコマの中の呑子の顔を描いた。潤んだ瞳。少し開いた唇から漏れる吐息。乱れた桃色の髪。
その表情に、色気と同時に、泣き出しそうな子供のような脆さを混ぜる。
そして、主人公の手。
迷いながらも、彼女の頬に触れ、その豊満な胸に手を伸ばす。
「……大丈夫だから」
セリフは短くていい。その代わり、手のひらの熱が伝わるような描線を叩き込む。
主人公が彼女の胸を鷲掴みにした瞬間、呑子の表情が凍りついた恐怖から、安堵と快楽が入り混じった歪みへと変わる。
(ここだ……! この落差だ!)
筆が加速する。
主人公が赤ん坊のように乳首に吸いつくコマ。呑子が彼の頭を抱え、甘い声を漏らしながらも、その目から一筋の涙がこぼれるコマ。
それは、背徳的なエロティシズムであり、同時に魂の救済でもある。
汗が顎から落ちて、原稿用紙の端を濡らした。「shit!」舌打ちしながらティッシュで拭う。心臓が早鐘を打っている。カフェインの過剰摂取で胃がキリキリする。でも、手は止まらない。
描いてる俺自身が、発情しそうなほど熱いシーンだ。でも、それを冷徹な計算のもとにコントロールする。ここで読者の理性を溶かし、最後のハッピーエンドへの伏線にするんだ。
(あと、三ページ……!)
最後の戦いは、朝の光の中で行われる。
目覚めた主人公は、隣で静かに眠る呑子を見る。彼女の寝顔には、昨夜の情事の名残と、穏やかな安らぎがある。
主人公は、ベッドの上に散らばった空き瓶を片付けながら、呑子の額にキスをする。
「美味い酒、だったな」
最後のコマ。
二人は手を繋いで、朝のコンビニへ向かう。日常への回帰。でも、その手の繋ぎ方は、昨日とは違う。
そこには、確かな「共犯者」としての絆がある。
ペンが、最後の効果線を引く。
トーンを貼る手が、いつになく正確だ。
白黒の世界に、陽だまりの温もりを閉じ込める。
「……ッ!!」
最後のコマの角を、黒く塗りつぶした瞬間。
俺の身体から、全ての力が抜け落ちた。
ペンが手から滑り落ちし、机の上でカランと乾いた音を立てた。
視界が霞む。天井のシミが、呑子の笑顔に見えた気がした。
完成した。
魂を削って、血を吐くようにして描いた、俺の最高傑作。
『鬼の姉さん』
「はは……やった、ぞ……」
声にならない声を漏らし、俺は椅子ごと後ろに倒れ込んだ。
机の端に手が触れ、書き上げた原稿の束が足元に散らばる。
掃除をする余裕すらない。
もう、どうでもいい。
眠たい。ひたすらに眠たい。
意識のスイッチが、オフになる直前。
羽良嶋さんの、あの冷ややかで、でもどこか期待を含んだ灰色の瞳が浮かんだ。
(見てくれよ、……これが、俺の答えだ……)
そうして、俺は原稿の海に埋もれたまま、深い闇へと沈んでいった。
ジャンプBLACKのアンソロジーになる作品は?
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HUNTER×HUNTER
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NARUTO
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ONE PIECE
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鬼滅の刃
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ダイの大冒険
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チェンソーマン
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ドラゴンボール
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魔都精兵のスレイブ
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僕のヒーローアカデミア