手元に届いたばかりの『ジャンプBLACK』見本誌が、やけに重たく感じる。
指先が微かに震えているのが自分でもわかる。ビニールを破り、表紙をめくるその動作すら、爆弾の信管を弄っているような緊張感だ。
一ページ目。
巻頭カラーを飾っているのは、俺の『鬼の姉さん』ではない。常連作家の久我山だ。タイトルは『嘴(くちばし)』。鴉天狗の女が、人間の男の舌を奪っていくというダークファンタジーだ。インパクトのある描き込み。黒と赤のコントラストが目に焼きつく。
俺の『鬼の姉さん』は、その後ろだ。
目次を開き、該当ページへ飛ぶ。印刷された紙面の呑子は、俺が原稿用紙に向かっていた時よりも、数倍艶かしく見えた。モノクロのインクが、彼女の肌の湿り気を再現している。茂みの中で主人公に抱きつくコマ。揺れる乳房の陰影。そして、その奥で光る涙。
(上手くいった…のか?)
描きたかった「背徳と救済」は、確かに形になっている。でも、他の作家の作品と並んだ時、これがどう映るのか。自信と不安が、胸の中で暴れ回る。
俺は久我山の『嘴』を読んだ。
鴉天狗の女は、人間の言葉を奪うことでしか愛を確信できない。男が声を失っていく絶望と、女がそれを「共有」と勘違いする狂気。ラスト、声なき悲鳴を上げる男の口元だけがアップで描かれ、黒塗りで終わる。
読後感は、悪寒だ。美しいが、救いがない。
俺の呑子とは対極にある。俺が描いたのは、性欲を通じた「受容」だが、久我山が描いたのは執着を通じた「拒絶」だ。
さらにページをめくる。
次に目に留まったのは、新人之介という作家の『雨女』。
妖怪・雨女をモチーフにした、ヒューマンドラマだ。雨が降るたびに人の記憶が溶けていく女主角。彼女と過ごす高校教師の日常が、淡々と、しかし切なく描かれている。エロティックなシーンは一つもない。だが、雨に濡れた肌の質感が、何よりエロティックな横溢を醸し出している。読後感は、静かな余韻。
こいつは嫌な予感がする。「強い」。
俺は再び自分の『鬼の姉さん』を開いた。
呑子の圧倒的な身体性。主人公の童貞喪失。そして朝のコンビニへの散歩。
久我山の狂気や、新人之介の静謐と比べ、俺の作品はあまりに「生真面目」なハッピーエンドに見える。否、「生真面目」というよりは、少しだけ「軽い」かもしれない。
羽良嶋さんが指摘した「ズレの深さ」。それを描いたつもりでも、読者がどう受け取るか。妖怪の「異質さ」を、エロというスパイスでどう包んだか。答え合わせは、これからだ。
見本誌を閉じる。手の震えは止まらない。
自分の作品の輪郭が、他者との比較でようやくクリアになりつつある。
「エロ」は武器だ。でも、それだけじゃ勝てない。
俺の『鬼の姉さん』は、勝てるのか? それとも、久我山の『嘴』や新人之介の『雨女』の影に消えるのか。
見本誌の重みは、いつまで経っても慣れない。
発売日まであと三日。編集部から届いたばかりの『ジャンプBLACK』を、俺は自宅の机に置いた。表紙には久我山の描いた鴉天狗の女。真紅の唇と漆黒の羽。迫力がある。俺の『鬼の姉子』は、その影で鎮座している。
俺は再び、自分の作品を読み返した。
呑子が妖怪を屠る瞬間。鬼の血が沸き、理性と欲望の狹間で喘ぐ茂みのシーン。そして、童貞を卒業した主人公が、翌朝の光の中で彼女の手を握るラスト。
どうしても、他の作家との比較が頭を離れない。
久我山の『嘴』は、圧倒的な「毒」を持っていた。人間の言葉を奪うという設定は、コミュニケーションの断絶という現代の病を鋭く突いている。読後、胸に残るのはやり場のない怒りと、痺れるような恐怖だ。
対して新人之介の『雨女』は、「静寂」の極みだった。エロティックな描写を排しながらも、雨に濡れた肌の質感だけで、喪失と慈愛を描ききっている。読後は、じんわりと心が濡れるような余韻に浸れる。
じゃあ、俺の『鬼の姉子』は何だ?
「エロとハッピーエンド」。
語ってみれば、一番ライトな方向性だ。呑子の抱える孤独と、それを埋める主人公の受容。それ自体は描けたつもりだ。だが、久我山の刺すような痛みや、新人之介の沁みるような湿り気に比べて、俺の作品はどうしても「甘い」。
(羽良嶋さんが言ってた「ズレの深さ」…。俺はそれを、エロとハッピーエンドという安全地帯で誤魔化してないか?)
スマホの画面に、勝手アプリのアンケート速報が表示される。発売前だから数値は出ないが、SNSの反応は早い。
『鬼の姉子 荒覇吐呑子エロすぎワロタ』
『茂みのシーンyasashi-sugi(優しすぎ)草』
『ハッピーエンド胸熱!』
ポジティブな意見はある。だが、「刺さる」感じがしない。爆乳とハッピーエンドという記号に反応しているだけで、物語の核心にあるはずの「鬼と人間の悲哀」までは届いていない気がする。
コンコン、とドアがノックされた。
「綴木先生、いますか」
羽良嶋さんの声だ。俺は慌てて見本誌を閉じ、姿勢を正した。
「どうぞ」
入ってきた羽良嶋さんは、いつものパンツスーツ姿だったが、その表情はどこか硬い。彼女は無言でソファに座り、俺の顔を見た。
「見本誌、届きましたね」
「あ、はい。さっき読みました」
「他の作家の作品は?」
「…読みました。久我山先生の『嘴』と、新人之介先生の『雨女』」
羽良嶋さんは頷き、足を組んだ。
「率直な感想は?」
「…強いな、と。特に久我山先生の作品は、読んでて息が詰まりました。あの毒気、俺には出せない」
「ええ。あれは久我山先生の持ち味です。悪意の描き方に関しては、右に出る者はいません」
「新人之介先生もヤバいです。あの静けさの中にある情熱みたいなの、すごく沁みる。俺の『鬼の姉子』は…その、なんていうか、真っ直ぐすぎたのかなって」
俺は視線を落とした。スマホの画面に残る「エロすぎワロタ」という書き込みが、急に空虚に感じられる。
羽良嶋さんは、冷静な声で言った。
「先生。アンケートの結果が出るまでは分かりませんが、編集部内での評価はある程度見えています」
「…どうですか?」
「久我山先生は、設定の異常性と画力で圧倒しました。新人之介先生は、叙情性と余韻で読者の心を掴んでいます。双方、『妖怪』という題材を、自身のフィルターを通して深く掘り下げています」
彼女はそこで言葉を切り、俺をじっと見据えた。
「一方、あなたの『鬼の姉子』は、『ハッピーエンドへの到達』という点では一番でした。ですが、同時に『逃げ』だという意見もあります」
「逃げ…」
「はい。茂みのシーンで、主人公が受け身に徹している点です。彼は呑子の欲望にただ従順になり、彼女を『受け止め』はしましたが、自分から『壊し』にはいきませんでした。それが甘さとして出ています」
図星を突かれ、俺は息を呑んだ。
確かに。俺は主人公に、傷つくことを恐れさせた。彼女の孤独を包み込むことには成功したかもしれないが、彼自身のドロドロした欲望――彼女というバケモノに惹かれる、歪んだ性癖や背徳感までは描ききれなかった。ハッピーエンドに持っていくために、主人公の「人間としての泥臭さ」を削ぎ落としてしまったのだ。
「鬼の力を使った後の発情。その処理を『セックス』という形だけで済ませたのも勿体ない。もっと彼女自身の恐怖や、人間社会への未練を、行為の中でどう昇華できたか。そこを詰め切れていませんでしたね」
「……はい。自分でも、それが心残りです」
俺は唇を噛んだ。結果が出る前に、敗因が分かってしまった。痛い。だが、同時にスッキリもしていた。次はどうすればいいか、見えたからだ。
羽良嶋さんの表情が少し和らぐ。
「ですが、最初の読み切りとしては及第点です。荒覇吐呑子というキャラクターは、確かにあなたの武器になります。彼女の肉感的な魅力と、底抜けの明るさは、読者の記憶には残るはずです」
「…それ、ホントですか?」
「私が嘘をついてどうするんですか。次号のアンケート順位が全てです。それまでは、不安を抱えたまま待ってください」
彼女は立ち上がり、ファイルを手に取った。
「それでは、私はこれで。次の企画のことも、頭の片隅に置いておいてくださいね」
「あ、はい。ありがとうございました」
羽良嶋さんが部屋を出ていく。静寂が戻った。
俺は机の上の見本誌を見つめた。
『嘴』の狂気。『雨女』の静寂。そして『鬼の姉子』の、少し甘い背徳。
勝敗はまだ分からない。だが、俺が描くべき「欲望の深さ」と「ハッピーエンドの重さ」は、見えてきた気がする。
俺はペンを手に取った。原稿用紙はまだ白紙だが、頭の中には次の構想がぼんやりと浮かび始めている。
結果を待つだけの日々。だが、ただ待つだけじゃない。俺は、次の一手を打つ準備をするしかないんだ。
ジャンプBLACKのアンソロジーになる作品は?
-
HUNTER×HUNTER
-
NARUTO
-
ONE PIECE
-
鬼滅の刃
-
ダイの大冒険
-
チェンソーマン
-
ドラゴンボール
-
魔都精兵のスレイブ
-
僕のヒーローアカデミア