バットマンアーカムシティ:アナザー・インタビューテープ 作:ニンニク嫌い
≪笑顔とは便利な仮面だ。だが、一晩中扉を見つめ続ければ、どれほど鮮やかな化粧でも、置き去りにされた女の涙までは隠せない≫
≪君は彼女の狂気だけを見て、ハーリーン・クインゼルという名を過去のものとして捨てた。私は笑うことも、強がることも求めず、彼女が自らその名を受け入れるまで話を聞いた。そして彼女は、迎えに来ない道化師ではなく、約束どおり戻った私の手へ縋った≫
≪聞きたまえ、ミスター・ウェイン。これはハーレイ・クインが私のそばで初めて安心して眠り、目を覚ますまで離れないでほしいと願った記録だ≫
テープ#2 ハーリーン・クインゼル aka ハーレイ・クイン
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【録音開始】
【狭い室内を絶え間なく往復する靴音。数歩ごとに扉の前で止まり、すぐにまた動き始める】
【ハーレイが鼻を啜り、震える息を押し殺す】
『遅い……』
【壁の時計が強く叩かれる】
『絶対、この時計壊れてる。昨日から一分も進んでないんじゃないの?』
【靴音が扉へ近づく】
『ねえ、トラちゃん! 聞こえてるんでしょ? ヒューゴに、ハーレイが待ってるってもう一回伝えてよ!』
【扉の外から返事はない】
『役立たず! プリンちゃんが来たら、アンタたち全員――』
【ハーレイの声が途切れ、激しく鼻を啜る】
『……違う。泣いてない。昨日の変な匂いが目に染みただけ』
【衣服の袖で目元を拭う音】
『ヒューゴは来る。約束したもん。明日の同じ時間に、絶対来るって……』
【机の下で小さなスイッチが作動する】
【換気口の奥から、ほとんど聞き取れないほど小さな噴霧音】
【換気設備の低い駆動音が続く】
【電子錠が作動し、扉が開く】
『遅い!』
【弾かれたような足音が扉へ向かう】
『遒いよ、ヒューゴ! アタシ、ずっと待って――』
【ハーレイが大きく息を吸い、そのまま声を詰まらせる】
≪予定時刻の二十秒前だ≫
『……本当に来た』
≪約束したはずだ≫
『知ってるよ! アンタが来ることくらい、最初から分かってた!』
【ハーレイが慌てて鼻を啜る】
≪泣いていたのかね?≫
『泣いてない! この部屋、埃っぽいんだもん。目が痛くなっただけ』
≪一晩で、ずいぶん埃が増えたものだ≫
『うるさいなあ。女の子の目が赤いときは、気づかないふりをするものだよ』
≪分かった。では、気づかなかったことにしよう≫
【ストレンジが室内へ入り、扉が閉まる】
【電子錠が再び作動する】
『……ねえ』
≪何かね?≫
『先に、一つだけ聞いていい?』
≪ああ≫
『連絡は?』
【短い沈黙】
≪ジョーカーから君への連絡はない≫
【ハーレイの呼吸が止まる】
『……アタシの名前を出したとか、どこにいるか聞いたとかは?』
≪それも確認されていない≫
『本当に? アンタが聞き逃したんじゃないの?』
≪通信はすべて録音してある≫
『じゃあ、機械が壊れてたとか……』
≪三台の端末が、同時に同じ通信だけを記録し損なったと?≫
『アーカム・シティの機械なんて、どれもオンボロでしょ! それくらいあるかもしれないじゃん!』
≪君は、あり得る可能性ではなく、安心できる可能性を探している≫
『だって、ミスターJがアタシを忘れるほうが、よっぽどあり得ないもん!』
【ハーレイの靴音がストレンジの周囲を一度回る】
『それともアンタ、嘘ついてる? アタシを不安にさせて、泣かせて、面白がってるんじゃないの?』
≪音声を自分で確認するかね?≫
【ハーレイの足音が止まる】
『……聞かせて』
【機器のスイッチが入る】
【雑音のあと、ジョーカーの声が流れる】
〈――バットマンを見つけろ! 奴が治療薬を持っている! 見つけるまで戻ってくるな!〉
【通信音声が途切れる】
『ほら。プリンちゃんは病気なの。アタシを探す余裕がないだけ』
≪残りも聞くかね?≫
【短い沈黙】
『全部』
【数件の通信記録が続けて再生される】
【治療薬、ミスター・フリーズ、バットマン、タリアについて怒鳴るジョーカーの声。その間、ハーレイの名は一度も出ない】
【最後の通信が途切れる】
【しばらく誰も話さない】
『……病気だから』
≪ああ≫
『身体中が痛くて、頭だっていつもみたいに働かない。だから、アタシのことまで考えられないだけ』
≪その可能性はある≫
『アタシなら一人でも逃げられるって信じてるんだよ』
≪それも考えられる≫
『何、その言い方』
≪彼が君を救いたいと思いながら行動できない可能性と、君の不在を重要だと感じていない可能性。その両方を排除できないと言っただけだ≫
『後のほうは絶対に違う!』
【ハーレイが机を強く叩く】
『アタシはハーレイ・クインだよ! ミスターJの一番の相棒! 衣装の準備も、武器の手入れも、手下のお仕置きも、アタシがいなきゃ何にもできないんだから!』
≪君が挙げたのは、すべて彼のためにしていることだ≫
『相棒なんだから当然でしょ!』
≪ジョーカーは君のために、何をしている?≫
『いっぱいあるよ!』
≪一つ挙げたまえ≫
『アタシを笑わせてくれる』
≪ほかには?≫
『ハーレイって名前をくれた。つまんない人生から連れ出して、世界がどれだけ面白いか教えてくれた』
≪君が傷ついたときに看病したことは?≫
『忙しかっただけ』
≪泣いている君を慰めたことは?≫
『プリンちゃんは湿っぽいのが嫌いなの』
≪約束どおり、決めた時間に戻ってきたことは?≫
【沈黙】
『……時間を守ることだけが愛じゃないもん』
≪私は愛について評価していない。君が彼へ与えたものと、彼から与えられたものを確認しているだけだ≫
『愛を買い物みたいに数えるなんて、アンタ最低』
≪同じだけ返されていないと認めることが不安なのだな≫
『違う! そういう意味じゃ――』
【ハーレイの呼吸が急激に乱れる】
『……胸が、また……』
≪痛むのか?≫
『違う……苦しい。心臓が速くて、ちゃんと息が入らない……』
【椅子が大きく動き、ハーレイがよろめく】
≪座りたまえ≫
『座ったら、逃げられなくなる……』
≪何から逃げるつもりだ?≫
『分かんない! でも、何か……怖い……』
【ハーレイが息を詰まらせ、再び泣き始める】
『何で……? 昨日の変な匂いは、もうしないのに……。薬だって打たれてないのに、何でこんなに……』
≪一晩中、緊張状態に置かれていたからだ。君はほとんど眠っていない≫
『一人で待ってたの……。音がするたびに、プリンちゃんかもしれないって思って……でも、何回扉へ行っても誰もいなくて……』
≪こちらを見たまえ、ハーレイ≫
『無理……』
≪私の姿が見えるか?≫
【ハーレイが震えながら息を吸う】
『……見える』
≪私の声も聞こえるな?≫
『うん……』
≪では、私の声へ合わせて呼吸したまえ。四秒かけて吸う≫
【ストレンジが一定の間隔で机を指先で叩く】
≪一、二、三、四。そこで止める。次に六秒かけて吐く≫
【ハーレイの震えた呼吸が、指で刻まれる一定の音へ合わせられる】
≪もう一度だ。ゆっくり吸う。そうだ。今度は長く吐く≫
【数回、呼吸が繰り返される】
【換気設備の駆動音が静かに続く】
『……少し、ましになった』
≪結構≫
『昨日は、アンタがいなくなったあと、全然できなかった。何度やっても、途中で怖くなって……』
≪今はできている≫
『ヒューゴの声が聞こえるから……』
≪呼吸を整えたのは君自身だ≫
『でも、一人じゃできなかった』
≪ならば、今は一人ではないことを覚えておきたまえ≫
【ハーレイが長く息を吐く】
『……本当に、来てくれたんだね』
≪約束した≫
『プリンちゃんは、約束しても忘れちゃうことがあるの。急に面白いことを思いついたら、そっちへ行っちゃうから』
≪君はそれを自由と呼んでいた≫
『うん……。でも、昨日は、アンタにも来てもらえなかったらどうしようって、ずっと考えてた』
≪私は時間を指定し、君はそれを覚えていた。そして私は指定した時刻に来た。それが現在の事実だ≫
『……うん』
【ハーレイが鼻を啜る】
『ヒューゴは、約束を守るんだね』
≪守れない約束はしない≫
『つまんないけど……今は、そのほうがいい』
【椅子がゆっくり動かされ、ハーレイが腰を下ろす】
≪落ち着くまで、質問は中断しよう≫
『行かない?』
≪まだ面談時間は残っている≫
『そうじゃなくて……アタシが泣いてるから、面倒になって帰ったりしない?』
≪君が泣くことは、面談を中止する理由にならない≫
『プリンちゃんは、泣いてる女は退屈だって言うの』
≪私はジョーカーではない≫
【短い沈黙】
『うん。違うね』
≪失望したか?≫
『……逆かも』
【換気設備から、再びごく小さな噴霧音】
【ハーレイは気づかず、呼吸を続ける】
『ねえ、ヒューゴ。何か質問して』
≪今の状態で、ジョーカーの話を続けられるのかね?≫
『黙ってると、また頭の中がうるさくなりそうなの。でも、アンタと話してると少し静かになる』
≪では、彼と最初に会ったときのことを聞こう。報告書ではなく、君自身の記憶としてね≫
『最初に?』
≪ああ。まだキャットウーマンのような衣装も、大きなハンマーも持たず、白衣を着たハーリーン・クインゼルだった頃だ≫
『ハーリーンなんて、もういないよ』
≪それなら、存在しない女性について昔話をすればいい≫
『……本当に嫌な言い方するね』
≪話したくなければ、別の質問へ変えよう≫
『ううん。話す』
【ハーレイが椅子へ深く腰を下ろす】
『最初に見たときは、思ってたより小さいって感じた。写真だと、もっと大きくて、怪物みたいに見えたから。でも面談室にいたのは、手錠をされた痩せた男が一人だけだった』
≪恐ろしくはなかった?≫
『ちょっとはね。でも、周りのみんなが本人を見ようともしないことのほうが気になった。看守も先生も、最初から化け物だって決めつけてた』
≪君だけは違った≫
『アタシは犯罪者の頭の中を知りたくてアーカムへ入ったんだよ。遠くから眺めて難しい病名をつけるだけなら、図書館でもできるでしょ』
≪若くして選ばれた優秀な研修医だった。しかし、周囲から正当に評価されていないと感じていた≫
『みんな、アタシのことを顔と愛想だけだと思ってた。何を言っても、「クインゼル君はまだ経験が浅い」で終わり。論文を読んでないヤツまで、アタシより偉そうに喋るの』
≪ジョーカーだけは君を認めた?≫
『部屋へ入った瞬間、「やっと面白そうな先生が来た」って言った。それから書類の名前を見て、ハーリーン・クインゼルならハーレイ・クインみたいだって笑ったの』
≪そのとき、現在の名を与えられたのか≫
『最初はくだらない駄洒落だと思った。でも、名前を呼ばれて、あんなに嬉しかったのは初めてだった』
≪なぜ?≫
『ハーリーンって呼ばれるときは、いつも誰かがアタシへ役目を押しつけるときだったから。勉強しなさい、行儀よくしなさい、医者らしくしなさい。でも、ハーレイって呼んだのはプリンちゃんが最初だった』
≪彼は君を、古い役割から解放した≫
『そう。好きなときに笑って、怒って、嫌いなヤツは殴ってもいいって教えてくれた』
≪その代わり、ハーレイ・クインという新しい役割を与えた≫
【ハーレイの呼吸が一瞬止まる】
『……どういう意味?』
≪誰もが、相手との関係に応じた役割を持つ。しかし、その役割から外れたときにも必要とされるかどうかは別の問題だ≫
『プリンちゃんはアタシを愛してる』
≪ハーレイとしてはね≫
『ハーリーンなんか、もういないって言ったでしょ』
≪では、なぜ君はいま、彼女の言葉で話している?≫
『昔話をしてるから』
≪声も口調も変わっている。先ほどまでの甲高い笑い声も、冗談もない≫
『泣きすぎて疲れただけ』
≪そういうことにしておこう≫
【短い沈黙】
『……ヒューゴは、ハーリーンのことをどう思う?』
≪報告書の中にいる彼女は、聡明で野心的な女性だ。経験は浅かったが、観察力と共感性に優れ、犯罪心理学について独自の見解を持っていた≫
『患者と恋に落ちて、全部台無しにした最低のお医者さんだよ』
≪重大な失敗を犯した医師と、価値のない人間は同じではない≫
【ハーレイが鼻を啜る】
『そんなこと……誰も言ってくれなかった』
≪周囲は、君の犯した罪と、君自身の価値を区別しなかったのだろう≫
『プリンちゃんも、真面目なアタシは嫌いだった。難しい話をすると、「先生に戻るな」って笑うの。泣いたら化粧が台無しだって言うし、ハーレイ・クインなんだから、いつも笑ってなきゃいけないの』
≪君自身が苦しいときは、誰が話を聞いた?≫
【長い沈黙】
『……誰も』
【衣擦れ。ハーレイが机へ少し近づく】
≪ジョーカーとの面談は、その後も続いたのだな≫
『うん。プリンちゃんの話は、毎回変わった。父親に殴られたとか、サーカスへ売られたとか、最初から家族なんていなかったとか』
≪すべてを信じた?≫
『嘘だって分かってたよ。でも、どこかに本当のプリンちゃんが隠れてると思った。アタシだけが見つけられるって』
≪彼も、君だけが自分を理解できると言ったのだろう≫
『……うん』
≪君の野心と孤独を利用していたと、当時の君は気づいていた?≫
『気づいてたよ』
≪それでも受け入れた≫
『演技でも、アタシだけに向けられたものなら嬉しかった。他の先生が来ると何も喋らないのに、アタシの面談の日は覚えてた。遅れると怒ったし、アタシじゃなきゃ嫌だって言ってくれた』
≪必要とされていると感じた≫
『初めてだったの。誰かが、アタシじゃなきゃ嫌だって言ってくれたのは』
【机の上に置かれていたストレンジの手へ、ハーレイの指先が触れる】
【ハーレイは気づかないまま話を続ける】
『最初に破った規則は、面談時間を十分延ばしただけ。その次は甘いものを持っていって、その次は、他の患者の記録を少しだけ見せた』
≪要求は次第に大きくなった≫
『うん。でも、そのたびに「さすが俺のハーレイ」って褒めてくれた。アタシだけが頼りだって』
≪断ったときは?≫
【短い沈黙】
『機嫌が悪くなった』
≪君を無視した?≫
『たまにね。でも、プリンちゃんは気分屋だから』
≪無視されるたび、君は以前より大きな規則を破った≫
『自分で選んだの』
≪否定していない。君は彼からもう一度名前を呼ばれ、必要とされるために行動した≫
『……悪い?』
≪善悪の評価をしているのではない。君が何を求めていたのかを確認している≫
『プリンちゃんだよ』
≪彼自身か、それとも彼から必要とされることか≫
『同じでしょ』
≪本当に?≫
【ハーレイの指が、ストレンジの手の上へ重なる】
『……分かんない』
【数秒の沈黙】
≪君は先ほどから、私の手を握っている≫
【ハーレイが息を呑む】
『え?』
【指先が離れかける】
≪離せとは言っていない≫
『でも……勝手に触った』
≪不快だとも言っていない≫
【ハーレイの手が、おそるおそる元の位置へ戻る】
『……ヒューゴの手、温かいね』
≪君の指先が冷えているだけだ≫
『また不安になったら、握っててもいい?』
≪君が落ち着いて話せるのであれば、構わない≫
『そういう言い方しかできないの?』
≪ほかに、どのような答えを期待していた?≫
『「好きなだけ握っていればいい」とか』
≪好きなだけ握っていればいい≫
【ハーレイが小さく笑う】
『言わされてる感じがする』
≪君が言わせたのだ≫
『でも……ありがとう』
【ハーレイがストレンジの手を両手で包む】
≪ジョーカーを逃がした夜について、話せるかね?≫
『プリンちゃんに言われたの。「本当に俺を理解してるなら、ここから出してくれ」って。怖かったよ。鍵を盗んで、監視を切って、見つかったら人生が終わるって分かってた』
≪それでも扉を開けた≫
『プリンちゃんが向こうで待ってたから。アタシが鍵を開けたら、初めて抱きしめてくれたの。アタシを選んでくれたって思った』
≪実際には、君が彼を選んだ≫
『同じじゃない?』
≪彼は脱走するために君を必要とした。君はその後も、彼の隣へ残ることを選んだ。二つは異なる≫
『プリンちゃんも一緒に来いって言ったよ』
≪君を愛していたからか、それとも利用価値が残っていたからか≫
『またそういうこと言う……』
≪君の愛を否定してはいない。君はジョーカーを救い、地位も将来も捨てた。君の献身が本物だからこそ、彼が同じものを返したのかを確認している≫
『……今は答えたくない』
≪構わない≫
『怒らない?』
≪なぜ怒る必要がある?≫
『プリンちゃんは、アタシが答えないと怒るから。無視して、何日も名前を呼んでくれなくなる』
≪私はジョーカーではない≫
【短い沈黙】
『うん……』
【ハーレイが包んでいたストレンジの手を、無意識に自分の頬へ引き寄せる】
【その手の甲へ、濡れた頬がそっと擦りつけられる】
≪ハーレイ≫
『なに?』
≪何をしているのか、自覚しているかね?≫
【ハーレイの動きが止まる】
『……分かんない。気づいたら、こうしてた』
≪離れたいのなら、離れて構わない≫
【数秒の沈黙】
『ううん。このままがいい』
≪なぜ?≫
『ヒューゴの手に触ってると、安心するから。さっきまで胸の中で暴れてたものが、静かになっていくの』
≪私の手に、特別な作用があるとは思えないが≫
『じゃあ、ヒューゴがそばにいるからだよ』
【ハーレイがもう一度、手の甲へ頬を寄せる】
『一晩中、何をしても怖かった。歌っても、部屋を歩いても、プリンちゃんは来ないかもしれないって考えが消えなかった。でも、ヒューゴが来たら……ちゃんと息ができるようになった』
≪私は君へ呼吸の仕方を示し、話を聞いただけだ≫
『それをしてくれる人が、今までいなかったの』
【換気設備の低い音と、ハーレイの穏やかになった呼吸が続く】
≪私がここへ来たことを、ジョーカーへの裏切りだと感じるかね?≫
『ヒューゴが来たことが?』
≪彼を待っている間、別の男の存在によって安心している≫
『……ちょっとだけ、悪いことをしてるみたい』
≪君は何も誓っていない≫
『でも、プリンちゃんが知ったら怒ると思う。自分以外の男に弱いところを見せるなって言うかも』
≪それなら、再び笑って隠すかね?≫
『今は、したくない』
≪なぜ?≫
『ヒューゴには、もう泣いてるところを見られちゃったから。それでも帰らなかったし、面倒そうな顔もしなかった』
≪君が泣くことと、君の話を聞く価値は無関係だ≫
『……そういうところ、ずるいよ』
≪何がだね?≫
『欲しい言葉を、何でもないことみたいに言うところ』
≪事実を述べているだけだ≫
『プリンちゃんも、最初はそうだった。アタシだけが特別だって言って、欲しい言葉を全部くれた』
≪私も彼と同じだと思うかね?≫
【ハーレイがストレンジの手を握る力を僅かに強める】
『分かんない。でも、ヒューゴは約束した時間に来た』
≪それだけで信用するべきではない≫
『自分で言う?』
≪一度約束を守っただけで、相手のすべてを信用するのは危険だ≫
『じゃあ、何回守ったら信用していいの?』
≪回数だけで決まるものではない。言葉と行動が一致しているか、自分で観察したまえ≫
『……それって、明日も見ていいってこと?』
≪必要であれば、次回の面談を行おう≫
『必要!』
【ハーレイが勢いよく顔を上げる】
『あ……でも、プリンちゃんが迎えに来たら、アタシはいないかもしれないけど』
≪その場合は必要ない≫
『もし少し遅れたら、また来て』
≪明日の同じ時刻でいいかね?≫
『うん。絶対だよ』
≪分かった≫
『約束?』
≪約束だ≫
【ハーレイが安堵したように、ストレンジの手へ頬を戻す】
『ヒューゴは、こうして何回も確認しても怒らないんだね』
≪昨夜の君は、約束が守られるか不安だった。確認したくなることは不自然ではない≫
『プリンちゃんは、しつこい女は嫌いだって言う』
≪私はジョーカーではない≫
『うん……知ってる』
【ハーレイが小さく欠伸をする】
≪眠いのかね?≫
『全然。ハーレイちゃんは元気いっぱい――』
【再び大きな欠伸】
『……ちょっとだけ、眠いかも』
≪一晩で三十八分しか眠っていない。当然だ≫
『数えてたの?』
≪監視記録で確認した≫
『本当に趣味悪いね』
≪否定はしない≫
『でも、寝るのは嫌。目を閉じてる間にヒューゴがいなくなるかもしれない』
≪面談時間が終わるまではここにいる≫
『眠っても?』
≪ああ≫
『約束して』
≪君が目を覚ます前に、黙って立ち去らないと約束しよう≫
『……なら、少しだけ』
【ハーレイが椅子を机へ寄せる】
【ストレンジの手を両手で包んだまま、その手の甲へ頬を預ける】
『手、借りるね』
≪好きにしたまえ≫
『これなら、目を覚ましたときにヒューゴがいるか分かるから』
≪合理的な方法だ≫
『こういうときくらい、可愛いとか言えないの?』
≪君は眠らずに待ち続け、泣きながらも自分の過去を正直に話した。それだけでも十分に評価できる≫
『……褒めてる?』
≪ああ≫
『そっか……』
【ハーレイが満足そうに息を吐く】
『ねえ、ヒューゴ』
≪何かね?≫
『今日は……ハーリーンって呼んでもいいよ』
≪なぜ気が変わった?≫
『アンタは、ハーリーンだった頃のアタシも馬鹿にしないから。それに、その名前で呼ばれても、何かを押しつけられてる感じがしない』
≪分かった、ハーリーン≫
【ハーレイが小さく笑う】
『変な感じ……でも、嫌じゃない』
≪眠りたまえ。続きは目を覚ましてから聞こう≫
『ヒューゴは、いなくならない?』
≪ここにいる≫
『明日も来る?』
≪約束した≫
『……うん。ヒューゴは、約束を守るもんね』
【しばらく、換気設備とハーレイの穏やかな呼吸だけが続く】
【やがて呼吸が規則的な寝息へ変わる】
『……行かないで、プリンちゃん……』
【短い沈黙】
≪私はここにいる、ハーリーン≫
【眠ったまま、ハーレイがストレンジの手を握り直す】
『……ヒューゴ……』
――――――
――――
――
【録音停止】
Stop テープ#2
≪眠りにつくには、目を閉じるだけでは足りない。目覚めたときにも同じ者がそばにいると、信じられなければならないのでね≫
≪次の記録では、彼女は私との面談を失わないため、自ら無防備になり、命令へ従えることを証明しようとする。誰の評価を求め、誰の足元を安心できる場所として選ぶのか――聞き逃さないことだ、ミスター・ウェイン≫