長いです。
というか、正確には『8000字くらいで投稿するつもりだったけど、中途半端すぎて無理だった』ので諦めました。
潔くこの文字量(1.5〜2万字くらい)でいきます。
よろしくお願いします。
入学して二日目の放課後。
ここから隠してることが少しずつめくれたり、主人公の心に変化が起きていきます。
※一部、流血など怪我や残酷な描写を含みます。
──放課後
雄英二日目。
ホームルームが終わった。
ヒーロー基礎学で繰り広げた激闘なんてまるで無かったかのように、教室には和やかな雰囲気が戻っていた。
「反省会をしよう!」
誰かがそんなことを言い出し、残る者、帰る者。
斜め後ろの席に融離の姿はない。
轟は自分の席についたまま盛り上がるクラスメイトを眺めていたが、いつまで経っても融離が保健室から戻らないのが気になって、席を立った。
──
「入学間もないってのにもう三度目だよ!!」
保健室で、雄英の屋台骨の説教が響いている。
「何で止めてやらなかったオールマイト!!」
「申し訳ありません、リカバリーガール……」
叱られているのは金髪を蓄えた痩せた長身の男──マッスルフォームを解いたオールマイトだ。彼の声には、時折病人のような咳が混じる。今日はもう活動限界を超えてしまったので疲労困憊だ。
リカバリーガールとオールマイトが向き合っているすぐ横のベッドには、気絶したように眠る緑谷の姿があった。右腕に包帯を巻かれ、左腕からは点滴の管が伸びる。
リカバリーガールが〝治癒〟をしようにも、短期間のうちに蓄積された疲労のせいで緑谷の体力が持たない。治療には時間がかかる、と彼女はカンカンに怒っているのだ。
「全く……力を渡した愛弟子だからって甘やかすんじゃないよ」
「返す言葉もありません。彼の気持ちを汲んでやりたいと躊躇してしまいました……して、その……」
オールマイトは内緒話をするように人差し指を口の前に立てた。
「……血ヶ裂少年がいるのをお忘れですか!? あまり大きな声で〝ワン・フォー・オール〟の事を話すのはどうか……彼に聞こえてしまいます」
「あーはいはい、ナチュラルボーンヒーロー様、平和の象徴様! その子なら奥のベッドで死んだように寝てるから心配しなくて結構だよ」
そう言って、リカバリーガールが指を差したのは緑谷のベットの隣だ。
オールマイトが、ぴったりと閉じられているカーテンにそっと指を差しいれて、恐る恐る覗き見ると、血ヶ裂が昏昏と眠っているのが見えた。隙間から入ってきた明かりに反応してか、ゴソリと寝返りを打ったのを見て、オールマイトはカーテンから手を離した。
「そっちの子、血ヶ裂も酷い怪我だった」
オールマイトが椅子に座り直したタイミングで、リカバリーガールがむっつりとして言った。
「貧血も酷いし体力も随分と落ちてる」
「すみません……血ヶ裂少年も止め時が分からずにいたら暴走させる形になってしまい──痛い!!」
「アンタ、さっきから同じ言い訳ばっかりだね! 生徒を何度も何人も危険にさらして! 導く者の立場ってのをちゃんと学びんさい!!」
額が膝につくほど頭を下げたオールマイトの脳天に孫の手が打ち下ろされる。
「全く、仰る通りで……痛い……」
「この子も注意しといてやんなよ」
「血ヶ裂少年も、ですか? それはどういった理由で?」
「どういった理由で? 大怪我だったからすぐ治してやろうと思った私に向かって『クソババア』だの『触るな』だの! レディにどういう教育してんだか!」
「あ、今度、注意しておきます……」
「そうじゃない」
「え??」
「これを見な」
話が読めず頭上に〝?〟を浮かべるオールマイトに、リカバリーガールが見せてきたのは彼女の手だった。絆創膏がいくつも巻かれている。
「あかぎれですか? これはまた大量に……」
「違う! 血ヶ裂の個性だよ!」
「え!?」
「この子、個性が二つあるみたいだね」
「えっ!!?」
「厄介だよ。血にちょっと触れただけで皮膚が融けちまった。奇妙な個性だよ。まるで劇薬か、融かした鉄だ」
「物を、人までも融かす血という事ですか……?」
言いながら、オールマイトは訓練の映像、もとい音声を思い出した。
轟の氷に捕らえられた後、血ヶ裂は何らかの方法を用いてそこから抜け出し、彼に攻撃を加えた。
まさか自分の血を使っていたとは。
「時間が経てば固まるみたいだけどね……知らなかったから何枚もゴミ箱行きになったよ! 全く!」
「そんな個性、名簿には一言も……」
「隠してたんだろうさ」
「何故……?」
「さあね」
分からない事だらけだが、家庭環境と自分の血にコンプレックスがあると見て間違いなさそうだ。
「オールマイト、アンタ、今度、話を聞いてやんな」
「私が、力になれるでしょうか」
「こういう子は、正面からぶつかってればいいのさ。親がいないのがなんだって? アンタが[[emphasismark:親 > ﹅]]になってやりゃ解決すんだよ!」
「えぇ!? わ、私が!? さすがにいきなり高校生の子どもを迎えると混乱を招くのでは……!」
戸惑う目で融離のベッドを振り返ろうとしたオールマイトの頬に、リカバリーガールの鉄拳が飛んできた。
「そのまんま受け取る馬鹿がどこにいる!
「ナ、ナルホド……!」
「口が悪かったのも、私を怪我させまいと必死だったんだろう……自分は意識が朦朧とするほどヒドイ怪我だってのに。人を思いやる気持ちはちゃんと持ってるんだ。取り返しがつかなくなる前にちゃんとケアしてやった方がいい」
オールマイトは、ふとこの生徒が切島と戦闘している時の発言を思い出した。「血が出るのが嫌だ」と。出血を避けているのは、自分自身が痛い思いをしたくないだけと捉えていたが、もしかするとリカバリーガールの考えた通り……。
「あとアンタ一つ勘違いしてるよ」
「え? と、言いますと……?」
考え込んでいたオールマイトは顔を上げた。リカバリーガールが椅子を回して、キィ、と音が鳴る。
「さっきから『血ヶ裂
リカバリーガールは机をバンと叩くと、鬼の形相で叫んだ。
「血ヶ裂は女の子だよ!」
「え──」
「えええええ?!」
「どんなタイミングで起きてんだ馬鹿弟子! あんた今日は包帯のまま帰りな!」
「え、あ、はい。え?」
がばりと上体を起こした緑谷は、リカバリーガールとオールマイトを交互に見やると、
「あの、今さっき血ヶ裂くん女の子って──痛ァ!」
寝起きの腹を孫の手で強かに叩かれて、緑谷の口から悲鳴が上がった。
「子供はおうちに帰る時間だよ。とっとと帰った帰った」
「緑谷少年、詳しい話は今度しよう」
「は、はい……」
窓の外を見ると空がオレンジ色に染まっていた。
オールマイトに促されて、緑谷はベッドから降りる。入り口で会釈をすると教室へ向かって行った。
「……さあさあ、じゃじゃ馬もそろそろ帰り支度しな」
緑谷とオールマイトを見送った後、しばらくしてカーテンの向こうから物音が聞こえた。
リカバリーガールがカーテンを開けると融離は身を起こしていた。眠たげな目をしているのは寝起きであるのと、〝治癒〟を受けて疲労が出ているのもあるだろう。
リカバリーガールをチラと見た後、そっと手を動かして、頭や首を触り始めた。
「どこか痛むかい?」
融離は小さく首を振った。
着替えならそこに置いてあるよ、と丸椅子の上に彼女の制服が畳まれて置いてあると教えてやる。カーテンを閉めてやるとすぐ、ゴソゴソと物音が聞こえ始めた。
「着替えが終わったら帰り……」
やがて音が落ち着いた頃を見計らって様子を窺うと、融離は着替えを済ませており、何故か、ベッドの下を覗き込んでいた。立ち上がると今度は脱いだコスチュームを持ち上げて、椅子の下も覗いて、ベッドのシーツを持ち上げて、あちこちをぐるぐる見て回っている。長い黒髪が床に触れるのも構わないで、それはもう熱心に。
「何を探してんのか知らないけど……持ってきてもらったのはそれで全部だよ。足りない荷物があるんなら自分で探しに行くか、後で職員室に忘れ物が届いてないか聞きに行きな」
リカバリーガールが説明する間、融離は目をキョロキョロと泳がせて、ベッドのシーツを引き抜いた。それで何をするのかと思いきや、融離はそれを頭から被り床に座り込んでしまった。
「顔が見えるのが嫌なのかい? 隠す必要なんてないだろうに。綺麗な顔じゃないか」
「……」
あれこれ声を掛けるが、返事が返ってこない。
やれ困ったね、と溜め息をついてしばらく、ふと、シーツに身を隠した生徒が微かに震えていることに気付いた。
「泣いてんのかい」
「……っ」
「子供らしくない子だね。アンタくらいの年頃ならね、まだまだ声出して泣くもんだ。いいんだよ、悲しい時は素直に泣けば」
鼻を啜る音が聞こえた。
治癒を施す前の、今にも噛みついてきそうな威勢はどこにもない。
「辛いことがあったんだろうね。こんな短い言葉じゃ、少しも癒せやしないだろうけど」
「……もう、帰ります」
「ああ。話ならいつでも聞くから、落ち着いたら顔見せにおいで」
私はここに居るからね。そこまで言ったところで融離が立ち上がった。差し出したお菓子を無視して、保健室の扉へ向かっていく。
「
声を掛けると、融離は酷く小さな声で「お世話になりました」とだけ返してきて、足早に走り去っていった。
「やれやれ、素直じゃない子だね」
シンと静まり返った部屋から聞こえたその言葉を、廊下の柱の影で轟が聞いていた。
──
放課後の廊下。
金髪の男性教員に付き添われて出て行く緑谷を遠目に目撃してしばらくしたあと、白い布を頭からかぶった
轟は保健室そばの柱の影に凭れながら、聞いてしまった内容を思い返していた。
『──血ヶ裂は女の子だよ!』
保健室の扉に手を掛けた時に中から聞こえたリカバリーガールの声に、思わず手を止めてしまった。
緑谷の驚いた声も聞こえてきたが、当然の反応だと轟は思う。これまで普通に男子更衣室で一緒に着替えていたし、男子トイレに入るところも見たことがある。
名前も男っぽくないし、体も細いとは思っていたがまさか……。
訓練の時に融離が見せた、父、エンデヴァーにも似た気迫。思わず戦慄させられた、獣のような黒い眼。
性別を偽っている理由は分からないが、彼女が口にした「自分の血が嫌いだ」という言葉は、父親の個性を嫌う轟には痛いほど理解できた。血そのものが個性だとは考え付かなかったが。
小さい頃から〝血〟のせいで避けられて生きてきたのだろうか。誰からも見向きされない人生とはどんな物なのか、想像がつかない。
束縛され続けた轟とは真逆の人生だ。真逆だが、
色々と考えて思うのは、融離が立ち去ってしまった以上、ここに居続ける理由はないということ。
轟は教室へ向かった。
──
「ひゃ! オバケ! ──って血ヶ裂さん!?」
教室を飛び出した緑谷と入れ違いにやってきたのは白い布を頭にかぶった融離だった。魔法使いのローブのような姿に、芦戸が目を丸くする。
「血ヶ裂さん、もう大丈夫なの? ていうかその布、なに!?」
駆け寄る芦戸を無視して、融離は自分の机に歩いていく。
「血ヶ裂くん、無視はいけない!!」
「聞いたぜー、訓練で切島にボロクソ言ったらしいなー」
「上鳴くんそういう事言っちゃ駄目だよ!」
「や、実際ボロクソ言われたけど……」
飯田、上鳴、さらに麗日を通り過ぎた先にいた切島も避けて歩く。
「ボロクソ言われたけど、血ヶ裂にストレートに言われて、俺ってまだまだだなって思った」
切島は、机に引っ掻けた鞄を掴んで踵を返す融離を目で追いながら続けた。
「血ヶ裂の動き、凄かったよ。俺の攻撃なんか全部見切られちまってた。もっと強くなりてえって思った」
「切島、雑草魂だな」
「うるせえ」
茶々をいれる瀬呂を、切島ははねつける。
「俺が弱かったのは事実だ。……俺もっと強くなる。ありがとな」
「……」
切島が差し出した右手を無視して、融離は何も言わずに早足で教室を出ていった。
「薄情な奴ー」
「瀬呂、もういいって。……訓練中は結構喋ってたんだけどな」
「──ていうか、みんな見た?」
「見たって何をよ?」
「血ヶ裂さんって超イケメンの気配がする」
鼻息荒く、目をキラキラさせるピンク色に全員がそんなことかい、と呆れた顔で返す。
「……顔見えなかったよな?」
「芦戸って透視も出来んの?」
「違う! 鼻と口が見えたたんだよね! ほんのちょっとアヒル口!」
「……」
「常闇くんはクチバシだね」
歓びの声を上げる芦戸。何か言いたそうな常闇に麗日がフォローにならない単語をプレゼントしていた。
そういやあ、と切島が口を開く。
「俺さあ、訓練の最後、轟と血ヶ裂がどうなったか聞きてェんだけど何で誰も知らねぇの?」
「ああそれな」
切島の疑問にクラスメイトが答えてやる。
二人を映していたモニターが全部氷漬けになって見えなかった事。
オールマイトも詳しく教えてくれなくて、内容を知っているのは、轟と融離の二人だけという事。
以上を聞いた切島は残念そうな顔で、
「んじゃー轟に聞くしかねえな」
噂をすれば何とやら。
切島が頭の上で手を組んでそう言った時、轟が教室に戻ってきた。
「おっ」
と声を上げる切島を、轟は一瞥だけして自分の机に向かって歩いて行く。
「轟! 丁度良いいや、聞きたいんだけどさ」
「訓練の事か?」
「──そう! 血ヶ裂とどんな戦いだったんだ?」
「血ヶ裂は何か言ってたか?」
逆に質問されて切島は足を踏み外す。
「えっ、いや、何も言ってなかったな」
「っつーか全員無視して帰っちまったぜ、ついさっき」
「……そうか」
轟は融離の席を振り返る。
教室の一番端にぽつんと存在する彼女の席。
考えてみれば彼女だけ五十音順ではないのも不思議だ。
急げば追いつけるだろうか。轟が鞄の紐を肩に掛けた時、芦戸が前に出てきてこう言った。
「──良かったらさ! 今いるメンバーでマック行かない??」
本当は血ヶ裂さんも誘いたかったんだけど、と言う芦戸に、何人かが楽しそうに手を挙げた。
──
融離は早足で廊下を歩いていた。
胸の中にあるのは、苛立ちとは少し違う感情だった。
これは焦り?
それは何に対しての?
分からない。
とにかく、恥ずかしくて堪らなかった。
どうしてこうなったのか。
今までどうやって生きてきたのか。
今まで。
今まで、ずっとあの男の後ろをついて歩いて……いただけ?
自分の中には何も、無い?
(自分と言えるものは何ひとつ……?)
ふとそんな考えがよぎった時、融離は弾かれたように走り出していた。
お化けに脅かされた子供のように、無我夢中で足を動かす。
体が重く、思うようにスピードが出ない。
両足に重りをつけているみたいだ。
情けない声を溢しそうになるのをなんとか堪えながら、融離は廊下を駆けた。
息を切らしてやっとの思いで校門まで出た時、緑谷の背中が見えて立ち止まった。
自分よりも芯があって、目標を持っていて、平等で、ヒーローらしい振る舞いができている彼。
こちらに気付いてほしくなくて、融離は思わず息を潜めた。早く立ち去って欲しいという願いも虚しく、緑谷はその場に立ち尽くし、どこかを見ているようだった。彼が見ている先に目をやれば、少し先に行った辺りに爆豪が立っていた。
「俺はここで一番になってやる!!」
いきなりそう怒鳴った爆豪と目が合った気がして、融離は肩をびくつかせた。顔は見られていないはずだが、頭と体をすっぽり覆う布をぎゅっと握る。
「俺に勝つなんて二度とねえからな!! クソが!!」
「いたー! 爆 豪 少 年!!!」
さっと背中を向けて歩き出した爆豪にホッと息をついたのも束の間、その場にオールマイトの声が響いた。
声が聞こえるや否や、大きな影が融離、緑谷の真横をバヒューンと漫画のような効果音で駆け抜けいく。風が吹き抜けた先で、爆豪の肩を掴んだオールマイトがいた。
ごく短い会話の後、爆豪が去っていく。
「教師って難しい……あ! 緑谷少年!」
爆豪の背を見送ったオールマイトは、用事が終わればすぐに立ち去るかと思いきや、今度は緑谷へ向き直った。そして、
「何を話していたん──」
緑谷の背後の融離に気付いて、口の動きを止める。
No1.ヒーローの目を追って緑谷も後ろを振り返る。融離の存在に気付いてなかったらしく、ひゃ! と声を上げた。
「──ンン血ヶ裂
「その呼び方やめてください」
「会えて良かった。君とも話をしたいと思っていたんだ」
「俺は話したくないです」
「まあまあ、水臭いこと言わずに」
あたふたする緑谷の横を擦り抜けて、一瞬で生徒の目の前に移動したオールマイトは融離の両腕を、布の上からがしりと掴んだ。
「血ヶ裂さん、ごめん、僕、聞くつもりは無かったんだけど……女の子、って……?」
「……」
融離は体を覆うシーツを握って俯く。
自分の姿を、これ以上、誰にも見られたくない。
「訓練の会話は聞かせてもらったよ。……色々、辛かったんだな。だが怒りを暴力に変えては駄目だ」
「……何の話をするのかと思ったら」
説教なら聞きたくない。
融離が身を捩って拒絶すると、オールマイトは手を離したが、依然として行く道を塞ぐように立っている。
「退いてください、前。もう
「え!?」
「俺──私、辞めます、雄英」
「血ヶ裂さん……どうして……?」
「待て待て待て……辞めた後はどうする? お節介かもしれないが、辞めたら君、駄目になるぞ?」
「“駄目”……? ヒトのこと何も知らないくせに……」
オールマイトを避けようとしても、しつこく前を塞いでくる。
融離が馴れ馴れしい大男を睨み上げると、オールマイトは、もう一度、両肩に手を添えてきた。先ほどと同じ様に振り払おうとしたが、太い腕はビクともしなかった。轟の氷に捕まった時とは違って、手のぬくもりが伝わってくるのが気持ち悪い。
「確か君は、この社会は間違っていると言ったね」
「……」
「ヒーローは金儲けや名声ばかり、とも言ったね」
「……言ったよ」
「君は、そんなにヒーローが憎いのかい?」
「うるさいななんだよさっきから全部言ったよ悪いか!?」
何故自分一人をこんなにも執拗に引き止めようとしてくるのかがわからない。
生徒なんて他にいくらでもいるのに。自分なんて放っておいて、他を育てていけばいいのに。
「あ、血ヶ裂さん……」
目の前で怯えた顔をしている緑谷だってその一人だ。この生徒に集中していればいいのに。
緑谷の自分を見る同情的な目が、酷く、悔しくて、腹が立った。
「──腐ってんだよ世の中! 生きる価値のないゴミがヘラヘラ笑って! 弱い者を見ないフリして! 拝金主義者! この学校も……アンタもだ! アンタばっかり……グズは全員死ねばいいんだよ!!」
「ンン、物騒だな……あ、物騒といえばこれ! 物騒だからしまっておこうな」
「!」
オールマイトが、コレね、と鉄製の棒を見せてきた。
顔を青くする融離に対して、緑谷はきょとんとして、
「何ですかそれ、ハーモニカ?」
「飛び出しナイフだね」
「ええ?!」
融離は慌ててボディバッグを探った。いつも持ち歩いているナイフが、鞄のどこにも見当たらない。
「……いつ盗ったんですか」
「腕を掴んだ時!」
オールマイトが、ヘヘン、と笑う。
「今日の訓練で、青山少年を助けたね。グズだ何だと言うのが本心なら彼を助けたりはしないハズだ」
「それは、チームだったから……」
「チームはただの言い訳だ。本当の悪人は仲間を利用はしても助けはしない」
「……利用するために、一時的に助けることもあるでしょう」
「それじゃあ、初日の話だが、緑谷少年にアドバイスしたそうじゃないか。それはどうしてだい?」
「……別に。したら、悪いんですか……」
「根がやさしい証拠じゃないか。そんなやさしい君が『腐ってる』だの『社会』だのと、暗記したように繰り返す。不思議だと思ったんだ」
「……何が」
「君が言うその物騒な言葉、どこの誰かの受け売りだろう?」
オールマイトはニカッと笑って、恐ろしいことを口にした。
「君の本音にそんな言葉はないはずだ」
「ちがう……!」
「君は本音では誰かを助けたいと、役に立ちたいと望んでいるんじゃないか?」
「──違う黙れ!」
「乱暴な言葉の節々に出ちゃってる本音を聞いていると、こんな風に思うんだ、君はきっといいヒーローになれる」
「──ふっっざけんな、ヒーローに、なんか!」
「では何故君は
「っ……!」
「血ヶ裂少女!!!」
気迫。
ヒーローなんてただの偶像だ、迷惑な夢幻だ、利己的で、贋物で。そう言いたいのに、オールマイトが見せてきた気迫に圧されて続きが出てこない。
「お、オールマイト! もう、限界が──!」
緑谷が慌てた様子でオールマイトの腕を引く。
その時、融離はオールマイトの体のあちこちから立ち上る蒸気のような煙に気付いた。
驚く融離に、彼は大丈夫さと穏やかな声で、
「血ヶ裂少女、君が心配なんだ。君の言う通りこの世の中は腐っているのかもしれない。一生懸命に生きている若者がこんなに苦しんでるってのに、一人も気付けなかったこの社会は、まだまだかもしれない。けどな! ちょこっとはいい奴もいるんだぜ」
そう言って微笑むと、地面に膝をつき目線を合わせてきた。その額には大量の汗の粒が浮いている。
「だから私を信じてほしい。私は君を闇に落とさせる訳にはいかない。不安かい? 大丈夫さ。何故ならね、私がここに来たからだ」
「……っ」
オールマイトの体から発せられる蒸気は止まらない。
どんどん量を増していくそれに不気味さを感じた融離が身動ぎするが、オールマイトは離そうとしない。
「血ヶ裂少女、君には見せよう。これがNo.1ヒーローの真の姿だ」
蒸気は彼の逞しい体を、そして融離の視界を完全に覆い隠していき、やがてゆっくりと晴れていった。
融離は
オールマイトが居たはずの場所に、別の男が立っていたからだ。
「──驚いたろう、痩せてるからな!」
手品のように現れた骸骨みたいな男は、HAHAHAと笑うと、ゲボォ! と血を吐いた。それを見て緑谷が駆け寄る。
「オ、オールマイト、大丈夫なんですか!?」
緑谷の様子を見るに、彼は前から知っていたようだ。オールマイトは大丈夫! と痩けた頬で高らかに笑っている。
ひとしきり笑った後、三人の間に沈黙が流れる。
「そう言う訳で! 私と同じ家で暮らさないか!」
「アァッ! ボクも住ミタァイ!!」
突拍子もない言葉に緑谷が顔面シワだらけになって叫んだ。今度は彼が血を吐きそうだ。
No.1の痩けた姿。
一緒に住もうという提案。
融離は黙って考えてみたが、まるで意味が分からなかった。
「信用してもらう為にね! 距離を縮めないことには始まらないかなって!」
「いや、さすがに距離詰めすぎなんじゃないですか……?」
「え! そうかな!?」
固まる融離を置いて、オールマイトと緑谷はコントのようなやり取りをしている。
「どうだ血ヶ裂少女、前向きに検討して貰えないだろうか?」
「遠慮しときます」
「即答!! ……でも、君、家族がいないんだろう? 一緒に暮らせば楽しいと思ったんだが」
「“楽しい”って……確かに家族はいません、けど、たぶん生きてはいます。それで察してください」
家族が居ない。
それを聞いた緑谷が小さな声で、え、と驚いた時だった。
「あーー! 血ヶ裂さん、いたーーー!!」
芦戸の声に、融離、緑谷、オールマイトの全員が校舎を振り返る。遠くの方で手をブンブンと振るピンク色と、クラスメイトが数人歩いているのが見えた。
「血ヶ裂少女! 明日も来いよ!」
一人、歩き出した融離の背中にオールマイトがそんな言葉を投げた。
融離は返事ができなかった。代わりに一度だけ振り返った。
「何も気に病むことはないぞ!」
待ってるぜ、私は非番で居ないけどな! と親指を立てる男の姿は頼り無いものだったが、その目は力強かった。
──
遠い空では、紺色と茜色が混ざりかけている。
夕暮れ時の職員室で、オールマイトは細い指で携帯端末を操作して、耳にあてがった。
数回のコール音が鳴って、
「あ、塚内くんかい?」
腰に手を当てて話し掛ける。
久し振りの友人との電話。世間話もそこそこに本題を切り出す。
「ちょっと探して欲しい人が居て、協力して貰えないかなと思って……今いいかな?」
探したいのは融離の家族だ。
家族と連絡をとり、彼女の過去が分かれば影に潜む者の正体が突き止められるかもしれないと思ったからだ。
今の融離の、強い社会嫌悪と自罰的思考。
参考書によれば、親との関係が良好でないことがひとつの原因かもしれないということだ。
愛情を充分に得られず中身が無くて喘いでいた時、その心に漬け込んだ何者かがいる。その何者かに感化されてしまった可能性がある。
未来ある子供が闇に消えるのだけは避けたかった。
目の前で涙を流し孤独を訴える融離が敵になって誰かを傷付ける未来など、考えただけで恐ろしい。
今が最後の砦だ。ここで手を離してしまえば、彼女は闇に消えてしまう。
そんな気がして、トゥルーフォームを見せてしまった。正面からぶつかって、腹を割って話せばきっと伝わるだろうと……。
「特殊な個性だから届が出ていれば、難しくはないと思うんだけど……うん、そこはまだハッキリ分かってなくて……本人もまだ話したがらないから、うん、住所なんかは……」
右に左にうろつきながら、うん、うんと相槌を打つ。
「
通話を切り、オールマイトは一息つく。
彼女の傷を癒せるかどうかは分からない、だが、憎しみも、孤独も、一人で抱え込まなくていいと教えてあげれたら。
どうか彼女の家族が見つかりますように、そう願いながら携帯をポケットにしまった。
──
雄英を後にした融離はひたすら歩いていた。
歩いて、歩いて、歩き続けて、街に出た。
日はとっぷりと暮れて、街中が明かりで溢れていた。気温が下がって、体を隠す布の隙間から、ひんやりとした空気を感じた。
路地から、料理の匂いがした。
建物の明かりや街灯、電飾、ビルの屋上の航空障害灯までもが、月が出るまでの間の黒い夜空を彩っている。
涙が零れそうになるのをどうにか堪えている融離のことなどお構い無しに、街にはいつも通りの、仕事終わりの浮ついた空気が流れていた。
『自身の行いを省みずに、自分より劣っている贋物を見て安心してるだけだ』
『お前は贋物と同じだ』
立ち止まると、あの男から投げつけられた厳しい言葉が頭にチラつく。
全員が前を向いて走っている中で、立ち止まり文句を垂れていた。
なんてダサい人間なんだろう。
目標も何も無い人間が
『妬みの塊じゃねぇか』
これまでの自分の行いが全ての答えだった。
自分もクラスメイトも同じただの子供で生徒なのに、「自分は周りとは違う」と驕った態度で相手を批評してばかりで。クラスメイトやリカバリーガールの優しさに上手く言葉を返せないのも、情けなくて、カッコ悪く思えて仕方がない。
それらすべてをたくさんの人に見られていたと思うと、恥ずかしくて堪らなかった。
自分は、ずっと昔からあの男の影に隠れて威張っていただけの、信念の欠片も持たないただの、金魚の糞。愚かな人間だったと自覚するまでに掛かった日数は、たったの二日。
そんな簡単なことに気付かずに生きていた自分が恥ずかしい。
『……辛いことがあったんだろうね』
『アンタくらいの年頃ならね、まだまだ声出して泣くもんだ。いいんだよ、悲しい時は素直に泣けば』
打ちひしがれて、ぐちゃぐちゃな今、オールマイトやリカバリーガールに言われた言葉を思い出して、また涙が溢れる。これ以上苦しみを味わいたくない頭が、優しい言葉を思い出しそうとしているのかもしれない。
『君は本音では誰かを救けたいと、役に立ちたいと望んでいるんじゃないか?』
『君はきっといいヒーローになれる』
『では何故君は
『私を信じて欲しい』
『君を闇に落とさせる訳にはいかない』
オールマイトの言葉に、最後まで答えられなかったのには理由がある。
『不安かい? 大丈夫さ。何故ならね』
『私がここに来たからだ』
「大丈夫なんかじゃない……」
声に出して呟いていた。
真っ黒に染まってしまったこの手は、もう、どうにもならないのだから。
自分はもう……。
助けを求めていい人間じゃないのだから……。
「ちょっと、そこの君! もしかして指名手配の……?!」
突然、後ろから警察官に声をかけられて、心臓が跳ねた。
足音が近付いてくる。
「待て!! お前──」
「……ナンだぁ?」
融離が振り返ると、すぐそこに警察官が立っていた。が、警官が訝しげ気に視線を向けているのは自分ではなく、自分の傍に立っていた大きな影だった。
ひょろりと背の高い男は調子の外れた言葉を喋ると、警察官にぬるりと向き直った。
男の身を包む暗いコートはサイズが合っておらずブカブカで、彼の足元は異様に膨らんでいる。
『え~……丸刈り、白目のない全眼。細長い胴体に、下半身はクッ、蜘蛛の体。服なんかで隠してりゃ変に膨らんでるハズだ』
ハットを深く被っていて人相はハッキリと見えないが、男の特徴は今朝プレゼント・マイクが言っていた敵のものに酷似している。
「やっぱり! お前っ……」
近付いた警官が、男の顔を仰ぎ見て、顔色を変えた。
「いました! 至急──」
「ドけ、邪魔」
胸の無線機を掴んだ警官が吹き飛んだ。宙に浮いて、放物線を描いて、ドッ、鈍い音を立てて人混みの真ん中に落ちる。
「キャーー!!!」
悲鳴を合図に、周囲の市民が一斉に走り出した。
この辺りを警戒していたのか、群衆の中から5、6人の警察官が飛び出してきた。素早く男を取り囲み、拳銃を構える。
「動くな──!!」
警官の怒号の直後、鈍い音がして、一人が[[emphasismark:脚 > ﹅]]に殴り飛ばされて無数の悲鳴が上がる。
敵が、コートを脱ぎ捨てた。
彼の下半身があるはずの場所に現れたのは、テラテラと濡れ光る毛を蓄えた蜘蛛の体と8本の脚。ケンタウルスといえば勇ましいものを想像するが、人の体の下で蜘蛛が腹部を上下に揺らす姿は狂気しか感じられない。
男は細長い脚で地面をリズミカルにタップしながら群衆を舐めるように見回すと、一本の脚を蛇の鎌首のように縮ませ、勢いをつけて人混みに伸ばした。
「キャーーー!」
毛むくじゃらの脚が狙ったのは、逃げ惑っていた母親が抱いていた少女。蜘蛛の男は慣れた手つきで子の服を爪に引っ掛け、拐った。
一際大きな悲鳴が上がったその場所に、へたりこむ女性──少女の母親だ。母親は顔を青くして呆然としていたが、ハッとして立ち上がる。急ぎ子の元へと助け寄ろうとしたが、一人の警察官に掴まえられてしまう。母親は抵抗したが、引きずられるように警察車両の方へと連れていかれた。
「マ マ ぁ゛ーーー!!!」
泣き叫ぶ少女の声が融離の体を貫く。
「ママぁ゛!!!」
『おかあさん!!!』
助けを求める少女が幼い自分に重なる。
「皆さん落ち着いて! 離れて!!」
「たすけてぇ゛!! ママ! ママぁ゛!」
『ここからだして!! おかあさん!!』
「ヒーローが来るまで待って!!」
敵は泣き叫ぶ子供を抱えて、大笑いしながらビルの壁を登っていく。
警察官が野次馬が、支えられて立つ母親が、皆が逃げる敵と不幸な少女を見上げていた。
全員が、傍観者だ。
『いい? このドアは開けちゃ駄目よ』
『汚れた血が移るからね』
『はあい』
ドアの向こうで兄たちに言い聞かせる母の無情な声が頭に響いて、融離は体が燃え上がるような感覚を覚えた。全身の血が逆流するような、感じたことのない激情。
自分の何が悪いのか、ドアに向かってひたすら許しを請うた日々。
無限に続いた孤独の中で、自分が駄目なのだと結論付けた。
自分、独りだけだ。
誰も助けてくれない。
それなら自分が助けてあげなきゃ駄目だ、と。
怒りと、それを遥かに上回る使命感。
そうだ、私が、
「──
入り乱れる群衆の中で、融離は涙を拭うと走り出した。
──考える前に、《xbig》
少しだけ時を戻して、賑わう店内。
芦戸の発案で、1―Aの何人かが晩飯前の遅いおやつを楽しんでいた。フライドポテトの香ばしいかおりに包まれて幸せだ。
ストローを咥えてジュースを飲んでいた切島はふと窓の外を見て、気付いた。
「? なんか外、皆走ってね?」
「──近くで敵が出たそうだ! 皆、避難を!」
「え!!」
トレイを持った飯田が血相を変えて走り寄ってきた。切島、上鳴、瀬呂、芦戸が椅子を鳴らして立ち上がり、麗日は蛙吹の袖を引っ張った。
「もしかして朝に言ってた──蜘蛛の敵?!」
「どうしよう、警察?」
「もう到着しているそうだ、兎に角安全な場所に……」
「安全ったって何処に行きゃ──」
ねえ、ヒーロー来たって!!
食べかけのハンバーガーを囲み、早口で話し合っていると近くのテーブルから客の弾んだ声が聞こえてきた。
「はっや! オールマイト??」
不穏な空気が期待に変わり、切島達はホッと胸を撫で下ろす。
「いや、見たことないヒーローだったよ」
「何だ、カムイ見たかったなー」
「……あれ? そういや轟は?」
周囲の声に聞き耳を立てていたところ、ふと、一人足りないことに気が付く。
店内を見回すが見当たらない。
「まさか……」
「外!?」
──
警察の制服に身を包んだ青年は、規制線を張るために人の波を押さえていた。
危ない下がれと言っても聞かない野次馬、写真を撮ろうと前に出てくる無数のスマホ、どこに逃げたらいいですかと尋ねてくる者。混乱を極めていた。
キリがない……呟いた時、ふと、白い影が人だかりを掻き分けて近付いてくるのに気が付き、制止しようと両手を伸ばす。その距離が縮まるにつれ、その人は自分よりも背が低いことが分かった。
「こら、子供は下がって──あっ待て!!」
白い布で姿を隠した人物は、ぴょん、とジャンプすると軽々と群衆の頭上を越え、敵がよじ登るビルへ一直線へ飛んで行った。
暗闇に浮かび上がる真っ白な
敵の男は高層ビルの中腹辺りを登っていた。
蜘蛛は4対の歩脚の他に、顔の前に1対の短い触肢を持つ。男はその恐竜にもあるような短い触肢に人質を引っ掛けて、ぞろぞろと脚を動かして登っていた。
「──おい!」
「!」
男が振り向くタイミングを見計らって、融離は左手の親指の腹を噛み千切った。
──
「子供がっ──!!」
敵の触肢が斬り落とされて、子供が空中に投げ出された。
白い人が子供を抱き止めると、悲鳴は歓声に変わる。
白いローブを翻して地上に降り立った場所に、盾や銃で武装した警官が一定の距離を空けて取り囲む。
その輪から少し離れた場所で、警察官に連れられた母親が口を押さえて泣いているのが見えた。
「ああっ……! ああ、ありがとうございます……ありがとうございますっ……!」
母親の涙声に気付いた少女が、融離の腕の中でもぞりと動く。
「っママ……!」
顔を上げた少女の目に映る、敵の返り血を浴びて真っ赤に染まった融離の姿。
「──!」
やああああ!!
少女の絶叫が融離の胸に突き刺さる。
「ママこわいたすけて!! ママ! やだああ!!」
泣き叫ぶ少女から慌てて手を離し、融離は弾かれたようにビルの屋上へ向かって飛び上がった。
自分に向けられた怯えた目から逃げるように。
敵の姿が屋上に消えたのが見えた。
無心で追いかけた時、オールマイトの優しい声が聞こえた気がした。
『君は本音では誰かを助けたいと、役に立ちたいと望んでいるんじゃないか?』
「──来るんじゃネェよ!!」
ひらりと高層ビルのてっぺんに降り立った時、蜘蛛の腹が糸を吐いてきた。融離はそれを避け、給水塔の上に着地する。
「フッッザけんじゃねぇぞ! オイ! ヒーロー!」
男はひどく興奮しており、今にも飛びかかってきそうだ。
ナイフが無い今、使えるのは〝血〟だけだけれど、体力が万全でないのもあって闇雲には使用できない。
まずは相手の出方を見よう、と姿勢を低くして敵を睨んだ時、強い風が吹き抜けて、シーツに染み付いた生臭い血の臭いが鼻についた。
無視できない臭いに、思わず顔をしかめた融離の視界がぐらりと揺れる。
「!」
見計らったように蜘蛛の糸が襲い掛かってきた。
飛び去って、転がるようにして物陰に身を隠す。
(力が、入らない……!)
何が起きたのか。動悸が上がり、手が震える。心臓が脈打つたび胸に刺すような痛みが走る。心臓が膨らみ続けて、あばらの骨を押し広げようとしているみたいだ。
一瞬にして噴き出した汗で体温が急激に下がり、肩が震え、シーツの中の湿度は高まる。
融離は震える手でシーツを掴むと、体から引き剥がした。
物陰から投げ捨てられた布を見て、男が笑い声を上げた。
「毒蜘蛛は初めてか? ヒーロー!!」
「──こっの……ッ!?」
挑発に乗った融離が敵の前に出た時、船のようにゆったりと揺れていた視界が地震のように小刻みに震えだした。
「オラオラどうした! ヒーローさんよお!!」
「──っ」
振り下ろされた細長い脚を、融離は足をもつれさせながら身体を投げ出すようにしてどうにか躱した。
体が、鉄でも流し込まれたみたいに重く、硬い。痺れた体では受け身などは取れず、思い切り頬を打ちつける。
そうやって芋虫の様に無様な姿勢で転がって、あっという間に屋上の端へ追い込まれてしまった。
背をぶつけたフェンスは腰の高さしかない。痺れてしょうがない手でどうにか掴み、よろよろと立ち上がる。頼りない平衡感覚に、笑いも出ない。
「蜘蛛って肉食だって知ってるか?」
立っているのもやっとの融離に勝利を確信してか、男は唐突に質問を投げてきた。
「俺はガキしか狙わないのは知ってるか? そんで何でか知ってるか?」
頭の悪い喋り方だと思った。
「ガキは柔らかいんだ、肉がな! 柔らかい肉を……腹が減ってンだよ俺はァ!」
どうやら食事を邪魔されたことに腹を立てているらしい。
じわりじわりとにじり寄ってくる男は、子どもの代わりに自分を食うつもりなのだろうか。
「テメーまずそうだ。そっから飛び落りて詫びてくれよ、なあ」
蜘蛛の顔が目と鼻の先まで迫り寄る。
黒いビー玉のような8つの目が融離を覗き見て、その下にある顎がパタパタと動く度に、鼻をつく臭いが漂ってきて目眩がする。
「死ねよ!!!」
前肢をコンクリートに突き立て、飛び降りろと距離を詰めてきた。
嗚呼、このまま突き落とされる──最期に見る景色がこんな汚い敵だなんて。
融離は、もう、ただニヤつく男の顔を見上げることしかできなかった。
「さっさと落ちろって! ……落ち、え?」
男が前肢を振り上げた時だった。
細長い何かが、男の柔らかい腹を突き破った。
融離の目に映る、刃こぼれの酷い刀身と、襟巻き。
「ガッ──!」
男の口から短い断末魔が発せられて、太刀が男の体を真っ二つに斬り裂いた。
二つに別れた敵の体はブルブルと震えながら血と臓物を撒き散らし、斬り裂いた男に道を開くように左右に倒れた。
血溜まりを踏みつけて融離に歩み寄るのは──、
「武器も無しに挑むとは愚の骨頂だな」
──《xbig》落す。
赤黒血染──ステインは融離と少し距離を空けて立ち止まった。
屋上で静かに明滅する赤いランプが男と、その手に握られた刀を照らしている。
「か、勝手に体が動いてた……武器とか、何も考えてなくて……」
風が強い。毒のせいで滲む汗。冷え切って、体の震えが止まらない。
少し前まで会いたいと強く願っていた男が登場したにも関わらず、喜びやトキメキなんてものは感じなかった。あるのは混乱だ。
なんでここに、今までどこに、雄英が、オールマイトが、ヒーローは、私は……頭の中で言葉が渋滞を起こしている。この数日の間に色々ありすぎて、何をどのように言葉に乗せればいいのか分からない。
「自分でも、なんでこんな事したのか、よく分からない……何故だかあの時ただ救けなきゃ、私がやらなきゃって思って……でも」
誰にも助けて貰えず泣き叫ぶ子供の姿が幼い自分に見えた。
その瞬間、自分の中を突き動かした怒りは自分に対して抱いた感情だった。好奇心に駆られた野次馬でも、正義感を履き違えたスマホのカメラでもない。傍観者になろうとしていた自分に向けられたものだった。
「ねえ血染、私どうしたらいい?」
問い掛けるが、男から返事はない。
柄を握ったまま静かに立っている。
「雄英入ってから私、なんでか自分が分からなくなった! 血染、最近のあんたも何考えてんのか分からない! ……前はっ、離れてたって分かってたのに……!!」
声を荒げた拍子に体が揺れて、ぶつかったフェンスが軋む。
距離は変わっていない筈なのに遠くなっている気がして、代わりにすぐそこまで迫って来ている孤独が恐ろしい。
「傲ってた……あんたみたいな信念持ってると思ってたら、私の中なにも無かった。だからあんたみたいに力のある言葉が出てこないんだ……出てくるの嫌味ばっかでさ。……前にあんたに言われた通り、自分が一番薄っぺらい人間で」
今、視界がぐらつくのは毒のせいじゃない。
「ヒーローや世間を憎んでた筈なのに、あの瞬間、
瞳いっぱいに涙を溜め込んで、融離は歯を食い縛る。
「孤独で、強くて、信じる物があって何があっても揺れないアンタみたいになりたいと思ってた、今も思ってる……でも私、今、正義が何か分かんない……もう分かんない……! 今まで私、何を目標に生きてたのか……もうどうしたらいいのか分かんないよっ!!」
「……」
男は黙然として、無様に転がり、感情を爆発させる女を見下ろしている。
「ショックでもう……。
「……」
「戻りたい……あんたの後ろ追いかけてた頃に」
「……」
「黙ってないで何とか言ってよ!!」
「育ての親に対して言う台詞か」
ようやく口を開いた男の言葉はそんなものだった。
親……? 自然と乾いた笑いが出た。
「なにが親だ!? 人の価値観歪ませといて親とかエラそうに言うな!!」
確かに、融離はこの男に住む場所と、餓死しない程度の食べ物を分け与えてもらった。しかし親と呼ぶには、どう考えても不十分だろう。面倒を見るどころか、〝殺人術〟だとかいう訳の分からないモノの研究に付き合わせて、拳を叩き込み、投げ飛ばし、骨を折り、関節を外し、ちょうど今と同じように地面に伏して血反吐を吐いて苦しむ子供に「立て」と冷たい声をかける親が居てたまるか。
怒りは自分の弱さから、男へと矛先を変えていた。
一気に頭に血が上る。頭が痛くて、破裂しそうだ。クラクラする。
「何を喚くのかと聞いていれば……」
「また説教!? 言ってれば!? 私、もう、雄英辞めるから」
「……辞めてどうする」
「な、んでアンタも
「……違う」
「じゃあどうして!!」
「また闇で脅えながら生きるのか?」
「まず人の質問に答えろよ!!」
「お前は分からない物を前にするとすぐそうだ。悪い癖だ。信念は、苦悩も葛藤も無しに易々と手に入る物ではない」
「黙れ!!!」
恨みを込めて睨みつけるが、男に何か響いたような感じは無い。
思えば、いつもこんな調子だった。言葉をぶつけても、ぶつけても、満足のいく回答は得られない。
頭に血が上った融離が散々罵った後、男は、ハァ、と鬱陶しそうに溜め息をついて、背を向けて何か小難しい事を言い残して去っていく。そして残された融離は、次に会ったら腹の立つ顔面に一発入れてやる、言い負かしてやると頭の中に汚い言葉を並び立てたりして、幼稚な反骨精神を滾らせて、だけども、いざ顔を見たらホッと息を吐いて男に駆け寄るのだ。
これまでそうやって、過ごして来た。
そう、いつもなら、こういう時、男はまず溜め息をついて……。
「……そうか」
男は融離から目を逸らさない。
真っすぐこちらに目を向け続けている。
「──なら、死ぬか?」
「は?」
融離が目を上げると、男はすぐそこで自分に切っ先を向けていた。
噎せ返るような濃い血の匂いがして、さっ、と血の気が引く。
「ね、ねえ、冗談だよね? 本気じゃ、ないよね……?」
「嘘だと思うなら斬ってやろうか」
「ハッ、何言って……そんな、だって、私、あんたの女だよ……?」
「……、俺が──」
一際強い風が吹いた。
雲が押し流され月を隠して、男の顔が見えなくなる。
ざらついた刃先で首筋を撫でながら、男は少しも表情を変えずに言った。
「そんな台詞を吐いた事が一度でもあったか?」
心は、想像していたよりもずっと小さな音を立てて、ポキリと折れた。
「泣くのか」
「っ……うぅ……!」
男の声に抑揚がないことにも、悲しさを掻き立てられた。
押し潰されそうな孤独の中を、二人で、お互いの欠けた穴を埋め合ってどうにか生き延びてきた。そこには確かに愛があったはずだと信じていた。
「そんな価値も無い私情で泣くのか?」
「……そんな、物……?」
「私欲の塊だ」
何と薄情な男なのだろうか。突きつけられた事実に傷つき、ボロボロと涙を溢す姿を見ても何とも思わないらしい。
非情だ。血も涙もない。
しかし悲しいことに、融離は彼が愛のある言葉を言った記憶を思い出す事が出来なかった。パニックに陥り、正常な思考が失われている状態のせいで思い出せないのか、それとも、男の言う通り自分の勘違いなのか。
「でも、血染は、昔、私のこと放っておけなくなったって……」
その一言で、壊れないでやってこれたのに。
「そんな言葉も吐いた覚えはない」
「う、嘘だ! そんな! だって……絶対……!」
「いつだ?」
「!」
「いつ、お前がいくつの時だ」
「それは……十年っ! 十年前だよ!」
「思い過ごしだ。お前は昔から都合のいいように記憶を改竄する癖がある。悪い癖が多すぎる」
「っ嘘だ! 絶対、覚えて」
「お前が俺の家に居座っていたのも、勝手についてきただけの話だ。言っておくが俺は、お前が女で無ければ捨てていた」
信じられなかった。
この数年いや出会って約十年、彼を慕い、愛し続けていた自分を、ただの捌け口だと言ってのけた。
ショックで声が出ない。
彼の顔が、見えない。
首筋に宛がわれた太刀が冷たい。
「死ぬのが怖いか?」
「…………」
「沈黙が答えか?」
「…………?」
神経を伝って、融離の足がピクリと動いた。
毒が、抜け始めている。
指名手配犯とはいえ、個性の熟練度はただの素人だったということなのだろうか。
やがて、指先の感覚も戻ってくる。視界の揺れも収まって、何重にもブレていた物の輪郭もハッキリと認識できる。
「言いたいことは全て吐いたか?」
どうしよう。目の前の男はやると決めたら必ずやる人間だ。恐らく本気だ。
けれど、自分だって厳しく鍛えられてきた。この男が自分の動きをよく知っているように、こっちだって。
素早く、不意を突けば──。
「最期まで本物にも贋物にもなれないとは哀れな奴だ」
静かに握り締めた拳から、力が抜けていく。
心を折られても、命を刈り取られる瞬間が近付いても尚、男を信じたいという気持ちが勝ってしまった。
ずっと信じていた存在を負かす自信も、度胸も、この十数年を捨てて孤独になる勇気も、少しも湧いてこない。
ステインの太刀がゆっくりと角度を変えていき、融離の鼻先をなぞって、眉間に当てられる。
男の眼と、切っ先の冷たさに、身体が凍りついた。
「……っ」
死を受け入れようと、瞼を閉じかけた。
その時だった。
「血ヶ裂! 下がれ!!」
声と同時に、波のような氷が屋上を駆け抜けた。
デッキと屋内を繋ぐ扉が開いたその場所に、轟が立っていた。右手に白い冷気を漂わせて、男を真っ直ぐ見据えている。
「子供か……」
「──待て!」
男は呟いて、紅い襟巻きを翻して隣の建物へと飛び移った。
轟が急ぎフェンスに走り寄って目で追うが、紅い影はあっという間に消え失せてしまった。
──
「……血ヶ裂!」
ドアを開け放つなり目に飛び込んできた不気味な影は、あっという間に飛び去り、完全に姿を消してしまった。
脅威は去ったと判断して、轟は倒れているクラスメイトの下へ駆け寄った。融離は瞳を動かしてこちらを見上げてきた。幸いにも意識はしっかりしているようだ。
手を差し出したところ、融離は一瞥したのみで自力で立ち上がった。少しよろめいてフェンスを掴むが、そこから蒸気は上がらない。左手にはべっとりと血がついていたが、酸化して茶色く褪せた色になっていた。
ビルの屋上は風が強かった。
風向きは不規則で、時々、血の匂いが顔に吹き付けられる。
また、びゅう、と風が吹いた。雲が流れ、隠れていた月が現れて、視界がすこし明るくなる。
風は融離の長い黒髪もすくい上げた。さらさらと流れる黒髪はよく見ると瑠璃色に光る烏のような濡羽色で、唇は血に負けないほど紅い。
あどけなさを残す顔つきの中で一際目を引くのが、濃い睫毛に縁取られた瞳だ。それは、全てを吸い込んでしまいそうな光の少ない黒い瞳。
「大丈夫か?」
「……」
返事はない。
張りつめた糸が切れたのか、融離の闇のように深い色をした瞳はぼうっと夜景を見下ろしたまま動かない。顔には、返り血が点々とついている。
「お前、本当に女だったんだな」
次から何回かオリジナル回を挟みます。(2〜3話くらい)
これからはこの文字量(1.5〜2万字くらい)でいきます。(前書きにも書いたけど大事なことなので)