引き続き、寄り道回です。(原作から外れてます)
タイトルすごく気に入ってる。
「……これ、お前がやったのか?」
屋上のデッキに広がる血溜まりと、真っ二つに斬り裂かれた
「どの道、個性使ったことは言われるだろうな」
「……どうやってここに?」
「たまたま近くに来てた。他にも1―Aの何人かが居たが気付いたのは俺一人だ。人混みの中に白いのが見えたと思ったら、お前だったから急いで登ってきた」
地上30階はありそうなこのビルを?
ぽかんとする融離に、轟は表情変えずに返した。
「エレベーター使ったに決まってるだろ」
「──おい、敵は屋上でいいのか!?」
大人の声が聞こえた。
警察だけでなく、きっとヒーローも来ているだろう。ならばもう安心だ。轟はホッと息を吐いた。
「来たな」
「轟、行こう」
「ああ、……?」
声の方へ向かおうとした轟だったが、融離に腕をつかまれて立ち止まる。
彼女が引っぱるのは、声とは真逆の方向だ。
ここは屋上。周囲のビルとデッキで繋がっている訳でもない、単独のビルだ。
「おい、声はアッチから……」
「つかまって」
「おい──!」
次の瞬間、轟の両足はビルから離れ、強風が吹き荒れる寒空に投げ出された。
──轟、空をとぶ
「──……うお……!」
轟は空をとんでいた。
誰もが憧れるその行為は、想像していた穏やかなものとはかけ離れていて、簡潔に言い表すとしたら遊園地の絶叫マシーンのようだった。
「血ヶ裂! これ落ちてねえか!」
「降りてるだけだ!」
肌を刺すような冷たい風を全身に浴びて、建物と建物の隙間で鋸の刃のような軌道を描きながら急上昇と急降下を繰り返して前に進んでいく。軌道が変わる度に、内臓を殴られるような衝撃に襲われる。
轟は吹き付ける風に髪を乱しながら、感じた事のない感覚に体を強張らせた。
薄暗いビルの隙間から飛び出して、一気に視界が開ける。
眼下に広がる街の明かりはまるで銀河だ。街やビル、渋滞するテールランプの列、鉄塔、電車の明かりが目まぐるしく駆け抜けていく光景は酷く幻想的であったが、それを楽しむ余裕などあるはずがなかった。
命綱など無い。あるのは血ヶ裂の細い腕のみ。さすがに恐怖を覚えた。
なんて乱暴な個性だ。轟は訓練での彼女の動きを思い返していた。
──轟、酔う
「──着いた」
「……とっ、と……」
二人は
住宅街の中にある中途半端に余った敷地に、取り敢えず緑を生やしたような、薄暗くて小さな公園だ。
どれくらいの時間、振り回されていたのだろうか。轟は久しぶりの固い地面に戸惑いながら、辺りを見渡した。
「ここ、どこだ?」
「
「いや、別に、構わねえ、凄ぇな、お前」
「凄くないよ、これでも結構フラフラしてる」
振り返った融離の目を見て、轟はぎょっとした。白目が真っ赤に染まっている。
「一気に使うとね」
曰く、度重なる重力負荷により眼球に血液が集中するから、らしい。個性を過度に使用した時に起きるのだとか。モノの見え方も、赤いフィルターを重ねたように変色して見えるらしい。
ああ、クラクラする。融離が疲労が交じった声で呟いた時、轟も軽い吐き気を覚えて口を覆った。
「……酔った?」
「少し……」
「家で休んでく?」
「……そうする」
融離が、ふらつくクラスメイトを支えようと思ってか、轟の腕を掴もうと手を伸ばした。それを見た轟はビルから連れ去られた瞬間を思い出して、顔を青くして身構えてしまう。融離は一瞬きょとんとして、すぐにくすくすと笑い出した。
「もう飛ばないって」
「ワリィ、つい」
さあ行こうか、と二人は暗い住宅街を歩き出した。
「血ヶ裂、初めて笑ったな」
「そうだっけ?」
「顔自体は訓練の時に見たが、凄え顔してたからな」
「そうだった? ──ここ、ここが家」
玄関のドアを閉めた時、二人同時にホッと息を吐いた。
「水入れる。適当に座ったらいいよ」
融離は黒髪を揺らしてパチパチと電気のスイッチを入れながら廊下を歩いていく。
一人掛けのソファにローテーブル、奥にベッド。カウンターキッチンには珈琲の瓶と赤いケトルが一つ。
廊下の先にある半分木製のガラスドアを開けた先の部屋は、物が少なくて生活感のない部屋だった。
融離は轟を案内すると、再び廊下に出ていった。特にすることも無く部屋をぼんやりと眺めていると、融離はすぐに戻ってきた。顔を洗っていたらしい。前髪が少し濡れている。
「お待たせ。ハイ、水」
「座布団あるか?」
「無いよ」
っていうかソファに座りなよ。水のグラスを手にフローリングに直接座る轟を見て、融離が言った。彼女は体に掛けていたボディバックを外してソファに投げる。バッグは鮮やかな赤だ。融離は赤が余程好きらしい。
「誰か来たりした時に使うだろ」
「誰も来ないから使わないよ」
「……そういうもんか?」
「そうだよ」
融離は自虐的に笑いながら制服のブレザーを脱いで、ベッド横のクローゼットを開ける。それを目で追いながら、轟はグラスに口をつけた。
「うめぇ」
「そりゃ良かった」
冷えた水は乾いた口を潤し、するりと胃の中に落ちていった。気分が幾分かましになる。
「血ヶ裂って意外と喋るのな」
「それが何?」
「学校じゃ無口だったろ?」
「初対面でべらべら喋る奴なんて……」
途中まで言ったところで、融離は黙った。恐らく彼女も轟と同じように、べらべら喋る奴らの顔がいくつも浮かんできたのだろう。互いに、この話題が着地したこと理解して黙る。
融離はクローゼットから部屋着を手に取り、ぽい、とベッドに放り投げた。
「着替えるのか? それなら──」
別の部屋に、と轟が言う前に、融離は客に背中を向けてシャツのボタンを外し、部屋着の隣にぽいと脱ぎ捨てた。さらにタンクトップにも手を掛けて──。
「……普通に脱ぐのな」
轟は彼女のくびれが見えた所で背中を向けて言った。
「普通にって、昨日も今日も、一緒に更衣室で着替えてただろ?」
「それは男だと思ってたから……」
「きっつい下着1日中つけてると苦しくてさ」
すぐ後ろにいる男のことなど、これっぽっちも気にしないで着替えを進める融離のなんとマイペースなことか。
ふと、ガラスドアに映る融離が目に入って、轟は今度はフローリングを睨んだ。
半透明の彼女は背中に手を回して黒い下着のホックを留めている所だった。目に焼き付いた、電光に照らされて余計白くなった彼女の肌と黒のコントラスト。
「ていうか、なんで男って嘘ついてたんだ?」
「別に。なんとなく、そっちの方が都合がいいと思ったんだ……私が女だって知ったのは? いつ?」
「今日、保健室で。聞くつもりは無かったが、『血ヶ裂は女だ』ってばあさんのでかい声が聞こえた」
「なんだ、訓練の時かと思った」
「凄え顔してたからな」
「それはもう分かったから」
ギシリとベッドの軋む音がした。
「……轟」
轟が引き続きフローリングの模様を見つめていたところ、不意に名前を呼ばれて振り向く。融離は長袖パーカーに短パンのラフな姿に変わっていて、ベッドに腰掛けていた。
「……悪かった、怪我させて。あと、ごめん、酷いこと言って」
「何だ急に人が変わったみてえに」
「雄英さあ、もう辞めようと思ってるから、言うなら今しかないかなって」
融離が、ふっと笑う。憑き物が取れたと言うより、疲れ果てて、そんな雰囲気だった。
「何でだ? 外で個性使って怒られはしても辞める理由にはならねェだろ」
「いや、何て言ったらいいか……」
こんな事言ったら怒られるかもしれないけど、融離はそんなことを零して続けた。
「人に言われて雄英に入ったんだ、よね」
元々、自分の意志じゃなかったんだよと、バツが悪そうに。
「じゃあ誰の意志なんだ?」
「え?」
「自分の意志じゃないってことは、誰かに言われたからって意味だろ?」
「ああ、うん、まあ、そう。そうなんだよね」
「言いたくねェなら深くは聞かねえが……」
「うん……ごめん」
融離は投げ出した足をブラブラさせながら、
「私さ、嫌いだったんだ。ヒーローとか、それに頼りっきりの世の中とか。でもあの子
「怖かったんじゃねぇか? 子供なら、怖かったら泣くモンだろ」
「そうかもしれないけど……ああ、自分は余計なことをしたんだなって、思っちゃって、結局、敵に追い詰められるし、カッコ悪いし、なんか、もう、心が折れたというか」
「なんでそうなるんだ? 救けたんだろ?」
理解できねぇんだが。轟は首を傾げる。
「その子供、血ヶ裂が行かなかったらどうなってたんだ?」
「……それは……」
あの敵は、拐った子供を……口にするのも悍ましい。プレゼント・マイクが指名手配の理由を詳しく話さなかったのも納得がいく。
もしかしたら、あのビルの屋上を染めていたのは敵の血ではなく、子供のものになっていたかもしれない。
「血ヶ裂、ヒーローじゃねえか」
「……どうだろ」
「正直言って訓練の時、俺はお前のこと化け物だと思った。不気味だと思ったが、その血が人を救けたのは事実だろ。……自分の血がどうとか言ってるけどよ、その血は
「そんな、こと……」
「俺はあの時見上げてただけだったが、飛び出したお前は充分、雄英に居る理由になるだろ。気にせず明日も来りゃあいいんじゃねえか?」
「……」
融離は口を開けて何か言おうとしたが、すぐに閉じた。それを何度か繰り返して、最後に首を振って俯いてしまう。
「血ヶ裂」
「それ、飲み終わったなら帰ってよ。外、もう暗いんだから」
融離は強引に話を終わらせた。轟から空のグラスを取り上げてキッチンに歩いていく。
レバーを引き上げ、吐水口から吐き出された水がシンクを打つ。
──……。
その時、低い振動音が殺風景な部屋に響いた。
二人はキョロキョロと部屋に目線を泳がせて、音の発生元を辿る──ソファに投げられた融離の鞄からだった。
融離は鞄に手を伸ばして、細長い旧式の携帯電話を取り出す。
「今時、
「これは仕事用の。普段はスマホ」
PHSは客に教える為だ。融離は小さな画面に表示された名前を見て──、
『アイザワ』
咄嗟に画面を隠した。
「画面、見た?」
「流石にそこは見ねえよ」
返事にホッと胸を撫で下ろす。
よくもまあこんなタイミングで連絡してくるものだ。融離は、もし轟に見られていたら、と思うと冷や汗しか出なかった。
轟が不思議そうに聞いてくる。
「誰だ?」
「……客、仕事先の。──もしもし、センセイ?」
融離は簡単に説明すると、端末を耳に当てながらドアを閉めて廊下に行ってしまった。
ガラスドアを閉める直前に聞こえた、鼻の掛かった喋り方。仕事先の客? 客相手に先生……? と轟は首を傾げて、あんま他人の事情に首突っ込むのもな、と深く考えるのはやめた。
する事もないので取り敢えず立ち上がる。『もう帰れ』と言われたので帰り支度をしないと、と言っても特に荷物もないのでこれと言って準備することは無いのだが。
部屋をぐるりと見渡す。本当に生活感がない。綺麗に整頓されているというより、あまり物の無い部屋。頼れる親の居ない一人暮らしはどのような毎日なのだろう。
「──っい!」
「……あ、すみません今、弟が来てて……」
ふと目についた引き出しに手を伸ばした時、いつ戻ってきたのか融離に後ろから頭をひっぱたかれた。
轟が振り向く前に、彼女はパタンとドアを閉めて行ってしまった。
「勝手に他人んちの引き出し触るな」
「ワリィ、暇だった」
「理由になってない」
「それと俺はお前の弟じゃねェ」
「知ってるよそんなこと」
電話を終えた融離は不満そうな顔で戻ってきた。PHSをキッチンのカウンターにコトリと置く。
「仕事の関係で、上手く誤魔化さないと都合が悪かったんだよ」
──
相澤は休日を自宅で過ごしていた。
キッチンの飼い猫の皿にエサを投げ入れると、音を聞きつけた黒猫が走ってきた。
メシの時だけ寄ってきやがって。ガツガツと食べる黒猫を複雑な気持ちで眺めた後、相澤は寝室へ向かった。
ポケットから携帯を取り出すと、ベッドに腰掛けて、数字の羅列を入力していく。傍らには、あの女から渡された一枚の名刺。
長いコール音の後、ようやく電話が繋がった。
『もしもし、センセイ?』
「俺だ。悪いな急に」
女の声の向こうでドアが閉まる音がした。
『どうされたんですか?』
「ああ、今日は
『ごめんなさい、今日は私休みなんです』
「……そうか」
『残念です。でも連絡くれて嬉しいです。ちょうど誰かとお話ししたいなと思ってたので……』
女の話を聞き流していたら、ふと思い付く。
「なあ、時間あるか?」
問い掛けるも、女からの返事が無い。
おい、と相澤が呼び掛けた時、聞こえたのは
『──いっ!』
男の低い唸り声。
「おい、今の誰だ?」
『……あ、すみません今、弟が来てて……』
「弟?」
『ええ。今、家なんですけどね……人の物を勝手に触ろうとしてたので……』
「そうか」
『本当、困っちゃいます』
端末がふふふと笑う。
『それで……センセイ?』
ああ、そうか、と適当な返事しかしなくなった男を不思議に思った女が話を止めて尋ねる。
「いや、いい。また連絡する。悪かったな、休みの日に」
相澤はぶっきらぼうにそう言って電話を切った。
通話の終わった液晶は、5分と経たずに会話が終わった事を告げている。
時刻は間もなく20時といったところ。
相澤は携帯をベッドに放り投げると、立ち上がりキッチンへ向かった。
冷蔵庫の扉を開けて中からゼリー飲料を取り出す。
バキャ、とキャップを回し開けた時、待てよ? ふと思い出した情報に手を止めた。
家族は居ないんじゃなかったか? と。
ゼリーを口に含みながら、そんな疑念を抱く。店で見た女は本当に辛そうにしていたし、嘘をついているようには見えなかった。そうだ、もしかしたら彼女の仕事柄、休みの日には常連客の
相澤は味の無い半流動的な食事を流し込みながら、気を紛らわそうとテレビのリモコンを取った。
映ったのはニュース番組。
女キャスターが机に手を置いてこちらを見ている。
相澤は音声よりも先に、飛び込んできたテロップに目を見開いた。
『雄英生徒が関与か!?
ヴィランが遺体で発見!!』
キャスターが原稿を読み上げる。
『警察が到着した時には敵は既に死亡しており、凶器は鋭利な刃物との事です。現場に残された血塗れの白い布は、拐われた子供を助けようと飛び出した男の物であるとの見方が強いようです。
尚、その男の姿はどこにも無く、今も行方は分かっておりません。凶器も見つかっていないとの事です。また、屋上には大きな氷が残されており更に謎が深まっています』
現場となった高層ビル、通りが映し出される。
『まだ規制線が張られている、ということでしょうか。警察の、捜査関係者の方でしょうか、現場を歩いていますね、物々しい雰囲気が伝わってきます』
と、画面の端から番組スタッフの手が出てきて、女キャスターの手元に新しい原稿を差し入れた。
『……えーー……、〝白いローブの男〟について、視聴者提供の写真が入りました』
映せますか? とキャスターが自分を映しているカメラのどこか向こうへ問いかける。その横でコメンテーターが『現場に行かなくても写真が手に入るなんて、便利になったもんですよねえ』なんて呟く。
程なくして、スタジオの大画面がビルの映像から静止画に切り替わった。
表示された写真を見て、先ほどのコメンテーターが『まるでハロウィーンの衣装ですね』と真剣な雰囲気を濁しているが、相澤の耳には入らなかった。
(こりゃ、
粗い写真ではあった。けれど白い布から覗くズボンやネクタイの色は見覚えしかない。
相澤は、パウチの飲み口を咥えたまま眉を寄せてテレビに見入った。
『この〝ローブの男〟は空を飛ぶ個性を持っているとの事です。犯行後、現場から逃げ去った、という事なのでしょうか……?』
(刃物、と、空を飛べる個性、ね……)
相澤の頭に、一人の生徒が浮かぶ。
考えたくないが、自分のクラスに素行が悪くて、その系統の個性のヤツがいるな、なんて。
『ハッキリとしておりませんが、付近の住民の皆様には充分ご注意頂きたいと思います』
原稿に落としていた目を上げて、女キャスターは手を揃え姿勢を正すと、速報の締め括りにかかる。
『謎の多い今回の事件ですが、
一体誰がヴィランを殺害したのか。
〝白いローブの男〟なのか。どこに消えたのか。
そして男は本当に雄英生徒なのか。
動機も気になるところですね。
警察には一層慎重な捜査を、そして早期解決を期待したいと思います。以上、速報でした』
それでは続いてお天気です!
キャスターが声色を変えたところでテレビを切った。
(さて……)
子供を助けたのはともかく……、〝血ヶ裂 融離〟と〝刃物〟。
この二つの存在が大きすぎる。
もう少し厳しく監視しておくんだった、相澤は唸りながら頭をがしがしと掻く。もともとボサボサだった頭が余計に小汚なくなったがそんな事はどうだっていい。
足早に寝室に向かう。ベッドに放置した携帯を手に取って連絡先を開いた。
血ヶ裂 融離のページを開いた所で着信が来て、操作していた指に反応して受話器が上がってしまい慌てて耳に当てた。
『相澤くんかい?』
「……校長」
電話の主は雄英高校の校長、根津だった。
連絡が来る理由は一つしかないだろう。
「校長、今 ニュース見ました」
『見たか。なら大筋は話さなくても分かるね』
話を聞くと、根津も融離の事を気にしているとの事だった。
『それと未だマスコミには流していない情報があってね』
「何ですか?」
『現場付近で〝ヒーロー殺し〟が目撃されたそうだ』
「それは……」
校長は続ける。
今は受付時間外というのに、先ほどから学校に電話が殺到している事と、明日は覚悟しておいて欲しいという事。
そして融離の身の安全と、万が一の事態の為に《保護》が必要と考えている事。
「校長、少し考えがあります」
『なにかな?』
相澤が告げた案に合意した根津は、よろしくね、そう言って電話を切った。
今日は本気で寝れそうにないな。
時計を見ながら相澤は思った。
時刻はもうすぐ21時。
相澤はもう一度電話帳の画面を開くと、『血ヶ裂 融離』の名前をタップした。
──
場所と時を少し戻して、融離と轟──。
「なあ、テレビ置いてねェのか?」
轟のこの一言をきっかけに、二人は速報記事を読んでいた。あれだけの騒ぎになっていたんだから、ニュースの一つや二つ、速報で上がっているはずだと軽く考えていたら、実際はニュースサイトのトップが埋め尽くされるほどの注目っぷりだった。
融離は轟が操作するスマートフォンの液晶の中に綴られた速報記事を読みながら、ようやく自分の置かれた立場、事の大きさを理解していた。
「こりゃあ、マズいな」
「……ごめん。やっぱり轟は残して一人で逃げるべきだった」
「いや、多分どうしてたって変わってねえよ。まあこれ以上逃げるのは逆に疑われるから、明日は普通に登校するべきだと思うが」
轟は一度言葉を止め、少し考えてからまた口を開いた。
「……今日泊まっていいか?」
「どうしてそうなる?」
いやだってよ、と轟は表情を変えずに続ける。
「顔は割れて無いとはいえ、一番注目されてる今、制服で外を歩くのは良くないだろ」
「それはそうだけど……」
「俺だって氷って痕跡残しちまってる。それにもう遅えし、眠てえし」
「さらっと言った最後のが本音だろ」
時刻は21時前。
確かに学生が外を出歩くには遅いかもしれない。
「……家族も、心配してるとか?」
「いや、心配なんかしねえよ。どうしようが俺の勝手だ。もう子供じゃねえんだから」
「子供だろ」
「子供じゃねえ」
「じゃないなら何だよ」
「高校生だ」
「子どもだろ高校生は」
屁理屈に屁理屈を返しながら、轟は融離を置いてキッチンへ歩いていく。
そして台の上に菓子パンがあるのを見つけて、
「食料」
「何当然のような顔して……誰がやるか」
「後は着替えか」
「だから何勝手に……」
キッチンで考え込む轟を追い掛けた時、融離は彼と自分の身長差に気付いた。
相澤ほど高くは無いが、彼も背が高かった。冷めた目に見下ろされて、少し悔しい。
「何だ?」
「……一応言っとくけど、貸せる服なんか無いよ」
「ああ、血ヶ裂、背低いもんな」
「言うまいと思ってたけど言うわ、殺すぞ」
「物騒だな」
オールマイトと同じで、こいつも一緒に居ると調子が狂う。融離が疲労感たっぷりの溜め息を着いた時、再び部屋に振動音が響いた。
PHSはカウンターの上で静かにしている。とすれば融離のスマートフォンだ。そこに登録してある連絡先は二つしかない。店長か、担任の相澤だ。
融離はゴクリと唾を飲み込み、鞄から端末を取り出す。
それが知らせていたのは、《二度目》の相澤からの着信だった。
「今度は誰から……──」
融離は画面を轟に見せ、人差し指を立てて『静かに』のジェスチャーをする。彼は小さく頷いて返してくれた。騒がしいクラスメイトと違って彼は物分かりがいい。
それにしてもこのタイミングで相澤が融離に連絡してくるなんて、一つしか考えられない。
融離は少しだけ震える指で、受話器の丸いマークをスライドさせた。
『自宅謹慎だ。何でか分かるな?』
相澤は融離が電話に出ると開口一番そう言った。
「でも先生、俺は何も」
『俺の話を最後まで聞け。お前の話は後だ』
「……」
『いいか。今、学校関係者に問い合わせが殺到してる。自分の軽弾みな行動で学校、教師、雄英の全生徒、さらにはその保護者に迷惑をかけてる。まずそれを自覚しろ』
「……はい」
『そう言う訳で今から俺の家に来い』
……は?
「いや、言ってる意味が」
『お前一人暮らしだろ? 担任の俺が直接監督する事になった。要は暫くこっちに居候だ。今どこだ? 迎えに──』
相澤の声が途切れる。
反射的に電話を切ってしまった為だ。
自分は子供を助けただけだ。
処分を受ける程の悪い事をしたのだろうか。
「だからって居候って、どうしてそんな……」
「血ヶ裂、どうした?」
轟が訝しげに聞いてくる。
しかし答える前に融離の手の中で、再び端末が振動する。
『オイ……何切ってる……』
「スミマセン」
スピーカーが苛立つ相澤の舌打ちを届ける。
『チッ。お前が思ってるより深刻なんだぞ……取り急ぎ学校関係の物と、着替えだ。買える物は後で買ってやるから準備しろ、早よ』
「わ、分かりました」
『最寄りどこだ?』
「ええと……」
集合場所を決め、では何時頃に、と通話は終わった。
「相澤先生、何だって?」
不通音を鳴らす携帯を持ったまま固まる融離に、轟が再び尋ねた。
「……自宅謹慎だって」
「一人暮らしに謹慎って意味無くねぇか?」
「いやそれが、今から相澤先生の家に行く事になった……」
「凄い事なったな」
他人事な轟が恨めしい。
どうしようと項垂れる融離に、轟は簡単に言う。
「全部話せばいいんじゃねえか?」
「いや……」
「?」
呑気に首を傾げている轟を見やりながら、融離は渋い顔をした。
「それは無理、だなぁ……」
クラスメイトなら兎も角、相澤には隠している事が多すぎる。ホステスのユーリとして会っている事も、あの日からこっそり抱いている恋心も。
「なんで無理なんだ?」
「色々あるんだよ」
やはり顔は隠しておくべきか。
融離はそう考えて、予備のマフラーとヘアバンドを引っ張り出した。
「まあ、何とかやってみるよ……兎に角、今は早く帰った方がいい。誰かに見られると面倒だ」
「そうだな」
轟が玄関で靴のつま先をトントンと叩いている。
「……次来る時は着替えがいるな」
「だからどうしてそうなる」
「色々話してェ事もあるし」
「コッチは無いけど?」
そんな言葉を交わす。
最後に肩に鞄の紐をひっかけた轟が振り返って、
「隠す必要なんて無いと思うぞ」
「何が?」
「顔、それと女だってこと」
「轟には関係ないだろ」
「綺麗だと思ったから」
「は?」
「融離の顔、綺麗だぞ。少なくとも1―Aの女子ん中では一番」
「……ハッ」
融離は笑ってやった。鼻で。
何を言うのかと思ったら、歯の浮くようなセリフか。笑わずにはいられない。
「風邪、熱か? 早めに寝たほうがいいぞ」
轟は眉ひとつ動かさず、こちらの顔を覗き込んできた。
自分の言ったことに自覚が無いらしい。
「──離れろっ! 勝手に名前呼ぶな。ガキが大人からかうなよ」
「同い年だろ?」
「私は17だ! 馬鹿! 死ね!」
靴履いたんならさっさと帰れ!
融離は轟を乱暴に追い出すとバタンとドアを閉めてしまった。
ハア、と溜め息をついていると、ピンポン、インターホンが鳴る。
「悪ィ、最寄りの駅ってどこになるんだ?」
そっと開いたドアの隙間から、轟がキョトン顔で尋ねてきた。
「……そんなの自分でスマホで調べろよ……」
それだけ言って融離が再びドアを閉めようとすると、隙間に腕をニュッと差し込まれる。初めて来た場所だからイマイチ分かんねえ、とかなんとか言っている。
「ああ、もう! 近くまで送るよ! それでいいだろ!」
「ワリィ、助かる」
──
合流場所に着いたのは23時前だった。
「遅い。寒い。いつまで待たせる」
「……スミマセン」
制服とヘアバンド、マフラーのいつもの格好に着替え直した融離は、背の高い小汚い彼を見つけて駆け寄った。
肩に掛けた鞄の紐が食い込んで痛い。
「先生あの実は」
「話は後だ。寒い」
相澤は融離を一瞥だけして、一人ですたすたと歩いて行ってしまった。
「……」
「何してる、行くぞ」
急かされて、慌てて後を追った。
この場所に到着するまでに散々悩んで、考えて、轟に言われた通り自分が女であると打ち明けようと決意したのだが、掴みかけたタイミングは目の前で取り上げられてしまった。
こうなると、情けないことに決断はグラグラと揺れ始めてしまう。
言うべきか、隠すべきか。うだうだと悩み続けてどのくらい歩いたのか、気付いたら相澤の家のドアの前だった。