合否発表が届きます。
原作の隙間を埋めるオリジナル回。
──夕日に追われて
「さっ……っむ……!」
自宅マンションのドアに鍵を差した時、手首に提げたコンビニの袋がぶつかって雑な音を立てた。開いたドアの隙間に爪先を差し込んで体をねじ込む。その際、反対の手に握っていた封筒がドア枠に引っ掛かって、真ん中からくしゃりと折れた。
横着はするものじゃない。分かってはいるが、今は一刻も早く暖を取りたい。融離はごそごそと足をすり合わせて靴を脱いだ。
背後でぱたん、とドアが西日を追い出して、すっ、と視界が暗くなる。肌を刺す冬の風から無事逃げ延びる事が出来て、融離は、ほっと息を吐いた。
オレンジ色の細い光が部屋に差し込んでいる。カーテンを引いてそれを追い出すと、電気のスイッチを入れた。
今日は一日晴天であったが、日が傾いた辺りからぐっと冷えてきたらしい。融離は、まあそこのコンビニまでだし、とマフラーを置いて外に出たところ、首筋をすり抜ける風が想像以上の冷たさで、身震いしながら用事を済ませて帰ってきたのだ。
用事というのは何てことはない。晩御飯の買い出しだ。そして、何の気無しに覗いたポストに入っていた封筒の差出人は、雄英高校。
「寒……」
吐いた息が冷たい。融離は荷物をテーブルに無造作に放ると、かじかんだ手を擦り合わせながらキッチンへ向かって、珈琲の瓶を掴んだ。
お湯が沸くまでの間に、改めて封筒をチェックする。何度見ても差出人は雄英高校だ。中身は入試についてだろう。
少しばかり緊張する手で中身を開けると思った通り、試験結果の通知であった。
冷えた鼻を珈琲の湯気で温めながら、用紙に目を通す。暫く眺めた後、マグカップの珈琲が溢れないようにベッドにゆっくりと腰かけた。
試験結果は合格。
多くの受験生がいたその中で、名門と名高い、雄英高校に。自分はあの、そびえ立つ校舎に自由に出入りする権利を獲得したのだ。なんだか自分も大きくなったように感じられて、少しばかり誇らしい。これで『学がない』とあの男に鼻で笑われる事もなくなるだろう。
実技試験で居合わせた少年の元にも、知らせが届いているのだろうか。癖毛頭で、頼りない感じの顔をしていたが、どっこい、彼が放った一撃はとんでもないものだった。あの衝撃は当分忘れられそうもない。そう思い出した今も、じわりと手が汗ばみ、胸が震える。彼は、果たして合格できただろうか。
珈琲の深い香りと合格の優越感に浸っていた融離は、ふと、疑問が浮かんで顔を上げた。マグカップを傾ける手を止めて、ん? ん? ん? と眉を寄せ、口を尖らせて、結んで。
雄英に合格してみせた。
それはいい。
でもどうして雄英高校なんだ。
知識をつけるだけなら他の学校でも良いのに、とそんな疑問が湧いた。
教育機関の力を借りなくても、参考書を買い漁るとか、そんな方法もあるはずだ。
しかし、男は雄英しか口にしなかった。こちらが何を言っても『雄英に入れ』とそればかり。
考えれば考える程、気になってくる。雄英高校に拘った理由を本人の口から聞きたい。
けれども、融離には会う術がなかった。向こうが何処に住んでいるのかは知らないのだ。この近辺に潜伏しているのは違いないのだが。
男と接触するには、偶然に任せるしかない。街でいきなり出くわすか、向こうからこの家に足を運んでくるかの二択になる。前者は例えば、何となく歩いていた時に視線を感じて振り返れば、路地裏にアイツの目があってギョッとした、とか、何の気無しに見上げたそこに立ってこちらを見ていた、とかそんな感じだ。
そしてさらに残念な事に、男は滅多に家に来ない。来る時の大体は業務連絡だ。活動の拠点を移す、いつ、どこに、それだけ言い残して去っていく。腹が減っていれば食料を勝手に掴んで。そのとき一言でも言葉を交わせられたらかなりいい方で、殆どはさっさと姿を消してしまう。
そのような訳で、あの男は、彼と数少ない──いや、唯一と言ってもいい関係者である融離にとっても、行方不明のような存在なのだ。世間一般での認知度がイマイチ上がらない原因は、影に生き過ぎているからだと思う。
(この家も長いな)
融離はぐるりと部屋を見回した。視界に入るのはベッドとローテーブルと、手つかずのキッチン。いつでも出られるように、あまり物は置いていないのだが、もうすぐ2年が経とうとしている。
彼はもう拠点を移さないのだろうか。いやもしかすると、移してはいるが、この付近に留めているのかもしれない。
騒動が後を絶たない都市部ではヒーローの需要が高く、事務所が乱立している。ヒーロー殺しが選ぶ狩り場として、ここは最適だとは思う。それにしたって。
(最後に会ったの……いつだったかな。最近、分かんないことが増えた……あいつの考えてること……)
そんな人間では無いと承知しているが、自分の様子を全く見に来ない男のことを少し恨めしく思う。ヒーロー殺しがヒーロー候補生と逢引なんて、滑稽すぎるけれど。
気付けば珈琲はぬるくなっていた。飲み干したが、まだ体は温まりきっていない。寧ろ冷えた。
じゃあ、もう一杯いきますかと腰を上げた時だった。単調なリズムの音楽が部屋に響いた。
音の正体はスマートフォンで、キッチンの調理台の上でブンブンと震えながら持ち主に電話を知らせている。
融離は端末を覗き込み、画面に表示された名前を見ると慌てて受話器をスライドさせた。
「もしも──」
『あっ、ユーリちゃん! お休みなのにゴメンナサイね!』
電話の主は仕事先の店長だ。
『悪いんだけど、今から出てこられないかな』
「今からですか?」
てっきり出勤の日を勘違いしてしまっていたかと焦ったが、そうではないらしい。
何かあったのか、店長はこちらを遮って、普段以上に早口で捲し立てる。
『ユーリちゃん気難しい、というかクセのあるお客さん得意でしょ? ……今、あなたにぴったりなというか』
「はあ」
『ちょっと困ったお客さんが……』
「クレームですか?」
『ううん、違うの、そのー……もう、とにかく出てきて欲しいの! お願い! 後生だから!』
後生だから、は前も聞いたけれど言わないでおいた。何か困ったことがあると融離に電話が来るのはしばしばあることだ。直近だと、酒に酔った客が支払いを拒否した挙げ句に暴れ出したから、どうにかしてくれと頼まれたんだったか。
「ええ、まあ、いいですよ。特に用事も無いですし……はい、いや、急げばもう少し早く行けると思います」
返事をしながら、融離は洗面台へと向かう。
よろしく!
その言葉を聞くとすぐに電話を切って、鏡の前で素早く髪を結い上げると、ポーチの開けて唇にグロスを走らせた。
よっ。小さな掛け声を発して、路地の隙間から空へ飛び出した。街はすっかり夜の景色になっている。
誰が所有していて、誰が住んでいるかも判らないマンションの屋上を蹴りつけて隣のビルへ。何処かへ移動する時は、この個性が役に立って仕方がない。
バイト先まで、ゆっくり行って30分。飛ばせばもう少し早く着く。
早々に息が上がってきて、いけないと思う。やはりトレーニングを怠っていたのがマズかっただろうか。入試以降、なんだか気が抜けてしまっていた。入学までに整えておかないと。
「っと……」
薄暗い路地に着地した。この通りの真ん中に地下へと続く階段がある。駆け降りて、お店の裏口のドアノブを回す。扉を開けたすぐそこで、屈み込んでいた中年の男が弾かれたように立ち上がった。
「──ああっ、ユーリちゃん待ちくたびれた!」
勢いよく立ち上がったせいで腹の肉が前に突き出て、彼のシャツのボタンが悲鳴を上げた。
──ニュークラブ・シンデレラ
表で、古臭い看板が光を散らしている。ここは『ニュークラブ シンデレラ』。学歴不要、お金も稼げて、時折いい情報も手に入る。頬が筋肉痛になるのは難点だが、他は願ってもない条件だと思う。
融離は数年前からここのスタッフとして働いている。先程から嬉しそうに彼女の背中を押している、小太りでなよなよした話し方のこの男はここの店長だ。
「さっ、急いで急いで!」
更衣室に押し込まれた融離の背後で、カーテンが勢いよく閉められた。既に準備していたらしく、更衣室の中には1着のロングドレスと
「あなた好みのドレスを見繕っといたんだけど、どう? それでいい? 着替えたらすぐ案内するからね!」
「いいですよ、これで」
細い肩紐の、シンプルな黒ドレスだ。ストレートのスカートの側面には、裂け目のような深いスリットが入っている。
光沢のある裾をすくうように手に取ると、サラリと滑り落ちていった。
「そんなに厄介なんですか、そのお客さん」
「厄介というか、何処と無く、ううん。全面的に汚い感じかしらね」
「……ホームレス、ですか? そんなのつまみ出せばいいのに」
「分かんないケド、それができないのよぉ」
「どうして」
「とにかく急いで頂戴……あなたが最後の希望なのよ」
「そんな大袈裟な」
ドレスの質感を楽しんでいた融離は、店長の涙声にやれやれと支度に取り掛かった。
バイトは夜職?です。
知識もなければ、ネーミングセンスも無いです。
次回、バイト先の紹介回とかします。