闘う巨乳なレジスタンス娘は失うものが何もない 作:かめのこたろう
衛生という概念とは無縁な、汚水まみれの暗い夜道を走る。
歪に高度化された巨大都市の最底辺は、どこも油断ならない危険の気配が充満していた。
始まってしまった闘いの渦中。
成功させた一大決起の結果、もはや全面的衝突の様相を示し始めた私たちのレジスタンス。
また一つの成果を上げて、圧倒的物量で迫る敵の追手を躱そうとしている今この時。
煌々と挑発的な光を発しながら立ちふさがる検問に、私たちの脚が自然と止まっていく。
「……チっ、厄介だな。あそこは確か……」
組織の指導者たる巨漢が言う。
「“振興特区”か。いつの間にかこんなとこに出ちまうとはな」
もう一人、巨大な剣を背にした彼が応える。
「だが、もう他に向かう先はない。後ろの連中を相手どるか、その特区だかの検問を突破するしかなさそうだが」
まだこの地域にきたばかりの新参者らしい認識で、現状を適切に表現する言葉。
私たちに判断を誤らぬよう、正しい理解を促すような響きだった。
「ふんっ、どっちにしろ糞ったれだな! ただ、どうしても選べって言われたら、前の方しかねえ……かっ」
荒々しい物騒なものを多分に含んだ諦観。
まさにそれを体現するように、長大な銃器をガチャっと音を鳴らして構えようとしたその瞬間。
「まって」
私は即座に、暴発しかけるエネルギーを制した。
「? どうした。時間はねえんだぜ?」
「もしかしたら、可能性があるかもしれない。……私にやらせてもらえない?」
「まさかアテがあんのか?」
「かもね」
「へっ、俺たちが戦ってる“アイツら”の走狗だって赤ん坊でも知ってるような連中だぜ。淫蕩と強欲を司る、堕落の王朝。暗黒街を代表するマフィア相手にまともな交渉する余地あんのか?」
とても信じられないと、つまらない冗談を聞いたみたいな態度。
でも私はさほど気にすることもなく、受け流す。
「今は私を信じてくれない? 危険な賭けなのは違いないけど、希望は皆無じゃない……と思う」
「……」
「さっさと決めろ。俺はどちらでもいい。ただ、どちらにしろやるしかないなら、少しでも可能性が高い方を選ぶんだな」
ふーっと、内部に渦巻いていた責任と危機感を漏れ出すような大きな溜息。
リーダーとしての決断が下されるのにさほどの時間は必要なかった。
「わかった、やってみろ。もうここまで来たらお前の案に乗るしかなさそうだな」
私は力強く頷いて、仰々しいフェンスとライトで固められた検問へと身体を向ける。
そして足を踏み出すと、一気に距離を縮めていく。
ネズミ一匹通さないとばかりにゲート前に立ちはだかる警護役の姿はもう目前。
あれはたしか……。
知っている顔だったことにまずは安堵する。
問答無用で拒絶されるという第一段階は無事、突破できそうだと。
具体的な交渉の流れをイメ―ジしつつ、否応なく喚起されていく記憶の数々。
この暗黒街を支配する闇組織と自分が持ってしまった確かな繋がり。
なかったことにはできない、忘れようもない人物との邂逅が脳裏によみがえった。
………。
……。
…。
「お久しぶり……っていうのが相応しいかはよくわからねえな」
相対して座る、同郷だったはずの男は言った。
あまり趣味がいいとは思えない金ぴかの装飾品が立ち並ぶ執務室らしき場所。
応接テーブルを挟んだソファー。
けばけばしい色彩の三つ揃えに、どっしりとした固太りの身体を収めて、伝法口調でつぶやく姿。
記憶の中の、腕っぷしの強い村の顔役と同じ存在とはとても思えない。
だけど、ぶっきらぼうで素朴な情感を感じさせる響きだけは変わっていないような気がした。
「まさか生きてらっしゃったとは。正直、伝え聞く噂で俺はもうてっきり。……お嬢さんも苦労なさったようだ」
一応、態度と口調はかつての関係性を彼なりに尊重しているのは伝わってきた。
まずはまるっきり相手にされない危惧がなさそうなことに安堵する。
「ええ、本当に久しぶり。何十年も経ったみたいね。……見違えたわ。最初、おじさんだとはわからなかったくらい」
「へへっ、まあそう言われても驚きゃしやせんよ。ここでやってくには、世間知らずの田舎者じゃあいられやせんでね」
「でもそれで今やもうすっかりこの辺の元締めなんでしょう? 同じ村の人間として誇らしいわ」
「そうお嬢さんに褒められるとこそばゆいもんですが。代表なんていっても……」
片側のこめかみから顎先まで深い刃物傷がざっくりと癒着して歪に固まった凄みのある顔が、にやりと不敵に嗤う。
「所詮、ヤクザもん。薄汚れた裏の人間でしかありやせんぜ」
流れ着いた巨大都市の掃きだめで、裸一貫から闇社会の頂点にたった男の言葉。
自嘲的な響きの中に、確かな自負がほの見えた。
そして緩んだ空気を引き締めるように、今度は張りつめたものを纏い始める。
「お嬢さんみたいなお人が関わり合いになるのは、あんまり望ましい人間じゃありやせん。……本題といきやしょうや。一体なんのご用で? まさかただの思い出話にきたわけじゃあ、ありやせんでしょう?」
油断なく値踏みするような鋭い視線。
こちらの方が今の彼の本当の姿なのだろう。
かつての『村のお嬢さん』ではなく、今の私をそのまま見通すような冷徹な瞳の光。
あてられたような緊張が迸る。
内心の強張りを一切悟られぬよう、私は表向きの平静を完璧に装おうとする。
「ご挨拶ね。でもそうね、まだるっこしいのは私も御免だわ。……お金」
ピクリと、濃ゆい眉が片方だけ上がった。
「お金が必要なの。それも尋常じゃない金額の」
目的のものを口にした瞬間、それまでよりも相手の存在の密度が一気に濃くなったような気がした。
無言でただ、先を促してくるその姿。
私はごくりと、一度だけ喉を唾で潤してから続けた。
「単刀直入に聞くわ。……私は。この身体は『売り物』になる?」
そして沈黙。
とうとう告げてしまった、取り返しのつかない内容の言葉。
否応なく、追い詰められるような緊張が自分を襲う。
覚悟してきたはずだったのに。
それでもなお、こうして昔の自分を知る人間に赤裸々で下世話なことを言ってしまった事実に潰されそうになるらしかった。
内容を咀嚼しているのか、吟味しているのかもわからない、吸い込まれそうな静寂がどれだけ続いたのか。
酒と女と、賭博で成立した夜の世界の支配者は、やがて何の脈絡もなく再び口を開いた。
「自分が一体何をいっているのかは……どうやらわかっちゃいるらしいな」
もはや古馴染みへの温情など、微塵もなくなった言葉と表情。
「俺もそれなりに修羅場くぐってきた人間だ。アンタに一体何があったのかはだいたいわかる。女として相当悲惨な目にあってきたってのもな」
あの悪夢の記憶が喚起された。
ぶるっと身震いしながら、わが身を抱くように腕を廻す。
「ええ、わかってるつもり。だから遠慮なく言って。どうなの、私は使い物になるの? どれだけ稼ぐことができる?」
「……まず見た目だけなら最高級。その気になりゃ、一晩でしばらく遊んで暮らせるだけのもんにはなるだろうな」
「っ。な、ならっ!」
待ち望んだ回答に、思わず身を乗り出した私を抑えるよう、片手で制しながら。
「慌てなさんな。いったろ、“その気”になればってな」
「?」
「たぶん、今のアンタにゃ無理だ。俺の想像どおりなら、な」
「な、何をいって!」
わけのわからないことを言って煙に巻こうとしている。
そう、気色ばむ私をどこか憐れむような眼で。
「ちっと失礼するぜ」
と、突然腰を上げたかと思うと、みるみる迫り、そして手をこちらに伸ばす。
そしてあっさりと、前のめりになって突き出していた私の胸は、タンクトップブラごと無骨な手のひらに包みこまれる。
「うっ!」
一瞬、本能的に払いのけて、逃げようとした。
でも必死に抑えた。
これは恐らくテストなのだと、そう察して。
私が使い物になるか、そういうことに耐えられるかを試されているんだと。
そしてその予想は半分当たって、……半分外れていた。
「ど、どうぞいくらでも確認してもらって結構よ。ぜ、全然平気……っ」
もみもみと、身を乗り出したまま、無防備に空中に晒された自分の胸を揉まれながら。
私は勝手に強張る身体を必死で押しとどめ、男の査定に応えようとする。
「平気……ねえ?」
初めて触るのを許したにも関わらず、さほどの感慨もなさそうな声だった。
「そんな身構えて、油断すると噛みつきそうな雰囲気で言われてもな」
「そんなことしないっ! 大丈夫、我慢できる……から」
男に犯されるくらい。
もう失うものなんてない。
そう昏い覚悟を改めてしようとした私に、まるで考え違いだと断ずるみたいな言葉が齎される。
「ほれ、やっぱり。“我慢”ってことはやっぱ無理してるってことじゃねえか」
「っ! ち、ちが……っ!」
「いや、違わねえのよ。……あんた、まだ女の悦び知らねえだろ?」
「よ、よろこ……び?」
「ああ、男に触られて抱かれて、気持ちよくなったことねえだろって」
「そ、そんなの……っ」
ない。
というより、そんな風になるなんて信じられない。
私にとってアレは、ただ痛くて気持ち悪い、理不尽と暴虐そのものでしかない。
ただ耐えることはできても、気持ちよく?
悦ぶ?
一体何のことを言っているのかさっぱりわからなかった。
果たして同じ現象を指し示しているのかも、怪しくなった。
そんな私の態度ですべてを理解したとばかりに、ふぅぅっと溜息をつきながら男は胸から手を放す。
そしてどすんっとばかりに、再びソファーに腰を戻すと、何もかも見通したような声でいった。
「ほらな、アンタは女として必要なもんを欠いたハンパものなんだ。色事ってのは只、歯ぁくいしばって耐えてりゃいいってもんじゃねえのよ。どんだけ見た目がいい女だろうと、交わりの良さってのを体現できねえなら、どんなブスにも劣るってこと。今のアンタは、男を悦ばせることも、自分が悦ぶこともできねえ、ただのマグロってわけだわな」
「な……っ。ち、ちが……っ」
「何が違うって? じゃあさっき俺に触られてどうだった? 気持ちいい、もっと触ってほしいって想ったか?」
「っ!」
がくんっと。
とどめを刺されたみたいに、私の身体がソファーに沈み込んだ。
「たぶん、よっぽど酷い経験したもんで、トラウマになってんだろ。それをどうにかできねえ限り、身体を売るのはどだい無理ってもんよ」
私は壊れていた?
本来なら発揮されるべき機能が喪失してしまっていると。
そういうことなのか。
「そんな……っ、それじゃあ……」
まったく想像もしてなかった理由で、唯一見出した活路が絶たれようとしていた。
それもどう解決したらいいのかも理解の外で、対応しようもない。
死すら超えるほどの悲壮な決意で試みたことが、あっさりと挫折し瓦解していく音が聞こえる。
もうこれ以外に方法なんて。
今の私には。
「……まあ、それでもってなら客とることもできないことはないけどな。ただ、値段は相当に下がるのは覚悟しなくちゃならねえが。たぶんアンタが欲しいような金額には程遠い、下も下の底辺客相手の格安(バーゲン)女になるのが関の山だ。……悪いことはいわねえ」
茫然自失の私にかけられる声には、いつのまにか、同郷の馴染みに対する親しみが戻っていた。
「やめときな」
これで終わりとばかりに、腰を上げ、こちらを見下ろしながらいった。
もう完全に、『村のお嬢さん』に対する態度でしかなかった。
「さ、わかったんならお帰りはあちらだ。なに、ちょっとしたお土産くらいはさせてもらうぜ。だからつまらんことはもう忘れて、まっとうに生きるのがいい」
入口の扉を開けて、こちらを促す。
とてもやさしい、かつてのおじさんの目だった。
荒々しいところもあるけど、いざというときには頼りになる、同じ共同体に住む年上の男の包容力そのものに他ならなかった。