視界の回転を伴った浮遊感。鉄の塊に衝突された全身は付近の走行車に打ち付けられ、ボンネットやフロントガラス、ルーフの上を転がるようにして道路に落下した。
理解の直後に巡ってきたのは、全神経から発せられる激痛の警告。身体の一部も損壊した深刻な状況に呼吸もままならず、自分は流血を喉に詰まらせながら死を悟った。
予感は的中するように、間もなくして自分は息を引き取る。慣れ親しんだ世界の大地の上で、ボロ雑巾のような有様を晒しながらその一生を終えたのだ。
真っ暗な視界の中、直にも感覚が巡り出す。自分は無意識に重い瞼を持ち上げていくと、そこには名状し難い光景が映し出された。
紫色に光る樹海の深層。白い光を放つ樹木が不気味に生い茂る異空間。周囲には血色の悪い薄紫の体色を持つ人型生物が五体ほど存在しており、彼らは魔術的なタトゥーを刻み込んだ全裸の姿で大喜びしていた。
その内の一人が、こちらに手を差し伸べながら言葉を発してくる。
「あぁ、無事に生まれてくれて良かった。それにしても素晴らしいくらいの健康体だ。これならば、立派な“インキュバス”に育ってくれるだろう」
自分は返事をしようと力んだものの、新生児で器官が未発達である故か不自由を極めていた。
だが、視線を下ろすことで全容を把握することはできた。どうやら人間でいう12歳くらいの体格を有するその身体は、既に筋肉質で非常に
どうやらこの身体は樹木のひび割れから生まれたようで、樹木の中身から溢れ出る白色の粘液が、両腕、背中、両脚などに付着していた。周囲の彼らは粘液を手で取り払いながらこちらを抱き抱えると、背中をトントンと優しく叩きながら穏やかな調子で言葉を口にしてきたものだ。
「仲間が増えてくれて嬉しいよ。これから一緒に頑張っていこうな。よろしく、期待の新星」
彼らの里に迎え入れられた自分は、インキュバスという種族内でのコミュニティで共同生活を送り始めた。前世の記憶はしっかりと残っており、この状態で生まれ変わることを『転生』と呼ぶんだろうなと、そんなことを薄らぼんやりに思ったりもした。
暮らしの内容自体は、以前に住んでいた地球とそれほど大差なかった。朝は起きて、ご飯を食べて、勉強をして、仲間達と交流してから、寝る。そんな一日を送る日々には、充実感も芽生えていた。ただ、日常の中に魔法が存在しているという点だけは異質に感じられた。最初は超常現象を自在に操る同種族の彼らに圧倒され、教えを乞う事で自身も魔法を使用することができるようになった。彼ら曰く『物覚えが良い』と高く評価され、戦士の素質を見込まれた。
インキュバスとして生まれ変わってから一年が経過すると、自分は成人男性のような体格に成長した。175cmに至った背丈は前世の面影を感じさせ、群青色のショートヘアーが素朴な青年を演出する。爽やかと評される端整な顔立ちで、黒色の瞳が誠実な印象を与えてくる。加えて、体色を自在に変えられる力で肌色を前世に近付けると、二本の角も引っ込めることで完全に人間を模倣した。
服装にも気を遣い、水色から黒色に変化していくグラデーションカラーのニットシャツと、黒色のジョガーパンツ、白色のシューズに銀色のネックレスという格好で鏡の前に立つ。すると、付近にいた男性のインキュバスは冗談めかしたように言葉を投げ掛けてきたものだ。
「おいおい、“アレウス”。一瞬どこかの人間が紛れ込んだのかと思ったぞ」
「紛らわしいことをしてすみません。でもなんか、この姿がしっくりくるんです」
「良い事さ。インキュバスは他者の精力を吸収しなけりゃ生きていけない。その精力を吸収する手段として、その種族における魅力的な外見の模倣が一番有効とされているからな。今のアレウスなら、メスの人間を相手にした“食事”に困らないだろう」
「ただ、まだ精力の吸収をしたことがないので……」
「この里には精力の代わりになる樹液があるから、我々はその樹液で暮らせている。だが、外の世界には樹液が無いからな。外の世界に出るならば、他種族への模倣を極めないと精力を吸収できなくなる。そういう意味では、アレウス。お前は勉強熱心だったからな。どうりで模倣も上手いわけだ。全く、真面目という言葉はアレウスのためにあるようなもんだ」
「ありがとうございます」
自分はお辞儀をしてから、言葉を続けた。
「一年間、お世話になりました。皆さんのご助力があったおかげで、俺はこうして外の世界に旅立つことができます」
「まるで他人行儀な言い方だな。我々は家族だろう。ご助力もなにも、助け合うのが当たり前だっての。アレウスはこう、あれだよな。生まれたばかりの時から、どこか達観してるっていうか。こう、大人が生まれ変わってきたかのような物腰が印象的だったよ」
「そ、そうですかね」
「そうとも! だからこそ、我々はお前に色々と教えたわけさ。この世界の生き方や戦い方、言葉や知識、その他諸々。特にアレウスは戦闘のセンスがいい。あとは、経験だけだ。里のしきたりで、成熟したインキュバスはしばらく里を出ることになっているしな。お前も外の世界を冒険して、いろんな景色を見てくるといいさ。アレウスの成長を心から応援している。同じ種族の者として、アレウスの存在は誇りに思うよ」
「なんだか照れてしまいます。ありがとうございます。一族の名に恥じぬよう、冒険に努めて参ります」
自分はお礼を告げながら歩き出す。一年間過ごしてきた部屋のリビングを突っ切って、玄関の扉に触れていく。
その背中を、男性インキュバスは腕組しながら見守ってくれていた。自分は彼の方へと振り返ると、決心した面持ちでそれを口にしたものだった。
「行ってきます」