※この作品はR-18です。

種を求められる異世界放浪   作:ボルメテウスさん

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石畳の影、刃の音

城へ向かう道は、賑やかな通りから次第に静かになっていった。

 

町家の軒並みが途切れ、石畳の両脇に杉の木が増える。日差しが細かく枝分かれした影を地面に落としていた。

 

(静かだな。さっきまで人の声があったのに)

 

餅屋の爺さんに教わった道順は間違っていないはずだ。城の北側にある桔梗院の別邸へ向かる途中。セフィの手紙を持っていれば通れるはずだ。

 

だが。

 

(空気が変わった)

 

救助隊員の勘が鳴る。災害現場に入る前のあの感覚。何かがおかしい。現場の空気が重くなる時がある。普段は目に見えないものが、肌で分かる。

 

足を止めた。

 

風が止んでいる。

 

先ほどまで柳の枝を揺らしていた風が、いつの間にか止まっていた。杉の葉も動かない。鳥の声も消えた。

 

(…まずい)

 

俺は周囲を見回した。石畳の道。両脇の杉。そして——

 

影が、動いた。

 

「——」

 

影じゃない。

 

杉の木の陰から、何かが立ち上がった。

 

人ではない。

 

大きさは子供ほど。だが形が人とは違う。赤い肌。頭には一本の角。口は耳まで裂け、黄色い歯が並んでいる。着物のようなものを纏っているが、汚れきってボロボロだ。

 

妖怪。

 

それ以外の言葉が浮かばなかった。時代劇の絵巻で見たような、鬼の姿。

 

「ひ…人の、におい…」

 

妖怪が鼻をひくつかせた。ぎょろりとした目が、俺を捉える。

 

「あったま…元気な、におい…」

 

声はしゃがれていた。だがその言葉の意味は、はっきりと理解できた。

 

(生命力の匂い。この妖怪、俺の生命力を感じ取ったのか)

 

「うまそう…」

 

妖怪が一歩踏み出した。足音がしない。地面を滑るように移動する。

 

(やばい。絶対にやばい)

 

俺は後退った。一歩、二歩。

 

「にげた」

 

妖怪が笑った。カカカ、と乾いた笑い声。

 

「にげたにげた。おもしれえ」

 

(一匹じゃない)

 

背後の杉の陰から、もう一つ影が動いた。今度は緑色の肌。頭に皿を乗せた、河童のような姿。

 

「こっちにもおる。元気な男だ。久しぶりだぁ」

 

三匹目。四匹目。杉の木の陰から次々と妖怪が現れた。赤いのも、青いのも、黒いのも。

 

全部で——六匹。

 

(六対一。しかも相手は妖怪。身体能力が人間とは違うレベルだ)

 

「おいしいにおいがするぅ…」

 

一匹の妖怪が舌を出した。舌は長く、先端が二股に分かれている。蛇みたいだ。

 

「この辺りの男は、もう生命力がない。パサパサで不味い。でもこいつは違う。溢れとる。熟れた果実みたいだ」

 

「食おう。食おう」

 

「骨までしゃぶる」

 

妖怪たちが包囲を狭めた。六匹が六方向から。逃げ場がない。

 

(走るしかない)

 

俺は踵を返し、全力で走り出した。

 

ドンッ!

 

一歩目を踏み出した瞬間、背後から風圧が来た。妖怪が飛びかかってきたのだ。俺は反射的に身を沈め、地面を転がった。

 

「ちっ。速いな」

 

背後で妖怪が着地する音。石畳に爪が当たるガリッという音が、背筋を凍らせる。

 

(速い。人間じゃない速度だ)

 

俺は立ち上がりながら走った。編み上げ靴の底が石畳を叩く。コツコツコツ。

 

だが——

 

背後の足音はそれより速い。シュッ、シュッ、という音。地面を蹴るというより、空気を裂いて飛んでいる感覚。

 

「にげろにげろ。逃げると追いたくなるぅ」

 

遊んでいる。この妖怪たち、俺を本気で追っていない。猫が鼠を弄ぶみたいに、楽しんでいるのだ。

 

(くそっ)

 

角を曲がった。石畳の道が右に折れる。そこを——

 

「待ってたよ」

 

正面に、妖怪がいた。

 

(いつの間に回り込んだ!?)

 

一匹が先回りしていた。ニヤニヤと笑みながら、裂けた口から涎を垂らしている。

 

俺は急停止した。靴底が石畳を擦り、体が前のめりになる。

 

(前から一匹。後ろから五匹。完全に囲まれた)

 

「もう逃げられないよ」

 

正面の妖怪が一歩近づいた。赤い手が伸びる。爪が、俺のシャツに触れた。

 

「いい匂い。…いただきまーす」

 

(俺、死ぬのか?)

 

(異世界に流れ着いて、数日で妖怪に食われるのか?)

 

(救助隊員としても、消防士としても、最悪の死に方だ)

 

(でも——)

 

(まだ諦められない)

 

俺はシャツを破られる前に、正面の妖怪の腕を掴んだ。力任せに引き寄せ、体を回転させる。柔道の原理だ。相手の力を利用して、体を投げる。

 

ドガッ!

 

妖怪が石畳に叩きつけられた。一瞬だけ、包囲に隙間ができる。

 

「なっ——!」

 

妖怪たちは驚いたようだった。獲物が反撃してくるとは思っていなかったのだろう。

 

俺はその隙間に体を滑り込ませた。

 

走る。走る。走る。

 

肺が燃える。足が重い。だが止まらない。

 

(城まであとどれくらいだ。町家が見えてきた。人里に出れば——)

 

「あはは! 面白い! 面白いよ!」

 

背後から笑い声。近づいている。

 

(速い。やっぱり速い。人間の走り速度なんて、妖怪には通用しない)

 

石畳の道が町家の並ぶ通りに繋がった。人がいる。着物姿の町人が数人、通りを歩いている。

 

「逃げてください!」

 

俺は叫んだ。声が裏返る。

 

「妖怪が——」

 

だが町人は動かない。動けないのだ。恐怖で足がすくんでいる。あるいは、この世界で妖怪に襲われることなど日常茶飯事なのかもしれない。

 

「ひぃ…」

 

老婆が腰を抜らして座り込んだ。

 

(間に合わない)

 

背後の気配が、すぐそこまで迫っていた。

 

シュッ!

 

風切り音。俺は反射的に伏せた。頭上を何かが通過した。妖怪の爪だ。もし避けていなかったら、後頭部が持っていかれていた。

 

「つっぱしるねぇ。でもそろそろ疲れてきたでしょう?」

 

妖怪の声が、耳元で聞こえた。

 

(いつの間に——)

 

右肩に激痛が走った。

 

「つーん」

 

爪が、俺の肩を掠めた。シャツが裂け、血が滲む。

 

(くそっ。もう捕まる——)

 

俺は足を滑らせた。石畳が濡れている。いつの間にか雨が降っていたのか、それとも妖怪の仕業か。バランスを崩し、片膝をつく。

 

妖怪たちが、四方から迫った。

 

赤い肌の妖怪が、俺の左腕を掴んだ。爪が皮膚に食い込む。痛い。

 

「見つけた。いただきまーす」

 

緑色の妖怪が、右脚に噛みつこうとした。口が開く。黄色い歯が、俺の太腿に——

 

(だめだ。このままじゃ——)

 

俺は目を閉じた。

 

(すみません。まだ何もできてないのに)

 

(セフィ。あの人に、何も返せてないのに——)

 

ふいに風が、鳴った。

 

いや、風ではない。

 

鋭い、澄んだ音。空気を一刀で断ち切ったような音。

 

シュッ——

 

「——へ?」

 

目を開けた。

 

俺の左腕を掴んでいた赤い妖怪の手が、無かった。

 

肩から先が、滑り落ちたように無くなっている。断面から黒い血が噴き出し、妖怪が悲鳴を上げる間もなく——

 

二閃。

 

右脚に噛みつこうとした緑色の妖怪の頭が、胴体から分離した。宙を舞った頭が、石畳に転がる。ゴロゴロと。

 

三閃。四閃。五閃。

 

残りの四匹が、一瞬で切り裂かれた。

 

赤いのも、青いのも、黒いのも。全て。

 

石畳の上に、妖怪たちの断片が散乱した。黒い血が石畳を染める。

 

俺は呆然としていた。

 

何が起きたのか分からなかった。ただ、一つのことだけは確かだった。

 

俺を殺そうとした六匹の妖怪は、全て——一瞬で切り裂かれていた。

 

そして、風が止んだ。

 

静寂が戻った。

 

「…大丈夫か?」

 

声がした。

 

俺は顔を上げた。

 

石畳の上に、一人の人物が立っていた。

 

逆光で顔は見えない。だが、そのシルエットははっきりと分かった。

 

着物。袴。腰に差した一刀。

 

刀身が、血を一滴もつけずに、冷たい光を放っていた。

 

「立てるか」

 

その人物が手を差し出した。

 

俺は——震える手で、その手を掴んだ。

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