※この作品はR-18です。

種を求められる異世界放浪   作:ボルメテウスさん

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小屋の主、掴めぬ人

「……助けていただき、ありがとうございます」

 

妖怪の血が染みた石畳を後にして、俺は自分を救ってくれた人物の後ろを歩いていた。

 

両義式。

 

それが、彼女の名前だった。

 

名乗った時の声が、今も耳に残っている。淡々として、温度のない声。感情がこもっていないわけではない。感情を表に出すこと自体を、面倒だと思っているような声。

 

(というか、強かった)

 

あの妖怪たちを一瞬で斬り捨てた刀捌き。俺の救助隊時代の格闘訓練なんて、子供の喧嘩レベルに思えるほどの。

 

彼女は着物に袴、腰には一刀。髪は短く、左右で長さが違う。そして何より特徴的なのは——

 

(目。あの瞳)

 

宝石のような、吸い込まれる瞳。じっと見つめられると、自分の内側まで見透かされているような錯覚に陥る。

 

「ついてこいとは言ったが、礼を言われる筋合いはない」

 

式が、前を向いたまま言った。

 

「あの場に居合わせた。斬った。それだけだ」

 

「それだけ、って……俺は食われるところだったんですよ」

 

「食われても文句は言えまい。溢れすぎなんだ、あんたの生命力は」

 

ドキリとした。

 

(この人も、分かるのか)

 

「……気づいてたんですか」

 

「あんな匂いを振りまかれては、な。妖怪が騒ぐのも当然だ」

 

式は振り返った。その瞳が、俺を値踏みするように細められる。

 

正直に答えると、式はふっと鼻で笑った。初めて見る、笑みらしい笑みだった。

 

  *  *  *

 

案内されたのは、町外れの森の中だった。

 

杉の木が鬱蒼と生い茂り、昼間だというのに薄暗い。苔むした岩、落ち葉を踏む音。瑞穂州の喧騒が嘘のように静かだった。

 

(まるで別世界だ。いや、ここも異世界なんだけど)

 

森を抜けると、開けた場所に出た。

 

小屋があった。

 

古い、朽ちかけた感じの山小屋だ。木板の壁は灰色に褪せ、屋根には苔が生えている。普通なら「誰も住んでないな」と思うような佇まい。

 

「ここ、誰か住んでるんですか」

 

「見ての通りだ」

 

式は答えにならない答えを返した。

 

「今は誰もいない」

 

「……式さんの家、じゃないんですか」

 

「仮宿だ。気まぐれで使う。それだけの小屋だ」

 

掴み所がない。

 

会話すればするほど、この人は掴み所がない。怒っているのか笑っているのか、こっちを見ているのか別の何かを見ているのか。浮世離れという言葉がこれほど似合う人も珍しい。

 

だが、歩き方を見れば分かる。

 

式の足取りには、無駄が一切なかった。重心がぶれない。常にどんな状況でも刀を抜ける体の向き。警戒を解いていない。

 

(……この人、常に戦場にいる)

 

(俺の知ってる人で言うなら、ヨルさんに近いかもしれない)

 

ヨル・フォージャー。俺を保護してくれた、あの市役所職員。穏やかな笑顔の下に、絶対に見せない何かを抱えた人。式からは、それと同じ種類の気配を感じる。

 

「入れ」

 

式が小屋の扉を開けた。

 

軋む音。木の扉が、重たげに開いていく。

 

中は——本当に、誰もいなかった。

 

土間。古い囲炉裏。積まれた薪。壁に掛かった藁細きの道具。生活の痕跡はある。誰かが使っている形跡は、ある。

 

だが、人はいない。

 

「……病人が、ここに運び込まれたりするんですか」

 

救助隊員の俺が、つい職業的な質問をしてしまう。式は鍵を閉めながら、首を傾げた。

 

「あんた、変なやつだな」

 

「よく言われます」

 

「褒めている」

 

囲炉裏の前に座ると、式が火を入れてくれた。マッチではなく、小さな火打ち石を使う。パチン、パチン、と乾いた音がして、火粉が舞った。

 

「妖怪に食われかけた男が、落ち着いて人の心配か」

 

「職業病なんです。俺、元は救助隊員でした」

 

「……救助隊員」

 

式が火を見つめたまま、その言葉を転がした。

 

「人を助けるのが仕事、か」

 

「ええ。まあ……異世界に来る前は、って話ですが」

 

火がボワッと燃え上がった。赤い光が、小屋の中を照らす。式の横顔が、橙に染まる。

 

その横顔が——ほんの一瞬だけ、何か遠いものを見る目になった。

 

「なら、あんたのその力は……妙な皮肉だな」

 

「皮肉?」

 

「救う力が、狩られる理由になる。生命力が溢れているからこそ、妖怪はあんたを狙った」

 

式の瞳が、こちらを向いた。

 

「あんたの優しさそのものが、この世界じゃはた迷惑な匂いを立てる。……救い手がいるだけで、この枯れた世界では騒ぎになる」

 

(……言われてみれば、そうだ)

 

セフィも言っていた。俺の力は国を動かす。俺自身はただの救助隊員のつもりでも、この世界ではそうはいかない。

 

「式さんは、それを知ってて俺を助けたんですか」

 

「知ったことか」

 

式は火箸で薪を突いた。パチパチと爆ぜる音。

 

「目の前で食われそうなやつを見たら、斬るだけだ。理由はいらん」

 

「……ですよね。俺と同じだ」

 

「違うな」

 

即座に否定された。

 

「あんたは助けたいから助ける。私は斬りたいから斬る。似て非なるものだ」

 

「斬りたい、から……」

 

「死人絡みの性分でね」

 

さらっと、とんでもないことを言った。

 

(なんですかそれ。かっこいいんですけど、意味が分かりません)

 

ツッコミを入れたくなるのを堪えていると、式が唐突に立ち上がった。

 

「傷を見せろ」

 

「え?」

 

「肩だ。妖怪の爪を受けたのだろう。放置すれば化膿する」

 

言われて、右肩の痛みを思い出した。シャツの裂け目から、血が滲んでいる。痛みは……確かに、じわじわと熱を持っていた。

 

(いや、俺の回復力なら大丈夫なはずなんだが)

 

だが、式の手が既に応急手当の包帯を取り出している。断る雰囲気ではなかった。この人の「断れる雰囲気じゃない」は、セフィとはまた別種の迫力がある。

 

(……助けてもらったばかりだし)

 

俺は観念して、シャツのボタンを外し始めた。

 

橙の火影が、小屋の中で揺れていた。

 

外の森では、風が杉の枝を鳴らしている。

 

この浮世離れした大和撫子と二人きりの、誰もいない小屋で——俺はまた、この世界のペースに巻き込まれていく予感がしていた。

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