射精の余韻が、まだ体の中で脈打っていた。
八坂の体温が俺の胸に乗っている。金髪が頬をくすぐる。琥珀色の瞳が、ぼんやりと俺を見上げていた。
「はぁ…はぁ…すごかった…久世さん…」
八坂の声が、蜜のように甘く濡れていた。事後の余韻で声が掠れている。
「ええ…まあ」
俺は天井を見つめたまま答えた。体は重い。お香のせいか、それとも射精後の脱力感か、指一本動かすのも億劫だ。
(お香…そういえばあの香り、まだする)
鼻孔にこびりついた甘い香りが、思考をじわじわと溶かしていく。
「久世さん…」
八坂が上体を起こした。金髪が揺れ、単衣の下から覗く白い胸が揺れる。琥珀色の瞳が、さっきまでの熱っぽい光とは違う、別の色を宿していた。
「あなたの生命力…全部、私にくれましたね」
「え?」
「中に出したでしょう。全部、私の中に」
八坂は自分の下腹部に手を当てた。白い指が、僅かに膨らんだ下腹を撫でる。
「ここに…あなたの生命力が溜まっている。温かい。すごく温かい」
俺は違和感を感じた。八坂の声が、少しずつ変質している、甘さの中に何か別の響きが混じる。
「八坂…さん?」
「八坂でいいって、言ったでしょう」
彼女は微笑んだ。だがその笑みが、妙に歪んでいた、蝋燭の光が、八坂の顔に影を落とす。
「久世さん。あなた、自分が何をしたか分かってますか」
「何をって…」
「生命力を、私に注いだ。全部。たっぷりと」
八坂の手が、俺の胸に置かれた。冷たい。さっきまで温かかったはずの指が、冷たい。
「あなたの生命回帰は、消費した生命力を循環させる力。でも、外に注いだ生命力は…戻らない」
「……」
「私の中に入った生命力は、私のもの。あなたのではない」
八坂の瞳が、光を失った。琥珀色の宝石が、ただの石になるように。
「返さない」
「なっ…」
俺は身を起こそうとした。だが動けなかった。体が動かない。指一本動かせない。
「動けないでしょう?お香のせいよ」
八坂が立ち上がった。単衣が床に落ちる。素裸の体が、蝋燭の光に照らされる。白い肌。引き締まった体。だがその姿が——蜘蛛のように見えた。
「あの香りは、ただのリラックス効果じゃない。筋肉を弛緩させるの。それに…記憶を鈍らせる」
「記憶を…?」
「ええ。あなたは私に精を注いだ。でもその記憶は、薄れているでしょう?感覚だけが残ってる」
言われてみれば、そうだった。何をどうされたのか、詳細な記憶が曖昧だ。耳を舐められた、胸を押し付けられた、手で握られた、中に入れた、出した。その感覚は残っているが、順序が曖昧だ。
「あなたの生命力は強い。一回やそこらじゃ効かないけど…続けて注がせれば、いずれ枯れる」
「枯れる…?」
「ええ。私のために枯れる。…嬉しいでしょう?」
八坂は微笑んだ。蜘蛛が獲物を包むような笑み。
「あんた!」
廊下から声が響いた。襖が開け放たれる。式が立っていた。刀を抜いている。刀身が、蝋燭の光を受けて白く輝く。
「何をしている」
式の声は静かだった。だが刃のように鋭かった。
「あら、両義の奥様。お邪魔しないでくださいな」
八坂は振り返りもしなかった。俺の上に跨がったまま、式に向けて語る。
「客をもてなしてるだけよ」
「その客が動けなくなっているのをもてなしと言うのか」
「リラックスしてるだけ。ねえ久世さん?」
八坂が俺の頬を撫でた。冷たい指が、頬をなぞる。俺は動けない。指一本動かせない。
「離れろ」
式が一歩踏み出した。刀が、八坂の喉元に向けられる。
「無駄よ」
八坂は言った。扇子を開いた。金色の扇面が、蝋燭の光を反射する。ぱちりという音。
「この屋敷の中には、私の妖怪が五十体以上いる。あなた一人で斬れる?」
「試してみるか」
式は刀を構えた。だが次の瞬間、天井から何かが降ってきた。影。いや、糸だ。白い絹糸のようなものが、式の腕に絡みつく。
「なっ…!」
「蜘蛛の糸。私の式神よ」
八坂が扇子を振った。糸が式の体に絡みついていく。腕、脚、胴体、縛り上げる。
「くっ…! この…!」
式は刀で糸を切ろうとした。だが糸は切れない。粘り気のある糸が刀身にも絡みつき、動きを封じる。
「斬れないでしょう。私の糸は切れないの」
八坂は俺の上に跨がったまま、扇子で式を指した。
「大人しくしていて。すぐに終わるから」
八坂の視線が、式から俺に戻る。琥珀色の瞳が、じっと俺を見つめる。
「さて久世さん。続きをしましょうか」
「なっ…何を…」
「残りの生命力、全部いただきます」
八坂の手が、俺の首に触れた。冷たい指が、喉仏をなぞる。
「痛みはないわ。ただ眠くなるだけ。優しくて、温かくて、気持ちいい死に方よ」
「やめ…」
「力を抜いて。お香を吸って。眠くなるだけ」
八坂の声が、耳元で囁かれる。甘い。お香の香りが、さらに濃くなる。頭がぼんやりする。
(やばい)
(このままじゃ、本当に)
俺の意識が、ふっと沈んだ。
* * *
暗い。
どこまでも暗い。
温かい。
何かに包まれている、柔らかくて温かい何かに。
(俺は…死んだのか)
(いや、違う。まだ生きてる)
意識が、ゆっくり浮上してくる。ぼんやりとした光の中で、何かを感じる。
指先に触れるもの、柔らかくて温かい。肌だ。誰かの肌だ。
「ん…」
声が出た。俺の声だ。喉が渇いている。
「久世さん」
声が降ってきた。八坂の声。だが先ほどとは違う、柔らかく、穏やかな声。
「起きないで。まだ休んで」
八坂の手が、俺の額を撫でた。冷たい指が、髪を梳くように撫でる。
「あなたの生命力、たっぷりといただいたわ。私の体が温かい。生きてるって感じがする」
八坂は俺の隣に横たわっていた、金髪が俺の肩に触れる。琥珀色の瞳が、暗闇の中で微かに光っている。
「殺さなかったの…?」
「殺す?いいえ、枯らすだけよ。あなたの生命力は強い。一回じゃ枯れない。何度でも注がせる」
八坂の手が、俺の胸を撫でた。心臓の上に、ゆっくりと。
「だから、生かしておくの。何度も使えるから」
「何度も…」
「ええ。あなたは私の活力源。この枯れた世界で、私だけが生き続けられる」
八坂は微笑んだ。蜘蛛のような笑みは消えていた、ただ静かに、女としての笑みだけが残っていた。
「眠って。朝になれば、また会える」
八坂の手が、俺の目を覆った。冷たい指が、瞼を閉じさせる。
「おやすみなさい。久世さん」
お香の香りが、最後に一つ深く吸い込まれ、俺の意識は再び闇に沈んだ。今度は自らの意志で。
屋敷の夜は静かだった。式の気配は消えていた、蜘蛛の糸に縛られたまま、気絶しているのだろうか。
八坂の体温だけが、俺の隣で温かかった。金色の髪が枕に散らばり、琥珀色の瞳は閉じられている。
(これでいいのか)
(分からない)
(ただ、体が重い)
(眠い)
俺はそのまま、八坂の隣で泥のように眠った。お香の甘い香りの中で。