船に揺られること二日。
瑞穂州の港から出た小型の船は、内海を渡って華中の国境都市へと到着した。八坂の手配した船だった。船頭も荷物持ちも、八坂の配下らしい。蜘蛛の糸に縛られるくらいの恩義を背負った旅だ。
「お降りください」
船頭が手を差し出してくれた。俺は手を取って船から降りる。
足裏に伝わる感触が変わった。石畳だ。だが瑞穂州の石畳とは違う。丸く磨かれた石を敷き詰めた道。日本風の町並みとは全く異なる景観が広がっていた。
「うわあ」
思わず声が出た。
目の前に広がっていたのは、赤と金の世界だった。
建物の屋根は反り返り、赤い瓦が並んでいる。壁は白と赤の漆喰。柱は金色の装飾。通り沿いには赤い提灯が並び、金色の紋が入った旗が翻る。
(中国だ。これ、完全に中国の街並みだ)
修学旅行で行った中華街を百倍にしたような光景。だが本物の中国より、もっと絢爛豪華で、もっと活気がある。
「兄さん、饅頭はいかがですか」
「薬草餅、どうぞ」
「新鮮な薬草、安くしますよ」
通りの両側から声が飛んでくる。呼び込みの声。だが瑞穂州の商人とは声の調子が違う。甲高く、早口で、元気がいい。
俺は通りを歩きながら、周囲を見渡した。
屋台が並んでいる。饅頭、餃子、麺、春巻き。湯気が立ち上り、香辛料の香りが鼻をくすぐる。瑞穂州の繊細な和食とは違う、濃厚で刺激的な香り。
「すみません、これ一つください」
薬草餅を買った。掌サイズの丸い餅。表面に緑色の粉がまぶされている。一口かじると、中から甘い餡子と苦い薬草の風味が口に広がった。
「苦い」
思わず顔をしかめた。だが次の瞬間、口の中がすっとした。苦みの後に甘みが追いかけてきて、胃の腑が温かくなる。
「効くわねぇ、兄さん。元気になったでしょう」
売りの婆さんが笑った。歯が一本もない。だが目は爛々としている。
「確かに元気になりますね」
「そうでしょう、そうでしょう。華中の薬草餅は一粒で活力。生命力が減った体にはもってこいよ」
婆さんは手早く次の客の注文を捌き始めた。薬草餅を二つ、三つと次々に包んでいく。商売人気質はこの国も瑞穂州も変わらないらしい。
* * *
通りを抜けると、広い広場に出た。
中央に大きな噴水。その周囲に露店が並び、人々が行き交う。服のデザインが変わった。瑞穂州の着物とは違う、もっと派手な衣装。鮮やかな赤や黄や緑の布地に、金色の刺繍。女性たちは頭に簪を刺し、耳に大きなイヤリングをつけている。
(服のデザインが中華風だ)
俺の編み上げ靴と白いシャツが、この街では浮いている。だが奇妙なことに、誰も不審そうには見ない。旅人が多い街なのだろう。服装の多様性には慣れているらしい。
「兄さん、どこから来たんだい?」
露店の男が声をかけてきた。腕には蛇の刺青。目つきは鋭いが、悪い人ではなさそうだ。
「瑞穂州から来ました」
「瑞穂州? 珍しいね。東方の侍の国か。ここへは何の用だい」
「薬を勉強したくて。華中は薬の国だと聞いたもので」
「ほう、薬か。あんた、生命力強そうだね。顔色がいい」
男は俺の顔をじっと見た。鋭い視線。だが敵意はない。
「薬人になりたいのかい?」
「薬人?」
「ああ、薬の材料になる人間のことさ。生命力の強いやつは、薬人として高く売れる」
男は小声で囁いた。だが目は笑っていない。
「気をつけな。この街じゃ、生命力の強い人間は目立つ。薬人に狙われないようにね」
男はそれだけ言うと、露店の奥へ消えた。置き去りにされた俺は、周囲を見回した。
(薬人。八坂の言ってた通りだ)
(この街では、俺の生命力は目立つ)
(気をつけないと)
広場の奥に、大きな建物が見えた。赤い壁に金色の屋根。門構えが立派だ。門の上には、薬草と龍が描かれた扁額。
「あそこが、薬学の学院か」
八坂の話では、華中の中心にある薬学の学院に、この世界で最も進んだ薬学の研究が集まっているという。俺の生命回帰を解明するには、そこに行くのが一番だろう。
(でも、その前に)
俺は広場の屋台を見た。餃子、焼きそば、炒め物。湯気が立ち上り、油の香りが漂っている。
(腹ごしらえだ)
旅の疲れを癒やすには、まず腹を満たすことから。救助隊員時代の基本ルールだ。俺は屋台の列に並んだ。
「兄さん、何にする?」
屋台の店主が笑顔で問いかけてきた。太った男。白い帽子をかぶり、鍋を振っている。
「これ、一つください」
指差したのは、赤いスープに入った麺。香辛料の香りが鼻をつく。
「よしよし。特製火竜麺だ。元気が出るぞ」
店主は器用に麺を鍋から引き上げ、赤いスープに注いだ。上に唐辛子と香菜を散らす。
「はいよ、火竜麺一丁」
受け取った器は熱い。湯気が顔にかかる。一口啜ると、辛さが口の中で爆発した。
「うっ…辛い」
だが次の瞬間、体の中から熱が湧いてくる。汗が噴き出し、胃の腑が燃えるように熱くなる。
「どうだい、元気になったろう」
店主が笑った。
「ええ、確かに元気になります」
(この国の料理は、薬と一体化してるのか)
(食材そのものが薬になる。だから料理が発達したんだ)
俺は火竜麺を啜りながら、学院の門を見上げた。赤と金の門。その奥に、この世界を変える手がかりがあるかもしれない。
(行こう)
麺を食べ終え、俺は学院へ向かって歩き出した。赤と金の街の中を。