「次はね、私の友人を紹介してあげる。きっと生真くんのことも気に入るわ」
行為を終え、ホテルのベッドで余韻に浸っていた俺に、日和さんが悪戯っぽく笑いながら言った。
彼女は精液で汚れた下着を指先で摘み上げ、惜しげもなくバスルームへと放り込む。
その姿には、先ほどまでの淑やかな人妻の面影はなく、完全にスイッチが入った「メス」の色が濃く滲んでいた。
「今度は居酒屋でどうかしら。堅苦しい所より、しっとり飲みながらの方が互いに気が楽だし」
そうして指定されたのは、バーリントの繁華街から少し外れた路地にある小さな居酒屋だった。
その店は、蒸気管の隙間から漏れる白煙に包まれるようにして佇んでいた。
入口には煤けた木の看板。
読めるか読めないかの擦り切れた文字の横に、猪の牙を象ったらしい飾りがぶら下がっていて、空気が動くたびにギシリと軋んだ音を立てる。
俺は店の前で足を止め、手に持った「紹介書」らしき紙片を握りしめた。
日和さんから渡された店の名前と、待ち合わせの人物の特徴。
「彼女は分かりやすい美人だから、すぐ見つかるわ」
…美人。
また美人が来るのかよ。
いや、期待している自分がいるのは確かだ。
だけど、それ以上に今は初めて足を踏み入れる「異世界の居酒屋」という非日常に、全身がガチガチになっている。
(落ち着け、久世生真。ここは飲み屋だ。食って飲んで、会話するだけだ)
俺は拳を握りしめ、意を決して引き戸に手をかけた。
ギィィ…。
木が擦れる乾いた音がして、中からむっとした熱気が溢れ出してくる。
油の焦げる匂い。
香辛料の鋭い香り。
汗と酒の混ざったような、生々しい人間の匂い。
「いらっしゃい!」
威勢のいい声が飛んできた。
カウンターの奥で、無精髭を生やした熊みたいな体格の店主が、巨大な鉄板を前に手を止めずに俺を迎え入れる。
店内は薄暗く、天井近くには無数の煤けたランプがぶら下がっていた。
壁には手書きらしい短冊が大量に貼られ、それぞれの文字はどうにか読めるものの、料理の名前らしき単語からはまったく味が想像できない。
「焼き蒸しイモリ串」「丸焼きハネトカゲ」「発泡酒と岩塩のマリネ」…。
(爬虫類だらけかよ!?)
だが、ぶわりと漂ってくる匂いは意外にも香ばしく、胃袋を刺激してくる。
蒸した蒸気に混ざり、醤油のような甘辛いタレの焦げる香りが鼻腔をくすぐった。
意外と行けるかもしれない。
いや、この世界に来てから、ヨルさんの料理(炭化した物体)を一口でも口にしている身としては、大抵のものは美味く感じられる自信さえある。
俺は一番奥のテーブル席に案内された。
壁に向かって背を預けられる位置だ。
何が起きてもすぐ反応できるよう、入口と店内全体を見渡せる場所を選ぶ。
これはもう職業病みたいなものだった。
「あの、これをお願いします」
日和さんから渡された紙片を店主に見せると、無精髭の熊はそれをチラリと見てニヤリと笑った。
「兄ちゃん、異世界人だって? 話には聞いてたぜ。今日の連れが来るまで、先に一杯やってな」
ゴトリ、と俺の前に置かれたのは、濁った琥珀色の液体が注がれた木のジョッキだった。
表面からは泡がプツプツと音を立て、ほのかに果実のような甘酸っぱい香りが立ち上る。
「発泡酒…ですか?」
「俺ン所特製の『星樹エール』だ。生命樹の根のエキスを一滴混ぜてあってな、疲れがぶっ飛ぶぜ」
(星命樹エキス入りとか、体にいいのか悪いのか分からねえな…)
内心の動揺を隠しつつ、俺は恐る恐る一口含んだ。
舌の上で、まずガツンと来る強烈な炭酸。
その後に、熟したパッションフルーツを思わせる甘みと、青草を噛んだ時のような苦みが広がる。
喉を抜ける瞬間、体の芯がカッと熱くなるような感覚が走った。
「うまい…!」
思わず声に出ていた。
酒に弱い方じゃないが、こんなに体に染みる酒は初めてだ。
本当に生命力が回復していくような、不思議な感覚があった。
「ハハッ! そうだろ! 若ェのに話が分かるじゃねェか」
店主が豪快に笑い、鉄板の上で何かをひっくり返す。
ジュウッ!という音と共に、煙の向こうから香ばしい肉の匂いが届いた。
「待ってる間、つまみでもどうだ。今焼けたばかりの串だ。タダってわけにゃいかねェが、初回だけ負けてやるよ」
そう言って出されたのは、見た目こそ異様だが香りは本物の焼き鳥のような一皿だった。
表面はカリッと焼かれ、タレが照りを強く反射している。
(毒見も兼ねて、いくか…)
俺は慎重に一口かじった。
焦げたタレの甘辛さ、肉の弾力、脂の甘み。
意外なほどジューシーで、酒が進む。
これは確かにうまい。
見た目で判断してはいけないということか。
だが、味に感動しつつも、頭の片隅では次の相手への緊張が渦巻き続けていた。
相手は一体誰なのか。
どんな容姿で、どんな理由で俺と会いたいのか。
その言葉は、まったく噛み合わないまま俺の頭の中をぐるぐると回る。
異世界の居酒屋で、未知の酒を飲みながら未知の女を待つ。
心臓がうるさくならないわけがない。
店の外は霧が濃くなり、どこかで蒸気が空気を震わせていた。
「おっそいなぁ…」
俺は飲み干した木ジョッキをテーブルに置きため息をついた。
異世界の発泡酒「星樹エール」は確かに美味いが待ち人が来ないと心地よい酔いも台無しだ。
その時だった。
ガラッ!と乱暴に引き戸が開け放たれむっとした熱気と共に強烈な香水の香りが店内に雪崩れ込んできた。
「すいませーん! 生ビール! いやこの世界だとエールか? とにかく一番冷えてるやつ!」
ハキハキとした女性の声だ。
振り向いた俺は思わず息を呑んだ。
そこに立っていたのは二十代前半にしか見えない若々しい女性だった。
茶色の髪はショートボブで活発さを強調している。
顔立ちは整っていてどこか人懐っこい印象だがその瞳は獲物を探す猫のようにキラキラと輝いていた。
服装は若者向けの露出度の高いもので首元には派手なネックレスが揺れている。
だが何より俺の目を釘付けにしたのはその体つきだ。
(爆乳だ…!)
着ているタイトなノースリーブのニットはもはや限界まで張り詰めていて二つの巨大な丘陵が今にも飛び出してきそうだ。
ウエストは細いがヒップは豊かに膨らみ全体のシルエットは砂時計を通り越して爆裂弾のようだ。
大学生と言われても信じてしまうような若々しさとそれに反する圧倒的な肉感が同居している。
彼女はカウンターにドカッと座ると店主が出したエールを一瞬で飲み干した。
「ぷはーっ! 生き返る!」
そして勢いよくこちらを振り向いた。
その視線が俺を捉える。
「あんたが異世界から来た久世生真って人?」
彼女はニカッと笑い俺のテーブルまで歩いてきた。
近くで見るその胸元はさらに凶悪だ。
谷間の深さと柔らかそうな質量に目が吸い寄せられる。
「私は御坂美鈴。美琴ちゃんの…まあただのお母さん。ヨルちゃんから話は聞いてるわよ。元気な異世界人さんがいるってね」
「あっ…はい。久世生真です」
俺は慌てて立ち上がったが彼女は座ったまま俺の顔をじろじろと観察し始めた。
「ふーん…見た目は普通ね。でも匂いが違うわ」
彼女は鼻をヒクヒクさせ俺の首筋に顔を寄せた。
甘い香水の香りと共に熟れた果実のようなフェロモンが鼻腔を直撃する。
「なんていうか…ムラムラする匂い。女の子を発情させるフェロモンってやつ?」
彼女の目がトロンと細められた。
その瞳には明確な欲情の色が宿っている。
「母親だなんて嘘みたいですね。とてもそんな風には…」
「あらありがと。娘を持つ母親の悲哀ってやつ? 夜が寂しいのよぉ」
彼女は更にエールを注文しグイグイ煽り始めた。
酔いが回るのは早いらしい。
「あのねぇ生真くん? 私もう我慢の限界なの。旦那も最近パッとしないし娘は反抗期だし…私だって女なんだもん! 満たされたいのよ!」
彼女はグラスを叩きつけるように置くと俺の肩に手を回してきた。
重みと柔らかさが腕に伝わる。
「さあ行きましょ! あんたのその元気なの…味わせてもらうわよ!」
バン!と背中を強く叩かれた。
骨がきしむような強烈な一撃だがそこには抗えない情熱が込められていた。
「えっちょっと美鈴さん?」
「細かいことはいいから! ホテルはもう取ってあるの! 行くわよ!」
彼女は俺の手を強引に引っ張り店を出た。
霧の立ち込める夜の街を豊満なお尻を揺らしながら歩く美鈴さん。
その後ろ姿を見つめながら俺は覚悟を決めた。
次の相手はこの爆乳人妻だ。
今夜もまた背徳と快楽の夜が始まる。