日本本土から遠く離れた孤島。
個性で重罪を犯した凶悪なヴィランたちを収容する対"個性"最高警備特殊拘置所──通称タルタロスは、難攻不落の要塞としてその名を表社会と裏社会両方に轟かせていた。
拘置所に収監されたヴィランの自由は著しく制限され、個性の使用を検出すれば自動機械が銃口を向けその場で射殺するほどの厳重さで管理されており、ヴィランは監房内でおとなしくしている他なかった。
また、タルタロスの外部でも幾重にも張り巡らされたセンサーと強固な防壁、そして最新鋭の武装を施された武装ドローン群が無謀な襲撃者を跳ね返す強固な布陣が敷かれている。つまるところ、タルタロスからの脱獄は不可能とされていたのだ。
──だがしかし、その神話が今崩れ去ろうとしていた。
外部から極めて強力なヴィランによる襲撃が行われているのだ。
脳無たちを率いた死柄木弔がタルタロスへ繋がる橋を管理している青銅の門を最初に襲撃し、呆気なく墜としてしまったのだ。慌てたタルタロスの管理・制御室から直ちに橋脚部の爆破ボルトを遠隔作動させ、橋を海中に落とし動線を遮断したが、空中機動が可能な脳無の前では無意味だった。
今度は空からタルタロスの鉄壁の防衛線が削られていった。
防衛していた武装ドローン群は脳無の火力の前に蹂躙され、ついに死柄木弔が島内に侵入しタルタロスの防衛線は完全に破られた。
施設内でけたたましい警報音が鳴り響く中、死柄木弔から放たれた強烈な
最下層から放たれた強力な2発目のEMP攻撃がタルタロスの電子制御システムの予備系を完全に沈黙させた。
監房内の照明がバッテリーバックアップの予備灯に切り替わった。
電子制御ではなく機械式制御であるため、施設内が完全な暗闇になることはなかったが、それによって、タルタロスに異変が起こっていることをすべてのヴィランが察することとなった。
すぐさま強力な物理的個性を保有するヴィランが扉を破壊して脱出を始めた。
こういうのは数がモノを言うのを承知しているヴィランが仲間意識とは無関係に周囲の監房の扉を破壊していく。
こうしてタルタロスの陥落は決定的なものとなった。
◇◇◇◇◇◇
オール・フォー・ワンは、身動きを封じていた拘束椅子を破壊すると立ち上がり、傍らの生命維持装置を抱え上げた。拘束衣も何の障害にもならない。
管制塔は崩壊し、監視カメラも機能停止している。顔を覆う生命維持用のマスク越しに口元が弧を描いたが、見ているものは誰もいない。
全てが上手くいった。
生命維持装置という荷物が無ければ嗤い出していたことだろう。
監房の巨大な鋼鉄の扉の前に立ち、個性:鋲突で無造作に吹き飛ばした。
轟音と共に扉が拉げ、金属製の重厚なロック機構ごと外側に向かって吹き飛んでいく。
オール・フォー・ワンの顔に笑みが浮かぶ。
久しぶりの個性の使用に根源的な爽快感が湧いたのだ。
上層階ではすでに監房を脱出したヴィランたちが地上を目指して破壊を繰り返しており、脳無を引き連れた死柄木弔が抵抗する施設職員を血祭りにあげ、下層へと向かって来ているのを感じる。
小さく笑いながらオール・フォー・ワンはタルタロス地下500mの最下層の冷たい廊下に足を踏み出した。
「──おい、余計なことするなよ。俺の監獄ライフが台無しじゃねーか。あん?」
唐突に、ひどく気怠げで苛立ちを含んだ声がどこからか響いてきた。
オール・フォー・ワンは思わず立ち止まり、声のした方向へゆっくりと顔を向ける。
閉まったままの巨大な金属扉。
タルタロス地下500m最下層のオール・フォー・ワンの監房の隣の房だ。
よく見るまでもなく、オール・フォー・ワンの監房の扉よりも大きくて頑丈だった。
ヴィラン同士だからといって仲間ではない。
もちろん、最終的にタルタロスに収監されていたヴィランを仲間として勧誘するつもりはある。
だが自分に対し、このようにぞんざいに話しかけてくる者の顔を拝みたくなった。
最下層に収監されるほどの危険人物であることだけは分かるが、さすがのオール・フォー・ワンであっても収監者全員のリストを持っているわけではない。
個性:鋲突で隣の房の扉を吹き飛ばそうとして嫌な予感がした。
吹き飛ばした鉄扉が中に入り込んだ場合、中にいる人物と決定的に敵対する可能性が頭をよぎったのだ。
紙を破くように分厚い金属製の扉を横に投げ捨てる。
重々しい低音を響かせ扉が廊下を転がっていく。
そして監房内を覗き込んだオール・フォー・ワンが固まった。
タルタロス最下層の監房内に広がっていたのはタルタロスという地獄には存在するはずのない景色だったのだ。
殺風景で冷たいコンクリートに覆われた狭い独房のはずが、床には毛足の長い高級な絨毯が敷き詰められ、部屋の中央には天蓋付きの巨大なふかふかのベッドが鎮座していた。広さも桁違いだった。アンティーク調の豪奢な家財道具、年代物のワインクーラー、壁掛けの巨大なTVモニターまでもが余裕をもって並べられている。まるで最上級リゾートホテルのVIPルーム並みだ。
あり得ないのはあり得ないが、ここまではまだオール・フォー・ワンも理解はできた。
「なんとまぁ……」
思わずむせ返るほどの甘い香水と汗の匂いが監房の中に充満していた。
一糸纏わぬ全裸の女たちが何十人も艶やかな白い肌を露わにし、主人の寵愛を競い合うかのようにベッドの上の一人の男の周囲に侍り、男の身体に己の身体を密着させ男の肌を愛おし気に愛撫していたのだ。
しなやかな肢体が幾重にも重なり合い、柔らかな胸の谷間や丸みを帯びた豊かな臀部が無防備に晒されている。尻の谷間に遠慮なく伸ばされた男の指先が奥をかき混ぜるように動く度に、女たちの口から媚びるような甘ったるい吐息が漏れ出ていた。
タルタロスと呼ばれるヴィランの絶望的な墓場ともいえる監獄の最下層に淫靡なハーレムが存在していたのだ。
さすがのオール・フォー・ワンでさえあまりのことに呆れ果てた。
爛れたハーレムの中心に座しているのは、でっぷりと太った醜悪とも言える巨体の男だった。
たるんだ贅肉にまみれた腹を揺らしながらベッドの上に寝そべり、女たちの柔肌を片手の手のひらで無造作に撫で回したと思ったら濡れそぼる蜜穴に指を差し込み、思うがままに蜜で濡れた肉襞の感触を味わっているのだ。
だが、呆れ果てていたオール・フォー・ワンがその男に顔を向けた瞬間ぴたりと表情を消した。
「ああ……君だったのか。さすがの僕も誰が収容されているかまでは把握できてなくてね、悪かった。君の邪魔をするつもりはなかったんだ」
驚くべきことに裏社会の絶対的な支配者であるはずのオール・フォー・ワンが素直に謝罪の言葉を口にしたのだ。淡々と謝罪の言葉を述べつつも困惑の響きが籠るのを止められない。
太った男は自身の太ももに顔をすり寄せていた金髪の女の豊かな乳房の先端を弄り回すのを止め、心底面倒くさそうにオール・フォー・ワンを睨みつけた。
「悪かった、じゃねーよ。オール・フォー・ワン、死にたいのか?」
悪の帝王に対するあまりにも不遜な暴言であったが、オール・フォー・ワンは怒りを見せるどころか、なだめるように両手を軽く広げて見せた。
「本当に済まなかった、今度お詫びするよ」
「じゃあ、女をくれ」
男は間髪入れずに即座に要求した。
男の股間では一人の美女が頭をリズミカルに上下させ、そこから卑猥な水音が聞こえてきている。背中を見せているのでオール・フォー・ワンからは見えないが、奉仕している女が自ら悦んでやっているのは分かる。男の右手は傍らの女の足の間に入り込み、左手はしなだれかかっている女の豊かな乳房を揉み上げていた。
「まだ……いるのか?」
その露骨で底なしの欲望にまみれた言葉にオール・フォー・ワンは戸惑ったように首を傾げる。
オール・フォー・ワンの赤外線の視界には、男の巨体を彩るように密着する十人以上の女たちの姿が写りこみ、ベッドの周りも合わせると数十人はいる。
全員がモデルや女優かと見紛うほどの絶世の美女であり、彼女たちはオール・フォー・ワンの姿に怯える様子もなく、ただひたすらに男の愛撫を求めて身をよじらせている。
男の太い指先が別の女の内股を擦り上げ、足と足の間に滑り込んだ。
すぐに粘っこい水音が小さく響いてきた。
待ち焦がれて股を濡らしていた女が頭をのけ反らし、息が次第に荒くなっていく。
寵愛を受けるその姿をうらやましそうに眺める他の女たちから洩れる艶めかしい吐息はさらに熱を帯びていった。監獄の最下層であるという現実を忘れそうになる。
「たりめーだろ。詫びには女、基本だろ?」
男は鼻を鳴らし、至極当然であるかのように言い放った。
「まあ、君がそう言うなら」
オール・フォー・ワンはこれ以上の押し問答は無意味だと悟り、諦めたようにため息をついた。
そのオール・フォー・ワンの目の前で男が女の頭を抱え込み、腰が5度、6度と短く痙攣した。
「ふー」
女の喉の奥に流し込み終えると、太った男は女たちの柔らかい肉の海から体を起こし、のっそりとベッドから立ち上がる。
女たちが名残惜しそうに男の足元にすり寄り、そのふくらはぎに頬を擦りつける中、男の全身がはっきりとオール・フォー・ワンの目に映った。
醜悪なほどに太った体躯。その中心で剛直が反り返ったままだ。
そしてそれより目を引くのは男の顔だった。男は隻眼であり、片方の目があるべき場所にはぽっかりとえぐり取られたような黒ずんだ穴が開いていた。そこに眼球は存在せず、昏い深淵に続いているかのようだった。
隻眼の男は、空洞の目と残された一つの鋭い瞳でオール・フォー・ワンを軽く睨むと口の端を吊り上げて笑った。
「持ってこなかったら、おまえを代わりに女にするからな」
その異様な言葉に含まれた意味と底知れぬ狂気に当てられ、悪の帝王であるはずのオール・フォー・ワンは、たじろぐように一歩後ろへ下がった。
「悪い冗談だ……」
オール・フォー・ワンは自分の声が乾いているのに気づいた。
性別を変える個性は確かに存在する。だがこの男の場合はそれだけでは済まない。思わず想像して背中を悪寒が走り抜けた。生まれて初めての感覚にオール・フォー・ワン自身が困惑する。
「冗談じゃねーよ、お前を女に変えて、俺の側女として飼ってやるよ」
隻眼の男の声にはねっとりとした欲望の熱を帯びていた。その視線がオール・フォー・ワンの生命維持マスク越しの素顔をねぶり剥がすかのように、全身を舐め回すように這い回る。
「か、必ず女を持っていくようにするよ」
オール・フォー・ワンは速やかに男の要求を呑んだ。この古い知り合いでもある男との無用な衝突は絶対に避けるべきだと、経験と勘が強く警鐘を鳴らしていた。
隻眼の男は満足そうに一度頷いた。
「よし、約束だからな?」
そう言って、隻眼の男は己の醜く肥え太った体を見下ろした。
次の瞬間、常識では考えられない現象が起きた。ボコボコ、メキメキと、骨と肉が軋み合う異様な音が鳴り響き、男の分厚い贅肉が生き物のようにうねり始める。
余分な脂肪が筋肉へと変換されて骨格すら再構築されていくようだ。みるみるうちにそのシルエットが縦に伸び、身体全体が引き締まっていく。
この男の古い知り合いでもあるオール・フォー・ワンはその超常現象に顔を顰めた。
これが単なる変身能力などではないことをよく知っていたからだ。
数秒後、そこに立っていたのはでっぷりと太った醜悪な男ではなかった。無駄な贅肉など一切ない、均整の取れた引き締まった肉体をもった長身の美丈夫がそこにいた。
顔立ちも劇的に変化した。
彫りの深い、恐ろしいほどに整ったイケメンへと変貌を遂げていた。男ですら見惚れそうなほど美しい。唯一変わらないのは、片目をくり抜かれたかのような黒ずんだ穴だけであった。
床に座り込む全裸の女たちは、美しく変わった主人の姿にさらに魅了されたように、うっとりとした熱い視線を向け、自身の内股を擦り合わせながら甘い声を上げている。
美丈夫へと姿を変えた隻眼の男は首を左右に振って鳴らし、オール・フォー・ワンに向かって妖しく微笑んだ。
「しかしオール・フォー・ワンよ。久しぶりに顔を会わせたが、なんだその身体は? ボロボロじゃないか。俺の側女になるなら、そのボロボロの体も治してやるが?」
隻眼の男の提案にオール・フォー・ワンが一瞬動きを止めた。
無視できないほど悪魔的な魅力のある提案だったからだ。
生命維持装置を使わねば呼吸すらままならぬ今の現状を打破できる、断るには惜しい提案過ぎた。
だが、オール・フォー・ワンは首を横に振った。
「君の女になるのはゴメンだね」
「いやか? なんなら君の好みである
「──君は大きな誤解をしているようだ」
「誤解? ハハハ、そういうことにしておいてやるよ。何しろ貴重な黎明期からの古い知り合いだからな」
隻眼の男は心の底から愉快そうに高笑いを上げた。
その笑い声はタルタロスの上層階で現在進行形で起こっている虐殺と呆れるくらい対照的だった。
「さて、そろそろ行くか」
隻眼の男が自分の監房から足を踏み出した。
オール・フォー・ワンが監房の中に残されている女たちを不可解そうに見る。
「連れて行かないのかね?」
この女好きの男が女を捨てるなど考えにくかった。
「──この女たちは俺がタルタロスで大人しくしていることを条件に提供されたからな。看守連中の妻や娘、そして母親だ。俺がタルタロスを出るのであれば連れていけない。約束を破ることになる」
「そんなものかね? 相変わらず君のルールはよく分からないな、魔眼の王よ」
母親という言葉に一瞬狼狽えつつも表情に出さないようにポーカーフェースを気取る。
しかし自由に振る舞える
ちょっと派手だが小さな
ちょっかいさえ出さなければ無害だ。
個性が世界を混沌に陥れた真の黎明期。
その狂気の時代から生き続ける絶対的な悪の象徴であるオール・フォー・ワンと、彼と対等に言葉を交わし、時にオール・フォー・ワンすらも扱いに苦慮した人外の
崩壊する巨大監獄の最下層から、一人の魔王と、一人の魔人が今まさに外界へと解き放たれようとしていた。
世界はこれから混沌へと向かっていくしかなかった。