真希に拷問じみたことをした日の夜、チカのことを回想しながら、俺は一人でテレビを見ていた。夕食はユリの帰りを待って始めるから、それまではこれといってすることがない。
バラエティ番組の間に挟まる形で、突然ニュースが始まった。顔をしかめたくなる、俺はニュースが嫌いだ。ニュースで報じられる内容は大抵「暗い気持ちになる話」か「興味が持てない話」かの二択だから。
今日の場合、それは前者だった。
都内でサキュバスが強姦される事件が発生したのだという。犯人は逃亡して不明だけれど、力で男性に(というか人間に)大きく勝るサキュバスが被害者となる強姦が成立したということは、そこには社会的な脅迫等の何らかの理由があった物と考えられるため、捜査はその線で進められているらしい。
天国のニュースは、強姦事件を他の言葉に言い換えずにそのまま「強姦」と呼ぶんだなぁ……とか、やっぱりサキュバスでもそういうことになるケースはあるんだなぁ……とか、興味自体は持てるニュースだった。だけど気持ちは沈む。頭の中でユリの幻が、でも君レイプとかそういう系の話好きでしょ……とからかってくる。的外れだと分かった上でユリはそういうことを言うから、それは確実に糾弾ではなくからかいなのだ。
俺はまだ、自分の性癖がそれを好んでしまうという事実と、その醜悪さこそ自分だと言い切って開き直る覚悟を両立させられていない。サキュバスですら強姦される時はされるのだというニュースを見ると、そんな己の半端ぶりを改めて突きつけられるから気分が沈む。……ということはこれは天国からの、いつかこのニュースで素直にシコれるようになれますように……という願掛けのような物なのかもしれない。とんでもない話ではあるけれど、そうでもなければ俺の天国に俺を落ち込ませる物があるはずがないから。
短いニュースが他に数本挟まれたあと、まるでスラム街から抜け出た瞬間に背後の景色を忘れたかのように、この世には楽しいことしかないといった雰囲気でバラエティ番組の続きが戻ってくる。俺はそれを眺めながら、今日はユリの帰りがやけに遅いなと若干苛立ち始めていた。時計を見上げるともう時刻は21時を過ぎている。いつもなら遅くとも20時には食べ始めているのに。
……そう思った矢先、インターホンが鳴った。
ユリには合鍵を渡している。紛失でもしたのだろうか? 疑問に思いつつも玄関へ向かう。
あるいは身に覚えはないが宅配物かもしれない……。そんなことを考えつつ扉を開くと、そこには屈強な男たちが五名ほど、何かのフォーメーションを組むかのように立っていた。
「……本当に申し訳ありません!!」
男たちが一斉に頭を下げ、音割れしそうな声量で口を揃えて謝罪をし出す。俺は面くらいながらも、とりあえず近所迷惑にならないように「音が一定範囲より外には聞こえないように」を願い叶えた。ついでに、彼らの姿が他人には見えないようにもする。ご近所さんの顔すら俺はまだ知らないけど、それでも異様すぎる光景を近所に見られたくなかったから。
五人の男たちのうち中心にいる一人が、ケーキでも入りそうなそこそこのサイズのダンボール箱を持っていた。全員とも面識がない相手で、それ以外のことは何が何やら分からない。
「……は? え、なに……?」
「あ、すみません。実は自分たち、今日ユリさんと一緒に遊ばせていただいていた者なんですが……」
「はぁ」
説明を始めたのは箱を持った男だった。ユリと一緒に遊んだ……と聞いて、なんとなく察しがつく。「遊び」というのはきっと、ショッピングに練り歩いて食事をして終了だとか、そういう健全な物ではなかったのだろう。
しかし、その「ユリの遊び相手たち」が、ユリを同伴せずに俺に全力で謝罪しに来るとは、いったい何をやらかしたのだろう? 一瞬「もしかして勢い余って殺した?」という考えがよぎったけれど、そもそもサキュバスであるユリは不死身だし、万が一それを殺せてしまったとして、その場合素直に謝りに来るだろうか? 殺人事件の隠蔽と逃走を図る方が正直言って自然に思えてしまう。
ともかく続きを語る男は、見た目のマッスルさに反して言葉の歯切れは悪かった。
「実はそれで、その、ユリさんと遊んでいる最中に……いえ、というかですね、遊びというのは、その……」
「セックス?」
「え?」
「え、違う?」
「……いや、まぁ、そうなんですけど」
「6Pか……」
サキュバス一人一人とエッチするだけで精一杯な俺に対する「もっと大胆にやれ」というユリからのメッセージか……? なんて勘繰ってしまうけど、そこから漏れた「6Pか……」の呟きが相手には圧として伝わってしまったらしい。「本当にすみませんっ……」と縮こまるように謝られてしまう。
「あぁいや、いいんですよ。同意の上でしょう?」
「もちろんですっ」
「なら6Pでも100Pでも大丈夫です」
「は、はぁ。あはは……」
上司から笑えない冗談を言われた時のような、引きつった笑いが五人分返ってきた。出会い方が出会い方なこともあり、俺と彼らは仲良くなれそうにない。
「で、何があったんです?」
「あ、そ、それがですね。自分たちはその……野外で遊んでまして。こう、キャンプみたいな」
「ふむ」
「そこでユリさんと……こう、いろいろしてまして。その時は全員お酒も入っていて、それで……」
「あー……結論から言ってもらっていいですか?」
「あっ、はい。結論……としてはですね。…………その、ユリさんの体を、紛失してしまって」
「……紛失?」
体を?
以前……というには最近すぎる過去に、ユリの体を探して歩いた日のことを思い出す。天国初日のチュートリアル期間、首だけのユリ。体を紛失したということは、あの頃に戻ったということ……?
「……え、体って、なんていうか、首から下だけとか? なくなった?」
「そうです」
「……あっ」
なぜユリの首が再び切り離されたのか、それはまだ分からない。けれど一つだけ察せたことがある。
状況を鑑みて、男の持った箱の中身が、何なのか。
「……そういう映画あったなぁ」
「え?」
「いや、なんでも。その箱、とりあえず受け取りますよ」
「あ、はい……」
向こうもこちらが察したことを察したのだろう。慎重な手つきで箱が手渡される。
持ってみるとそれはずしりと重く、また懐かしい重量感だった。
軽いノスタルジーに浸るこちらに反して、しかし五人の男たちの方は気が気でないまま立ち尽くしている。ということはきっと彼らは、俺の力のことをユリから聞いていないのだろう。……あるいは知っているからこそ、機嫌を損ねることを恐れているのか?
「あの、俺たち、どんなことをしてでも償います。取り返しのつかないことをしてしまったとは思っていますが、それでもどうか、償う機会を……」
「あ、いや全然。気にしてないから大丈夫ですよ」
「えっ」
「もう帰ってもらって大丈夫なんで。全然、あとのことはこっちでなんとかしとくんで」
「え、いや、でも」
「大丈夫なんで、はい。じゃあそういうことで」
見えない手によって、両手が塞がった俺のかわりに独りでに扉が閉まる。閉め出された五人の男たちは半ば強制的にそれぞれ解散するだろう。そして今日の事件のことを綺麗さっぱり忘れる。彼らの記憶には気さくなサキュバスを楽しく輪姦した記憶だけが残り、このサキュバスだらけの世界では、それを大して気にも留めなくなる。何より俺がそう望むのだから。
どこかに紛失されたのだというユリの体は、未回収の私物ごと、どことも知れない現場から消滅する。私物は即座にリビングのテーブルの上にワープしてきて、同じように、新品の体も床の上に転がる。その体の服装は、今朝本人が出かけていく時に着ていた物のままだ。
ダンボール箱を開けると、中身はやはりユリの生首だった。まぶたは閉じていて、耳をすませると寝息が聞こえる。その首を持って、初回と同じ要領で体に合体させる。カチッと音が鳴ってそれはくっ付き、目を覚ました彼女が今回は普通にのそりと起き上がった。
「……ん、あぁ。ただいま」
「おかえりなさい。なんか大変だったみたいですね」
「あー、うん。どんぶらこって感じで」
「どんぶらこか……」
じゃあキャンプは川の傍でやっていたんだなぁ。不死身のサキュバスといえども、コントロールを失った首から下だけが川に流されていってはどうしようもないのかもしれない。いったいどんなプレイをしていたらそうなるのかは知らないが。
とりあえず夕食にする。川とキャンプの話を聞いて急にニジマスが食べたくなったから、それをおかずとして出した。ユリいわく、キャンプの方は普通に買い込んで持ち込むタイプのバーベキューだったから、魚の串焼きとかはなかったらしい。
「ていうかユリさんって、自力で胴体と分離できたんですか?」
「できるよ?」
「初耳すぎる」
「胴体とっていうか、大体なんでも分離できるよ。だるま女を抱きたい時があったら言ってね」
「考えておきます」
ノータイムで言ったけど、実践する気はさらさらない。なぜならユリ個人の力に頼るまでもなく、俺は対象を決めて願うだけでそれを実現できてしまうから。ユリを抱くのは体が目当ての時ではなく、ユリを抱きたくなった時だけになるだろう。……たぶん、きっと、おそらくは。
「それで、君の方は今日はどんな感じだったの?」
「俺は……。今日は真希ちゃんに初めて、キツめのプレイをしましたね」
「どんな?」
「……こう、食事中に話すには向かない感じのやつを」
「ふ〜ん。じゃあ真希ちゃんもご飯食べる時に、今日のこと思い出したりするのかもね」
「……そうでないことを祈ります」
「好きなくせに、そういうの」
「ユリさん、いつもそれ言いますよね」
指摘すると、笑って誤魔化された。
その日眠る前に、布団の中でまたチカのことを思い出した。ユリの帰りが遅かったことをきっかけに記念すべきナンパ初例の日を振り返ったことで、あれが偶然と呼ぶには程遠い出会いであったことを改めて意識する。
俺はあの日、チカの行動原理に「褒められたい」があることを見抜いたけれど。ああいうものは普通、一日二日で見抜ける物ではない。ご丁寧に映画感想が伏線になっていたことまで含めて、一連の流れは全て「用意されていた物」のようだと感じる。そしてこの天国において、その感触は比喩ではない。
真希だって同じだ。ああいう子とああいう形で知り合ったとして、普通、こんな短期間で、あそこまで懐かれることはない。それらのことは「交差点の前の台座に自分を導く生首が置いてあるなんてことは、普通ない」という話と同程度の物だと俺は考えている。つまり全ては天国からの贈り物なのだと。
そしてそうであるならば、今日ユリの体が紛失されたことも、贈り物のうちの一つだということになる。証拠は隠滅したから、首のない水死体が次のニュース報道を騒がせることはないだろうけど、わざわざ証拠隠滅の手間だけを生じさせるイベントを天国が起こしたとは思えない。だからきっとこれはアクシデントではなく、俺に対するプレゼントなのだと思う。しかし具体的にそれはどういうプレゼントなのか?
……俺は、ユリの体がどのようにして紛失されたのかを、その気になれば確認することが出来る。そうしたいと願えば、天国の力によってそれは叶い、あの平謝りしていた男たちが、数時間前に裏で何をやっていたのかが映像として判明することになる。きっとそこに映っている光景は、俺の趣味に合うひどい物なのだろう。
だけど俺にはそれを確認する勇気がない。生前の俺が、たとえば見ず知らずの性犯罪被害者がどんな体験をしたのかを映像として見られる力に目覚めていたら、正直早々に使っていたと思う。ケダモノがケダモノのために作っているような性的コンテンツの界隈においても、存外多くの人が優しく、または生ぬるく、俺は自分の趣味に合う物にひっそりと飢えていた。供給が足りなかった、だからそんな力があれば使っていたと思う。
けれど実際のところ今現在の俺は、すでに何度もこの手で「被害者」を生み出している。ユリ、真希、小夏、チカ、捉え方によっては他にも数名。それだけ飢えから遠ざかっている。その上、ユリは見ず知らずの被害者などではなく今や友人だ。彼女は毎晩この家で……現世では両親の寝室だった部屋で眠っている。彼女の記憶に秘められた光景を見てしまったら、明日の朝どんな顔でおはようを言えばいいのか分からなくなる気がして、リスクリターンの観点から俺はそれを見ることができない。
そしてそれは、真希に対しても同じだった。俺は彼女が、売春相手から具体的にどんな仕打ちを受けているのか、その気になればこの目で確認することができる。しかし実際には怖くてそれが出来ない。……いや、真希だけではなく、誰に対してもそうだ。チカが旦那からどんな風に抱かれているのか、あるいはあの時トイレで裸で寝ていた瀬名川がどのような経緯でそこに来ていたのか。俺はなんでも確かめることが出来るが、怖くて何一つ確かめることができない。それらは、何か超えてはいけない一線である気がする。
小夏だけが例外だった。俺は彼女を映した監視映像を事細かに見漁り、カット編集までして保存した。けれどそれは、彼女に「そうされてどんな気持ちだ」と問いかけるためにやったことで、言わば明確な悪意によることだった。……それを自覚しているからこそなおさらに、知り合いに対して性欲だけを理由に悪意を向けることは出来ない。あれは俺が天国に対する踏ん切りをつけるために必要な通過儀礼で、俺自身がそう信じ込めたから出来たことなのだ。二度目はない。
……ただその一方で、「俺がすでに知っている光景」を見ることに関しては、その手の恐れや罪悪感が働かない。
俺はその日眠る前に、自分が真希にしたことを映像として振り返り、シコってから寝た。意思の尊重を重んじる真希がこのことを知ったら、許可もなく事実上の撮影を行うなんてひどいと俺に失望するだろう。……けれどそれは俺が黙っていればいいことだ。いやむしろ、絶対に黙っていなければいけないことだ。今日彼女に、電車での泣き顔を思い出してオカズにしていると暴露したことの方こそが、本来破ってはいけないタブーだった。もう次はない。
贈り物のうち、どれを受け取るかは俺が決める。
他人が聞けば全て言い訳だと思うだろう。だけどそれらは俺にとって必要不可欠で、明確な線引きなのだ。引いた線が見えることでようやく俺は自分自身に納得できる。
いろいろ考えることはあったけれど、結局その日もよく眠れた。天国の味わい方に慣れるという目標の達成に、一歩一歩近づいている手応えがある。
平日の明るい時間帯にサキュバスをナンパするにあたって、最も適した場所はどこか? 想像を重ねて、俺はその暫定的な答えを見つけた。
近所のスーパーマーケットにちょっとしたイートインのコーナーがある。適当に菓子パンとコーヒーだとか、とにかく好きな物を買って、そこに居座る。形だけ見れば刑事の張り込みのようだけど、やっていることの実態はどちらかというと泥棒寄りだ。
昼間の中途半端な時間にスーパーで買い物をしている人のほとんどは今日が休日である。主婦なのか、土日に勤務日があるタイプの職業なのか、夜勤明けなのか。事情は様々だろうけどとにかく休日だ。その点においては映画館の客も同じなのだけど、俺は自分が映画を見る邪魔はされたくないし、人のそれの邪魔もしたくない。すると一回のナンパのために二時間近く待機(出待ち)することになるから、映画も見れて一石二鳥と思える日ならともかく、そういう気分ではない日の行き場も必要になる。そこでイートイン付きのスーパーはおあつらえ向きだった。
周りの席に好みのサキュバスが来たならその人に声をかけてもいいし、そうでないなら店内を見回せばいい。一箇所に留まったまま見える画角は非常に限られている……というのは通常の人間ならの話で、俺にとっては違う。俺は「誰の目にも見えない空飛ぶカメラ」を飛ばし、そのレンズが捉えた物を脳内でリアルタイムに確認出来る。これによって怪しげにうろうろと姿を晒すことなく、ドーナツをパクつきながら品定めが可能になるというわけだ。
……我ながら悪人の振る舞いが上手くなったなぁと思う。ほんの数日前の、駅前で出勤途中のサキュバスに声をかけてキョドっていたことが懐かしく思える。あの時のトラウマが、俺をこんな陰湿で狡猾な変態に成長させてしまったのだ。たぶん。
ところで今日のナンパ対象には、アバウトながら目標がある。その目標とは「自分とは性格的に合わなさそうな人」を選ぶこと。より具体的に言うと、気の強そうな相手を選ぶこと。
散々悪事を重ねてきたせいで忘れそうになる(何か自分が強くなったと錯覚しそうになる)けれど、俺は元々、基本的に他人が怖いタイプだし、その性格は今も変わっていない。考えてみれば天国に来てからのチュートリアルは、組織的に監禁された小夏、大人に逆らえない真希、身体障害者のサナ、大きな弱みを握られた瀬名川、この世界では弱々しい人間女性の電車通学JKと、自分より弱そうな相手とばかり出会っていた。……今にして思えば、ユリとの初めましてが生首から始まったのは、その一環だったのではないかと思う。彼女に初めから体があったら、俺はきっと萎縮していた。
だけどもし本当に俺が、自分より弱い相手だけを望んでいるなら。俺の天国はそれに沿った世界になっていたはずだ。なのに街を歩けばそこかしこに、俺を萎縮させ得る他人の存在がある。ということはつまり、それらの人たちは克服対象だということだろう。何でも叶う力を持ち、借り物の道徳を捨てて自分に正直に生きる練習をすると意気込んでおいて、いつまで他人にビビっているのかと、早く克服しろと、そうすれば世界はもっと楽しくなるぞと、天国が言っている。
だから今日の俺は、若干話しかけづらい相手が現れるのを狙っている。「若干」というのがミソだ、これはリハビリのような物だから。成功体験を積み重ねていく段階の最初の一歩は小さくていい。
そんなことを思いながらのんきにティータイムを楽しみつつ脳内の映像を眺めていると、ある時酒類売り場のコーナーで、巡回する飛行カメラがめぼしい相手を見つけた。
肘にかけた買い物カゴに次々とチューハイを入れていくそのサキュバスの髪は鮮やかな赤色だった。長い前髪で片目が隠れていて、ネイルの施された爪は、それでどうやってプルタブを開けるんだというほどに目立って長い。そしてやたら生足を出したファッションをしている。
一目見て、これは「中間地点の人」だと思った。俺のような人間と完全に対岸の陽キャではなく、かといって陰キャ男性への慈悲は欠片も持ち合わせていないような、いわゆるアングラ系の人。その髪色と前髪はきっとそうだ……と、俺の中の陰キャセンサーが反応している。ということはそれは、今日の趣旨に合う相手だということ。
こういう時、元不登校として言える心得がある。物事を始める時、勢いと思慮深さのどちらがより重要なのかは賛否あるところだけど、その物事が物理的な「出発」である場合、勢いに任せた方が絶対にいい。出発から繋がる結果に一喜一憂することは多々あったが、慎重になってよかったと思ったことは一度もないから。
飲み食いしかけのドーナツと缶コーヒーをワープゲートで自宅のテーブル上に送り付けながら、俺はイートインの席を立つ。赤髪の彼女はまだ酒類コーナーにいるので足早に急ぐ。例のトラウマがよみがえり震える足を、早歩きができる程度の震えは誤差であると自分に言い聞かせながら。
俺が到着する頃、彼女はレジに向かって歩き出していた。
「あの、ちょっとすいません」
「ん?」
「お姉さん、このあとその……暇ですか?」
「…………レジ通してからでいい?」
「あ、はい。もちろん」
彼女の持つカゴの中には缶チューハイが6本。買い物の内容はそれだけ。しかしその内容には関係なく、異性とスーパーのレジ列に並んでいるとなんとなく、親と買い物に来た子どものような気持ちになる。俺はそういう生活と密接な場所に共に足を運ぶほどには、異性と深い付き合いを出来たことがないからだろう。
願えば無限の資金が手に入る身として、支払いをただ黙って見ていることには罪悪感があった。チカとのフードコートでもそうだ。支払いの場所が離れているため自然な流れで「出しますよ」とは言えず、あとからリカバリーする方法も分からなかった。缶チューハイと初対面の組み合わせでは、今も似たような物である。不自然な支払いはかえって気まずさを招く。沈黙が金で、
会計を済ませたらビニール袋にゴロゴロっと酒缶を入れて、カゴを投げるように片付けた彼女はそそくさと歩き出した。
「上に車停めてあるから」
「あ、はい」
今来ているスーパーに二階はなく、階段やエレベーターは一階と屋上駐車場を行き来するためだけにある。
道中、サービスカウンターに寄った彼女はタバコも買っていた。時代の風潮をものともしない紙タバコ派らしく、不死身ともあれば何を気にすることもないのかもしれないと思った。
エレベーターに乗って屋上へ。彼女の車はシルバーの軽だった。車種とかは俺には分からない。タバコの銘柄のことも。
当たり前のように助手席に乗る。扉が閉められエンジンがかかると、何やらラブホの部屋に入った時のような独特の緊張感を覚える。これからセックスをするからというよりも、地理的な意味でどこへ行くのか分からないがとにかく行くのだ……という点から、妙な緊張を受けるものだった。
しかしそんなこちらの心情の虚を突くように、隣でカシュッと炭酸飲料の開栓音が鳴る。
「えっ」
運転席に座った赤髪サキュバスが、さっき買ったチューハイのうち一本を喉に流し込んでいた。
「えっ、えっ? うんてん……運転は?」
「チッ」
露骨な舌打ちに、俺の心臓はヤクザに怒鳴られた乙女のように竦み上がる。
「……サキュバスが不死身なのはさ、戻るからなんだよ。元の状態に」
「は……?」
「怪我は治るっていうより、戻るの。分かる? 肝臓とかもさ、戻るわけ。健康な状態に」
「は、はぁ」
「ってことは血中のアルコールも戻るんだよ。同じ要領で」
「はぁ……」
「……あたしの話聞いてる?」
「聞いてます」
「じゃあ、今あたしなんて言ってた?」
「えっと……。サキュバスの不死身は治るじゃなくて戻るだから、酒を飲んでも、ちょっと休めばすぐ平気になる……?」
「……そうだよ」
不服そうに、彼女は俺の理解を認めた。相槌が間抜けすぎたせいで話の腰を折る風になってしまったことはやや不服ながらも申し訳なく思う。
フロントガラスから見える駐車場の景色は平日昼間らしく空いている。車内にカーナビの類はなく、酒を飲む彼女の姿を凝視するわけにもいかず、視線の置き場に困った俺は、遠くに降り立った鳩を見ていた。
「飲む?」
「え?」
飲みかけのチューハイを差し出される。よく分からないけど受け取っておいた。度数5%、グレープフルーツ味。半分近く残っている。
飲み終わらなければ車が走り出さない気がしたけど、借り物の道徳が邪魔をして、もらい物をグビグビ飲むこともできない。一口飲んだそれの用が済んだプルタブをわけもなく見下ろす。改めて見るとアルミの銀色がやけに綺麗に見える。
「アンタこういうことすんの何回目?」
「え?」
彼女の方を見ると、彼女は俺の方なんて見ていなかった。たぶん鳩とかを見ている。
「ヤリモクでしょ?」
「……あ、ま、まぁ、はい」
「あんまり慣れてなさそうだから」
「そうですか……?」
天国に来てから自分の働いた悪事の数々が脳裏をかけめぐる。これで「慣れてない」と言っていいものなのか……。
「何回目なの?」
「いや、えーっと……」
記憶を指折り数えていく。特別印象に残ったチカのような例の他にも、チュートリアル期間に道端で会ったベレー帽のサキュバスのように軽く関わっただけの相手もいる。それに「人数」ではなく「回数」で考えるとすれば、全てを合わせて数えると……えーと……。
「……え、結構多いんだ?」
「あっ。は、はい」
「ふーん」
こちらのレスポンスが悪すぎて、ざっくりと理解を先回りされてしまった。けれど今回は運転席での飲酒にコメントした時ほどには、相手の方に不機嫌の雰囲気はない。
どこか遠くを見つめている彼女の視線が滅多にこちらに向かない理由を、俺は初め無関心による物だと思っていた。けれど続いて彼女が口にした言葉によって、その印象が少し変わってくる。
「タダマンだったの?」
「え?」
「他の子は、タダでさせてくれたのって」
「……あ、あぁ。まぁ、はい」
気にしたこともなかったけど、言われてみれば金銭を要求されたことは一度もなかった。なぜ気にしたことがなかったかといえば、普通は突然ナンパした相手から「〜〜円ならいいよ」なんて答えが返ってくることはないからだ。それだけ今までの俺は、援交の気配が欠片もないシチュエーションでばかりサキュバスに声をかけてきた。
けれど、今彼女がその話をしたということは……。
「そっか」
「……あ、でも、払えないってわけでは」
「ふーん……?」
無関心ではなく、後ろめたさを持っているのかもしれない彼女は、今は頑なに正面だけを見つめている。
「……じゃあ、なんでもしていいって言ったら、いくら出してくれる?」
「なんでも……?」
「うん。他の子に出来なかったこととか、なんでも」
「……なるほど」
魅力的な台詞だ。だけど今の自分の視点から見れば、それは相手の底が見える台詞でもある。
彼女は、「他の子に出来ないこと」があると思っている。もっと言えば「何かしらNGのある女」がきっと彼女の想像の前提にある。小夏のような怪物の存在は、彼女の頭の中にはきっと根本的に無い。……意地悪な言い方をするなら、それは想定が甘いということ。
彼女の言う「なんでもしていい」は底無しの器ではなく、むしろ弱味を表しているように聞こえる。要は「なんでもしてでも金がほしい」ということだ。弱味のない人はきっと彼女のような発想をしない。現に今まで誰も、そもそも金がほしいという話すらしなかったほどだから。
個人的には、金という分かりやすい弱味を握っているからこそ頼みやすくなるプレイもあるかもしれないとは思う。けれど発言者本人の方は、おそらくそういうところまでは想定していないだろう。弱味につけこみキャパオーバーにさせてしまうのはこちらとしても本意ではない。
その線で言うとさらにまずいのは、たぶん、これは俺自身もさもありなんと思うことだけれど。彼女がこれから俺にされる要求を甘く見ているだろうということ。
「いくら欲しいんですか?」
不躾に聞くと、ついに彼女は首をめぐらせて俺の方を見た。睨みつけるように。
俺はチューハイを遠慮なしにがぶ飲みする。度数5%では酒の力など借りられるわけもないが。
「……だから、いくらならくれるのよ? どんなことしたいの?」
「お姉さん名前なんていうんですか」
「は?」
「名前、聞いてなかったなって」
「……藤村」
「じゃあ、藤村さん。俺は正直、お金にはかなり余裕があります。でも、セックスにお金を出したことはないんです。知らないんです相場とか」
「……相当なことやらないと金は出せないってこと?」
「いや? 全然、余裕あるんで。でも、いくら出すのかははっきりしないとでしょう」
「だから聞いてるでしょ。いくらなら出せるのって」
「いや藤村さん。これは、そういう話じゃないですよ」
「はぁ……?」
ワープゲートを開いて、さっき食べかけにしていたドーナツを取り出し食べる。こぼれる粉が車内を汚すことは願う力につき絶対にないが、それが車の持ち主に伝わるのかは別問題で、俺はあえてそこを無視する。
チューハイの魅力は、ジュースの良さをそのままに甘ったるさだけを引いたところだと思っていたけど、ドーナツと合わせてはさすがに無理があった。甘ったるい。……だけど俺のような小心者は、何かを食べながらでもなければ、この状況で主導権を握った話なんかできない。
空き缶は消しゴムのような大きさに圧縮された後、虚空に消える。俺は天国に来てからの生活でゴミの収集日を意識したことがない。
期待通りに、藤村は一連の光景を異様な物を見る目で見ていた。「俺を見る目を改めて」くれたかもしれない。
「……昔、カードゲームをやってたんですけど。新発売のパックにすごい強いカードがあったんですよ。仮にそのカードをカイザーと呼びますけど。俺は運良くカイザーを当てたんです。で、そしたらカードショップにいた常連の人が、カイザーを何か別のカードと交換してくれないかって言い出したんですよね。トレードってやつで」
「……はぁ」
「で、何をトレードに出してくれるのか一応聞いたら、レアカードが入ったファイルを見せて、ここから選んでって言うんですよ。でもカイザーより強いカードなんて当時はなかったんで、こっちとしては2枚以上のカードを選ぶことになるわけですよ。それで選んでみたら、うーんそれだとレート的にちょっとキツいから、そっちもカイザーに何か付けてよ……とか言われたんですよね。……でもこっちとしてはね、べつにその2枚がどうしても欲しいわけじゃなかったんですよ。その2枚でもカイザー1枚でも、わりとどっちでもよかったんです。足りない方は、どうせそのうち買うつもりだったんで」
「……で?」
「で、当時の俺は、言われるがまま自分のレアカードも見せちゃったんですよね。そしたらもう泥沼ですよ。これ付けてよ、うーんそれはちょっとキツイなぁ。じゃあこっちからこれも付けたら? いやそれはいらないなぁ。なら付けてもらうのさっきのじゃなくてこっちなら? うーん……。……みたいな感じで、一時間経ってもまだ交渉が片付かなくて。俺はその日トレードに来たわけじゃなくて、友達と対戦して遊ぶために店に来てたのに」
「はぁ。それはまぁ、災難だったね」
藤村は内心辟易した様子で相槌を打つ。単に突然意味不明な話をし始めた男にうんざりしているのかもしれないし、カードゲームオタクのことを日頃から嫌っているのかもしれない。もし両方であれば、俺としては話の趣旨的に好都合だと思う。
俺が今しているのは、意味不明な話などではない。辟易していても話を遮ることはできない藤村に……弱味のある藤村に、お互いの立場をはっきりさせるための話をしている。
「……大人になってから、俺はその日のことを思い出して、思ったんですよ。あの時こう言えばよかった。「何を交換に出せるのか、そっちからカードを選んで見せてほしい」って。それで出てきたカードが気に入れば交換する、気に入らなければ話はそこで終わり。そうすればスムーズで、俺に損はなかった。……もっと言うと、交換を申し込んできたのは向こうなんだから、本来なら、初めから向こうの方がそのくらい話を整えた上で交渉の場を設けて然るべきだったと思うんですよね。これをより直感的に言うと、あいつ俺に舐めたことしやがってクソボケが……となるんですけど。まぁ、俺も当時は高校生だったんで、そういうところまで気が回らなかったんですよね」
「…………」
「で、藤村さん。確かにナンパしたのは俺ですけど、金の話を始めたのは藤村さんです。……決めてほしいんですよ、いくら欲しいんですか?」
「……なるほどね」
藤村はその片目が隠れた顔でもはっきりと伝わるほど、露骨に嫌そうな顔をした。狙い通りだったのに、いくらかこちらの自尊心が削られる。
彼女は今、自分に主導権がないことを噛み締めている。相手が取るに足らない男でも、その男の論理に納得できなかったとしても、どのみち自分に主導権はないのだと。
俺はあの日も……高校生の時も、そうするべきだったのだ。嫌な顔をされて、お互い嫌な気持ちになるべきだった。そうすればその時の摩擦は感じても、きっと十年先までその悔いを引きずることはなかったはずだ。藤村がくれたのは、それの予期せぬ挽回のチャンスだったのだと、俺は思うことにする。……今度こそ、俺だけが嫌な気持ちになどなってたまるものか。
藤村はしばらく自分の膝を見ながら考え込んでいた。それはそう長い時間続かず、そのうち口を開く。
「……一番欲張った額から言っていい?」
「どうぞ」
「……10万」
「いいですよ」
「えっ」
1オクターブ上がったようなリアクションだった。まぁ確かに相場の分からない俺でも直感で分かるようなぼったくりだとは思ったけれど。
「え、あたし何されんの……?」
不安そうに問うてくるその言葉には、しかし確かに期待もにじんでいたように思う。プレイ内容に対する物ではなく、10万どころでは終わらない金ヅルを見つけたのではないのかという期待が。……実際、100万でも1000万でも出そうと思えば俺は出せる。俺の力で金を出すことは偽造問題を避けるために「それが世界に元々あった」ということにする物だから、あまり大きな金額を出すと世界の法則が狂ってしまいそうで不安ではあるけれども。
「俺、サディストなんですよ。乱暴にするのとか好きで」
「あー……。まぁいいけど」
「あんまり自信ない感じですか」
「んー。だってああいうのはほら、なんていうか……」
「演技?」
「とまでは言わないけどさぁ……」
ハンドルを握り、藤村が車を発進させる。話を反故にされる前にとにかく初めてしまえと言わんばかりに。
知り合ってまだ数分だけど、俺はいよいよ彼女の思考回路が読めるような気がしてきた。サキュバスである藤村はSMプレイを恐れることはない。ネガティブな感情を抱くことがあるとすれば、それは恐怖ではなく嫌悪だろう。けれど10万の援交に目が眩んだ彼女が、仮に嫌悪感を抱いていたとしてもそれを表に出すとは思えない。ということは表に出てきた複雑そうな反応は、単に自信の無さだと思われる。事が済んだあとで「つまらなかったから支払いは無し」と言われてはたまらないとでも考えているんじゃないかと。
……つまり彼女は、魔力を使って苦痛をカットしながら、演技でSMプレイに面白みを出すつもりでいる。チカのようなことをする気はさらさらなく、また、「させられる」とも思っていない。
他の子にしたことのないプレイとやらは、彼女には出来ないだろうなと思った。べつにそれ自体は構わない。性癖が合わなかったとしても、藤村の存在は正しく天国からの贈り物であるように感じられたから。なにせ交渉の件もそうだけど、そもそも援交の経験自体が初めてだ。目立つ見た目も相まって、彼女のことは俺の記憶に濃く残るような気がする。
「……え、ていうかこれ、どこに向かってるんですか?」
「え? あたしの家。ホテルとかの方がいい?」
「いや全然」
所要時間は約5分だった。
早々に現れたアパートの駐車場に、俺たち二人の乗った軽自動車は馴れた手つきで停められていく。大して荷物の出る買い物をしに行くわけでもないのにこの距離で車を使うとは、人智を超えた体力を持つはずのサキュバスでも人間臭いことをするんだなぁと意外に思う。
車を降りて早々、酒の入ったビニール袋を片手に藤村は苦笑いして言った。
「歩けよって思った?」
「えっ? いや全然」
「親からもらった車だから、たまには動かさないとなんだよね。いらないって言ったんだけど」
「はぁ、なるほど」
生前、うちにも昔、引っ越して駅が近くなったことを機に一切使わなくなった父のバイクがあったなぁと思い出す。それを売りに行くことが決まった時、ガソリンはあるはずなのにエンジンがなかなかかからなくて困ったものだ。
二階建てのアパートのうち、藤村の部屋は駐車場から一番近い一階手前側にあった。家主が鍵を開けて家の中へ、俺もそれに続く。勝手に片付けが苦手そうだとイメージしていたけど、藤村の部屋は俺の生前の実家よりも片付いていた。
部屋は広めのワンルームだった。面倒なやり取りをするつもりはないと言わんばかりに、おもむろに押し入れを開けた藤村が、綺麗にたたまれていた布団をさっさと敷き始める。買ってきた酒は冷蔵庫に入れられることもなくビニール袋ごとローテーブルの上に放置された。
彼女は脱ぐのも早かった。
「で、あたしは何すればいい?」
俺は願う力で自身の脱衣をスキップしながら答える。藤村は一瞬目を丸くしたが何も言わなかった。
「何してもいいんでしたっけ?」
「あー、まぁ、不死身だからねサキュバスは。怪我とか気にしなくていいよ」
「普通の人には物理的に出来ないことでも?」
「なにそれ?」
この後に及んでなにそれと言われてしまったから、俺はワープゲートを開いて、自宅テーブル上に取り残されていた飲みかけの缶コーヒーを手に取る。そしてそれを飲み干し、スチール缶だろうと容赦なく圧縮して見せて虚空に消す。
「見ての通り、俺は普通じゃないことが出来ます。ワープとか、物を潰したり消したり以外にも、大体なんでも」
「へぇ」
「何してもいいって話に、この力を使ってすることは入りますか?」
「……ミンチにされるとかは嫌だな。10万でもさすがに割に合わない」
「そんなことはしませんよ。流血沙汰にはならないと約束します。見た目はちょっとアレかもですけど」
「ふーん……? ならいいけど」
「了解です」
了承は得た。よって俺は、彼女相手でも楽しめそうなプレイを選択して実行する。きっと普通のSMはダメだ、本人も自信なさげにしている通り、半端な演技でなんともいえない空気になる未来が想像できてしまう。だから演技の必要はなくて、残酷すぎず、それでいて退屈でもないプレイを選ぶ。
俺は願う力による見えない手を用いて、藤村の頭を胴体からスポッと引き抜いた。
もちろんその行為は、ユリの生首と同じ超常的な要領で行う物だ。血は出ないし痛みも生じない。グロテスクな感触もなく、健康上の問題もなし。ただシンプルに首が胴体から分離するだけ。……そしてそれによって胴体のコントロールを失い、抵抗の術の一切を失うだけ。
「……は?」
見えない手から受け渡され、俺がこの手で彼女の首を手に取った時点でも、藤村はまだ何が起きているのかを理解しきれていないようだった。
彼女の体の方はそっと布団に寝かせておく。持った頭をひっくり返すと、重力に従って髪がさらりと垂れ下がる。安直すぎて我ながらバカみたいだけど、前髪に隠されていた片目がそうしてあらわになると、なんだか普通に相手の目を見るよりもエッチな気がした。男の本能というのは、とにかく「女体の隠されていた部分」を見られればなんでもいいのかもしれない。
「ちょっ、待っ……むぐっ!?」
何か言っている藤村の口を願う力で強制的に開けさせ、勃起した物を遠慮なく最初から根元まで突っ込む。これで藤村から言葉を発する権利は失われ、誰も俺に危害を加えられない法則から噛む等の抵抗の手段も失われ、彼女はただの、人の頭の形をした温かいオナホールに成り下がった。
ユリ以外の人物に……つまりこのプレイを想像だにもしていない人物に、これをやるとどうなるのか。藤村に恨みがあるわけではもちろんなく、ただ試してみたくなったのだ。
……藤村に対して恨みがないというのは嘘だったかもしれない。嘘……というか、正確に言うなら、恨みはなくても悪意があった。
俺は、性的同意の話をする時に気軽に「何をしてもいい」という女性のことが苦手だ。なぜなら100%に限りなく近い確率でその言葉は嘘だから。……言い換えると俺は、「無意識にでも面と向かって嘘をつかれること」が苦手だ。だからあの時のユリにも、本人が無意識に嘘をついていることを証明するために、彼女の思想が本人のキャパを超えて一人歩きしていることを突きつけようと、わざと苦痛と恐怖を与えるようなプレイを選んだ。けれどその結果、ユリの思想は一人歩きなどしていなかったことが判明して、俺はある意味満足した。
一方で、たとえ発言の実態その物が無意識の嘘だったとしても、その嘘が生まれるに至った過程に納得できれば苦手を感じずに済む場合もある。真希やチカがそのパターンだった。彼女らの「何をしてもいい」は必ず嘘だ、前言を撤回させる方法が絶対に身近にある。けれど真希は売春を通じて、チカは旦那とのプレイを通じて、相応に過酷な体験をしている。だからその上で言われる嘘なら、まぁそんな体験をしていればそう言いたくもなるだろうなと、こちらとしても納得することが出来る。そういうパターンなら俺は苦手を感じない。同情が苦手意識を上回るせいだ。
真希やチカには同情出来るだけの理由があり、ユリや小夏はそもそも嘘の成立から遠い。……だけど藤村は、そのどちらにも当てはまらない。彼女は俺に「なぜ何をしてもいいのか」の根拠をこれといって話さなかった。そして態度からして明らかに、ユリや小夏の同類でもない。にも関わらず「何をしてもいい」と豪語だけはする。
……要するに俺は、藤村をびびらせたかった。彼女の想定の範囲外から来るプレイで、「何をしてもいい」と言ったことを後悔させたかった。そして今回のことを機に、二度とそんな適当なことは言わない人になってほしい。……というのは建前で、やはり単に気に入らない相手に嫌がらせをしたくなったというのが本音だとは思う。かといってその悪意はそこまで根深い物ではなく、サキュバスが魔力を用いて苦痛を避けるという話を知った現在でも、願う力でその魔力の活用を妨げようとまでは思わなかった。
ユリと違って、藤村はいくら喉奥を突いても吐かなかった。弱い部分を無遠慮にかき回している割には唾液の量も少なく、大したえずき声を上げない。はっきり言って面白みに欠けていたけど、それだけ彼女が全力で魔力を活用しているのだと思うと、悪意の根が満たされる心地もした。
何度か息継ぎをさせてみた時、彼女は息切れなんてロクにしていなかったから、後半は休憩なしのノンストップでその喉を使った。そのうち俺が射精して行為が終わり、久しぶりに外気から息を吸えるようになった彼女は、咳払い一つもしなければ呼吸が乱れてもいなかった。百聞は一見にしかずというけれど、なるほどサキュバスは本当にすごいんだな……と感心しながらその首を体に運び、元通りの方向になるように向きを直して取りつける。
唾液はさほど溢れず、鼻水も出さず、地獄のイラマチオを受けていたとは思えないほど綺麗な状態を保っていたその顔に、しかし一つだけ浮いている物があることに、俺はその時になって初めて気づいた。
藤村は目を真っ赤にして、ずっと大粒の涙を流し続けていた。
「お、おわっ……おわった……? おわり……?」
しゃくり上げながら響いたその声は、まるでグズる子どものようだった。彼女の容姿は若くはあっても幼さとは無縁だから、そのギャップが何かいけない物を演出しているように見えた。
彼女のそんな取り乱した声を聞いた瞬間、俺には彼女の心を壊す方法が分かってしまった。けれどそれを実行するのはさすがに酷すぎるから、密かに火勢を増した嗜虐心が、しかしどこか自分の物ではないかのように心から遠ざかっていくのを感じた。
「終わりにしてほしいですか?」
終わるわけないだろ……と、そう突きつければきっと彼女の心を壊せる。分かった上で実行するつもりは毛頭なく、俺は助け舟を出すつもりで聞いた。
それでもなお、藤村の表情は絶望に染まる。声が裏返りかける。
「おわっ、お、終わりっ、終わりにしてくださいっ。お金いらないから、ごめんなさい……っ」
「……あらら」
藤村はほとんど土下座に近い姿勢で、恐怖に屈服した上目遣いをこちらに送っていた。
怯えきった彼女の姿に、いよいよ嗜虐の熱も冷めていく。悪意から嫌がらせをしたはずだったのに、いざそれがここまで致命的に刺さったとなると、満足するよりも素朴な疑問の方が勝る。
藤村は苦痛を受けなかったはずだ。窒息も嘔吐反射も、彼女は魔力を用いることで完璧に避けたはず。サキュバスなのだから性行為自体への嫌悪感もないはず。なのになぜ、現に目の前の彼女はここまで怯えているのだろう?
気になったから、俺はその疑問をそのまま本人に聞いてみることにした。するとものすごく率直な答えが返ってくる。
いわく、「怖い」のだという。
窒息の苦痛は感じなくても、息が吸えないという感覚はある。吐き気に襲われなくても、喉が異物で塞がれ続ける感覚はある。……そういった物が怖くて仕方なかったと、藤村は語った。また、抵抗に意味があるのかどうかとは完全に別の話として、そもそも首から下の体の感覚を完全に失うという体験自体も、未知の出来事すぎて恐ろしかったらしい。
俺はその話を聞いて、さすがに反省した。確かに、これが単なる「仰向けイラマの強制」だったなら、彼女は耐え難い恐怖に苛まれた時点で俺の足をタップするくらいのことは出来たはず。軽く手で意思表示をする程度なら「抵抗」にカウントされないはず。あるいは手足がガチガチに拘束されていたとしても、体全体で尋常ではない暴れ方をして見せれば、何か緊急の事態が起こっていることを報せられたかもしれない。……俺はそういった意思表示の権利を全て彼女から奪った。それも、そのように奪ってやろうという意識すらないまま、適当に。
体の自由を取り戻して、行為の終わりを告げられても、藤村は一向に泣き止まなかった。本当に怖かったのだろう。身体に降りかかった不快な感覚だけでなく、それが怖いということを伝える手段がない状況その物から来た恐怖が負の相乗効果を出してしまったのだろう。そしてそれらの恐怖が臨界点に達したのは、きっと後半のことだったのだ。行為の後半になってから、俺が一度でも彼女に息継ぎをさせていれば、悪意からでも「苦しい?」と聞いていれば、彼女はそこで救われていたかもしれない。あの日深い悪意の中でユリに対してしたことを、浅い悪意しかない今日の俺は藤村に対してしなかった。それが裏目に出てしまった。
なんというか、絵に描いたような悪人の台詞になってしまうけれど。……今の気持ちを一言で言うと、俺は、ここまで傷つけるつもりではなかった。こんなことになるとは思っていなかった。この結果は……後悔するを通り越して恐怖に屈服する藤村を見ることになったのは、本意じゃない。
相手を傷つけることを悔やむ権利が自分にあるとは今さら思わないけれど。それが意図的でないならまた話は別だ。罪を自覚した上で欲求を優先するのと、不本意な事故は違う。
もっとああすればよかった、こうすればよかった、気がつかなくてごめん、本当に申し訳ない。……と、俺は思いつく限りの言葉でひたすら彼女に謝った。平謝りするしかない状況に、いつだったかユリの体を紛失した男たちの姿が脳裏にちらついた。
藤村は、泣き止みこそしても、おそらく俺を許してはくれなかった。声音から最後まで拒絶の色が抜けなかった。
「もういい、大丈夫だから。……終わりでいい?」
「は、はい」
「…………なに?」
目が合って、短く問いかけられたことで、それが「早く帰れ」の意味だとようやく分かった。急いで立ち去ることにする。
「これ、約束のお金。お詫びもかねて20万あります」
「えっ。い、いい。いらない」
「え、なんで」
「……わ、分かんない。ごめんなさい、やっぱりもらいます」
藤村が薄い札束を二つ、抱き寄せるように受け取る。動揺と嫌悪感がこの場の空気を通してまだ伝わってくる。
俺はべつに初めから、彼女と友達のように仲良くなろうと思っていたわけではないのに。これまで肉体関係を持ったサキュバスとは軒並み円満に解散してきたからか、今の状況がすごく悲しいことに思えてしまう。
「じゃあ、俺はこれで」
「う、うん。じゃあね」
泣き腫らした目のままぺたんと床に座り続ける藤村を心配の気持ちから最後に一瞥して、俺はその家の玄関を出た。
彼女はどうしてお金がほしかったのだろう。彼女の言う「何をしてもいい」は、たとえば借金取りの存在が彼女に間接的に……事実上強制して言わせている台詞だったりしたのだろうか。だとすれば俺が持った悪意はそもそもが履き違えていたのでは……。
帰り道を歩きながら、俺はそんなことを考えた。
後の祭りだった。
「男の人の手だけが女の子になったら、オナニーのクオリティって上がるかな?」
夕食時、唐揚げにタルタルソースを付けながらユリが言った。今日ヤった男と「エッチの中で最弱なのは手コキ説」を語り合って白熱したらしい。男の方がその説の支持派で、ユリは「舌を入れないキスの方が数倍つまらない」という消極的な反対派だったらしい。
俺は、オナニーとしての手コキのつまらなさは「それが自分の操る手であること」にあると思っているから、手の形が男っぽいか女っぽいかは些細な差だと思っている。よってユリ・ユリのセフレ・俺……の各意見が複雑に交差する三つ巴の議論が突如として勃発したわけだけど、セフレ君はこの場にいないから好き勝手言われっぱなしだった。
そしてその議論がひと段落すれば、やはり夕食時のいつもの質問が飛んでくる。
「で、そっちは今日どんな感じだった?」
「あー……。まぁなんていうか、ちょっとコミュニケーション上の事故がありましたね」
「事故?」
「NGワードを聞き逃すみたいな」
「あー。どんまい。あるある」
「あるある……?」
「だってアドリブの塊じゃんセックスって」
「それはまぁ、胴体の川流れもあるくらいですもんね」
その場のうっかりでとんでもないことが起こり得る、特に初対面の間柄においては。それがセックスなのだと言われれば、まぁ確かにそんな気もしなくはないけれど……。
そう考えてみてもなお、藤村が恐怖を訴えた時点でプレイを切り上げ、泣くほどではないがドン引きしている彼女に「ほらね〜何が「何してもいい」だよ〜適当言うなよ〜」と詰れる世界線があったなら、それを逃した罪は重いと感じる。俺はしばらく……あるいは一生、今日の失敗を引きずる気がする。
……ちょうどそんな予感がしたタイミングで、バラエティ番組を垂れ流しにしていたテレビが短いニュースに切り替わった。
読み上げられる内容に耳を傾けると、どうやらサキュバスが被害者となる強姦事件が再び起こってしまったらしい。しかも今度は一日のうちに二件も起きたのだという。サキュバスが強姦されることは無い話ではないとはいえ、本来はそう頻繁に起こることではなく、何か異様なことが起きている雰囲気と共に「同一犯である可能性を考慮に入れて捜査中」という進捗が報道されていた。
またそれに連なって、以前あった一件目の強姦事件の被害者が、事件以降極端に男性を恐れるようになったことも報じられていた。人間なら至極当然なその反応もサキュバスにとっては相当珍しいことのようで、被害者本人への事情聴取もままならないことから得体の知れない謎が深まるばかりといった様子が、当たり障りのない映像と共に淡々とニュースキャスターに読み上げられていく。
……俺の脳裏には、その「男性を極端に恐れるサキュバス」の姿が、片目を隠した赤髪の女性がアパートの一室で恐怖に震える光景として再現された。
まさか藤村が、性の権化たるれっきとしたサキュバスの一人が、俺のせいでそうなったのではと本気で杞憂するわけではないけれど。ただなんとなく、その強姦事件の現場は、今日俺が見た光景と似たような物になっていたのかも……と想像してしまった。
「何をどうすれば、サキュバスに男性その物を恐れさせることが出来るんでしょう?」
雑談として、ユリに話を振る。
テレビはすでにバラエティ番組に戻っていた。
「普通はまず無理だね。でも君なら出来るでしょ?」
「え?」
「そうなるように願えばいいんだもん」
「……あー、まぁ確かに」
藤村を傷つけたことに動揺しているような現状では、自分がそんなことを願う日なんて想像もできないけれど。
その話の流れで、俺はユリに「男性恐怖症のサキュバスはどうやって生きていくのか」という素朴な疑問を投げかけた。するとそこで初めて知ったのだけど、サキュバスは血縁関係者にのみ魔力を譲渡することが出来るらしい。だから天涯孤独の身でもない限り、男性恐怖症のサキュバスでも生きていくことにさほどの支障はないのだとか。
「ていうかそうじゃないと、赤ちゃんとか幼児の頃のサキュバスはどうやって生きてるのって話でしょ」
「あぁ確かに」
「あと、魔力切れで死んだら死んだで、生き返るための魔力はセックス無しでも周囲から自動で吸い上げるから、環境から性欲が消えない限りどうとでもなるし」
「あ、そうか。そうじゃないと不死身じゃないですもんね」
「そういうこと」
だから大して心配することじゃないよ。と、ユリは言ってのけた。
けれどその日を境に、たったの一日たりとも、「サキュバスの新たな強姦被害」が報じられない日はなかった。毎日誰かがひとしれず強姦され、そしてその被害者たち全員が、まるで事件発生と同時に心が人間女性になってしまったかのように、例外なく男性を恐れるようになっていった。
警察の捜査に関しては、少なくとも一般人がニュースから得られる情報を見る分には、順調とは程遠い印象を受けた。
次回更新日、未定。