知ってる天井だ。
僕はあれから何度も覚醒を繰り返した。
起きていられる時間は段々と長くなり、声が出るまでに1週間かかったらしい。
らしい、というのは日に何度目覚めているのか、自分でも分からなかったからだ。
それから寝返りをうてるようになるまでに1ヶ月、一人で上体を起こせるようになるまでにまた1ヶ月。
この病室で4ヶ月ほど過ごして、少しずつ分かってきた。
ここは僕が生きていた世界とは別の世界だ。
そして私自身も別人で、26歳だった甘内光琉ではなく、14歳の天内輝になっていた。
ここは地元の国立医大ではなく、帝都医療大学 男精管理局、別名「帝男」。
主治医は九条瞳先生(20代後半)、看護師は御堂満夢見さん(26歳)、水無月栗華さん(21歳)が僕の専任。
蔓延性意識障害で10ヶ月寝たきり、植物状態から目覚めたのが僕だ。
打撲などによる脳損傷があったのではなく、極度の心神喪失が原因と見られている。
僕、いや天内輝君は、拉致監禁事件から救出された被害者らしいのだが、彼の意識や記憶は一切ない。
記憶喪失扱いだ。
頭の中に彼が居るのではと、毎日呼びかけてはいるが、応えてくれたことは一度もない。
まだ不明な点も多く、前世の記憶があることは誰にも話していない。
と言っても、その記憶も、段々と薄れて来ている気がする。
もうメモが取れるほどに筋力は回復したが、何を書いたか全てチェックされるのはあずましく無い。
「テル君は日に日にカッコ良くなっていくね~。お肌がどんどん綺麗になって羨ましいよ~」
ベッド脇の椅子に座っている水無月さんが、嬉しそうに僕の顔をつつく。
「そうですか?」
突かれた頬を左手で撫でながら、右手をサイドテーブルに伸ばし、手鏡をひょいっと掴み寄せる。
以前はこの動作にすら何分もかかったが、リハビリの成果だ。
手鏡を自分に向け、まじまじと顔を見る。
シミひとつ無い綺麗な肌だ。
少しだけ吊り上がった目に長いまつ毛、小さな泣きぼくろ、整った鼻筋、小さな口。
髪はストレートだが真っ白、ストレスによる脱色らしい。
元の髪色に戻る見込みは薄いとのことだ。
それでも水無月さんは、良くなーれと変な鼻歌を歌いながら毎日頭皮マッサージをしてくれる。
生え際を確認するも、今日も髪色に変化は見られない。
しかしまあ、本当に男とは思えないような卵肌だ。
ツルツル、もちもち、永遠に触っていたいと思えるくらい、手触りが良い。
14歳ってこんなんだったかな?
この子が特別なのか?
「たひかに。ふひぎなひぶんです」
頬を摘みながら、水無月さんに同意する。
「お、色男って自覚があるのか~、生意気~」
嬉しそうに僕の顔を摘んでから、髪を撫でる。
「こっちもサラサラになったね。良かった良かった」
当時の状態を思い出したのか、水無月さんの表情は笑顔のまま、少しだけ沈んだ。
初めて天内輝君の顔を見た時は、土気色で死人のような顔をしていた。
髪の毛もガサガサで、まるで死に際の自分のようだった。
今は別人のように生気に満ちている。
テル君は確かに美形と言われる顔立ちだ。
僕から見ると可愛らしい。
少し目つきが悪いのは、愛嬌がない自分のせいだろう。
表情筋のリハビリついでに笑う練習をしていると、水無月さんは勿論、御堂さんも嬉しそうに評価してくれる。
最近はモデル雑誌まで用意して、今日はこの表情をしてみようと毎回異なる表情を試されている。
初めは恥ずかしかったが、こういったやり取りも純粋に楽しくて、僕自身心からの笑顔が増えてきた。
後はいつテル君の心が戻ってくるかだが、残念ながらそれはない気がしている。
勿論、彼が戻って来れるなら、いつでもこの身体は返したい。
僕が消えることになっても構わない。
だが、何の根拠もないが、最近は確信に近い感覚がある。
きっと彼は、もうこの世にはいない。
「お仕事は本当にいいんですか?僕はもう一人でも大丈夫ですよ?」
「いいんだよ~、テル君を見つめてるのが私の仕事だから」
水無月さんは両の掌を咲かせ、そこに顎を乗せてニコニコと僕を見つめている。
そんな訳ないでしょう、とツッコミを入れたいが、本当にそうらしい。
彼女は特に用がなくても、勤務時間の大半を僕の隣で過ごしている。
リハビリや食事のケア、雑務などをこなして手が空くと、こうして隣でただ笑っていたり、お喋りの相手をしてくれている。
もう一人の専属看護士である御堂さんは、毎日の検査に加え、その結果から適切なリハビリや献立の調整、退院後の準備なんかをしてくれている。
彼女達とのお喋り、雑誌やテレビを見ていて分かったことがある。
ここは男女比が偏った世界だった。
男女比はおおよそ1:10。
性犯罪率も真逆、いわゆる貞操逆転世界だ。
男性は守られるべき対象で生きてるだけで偉い、とかいうIQ低めのご都合世界かどうかまでは分からない。
護衛官は存在するが、男性という理由だけで付く事はない。
精液検査をしたらSランクで僕が世界の救世主、お射精出来たらヨシヨシされて、お金も嫁も増え続けるイベントが訪れるのかもしれないが。
まあどんな世界にせよ、病気のない健康な身体で過ごせるならば、僕はそれだけで感謝だ。
天内輝君の事は、まだ多くは教えてもらえない。
僕の回復状況を見ながら九条先生が慎重に判断するそうだ。
PTSDを懸念しているのだろう。
監禁生活中も勉学の時間は設けられていたと聞かされたが、果たしてそんな事があるのだろうか。
勉強を教えてくれる誘拐犯?
それってどんな状況?
先日行われた知力検査の結果は、14歳の中では平均よりかなり下のスコアだった。
置かれていた状況から、僕がテストで手を抜いた事も原因だが、それとは無関係に社会や歴史関係は全滅に近い状態だった。
織田信奈、のような形で人物が女性に置き換わっている事を期待したが、歴史そのものが違った。
本能寺の変なんてない。
その割に地名は前世と同じものも多いし、文明の進化も近しい形で進んでいる。
不思議だ。
西暦は同じ2026年だが、文明は2、30年は遅れていそうだ。
パソコンはあるが、タブレットやスマホはまだなかった。
取り寄せてもらった教科書は、小学5年生まで進んでいて、日々の勉強の終わりには水無月さんが問題を出してくれる。
毎日嫌な顔もせずに、「せいかーい!」「ブブー」と笑顔で大きなリアクションをしながら付き合ってくれる。
嫌いだったはずの勉強が楽しい。