パルワールドで性欲に目覚めた異常者 作:イオサ
俺は一介のパルテイマーだった。
だった、という言い方も正確ではないのかもしれない。今も肩書きは変わっていない。変わったのは、俺の方だ。
その日は何の変哲もない朝だった。拠点の裏で鉱石を運ぶ音がして、炉の火が爆ぜて、いつも通りの一日が始まるはずだった。
バチッッ!
いきなり、頭の奥で電流が走った。比喩ではなく本当に、後頭部から前頭葉へ一筋の光が突き抜けるような感覚。俺はその場に膝をつき、数秒か数十秒か。呼吸を忘れていた。
──そして顔を上げた時。
世界が、変わっていた。
上手く説明できない。景色そのものは同じだ。同じ拠点、同じ空、同じ作業台。だが、解像度が違う。木材の一本一本に木目があり、風に揺れる草には葉脈が走り、遠くの山の稜線には靄がかかっている。
これまでの俺は、こういうものを見ていなかったのだ。木材は木材で、草は草で、それ以上でも以下でもなかった。ラベルを貼るように世界を認識していた。それが今、剥がれ落ちた。
おかしい。俺はこれまで普通に生きて、普通に働いて、普通にパルを捕まえて──
普通に?
考えれば考えるほど足元が崩れていく気がして、俺はそれ以上の思考を放棄した。ともかく、俺の視界はリアルになった。それだけは事実だった。
その日の夕方だったと思う。
拠点の隅で、モノクローナが黙々と作業をしていた。
黒と白のモノトーンに彩られた体躯。フリルの重なるドレスのシルエット。頭部から伸びる黒い突起は、見ようによっては王冠のようでもあり、大仰なリボンのようでもある。そして色白の面に嵌め込まれた、大きな赤い瞳。
こいつは、こんな見た目だったか。
いや、そのはずだ。捕まえたのは俺だし、毎日見ている。だが今、俺の目に映っているそれは俺が知っていたモノクローナという記号とは、まるで別のものだった。
気づけば、俺は歩き出していた。
そして、抱きついていた。
『?』
彼女は一応、メス個体だ。首を傾けて、こちらを見ている。赤い瞳が真正面から俺を捉える。怒っているわけでも、嫌がっているわけでもないらしい。ただ純粋に、理解できないという顔。
当然だ。俺は一度だって、こんなことをしなかったのだから。
腕の中の彼女は、温かった。
布地越しに伝わる体温。呼吸に合わせて上下する肩。近づいたことで初めて気づく、髪から漂うかすかな匂い。
生きている。
当たり前のことに、俺は今さら殴られたような衝撃を受けていた。そして同時に、腹の底から名状しがたいものが湧き上がってくるのを感じた。
──ああ、これは、性欲だ。
自覚した瞬間、俺は彼女から手を離した。離してから、改めて見た。
そして、気づいてしまった。
……あれ?
パルって、前はもっと、全員が同じ個体に見えていなかったか?
同じ種なら同じ形。同じ大きさ。同じ動き。そういうものだと思っていた。だが今、拠点で働くパルたちを見渡してみれば、一体一体、身体つきが違う。背の高さ、肉付き、骨格、癖のある歩き方。
牧場のモコロンあたりは、確かにどれも似たようなものだ。動物系はだいたい一緒に見える。だが、よく見れば。よくよく見てしまえば。毛並みの流れも、瞳の色の濃さも、鳴き声の高さも、全部違う。
あまりにも、リアルだった。
やはり、俺はおかしくなったのかもしれない。
そう思いながら、俺の視線は、また彼女に戻っていた。赤い瞳が、まだこちらを見ていた。
そして俺は、その日の夜に過ちを犯した。
過ちだと分かっていた。分かっていたのに、止められなかった。腹の底に居座ったあの熱は時間が経つほどに膨れ上がり、夕食の肉を焼いている間も、素材を整理している間も、ずっと俺の思考の縁にこびりついて離れなかった。初めてだった。いや、性欲そのものは知っている。だがこれは……まるで生まれて初めて欲望というものを知った人間のような、原初的で、圧倒的な衝動。
理性が負けた瞬間は、呆気なかった。
まず俺は、建築を始めた。
これまでベッドは拠点の隅に、他の設備と並べて無造作に置いていた。それで十分だったから。寝るためだけの道具だったのだから。
だがこの夜、俺は初めて壁を建てた。四方を囲い、屋根を架け、扉を付けた。個室だ。他のパルたちの視線が……いや、見ているかどうかなど本当は分からない。だが、見られることが恥ずかしかった。
そして建築しながら、俺はもう一つの違和感に気づいていた。
壁を作ろう、と思う。すると手が動く。素材が組み上がる。完成する。その過程が、あまりにも自動的だったのだ。
以前は何とも思わなかった。ここに壁、ここに床、ここに屋根。意志が形になる。それだけのこと。しかし今の俺の目には、それが恐ろしく映った。自分の手が何をやっているのか、分かるのに分からない。木材が組み合わさっていく過程は見えているのに、なぜそうなるかが分からない。
まるで俺自身の体が、俺のものではないかのような。
──考えるな。今はそれどころじゃない。
そう自分に言い聞かせて、俺は出来上がったばかりの部屋に、モノクローナを連れ込んだ。
彼女は抵抗しなかった。
パルテイマーの指示に従う、という習性がそうさせたのか。それとも、彼女自身が何かを感じ取っていたのか。赤い瞳がこちらを見下げていた。暗がりの中で、その紅だけがぼんやりと光を帯びて見えた。
「……すまない」
誰に向けたのか分からない謝罪を一つ落として、俺は彼女をベッドに横たえた。
白い髪が、粗末なシーツの上に散らばる。白い顔が枕に沈む。赤い瞳が天井を見つめ、それからゆっくりと俺の方へと戻ってくる。
モノクローナのドレスのような意匠──あのフリルの重なるシルエットは、衣服ではなかった。触れてみて、確信した。布の質感ではない。薄く、しなやかで、だが確かに彼女の体の一部だった。野生動物の模様や羽毛と同じだ。あれほど精緻なドレスに見えていたものは、生まれながらの体表であり、つまり彼女は、最初から裸だったやだ。
その認識が、俺の喉を締めた。
スカートに見えていた裾を持ち上げる……いや、体表の一部をめくる?
すると、彼女はわずかに身じろぎした。不快というよりは、くすぐったさに近い反応のように思える。
そうして、白い太腿が露わになった。
滑らかだった。磁器のように、という比喩がこれほど似合う肌を俺は見たことがない。白いのに血が通っている。温かさが指先から伝わってくる。太腿の内側を辿れば、きめがわずかに変わる場所がある。きめ細やかさが増し、産毛すらないつるっとした手触りに変わる。
太腿の白、下腹の白、すべてがひとつながりの曲面で、作り物のように完璧でありながら、呼吸のたびにかすかに上下するその動きだけが、彼女が生きていることを証明していた。
「ま、マジか……」
……割れ目があった。
パルは卵を産む。そのことは知っていた。だから俺は、漠然と総排泄腔のようなものを想像していたのだ。鳥類や爬虫類のような、単一の開口部。
違った。
柔らかく閉じた縦の線。太腿の付け根、下腹が緩やかに窪む場所に、それはあった。左右の襞がわずかに膨らみ、薄桃色の粘膜が合わせ目からほんの少しだけ覗いている。上端には、小さな突起を隠すように皮膚が寄り集まっている。
人間の女性のそれと、ほとんど変わらなかった。
美しかった。体表のどこまでも均一な白に対して、そこだけがほのかに色づいている。血の色だ。彼女の内側の、生きた色だ。触れると、指先にかすかな湿り気があった。
『……っ』
モノクローナが、小さく息を漏らした。赤い瞳が、わずかに見開かれる。
俺は指を止めた。止めて、彼女の顔を見た。
怒ってはいなかった。怯えてもいなかった。ただ……初めて経験するものに対する、純粋な困惑があった。自分の体から発せられた声を、自分自身が理解できていないような、そんな顔。
その表情を見て、俺はふと思い立った。
もしかして、と。
モノクローナの胸元に、俺は手を伸ばした。ドレスのように見えていた黒い意匠の下。そこに、指先が触れる。
ふにっ。
柔らかかった。
確かな膨らみが、そこにはあった。黒と白の体表に覆われていて、一見すると平坦な装飾の一部に見えていたそれは、明らかに脂肪の弾力を持った隆起だった。掌にすっぽりと収まる程度ではあるが──間違いなく、胸だった。押せば沈み、離せば戻る。その奥に、固い芯のようなものが指の腹に少しだけ触れた。
俺は、夢中だった。
両手で包むようにして揉んでいた。柔らかさの中に弾力があり、弾力の中にまた柔らかさがある。胸だけは、他のところよりわずかに温度が高い気がした。
──俺は、何をしているんだ。
冷静な部分が、頭の片隅で問いかけていた。パルに興奮している。パルの胸を揉んで、快感を覚えている。これは異常ではないのか。テイマーとしてというよりも、一個の知性体として、何かが根本的に壊れてはいないか。
いやでも、と別の声が返す。人型だ。可愛いだろう。このゴシックの意匠を纏った白磁の体躯を見て、何も感じない方がどうかしている。そうだろう?
……言い訳だな、と自分でも分かっていた。
モノクローナは、目を細めていた。
あの大きな赤い瞳が、半分ほど瞼に覆われて、細い弧を描いている。痛みの表情ではないように思える。不快でも。だが快楽なのかと問われれば、それも確信が持てない。
彼女は喋れない。
パルの中には人語を解するものもいると聞く。だがモノクローナは言葉を持たない。鳴き声とも吐息ともつかない小さな音を漏らすことはあっても、それが何を意味するのかは、俺には分からなかった。
ただ、知性はある。それもかなり高い。
そのことは確信していた。日々の作業指示に対する反応の速さ。拠点の状況を自分で判断して動く柔軟さ。俺がまだ口に出していない要求を先回りして処理することさえある。人型のパルは総じて賢い。いや、人型に限らない。かつて戦ったグランジーラなど、あれは人間以上の知能を持っていたとしか思えなかった。
パルは、賢いのだ。
だからこそ、今こうして胸を揉みしだかれていることの意味を、彼女が理解していないはずがなかった。理解した上で黙っているのだとしたら、それは従順なのか、諦めなのか、それとも……
「……大丈夫か?」
口をついて出た言葉は、我ながら救いようがないものだ。なにせ、セクハラをしている当人が、被害者に向かって大丈夫かと訊いているのだから。どの面を下げて、という話だ。
肝心のモノクローナといえば……嫌がらなかった。
それどころか、動いた。
黒い指が伸びてきた。人間とは違う人外の指。それが俺の胸板に触れた。
服の上から、つ、と。
鎖骨の下から胸の中央を通って、みぞおちのあたりまで。一本の線を引くように、ゆっくりと、彼女の指が滑り降りていった。
「っ──!」
息が、止まった。
指一本だった。たったそれだけの接触だった。にもかかわらず、その線が通過した跡を、灼けつくような感覚が追いかけてきた。皮膚の下を電流が走り、背骨を駆け上がり、脳の奥で弾けた。
下半身の反応は、即座だった。即座で、暴力的で、どうしようもなかった。ズボンの内側で、自分でも驚くほどの硬度で屹立したそれが、布地を内側から圧迫している。痛いほどの充血。脈動が、心臓の鼓動と同期している。
やばい、と頭では思っていた。思っていたが、言葉の意味が追いつかなかった。
モノクローナが、首を傾げた。
赤い瞳が、俺の顔を見ていた。それから、ゆっくりと視線が下がった。俺の胸、腹、そして……隆起した一点で、その視線が止まった。
数秒の沈黙。
彼女はまた俺の顔に視線を戻し、もう一度首を傾げた。何か質問でもするかのように。何か、大事なことを確かめるかのように。
俺は答えを持っていなかった。