震える指先で、シルフィは素朴な手紙を開いた。
そこに並んでいたのは、お世辞にも綺麗とは言えない、けれど一文字一文字が丁寧に書かれた、ソマルの文字だった。
『会ってちゃんとお別れを言えたら良かったんだが、あれから会えないようだから手紙を書く。俺は明日の朝、シャリーアを離れる。元気で暮らしてくれ』
手紙は、それだけで終わっていた。
「あ……」
シルフィの目から、ぽろぽろと大粒の涙が溢れ出し、手紙の紙面を濡らしていく。
ソマルは、明日行ってしまう。
この街を離れ、もう二度と戻ってこないかもしれない。
彼はただ、子供の頃の過ちを謝り、生きていた幼馴染の無事を喜び、そして自分の道を歩むために去っていくのだ。
なのに、どうして。どうして私の胸は、こんなにも張り裂けそうなほど痛むんだろう。
(行かないで……ソマル……!)
頭の奥が、激しく燃えるように熱かった。理性は叫んでいる。
これでいいんだ、彼が去ればすべては元通りになる、
私はルディの良き妻として、ルーシーの優しい母親として、またこの屋敷で平穏に暮らせるんだ、と。
けれど、彼女の肉体と、世界の因果に侵食された心の奥底は、まったく別の悲鳴を上げていた。
会わなければいけない。
今行かなければ、私は一生、自分の半分を失ったまま生きていくことになる。
そんな、恐ろしいほどの確信がシルフィを支配していく。
「シルフィエット様? どうされましたか、そんなところで屈み込んで……」
廊下の向こうから、不審に思ったリーリャの声が近づいてくる。
シルフィは弾かれたように立ち上がると、濡れた手紙を素早く懐へと押し込んだ。
「な、なんでもないの、リーリャさん! ちょっと……ちょっと、買い物思い出しちゃって! すぐ戻るね!」
ルディの妻である自分が、そんなことを考えていることを知られてはいけない。会えるわけはない。
そう自分を縛り付けていたはずの『檻』の鍵が、ソマルの手紙によって、音を立てて壊されていく。
シルフィはリーリャの制止の声も聞かず、勝手口の扉を勢いよく開け放つと、シャリーアの街の方角へと向かって、無我夢中で走り出していた。
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夕闇がシャリーアの街を赤黒く染め上げる中、シルフィはただひたすらに走り続けた。
冷たい風が頬を打ち、息が苦しくて胸が張り裂けそうだった。
ルディの妻として、ルーシーの母親として、こんな場所へ来てはいけない。
そんな理性の叫びは、頭の奥で鳴り響く強烈な熱に押し流され、もう届かなかった。
古びたレンガ造りのアパートメント。
その薄暗い階段を駆け上がり、あの日入ってしまった部屋の扉の前で、彼女は狂ったように扉を叩いた。
やがて、不審そうに、けれどゆっくりと内側から扉が開かれる。
ノックの音に扉を開けたソマルは、そこに息せき切ったシルフィがいることに驚く。
「シルフィエット……」
荷造りの途中だったのだろう、袖をまくったソマルが呆然と彼女を見つめていた。
白髪を乱し、肩を激しく上下させながら、涙で顔を濡らしている幼馴染の姿。
シルフィは、もう自分の心を止めることができなかった。
「ソマル……来ちゃった」
その唇から零れ落ちた言葉は、ルディの妻としての裏切りの言葉ではなく、世界の因果に導かれた、一人の恋する少女としての純粋な響きを持っていた。
ソマルの胸に飛び込むシルフィ、そのまま部屋の中へ消えていく。
開け放たれていた扉が、静かに内側から閉められ、カチリと鍵が下りる。