目を開けたとき、遠坂凛は知らない腕に支えられていた。
「――っ、触らないで」
反射的に身を引く。だが右足へ体重を移した途端、膝が折れた。
無表情の黒服が、倒れないよう凛の肘を持ち直す。肩を抱くでも、引き寄せるでもない。ただ、荷物を床へ落とさないための手つきだった。
「ここは……?」
問いかけても、黒服は返事をしない。
凛は途切れた記憶を探った。
床へ崩れたあと、太いバイブとローターの振動に何度も身体を跳ねさせながら、どうにかドレスを脱いだ。手を壁へつき、時間をかけて自分の服へ着替えた。コートのボタンを留め、ドアノブに手をかけた。
そこから先の記憶がない。
少し気を失っていたらしい。どれほどの時間かも、誰に運ばれたのかも分からない。
服は最低限整っていた。しかし、腹の重さも、股間を覆う貞操帯も、その内側で低く唸るバイブも残っている。クリトリスにはローターが密着し、透明な薬液槽から滲む媚薬の熱が、意識を取り戻した粘膜へすぐに疼きを返してきた。
「……離して。歩けるわ」
言葉だけで終わらせないため、凛は黒服の腕を外し、壁へ右手をついた。膝を伸ばす。左足を半歩。次に右足。
自分の足で立てることを確かめてから、店の裏口を出た。
朝の光が、容赦なく目へ刺さった。
通勤する人。開店準備のシャッター音。信号を渡る学生。冬木の街は、凛がどんな夜を越えたのか知らず、昨日と同じ速さで動いている。
その中へ紛れ込むには、同じ顔で、同じ方向へ歩くしかない。
下腹は外から見ても分かりそうなほど張っている。一歩進むたび、膣の奥に溜まった精液が、たぷん、たぷん、と揺れた。胃も重い。貞操帯の隙間から押し出された白濁が腿を伝うたび、コートの裾へ左手を入れ、ハンカチを押し当てる。
膣内のバイブは歩行の振動を拾い、奥へ擦れた。クリトリスへ密着したローターも、脚の動きに合わせて細かくずれる。
それだけではない。
薬液槽から漏れ続ける媚薬が粘膜へ染み込み、器具の弱い時間にも熱だけは引かなかった。振動が強まれば、その熱まで膣の内側で掻き回される。頭の芯に薄い霞がかかり、次に曲がる角を考えるだけの思考へも、身体の疼きが割り込んだ。
交差点へ着く直前、信号が赤へ変わる。
同時に、二つの器具が強くなった。
ぐいんっ……ぶるるっ。
「――っ!」
膝が抜けかける。凛は二歩横へずれ、電柱へ手をついた。俯き、靴紐を気にするふりをする。口を閉じたまま、息を四つ数えた。
一つ。バイブが精液を押し上げる。
二つ。ローターが腫れたクリトリスへ食い込む。
三つ。膣が勝手に締まり、貞操帯の内側から白濁が漏れる。
四つ。振動がようやく弱くなる。
規則は見つからない。次の強さも長さも読めないことが、いちばん厄介だった。
(立てる。歩ける。ここで止まった方が見られる)
青信号と同時に顔を上げた。絶頂の余韻で腿が震えても、横断歩道を渡り切るまで歩幅を変えなかった。
バスは空いていた。
最後列ではなく、降り口に近い一人掛けを選ぶ。人目はある。だが急に立てなくなったとき、最短で外へ逃げられる。
凛はコートの裾を膝へ揃え、座席へ浅く腰掛けた。深く座れば貞操帯が押し上げられる。立ち続ければ脚の震えを隠せない。その間の位置へ、身体を止める。
エンジンが唸り、バスが発進した。
車体の振動。道路の継ぎ目。ブレーキのたびに傾く腰。
普段なら意識もしない揺れを、媚薬で過敏になった膣が一つずつ拾った。
ぐちゅっ、と精液がバイブに押される。ローターが細かな震えへ切り替わる。
「……っ、ん」
漏れた声を咳払いへ変える。窓の外を見ているふりをして、ガラスに映る乗客の顔を確かめた。
前の席の男が一度だけ鼻をすすった。
匂いのせいかもしれない。ただの癖かもしれない。確認する方法はない。
凛は視線を降車ボタンへ戻し、腕を伸ばすのに必要な距離だけを測った。
最寄りの停留所で降りる。朝の冷気が肺へ入り、ようやく他人の匂いから離れられた。
今日は土曜日。
士郎が来るかもしれない。明日はジェイクへの定期報告がある。
玄関を開け、士郎へ装置を見せる光景が一瞬だけ浮かんだ。貞操帯を壊してと頼み、撮られた映像があると話す。士郎なら理由を聞く前に助けようとするだろう。
だからこそ、今は呼べない。
姿の見えない魔術師がいる。男たちは住所も士郎の名も知っている。媚薬で鈍った頭のまま、士郎まで危険へ引き込む判断はできない。
それに、士郎にだけは知られたくないという感情も、確かにあった。
凛は二つをどちらか一方へ言い換えず、玄関の鍵を開けた。
扉を開けた瞬間、家の匂いに足が止まる。
閉め切った湿気。昨夜までの残滓。廊下と工房に残った男の精液の生臭さ。
「……最悪」
悪態が口から出たことで、かえって手順が決まった。
まず全ての窓を開ける。換気扇を回す。カーテンとシーツを外し、洗濯機へ放り込む。床、廊下、工房の順に拭く。
浴室へ湯を張る時間は惜しい。洗濯機を回したまま、凛はシャワーを浴びた。
髪。首。胸。腹。腿。
石鹸を何度も泡立て、上から順に洗う。貞操帯の縁は、指へ布を巻いて拭いた。
だが膣内は太いバイブで塞がれたままだ。水圧を弱め、金属と皮膚の隙間へ湯を流しても、腰を少し動かすたび、ぬるりと精液が押し出される。洗い流した端から薬液槽は新しい媚薬を滲ませる。
洗えているのは身体の表面と、器具の周囲から漏れた分だけ。
膣の奥には届かない。
ぐいんっ。
「あっ……!」
凛はタイルへ両手をついた。ローターが湯で濡れたクリトリスへ密着し、逃げようと腰を引くほど突起が擦れた。
ぶるるっ……ぐいんっ。
「んっ、ぁ……や、今は……!」
水音へ声を紛らわせる。膣がバイブを締めつけ、押し出された精液が足首へ流れた。短い波が過ぎるまで、腕を伸ばして身体を支えるしかなかった。
洗っているのに、身体の奥だけが昨夜へ引き戻される。
浴室を出ると、新しいオムツを穿いた。腹を締めない緩いワンピースを選び、腰回りに布の皺が不自然に集まらないか、前と横から確かめる。
鏡の前へ立つ。目の下の隈へコンシーラーを重ね、頬へ薄く色を足す。赤いリボンを結び直すと、ようやく見慣れた遠坂凛の輪郭が戻った。
(これなら、玄関先まではごまかせる)
部屋の中はまだ駄目だ。
消臭スプレーを撒き、新しい芳香剤を工房と廊下へ一つずつ置く。三つ目を手に取ってから、凛は玄関へ戻った。客のつもりで廊下を歩き、香りの濃さを確かめる。
多すぎれば、隠していると教えるのと同じだ。
三つ目は箱へ戻した。
最後に研究レポートを机へ広げる。
触媒の反応値。魔力循環の推移。次回の検証条件。昨夜までに記録した数字は本物だ。今の自分は研究を続けられる状態ではない。それでも、数字まで偽物にするつもりはなかった。
ペン先を紙へ置いたところで、太いバイブとローターがまた唸る。
ぶるるっ……ぐいんっ。
「ん、っ……」
椅子から腰を浮かせれば、脚が鳴る。凛は座面へ腰を押しつけ、左手で机の縁を掴んだ。右手のペンだけは止めない。
線が震えそうになるたび、長い文章を短い箇条書きへ変える。
ぐちゅっ。膣奥でバイブが精液を押し戻す。
「……っ、触媒、反応値……前回比……」
声にして思考を数字へ固定した。
振動が弱まってから書いた行を読み直す。同じ数値を二度記入していた。一本線で消し、正しい値を書き直す。紙に汗や精液の染みがないことまで確認して、次のページへ進んだ。
士郎には「研究で徹夜した」。
桜には「心配しすぎ」。
ジェイクには「触媒反応は安定、研究は順調」。
用意した説明を、鏡へ向かって声にする。
「大丈夫よ。ただ、少し寝不足なだけ」
鏡の中の凛は笑っている。声も震えていない。
チャイムが鳴ったときにも、同じ顔をしなければならない。
◇
土曜の夕方、そのチャイムが鳴った。
凛は立ち上がる前に、ワンピースの裾とオムツの位置を確かめた。芳香剤は強すぎない。廊下の窓も開いている。説明も決めてある。
玄関の向こうから士郎の声が聞こえた瞬間、装置が低く震え始めた。
ぶるるる……ぐいんっ、ぐいんっ……。
(今じゃないでしょう……!)
息を吐き切る。膝の震えが止まるのを待って、口角を上げた。
それから扉を細く開ける。
「遠坂」
士郎の隣には桜もいた。二人とも、顔を見られた安堵より、見たあとの心配の方が濃い。
「昨日、学校を休んだだろ。連絡もつかないし、何かあったのか?」
「姉さん、顔色がよくありません。まだ体調が悪いんですか?」
いつものように答えればいい。それだけなのに、二人を家へ入れれば、洗い切れなかった匂いも、器具の音も、オムツも近くなる。
「大げさね。研究に集中して、時間を忘れただけよ」
「ほんとか? 工房の片付け、手伝うよ」
士郎は間を置かずに言った。
「寝てないなら、その間に休めばいい。飯も作る」
「必要ないわ」
強すぎた。
士郎の眉がわずかに寄る。桜の視線が凛の顔から、扉を握る指へ落ちた。
ぐいんっ……。
膣奥のバイブが精液を跳ね上げる。凛は膝が崩れないよう、扉の陰で脚を交差させた。クリトリスにローターが押し込まれ、短く息が詰まる。
「……ごめん。今、検証の途中なの」
声を一段落とした。
「魔力循環を止めると最初からやり直しになる。月曜には学校へ行くから、今日は帰って」
「凛」
士郎が名前で呼んだ。
「俺に言えないことなのか?」
胸の奥が詰まる。
言えば、士郎は助けてくれる。貞操帯を壊そうとするだろう。凛を抱えてでも、ここから遠ざけようとする。
けれどそのためには、何をされたのか、精液を残されていること、映像を撮られたことまで、自分の口で告げなければならない。
助けを求めたい。
士郎にだけは知られたくない。
そして、結界を砕く魔術師がいる相手へ士郎を巻き込めない。
三つの思いが同時に喉を塞ぎ、凛は答えを出せなかった。
「言うほどのことじゃないわ。だから、アンタがそんな顔する必要もない」
「……本当に、月曜は来るんだな」
「ええ」
「分かった」
士郎は頷いたが、表情は晴れない。
「連絡だけは返してくれ。短くていいから」
納得したのではない。これ以上、玄関先で凛を追い詰めないことを選んだのだ。
桜も小さく頭を下げた。
「無理だけはしないでください。何か必要なら、いつでも呼んでくださいね」
「……ありがとう、桜」
扉を閉める。
門へ向かう二人の靴音が小さくなる。一歩、一歩。完全に消えるまで、凛は額を冷たい扉へ押しつけていた。
「ごめん……」
謝罪を聞く相手はいない。
貞操帯の内側で、ローターだけが、ぶるる、と短く答えた。
◇
日曜の夜までに、凛はカーテンを洗い直し、床を二度拭き、芳香剤の位置を変えた。
定期報告に来たジェイクをリビングへ通すと、彼はいつもの穏やかな笑みで一礼した。
「お時間をありがとうございます、遠坂さん」
「定期報告だもの。座って。お茶を淹れるわ」
凛は向かいの椅子へ座り、研究レポートを開いた。数字から話す。触媒の反応は安定。魔力循環に小さな改善。結論を出すには検証回数が不足。
事実だけを並べていれば、身体のことを考えずに済む。
「進捗は順調です。ただ、次の触媒が必要になるまでには、もう少しかかるわ」
「急ぐ必要はありません。研究は遠坂さんのペースで進めてください」
ジェイクは表を目で追い、丁寧にレポートを閉じた。
凛は資金欄へ視線を置いたまま尋ねる。
「確認しておきたいんだけど、今回の援助者と直接会ったのはいつ?」
店にも、結界にも触れない。帳簿へ資金の出所をどう残すかという質問にしか聞こえない調子を選んだ。
「今回のお話をいただいたときが初めてです。仕事上の知人から紹介されまして」
「身元は調べた?」
「確認できる範囲では。事業も資産も実在しています。何か気になる点が?」
返答までに不自然な間はない。目線も、声の高さも変わらなかった。
だが、それはジェイクが無関係である証明にはならない。
「帳簿に資金の出所をどう残すか、決めたかっただけよ」
凛はページをめくり、質問をそこで切った。結界を壊した魔術師がジェイクである可能性は残る。だからこそ疑念も、自分が追い詰められていることも見せない。
「それと――言いにくいのですが、先日の資金について。改めてありがとうございました」
カップを持つ凛の指に力が入る。
「具体的に何をなさったのか、私は聞きません。ただ、無理をなさっていないかと」
ローターが不意に強く震えた。
ぐいんっ。
凛はカップを置く動作へ紛らせ、膝を揃える。受け皿と磁器が触れ、かすかな音がした。
膣内のバイブが、ぐちゅっ、と残った精液を押し戻す。クリトリスへ食い込むローターが熱を増し、凛はカップを握る指へ力を逃がした。
薬液槽から漏れ続ける媚薬のせいで、振動が弱まっても身体の熱は下がらない。思考まで鈍らせる霞を、数字と会話の順序へ意識を固定して押し返す。
「……対価を払っただけよ。問題はないわ」
「そうですか」
ジェイクの声には疑いも追及もない。心配する支援者の顔だけがある。
「ですが、研究と同じく、遠坂さんご自身の身体も大切です。何かあれば、私に相談してください」
「ええ。ありがとう」
答えた瞬間、鞄の中で連絡用のスマートフォンが震えた。
一度。止まり、また一度。
ジェイクの視線が音へ向く。見覚えのない端末に気づいたのか、着信へ反応しただけなのか、表情からは読めない。
凛は先に立ち上がった。
「ごめんなさい。急ぎの連絡みたい。少し外すわ」
別室へ入り、扉を閉める。画面の番号を確かめ、通話へ出た。
「……何の用」
『公園の多機能トイレ。今すぐ来い』
金髪の声だった。
「ふざけないで。昨日、言われたとおりに――」
『あの映像、もうすぐ編集が終わるんだよな』
凛の声が止まる。
『綺麗にできたら、士郎君にも見せてやろうか。家の住所は知ってる。ディスクで直接送ってやるよ』
「士郎に近づかないで」
『なら来い。遅れた分だけ、送る確率が上がると思え』
映像を送る準備が本当にあるのか。士郎の住所まで把握しているのか。分からない。
だが男たちは、凛の家へ匿名の端末を届けた。
虚勢だと決めつけ、士郎を賭けることはできない。
凛は壁へ手をついた。震えているのは、貞操帯の中の器具のせいだけではなかった。
「……分かった。今から行く」
『いい子だ、凛ちゃん』
通話が切れた。
リビングへ戻ると、ジェイクは座ったまま待っていた。
「急用ができたわ。悪いけど、今日はここまでにしてもらえる?」
「お顔の色が――」
「大丈夫」
また強く言い切った。凛は一度息を整え、声を落とす。
「私が片づけるべき用事なの。続きは次の報告で」
「……承知しました。くれぐれも無理はなさらないでください」
ジェイクはそれ以上踏み込まず、丁寧に頭を下げた。
玄関で彼を見送る。これまでどおりの支援者にしか見えない背中が、門の外へ消えた。
味方だと決めることも、敵だと決めることもできない。
凛は扉を閉め、連絡用スマートフォンを握り直した。
士郎の家へ映像を送らせない。
今の選択肢の中で、それだけが確かな目的だった。
コートを羽織り、夜の道へ出る。
歩くたび、腹の中の精液がたぷんと揺れ、バイブとローターは強弱を勝手に変えた。膝を曲げれば貞操帯が食い込み、足を速めればクリトリスへの刺激が増す。
電柱へ手を伸ばしたくなるたび、凛は立ち止まる時間を惜しんだ。
公園の木々の向こうに、多機能トイレの白い案内灯が見えてくる。
ジェイクを帰した。
士郎と桜にも、何も伝えず、自宅の扉を閉めた。
それでも、誰も巻き込まずに映像を止めるには、この道しか選べなかった。
凛は白い案内灯の下へ足を踏み入れた。