※この作品はR-18です。

濁った宝石   作:湖畔R

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第2話 映画館の甘い夜

 研究は、順調だった。

 

 ジェイクからの入金で買った新しい触媒は、三日を見込んだ反応を一晩で返した。

 

 朝、工房で結果を確かめたときには、さすがの凛も頬が緩んだ。これなら、来年の留学までにもう一段先へ進めるかもしれない。宝石の質を落とさず、試行回数も削らずに済む。

 

 だから今夜の凛は、特別に機嫌がよかった。

 

 冬木の郊外にある映画館。平日の最終上映に近い時刻で、客席はまばらだった。

 

 スクリーンでは、ヒロインが幼なじみへ想いを伝えようとしている。甘い音楽と青白い光が暗い客席を満たし、隣に座る衛宮士郎の横顔を、明るくしたり影へ沈めたりしていた。

 

 凛はスクリーンから目を逸らし、士郎を横目で見る。

 

 まぶたが、いかにも重そうだ。

 

「……寝てるの?」

 

 耳元へ届く程度の声で訊くと、士郎は目を細めたまま答えた。

 

「寝てない。……少し、まぶたが重いだけだ」

 

「それを世間では眠いって言うのよ。恋愛映画、つまらなかった?」

 

「そんなことない。遠坂が楽しみにしてたし、ちゃんと見てる」

 

「だったら、ちゃんと起きてなさい」

 

「起きてるって」

 

 言い返したくせに、小さな欠伸を噛み殺す。

 

 凛は呆れて息をついた。けれど、本気で腹は立たなかった。昼間は互いに学校や用事があり、夜になってようやく作れた時間だ。隣の席に士郎がいて、同じ画面を見ている。それだけで、今夜は十分に贅沢だった。

 

「来年、向こうへ行っても」

 

 不意に、士郎が口を開く。

 

「こういう時間は作れるかな」

 

 スクリーンを見たままの声は、何でもない問いを装っていた。

 

 凛は少しだけ目を瞬く。

 

「作るのよ」

 

 迷わず答えた。

 

「予定なんて、空くのを待つものじゃないでしょう。必要なら先に押さえるの。時計塔だろうが何だろうが、わたしの予定を全部勝手に決めさせる気はないわ」

 

「遠坂らしいな」

 

「当然。アンタも今から慣れておきなさい」

 

「何に?」

 

「わたしの予定に振り回されることに」

 

「それ、もう十分慣れてる気がするぞ」

 

「何か言った?」

 

「いや、何も」

 

 素早く視線を戻す士郎に、凛は唇の端を上げた。

 

「――でも、今は映画を見なさい」

 

 あかいあくまが、小さく目を覚ます。

 

(……かわいい。こんな顔して)

 

 眠気に耐えながら、凛との時間を守ろうとしている。その横顔を見ているうちに、上機嫌の行き先を少し変えたくなった。

 

 凛は肘掛けの下へ手を滑らせた。

 

 指先が、士郎の腿へ触れる。

 

 制服のズボン越しに伝わった熱に、士郎の肩がびくりと揺れた。

 

「遠坂……?」

 

「静かにして。映画、見てるんだから」

 

「その手でよく言うな」

 

 小声の抗議を聞き流し、凛は手のひらを内腿へ這わせる。膝に近いところから、ゆっくり、焦らすように上へ。ズボンの布が指の腹を擦り、その下で筋肉がこわばるのが分かった。

 

 股間へ辿り着き、服の上から輪郭を撫でる。

 

 まだ柔らかさを残していたものが、手のひらの中でどくんと脈打った。

 

「っ……」

 

 士郎が息を呑む。

 

「起きた?」

 

「……最初から起きてた」

 

「そう。なら、これはご褒美ね」

 

 布越しに、指をゆっくり上下させる。

 

 さっ、さっ、と乾いた擦過音が映画の台詞に紛れた。掌へ当たる形が、動かすたびにはっきりしていく。先端を指の腹で押すと、士郎の腰がわずかに浮いた。

 

「こんなところで……まずいって」

 

「場所の心配は聞いたわ」

 

 凛は手を止め、士郎の横顔を覗き込む。

 

「アンタが嫌なら、ここで止める」

 

 暗がりの中で目が合った。

 

 士郎は凛の手を取る。遠ざけるのかと思えば、その手を自分の腿へ押し戻した。

 

「嫌じゃない。……声が出そうで困るだけだ」

 

「なら、我慢しなさい。わたし、今すごく機嫌がいいの」

 

「おまえ、絶対楽しんでるだろ」

 

「ええ。だからアンタも付き合いなさい」

 

 返事の代わりに、士郎の指が凛の手の甲を一度撫でた。

 

 凛は刺激を再開する。

 

 今度は一定のリズムで、根元から先端へ押し上げるように。硬くなった輪郭が布を持ち上げ、擦るたびに士郎の呼吸が短くなった。

 

 さっ、さっ、くちゅっ。

 

 乾いていた音へ、かすかな湿り気が混じる。

 

 士郎はシートへ深く腰を沈め、顎を引いて声を殺していた。それでも、腰だけは凛の手へ少しずつ合わせてくる。

 

(……正直なんだから)

 

 かわいい。

 

 そう思うと、もっと乱したくなる。

 

 凛はチャックへ指を掛けた。金具が鳴らないよう、少しずつ下げていく。

 

 じ、じり……。

 

 開いた隙間から手を入れ、下着の上から包む。布一枚になっただけで、熱も脈動も鮮明だった。勃起した陰茎が、凛の手の中でどくん、どくんと硬く跳ねる。

 

「んっ……」

 

「さっきまで眠そうだったくせに、すごいじゃない」

 

「遠坂が、するからだ……」

 

「わたしのせい?」

 

 耳元へ唇を寄せ、囁く。

 

「じゃあ、責任取ってあげる」

 

 下着の中へ手を差し入れる。

 

 指が、熱い陰茎へ直接触れた。張った皮膚は滑らかで、先端にはもう透明な雫が滲んでいる。親指でそれを広げ、亀頭の縁をなぞると、士郎の腿が強くこわばった。

 

「……っ、凛」

 

 今度は名前で呼ばれた。

 

 凛の胸の奥にも、甘い熱が灯る。

 

 片手で陰茎を包み、根元から先へしごき上げる。滲んだ液が潤滑になり、手の中で濡れた音が生まれた。

 

 くちゅっ、くちゅっ、じゅぷっ。

 

 一度速め、すぐに止める。根元を握ったまま動かさずにいると、陰茎だけがびくびくと焦れたように脈打った。

 

「……遠坂」

 

「もう少し我慢しなさい。映画、クライマックスよ」

 

「もう、映画どころじゃないだろ……」

 

「わたしには大事よ。ちょうどいいBGMだもの」

 

 スクリーンでは、ようやく想いを告げた男女が抱き合っている。音楽が盛り上がり、客席を満たした。

 

 その音に紛れるように、凛は上体を低くする。

 

「遠坂、まさか……」

 

「声、出さないで」

 

 士郎の膝の間へ身を寄せる。

 

 そのとき、士郎の指が凛の手首を掴んだ。

 

 凛は動きを止め、顔を上げる。

 

 止める力ではなかった。親指が手首の内側を撫で、離れないでほしいと伝えるように、そっと握っている。

 

「続けるわよ?」

 

「……ああ」

 

 短い返事を確かめてから、凛は下着をずらした。

 

 暗がりの中で、硬く反り立った陰茎を口に咥える。

 

 ちゅぷっ。

 

 熱い亀頭が舌へ乗った。舌先で裏筋をなぞり、唇をすぼめてゆっくり吸う。塩気を帯びた先走りが舌へ広がった。

 

「――っ」

 

 士郎の腰が跳ねかける。

 

 凛は腿へ手を置いてそれを抑え、口を浅く上下させた。音を立てすぎないよう唇を密着させ、それでも刺激が逃げないよう、舌を陰茎へ巻きつける。

 

 じゅるっ、じゅっ、ちゅぷっ。

 

 小さな水音が、映画の音楽の下へ沈む。

 

 口を引くときに舌で亀頭を擦り、戻すときには根元へ近づく。動きは小さく、速度だけを少しずつ上げた。

 

「凛……っ、だめだ。出る……すぐ……」

 

 士郎の囁きが震える。

 

 凛は口を離さず、目だけで見上げた。そのままでいい、と伝えるように腿を撫で、もう一度深く含む。

 

「ん……んっ、んぅ……」

 

 喉の手前まで受け入れ、舌で根元から先へ強く擦り上げる。

 

 士郎の指が肘掛けを握り締めた。腹筋が固まり、腰が小さく震える。

 

「――っ、凛!」

 

 どくん、と口内の陰茎が大きく脈打った。

 

 びゅるっ……!

 

 熱い精液が舌の上へ迸る。

 

 びゅっ、びゅるるっ……。

 

 二度、三度と脈打つたび、濃い液が口いっぱいに溜まっていく。凛は唇をきつく閉じ、射精の震えが収まるまで亀頭を包み続けた。

 

 士郎の荒い呼吸を聞きながら、ゆっくり飲み下す。

 

 ごくっ、ごくん。

 

 口を浅く引き、舌で先端に残った精液を掬い取る。最後にちろりと尿道口を舐めてから唇を離すと、透明な糸が一瞬だけ繋がり、切れた。

 

 凛が顔を上げる。

 

 士郎は目を閉じ、シートへ沈んでいた。額には薄く汗が浮かび、胸が大きく上下している。

 

「……満足したか」

 

「ええ。アンタも気持ちよかったでしょ?」

 

「それは……否定しないけど」

 

「素直でよろしい」

 

「もし見つかったら、どうするつもりだったんだ」

 

「見つかってないでしょ。ほら」

 

 凛が顎で示すと、スクリーンは暗転し、エンドロールが流れ始めていた。

 

 客席のあちこちで立ち上がる気配がする。凛は何食わぬ顔で座席へ戻り、口元をハンカチで押さえた。

 

 隣で衣服を直した士郎が、目を開ける。

 

 眠気は跡形もなかった。

 

 熱の残る琥珀色の瞳が、凛をまっすぐ捉える。

 

「立て」

 

「え?」

 

「こっちだ」

 

 差し出された手を取る。

 

 士郎は人の流れが増える前に凛を立たせ、壁側の通路を選んで歩いた。凛の歩調を置き去りにはしないが、握った手にははっきりとした意志がある。

 

 連れてこられたのは、多機能トイレだった。

 

 扉が閉まり、ロックの音がする。

 

 白い蛍光灯が点き、暗がりに慣れた目へ眩しく刺さった。狭い室内に、二人分の荒い呼吸が近く響く。

 

「士郎……?」

 

「今度は、俺の番だ」

 

 低い声に、背筋が甘く震えた。

 

 けれど士郎は、すぐには触れない。

 

 凛を壁際へ追い込んだ姿勢のまま、熱を宿した目で顔を見つめる。

 

「続けていいか」

 

「ここまで連れてきて、今さら聞くの?」

 

「今さらでも聞く」

 

 真剣な顔だった。

 

 そういうところが、たまらなく士郎だ。

 

 凛は答えの代わりに彼の襟を掴み、自分から唇を重ねた。

 

「――これで分かる?」

 

「ああ」

 

 今度は士郎から口づける。

 

 ちゅっ、じゅるっ。

 

 舌が絡み、互いの吐息が頬へかかる。士郎の手が凛の腰へ回り、身体を引き寄せた。凛も首へ腕を回し、胸を押しつける。

 

 口づけたまま、士郎がポケットを探る。

 

 小さな包装が擦れる音がした。取り出されたコンドームを見て、凛は唇を離す。

 

「用意、いいのね」

 

「遠坂が、あんなことするからだ……」

 

「ふふっ。責任、取ってくれるの?」

 

「取る」

 

 士郎は迷わず答えた。

 

 自分のズボンと下着を下ろし、硬さを取り戻した陰茎へコンドームを被せる。先端から根元まで、空気を入れないよう丁寧に伸ばした。

 

 凛は壁へ背中を預け、スカートを自分でたくし上げる。下着を腿の半ばまで下ろすと、冷えた空気が濡れた秘部へ触れた。

 

 さっきから、身体の奥は熱を持っていた。

 

 士郎を口で感じ、その声と震えを間近で受け止めているあいだに、凛自身も十分すぎるほど濡れていたのだ。

 

 士郎が片手で凛の腿を持ち上げる。

 

 コンドームに包まれた亀頭が、膣口へ触れた。

 

「凛」

 

 名前を呼ばれ、凛は士郎の肩を掴む。

 

「んっ……入って」

 

 腰へ回した脚で、自分から引き寄せた。

 

 士郎がゆっくり腰を進める。

 

 ぬぷっ……ぬちゅっ。

 

 太い亀頭が濡れた入口を押し開き、膣壁を擦りながら中へ入ってくる。凛は息を吸い、肩に置いた指へ力を込めた。

 

「ん……っ、あ……」

 

 一気には入れない。

 

 凛の表情と呼吸を見ながら、士郎は少しずつ深さを増していく。膣の奥まで陰茎が収まると、二人の下腹が触れ合った。

 

 満たされた重さに、凛は細く息を吐く。

 

 幸せだった。

 

 誰かに決められた条件ではない。何かと引き換えでもない。触れたいから触れ、受け入れたいから、自分の脚で士郎を抱いている。

 

 士郎の額が凛の肩へ触れた。

 

「遠坂……動くぞ」

 

「……いいわ。もっと、きて」

 

 士郎が一度腰を引く。

 

 膣壁を擦って陰茎が浅くなり、すぐに奥へ戻ってきた。

 

 ぬちゅっ、ぬぷっ。

 

「んっ……」

 

 凛の声が喉から漏れる。

 

 狭い室内で、逃げ場のない吐息が重なった。士郎は凛の腰を支え、脚を抱えたまま、ゆっくりと往復を繰り返す。

 

 ぬちゅっ、ぬちゅっ、くちゅっ……。

 

 引くたびに濡れた膣壁が陰茎へ吸いつき、押し込まれるたび奥へ甘い圧迫が届く。動きに合わせ、凛の胸が制服の内側で揺れた。

 

「あっ……士郎……そこ、いい……」

 

「声、抑えろ……外に聞こえる」

 

「分かってる……っ。でも、アンタが……んっ」

 

 言い終える前に、深く突き上げられた。

 

 ぱんっ。

 

 腰同士が重なり、濡れた肉の音が弾ける。

 

「あっ……!」

 

 凛は反射的に士郎の背へ腕を回した。

 

 士郎は動きを止める。

 

「痛かったか」

 

「違う。びっくりしただけ」

 

 息を整え、凛は耳元へ唇を寄せる。

 

「止めないで。もう少し、速くして」

 

「……分かった」

 

 返事と同時に、腰の動きが速まる。

 

 ぱんっ、ぬちゅっ。ぱんっ、くちゅっ。

 

 奥を突かれるたび、腹の底から快感が跳ね上がった。凛の膣は挿入の反復へ合わせて締まり、コンドーム越しの陰茎をきつく包み込む。

 

「んっ、あっ……士郎……っ、もっと……」

 

 声を抑えようとしても、短い喘ぎが途切れ途切れに漏れた。

 

 士郎が唇を重ねる。

 

 ちゅっ、じゅるっ。

 

 声を塞がれたまま、凛は舌を絡め返す。背へ回した爪先に力が入り、脚で士郎の腰を逃がさないよう抱え込んだ。

 

 身体の内と外から、士郎の熱に包まれる。

 

 快感だけではない。自分を見て、聞いて、確かめながら動いてくれる。そのことが、触れられるたび胸の奥へ満ちてくる。

 

「凛……俺、もう……」

 

 士郎の動きが崩れ始めた。

 

 腰が深く入り、陰茎が膣奥へ押しつけられる。コンドームの向こうで、亀頭が大きく膨らむのが分かった。

 

 凛も限界が近い。

 

 下腹の奥に集まった熱が、突かれるたび鋭く弾け、全身へ広がっていく。

 

「一緒に……っ、士郎……!」

 

「――凛!」

 

 最後の一突きが、最も深い場所へ届いた。

 

 凛の腰が震える。膣が、きゅうっと強く陰茎を締めつけた。

 

「あっ……ああっ……!」

 

 甘い波が身体を貫き、視界が白く揺れた。

 

 同時に、士郎の陰茎がゴムの向こうでどくん、どくんと脈打つ。

 

 びゅっ……びゅるるっ……。

 

 直接触れることのない精液の熱まで、奥で弾けた震えとして伝わってくる。

 

 士郎の低い呻きが、凛の耳元へ落ちた。

 

 二人とも、すぐには動けなかった。

 

 凛は士郎の首へ腕を回したまま、浅い呼吸を繰り返す。膣の収縮が収まるたび、満たされていた身体から少しずつ力が抜けていった。

 

 士郎は急いで離れず、凛の呼吸が整うのを待った。

 

 額に張りついた凛の髪を指で払い、腰を抱く腕の力だけを緩める。

 

「……痛くないか」

 

「平気」

 

 凛は肩で息をしながら笑う。

 

「アンタこそ、映画館で無理させた?」

 

「どっちが言うんだ」

 

「わたしね」

 

 二人で小さく笑った。

 

 士郎が陰茎の根元でコンドームを押さえ、ゆっくり引き抜く。

 

 ぬぷっ……。

 

 空いた膣がきゅっと縮み、凛は小さく息を漏らした。けれど不快な痛みはない。

 

「……幸せ、だな」

 

 使用済みのコンドームの口を結びながら、士郎がぼそりと言った。

 

 飾りのない声だった。

 

 凛は胸の奥がくすぐったくなり、彼の胸へ額を預ける。

 

「……そうね」

 

 耳を澄ませば、士郎の心臓がまだ速く打っていた。

 

 どくん、どくん。

 

 宝石は、まだ澄んでいる。

 

 触れたかった。触れてほしかった。声を聞き、返事をして、二人で選んだ。その当たり前の一つ一つが、凛には宝物だった。

 

「……もう少し、こうしてて」

 

「ああ」

 

 短い時間だけ抱き合い、それから二人で日常へ戻る準備をした。

 

 凛は下着を戻し、スカートの皺を伸ばす。士郎は使った避妊具を包んで捨て、ズボンを整える。鏡の前へ並ぶと、互いの襟元や髪の乱れを指で直した。

 

「士郎、ここ。まだ曲がってる」

 

「遠坂も髪、跳ねてるぞ」

 

「嘘。どこ?」

 

「動くな。直すから」

 

 士郎の指が、凛の黒髪をそっと撫でる。

 

 行為そのものだけでなく、こうして一緒に元の顔へ戻っていく時間まで、幸福だった。

 

 ドアを開ける前に、凛はもう一度だけ士郎へ口づけた。

 

 ちゅっ。

 

「研究が順調なのは嬉しい」

 

 唇が離れたところで、士郎が言った。

 

「でも、困ったときまで一人で片づけるなよ」

 

 鍵のつまみに置いた凛の指が止まる。

 

 パトロンのことを説明するなら、今だった。

 

 ジェイクという魔術師から援助を受けていること。予想より多い金額だったこと。予定より早く送金されたこと。条文は自分で詰めたが、それでも相手を信用してはいないこと。

 

 話せば、士郎は聞く。

 

 そして、必要なら自分も会うと言うだろう。

 

 それが分かるから、凛は口を開けなかった。

 

「何よ、急に」

 

「最近、無理してただろ」

 

「もう解決したわ。わたしを誰だと思ってるの」

 

「遠坂凛」

 

 士郎は即答した。

 

「何でもできるけど、何でも一人でやろうとする奴」

 

「……余計な一言が多いわよ」

 

「否定はしないんだな」

 

 言い返そうとして、やめた。

 

 士郎はまだ何か言いたそうだったが、最後には小さく頷いた。

 

 凛が鍵を回し、ドアを開ける。

 

 映画館の外へ出ると、冷たい夜気が火照った頬に心地よかった。凛はコートの襟へ触れ、隣の士郎を見る。

 

「帰りましょうか」

 

「ああ。手、繋ぐぞ」

 

「……別に、いいけど」

 

 差し出された手へ、自分の指を重ねる。

 

 士郎の手は温かかった。

 

 手を繋いで、二人は映画館を出る。

 

 冬木の夜は静かで、凛はまだ上機嫌なまま、士郎の横顔を見た。

 

(……大事な人)

 

 指へ少し力を込めると、すぐに握り返された。

 

 困ったら言え。

 

 その優しい約束を受け取った手の中で、明かさなかった秘密だけが、温まることなく重さを増していた。

 

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