部屋に入った途端、凛は無意識に唇を引き結んだ。
口の奥に、まだ感覚が残っている。
喉を押し広げられた圧迫感。舌にまとわりついた熱。前回、同調を切ったあとも消えきらなかった、男の肉体の残響だった。
今朝、士郎には「研究の関係で遅くなる」とだけ言ってきた。桜の前でも、いつも通りに振る舞ったつもりだ。
あと二回。
今日と、次。それを終えれば金が入り、二人への嘘も終わる。
「お待ちしていました」
資産家はソファから立ち、いつもの穏やかな笑みを向けてきた。
凛は意識を内側へ沈め、閉じていた術式を開いた。
細い回路がつながる。
途端、まだ触れられてもいない乳首の奥が、じわりと疼いた。資産家の視線が胸元をなぞっただけで、その欲望が熱になって流れ込んでくる。
肩を押され、凛は寝台へ仰向けにされた。
ブラジャーを外される。弾け出た乳房を両側から鷲掴みにされ、指の間で乳首が硬く尖った。
「っ……乱暴にしないで」
「失礼しました。ですが、よくお似合いです」
「何がよ」
答える代わりに、資産家は凛の腹を跨いだ。屹立した陰茎が、二つの乳房の谷間へ押しつけられる。
男の手が凛の乳房を左右から寄せた。柔らかな肉に太い竿が埋まり、亀頭だけが胸元から覗く。
「手を添えてください」
凛は睨み上げたまま、自分の乳房を抱えた。
資産家が腰を引き、前へ押し出す。
むにゅっ、ぬちゅっ。
汗と先走りで濡れた肉棒が、乳房の谷間を往復した。押し潰された乳首が竿の側面を擦るたび、同調した快感が胸の奥へ跳ね返る。
「んっ……は、ぁ……」
唇から漏れた声に、凛は眉を寄せた。
(感じてるんじゃない。こいつの快感を流し込まれてるだけ)
けれど、肉棒を挟む力が緩めば、資産家の指が乳房の外側から重なってくる。もっと強く寄せろと、掌で命じられる。
凛は歯を食いしばり、胸を押し合わせた。
「そうです。そのまま」
腰の動きが速くなった。
ぬちゅっ、ぬちゅっ、と湿った擦過音が続く。亀頭が顎先へ迫り、引いてはまた突き出される。そのたびに男の昂ぶりが同調を伝い、凛の乳首と下腹まで脈打たせた。
「顔を、少し上げて」
嫌な予感を覚えるより早く、資産家が乳房の間から肉棒を抜いた。
濡れた亀頭が凛の鼻先へ向く。
「ちょっと――」
「出ます」
びゅっ、と白濁が頬へ飛んだ。
「くっ……!」
二筋目が鼻梁を汚し、三筋目が閉じた右の瞼と髪へ散る。熱い飛沫が肌を伝い、耳の横へ落ちた。
凛が顔を背けようとすると、顎をつかまれた。
「離しなさい」
資産家は頬についた精液を人差し指ですくった。白く濡れた指先が、凛の唇へ押し当てられる。
「舐めてください」
「……っ」
「これも奉仕でしょう」
ここで拒めば、また回数を盾にされる。
凛は薄く唇を開いた。ぬるい指が舌の上へ入る。鼻へ抜ける生臭さに喉が縮み、顔をしかめながら、指先の白濁を舌で拭った。
「ん……ぅ」
「きれいに」
指の腹が舌を押す。凛は一度だけ吸い、すぐに顔を振って指を外した。
「これで十分でしょう」
口元を手の甲で拭いながら言うと、資産家は満足そうに微笑んだ。
資産家は避妊具を着けた。凛は目で装着を確かめてから、濡れた顔をタオルで乱暴に拭った。
仰向けのまま両脚を開かされる。先端が入口へ当たり、ゆっくりと押し入ってきた。
「あっ……ん」
薄い膜に包まれた太さが、濡れた内壁を左右へ押し分ける。
根元まで収まると、資産家は凛の膝裏を抱え、腰を動かし始めた。
ぐぷっ、くちゅっ。
深く入るたび、肉の圧迫と男側の快感が二重になって押し寄せる。凛はシーツを握り、声を噛み殺した。
「随分、よく馴染みましたね」
「同調のせいよ。勘違いしないで」
「もちろん」
答えながら、資産家は一定の速さで腰を打ちつけた。
「んっ、あ……っ、はぁ……!」
濡れた音が次第に大きくなる。凛の腰が揺れ、乳房に残った精液が鎖骨へ流れた。
何度目かの深い一突きのあと、資産家が腰を引いた。
すぐに、また押し入ってくる。
「――っ?」
感触が違った。
薄膜越しだった輪郭が、急に生々しい熱へ変わっている。亀頭の縁も、竿を走る血管も、膣壁へ直接擦りつけられていた。
凛は反射的に手を伸ばし、結合部へ触れた。
指先にあるはずの縁がない。
「まさかあんた、ゴム外して……っ!」
「ええ」
資産家は腰を止めなかった。
ずぷっ、と生の肉が奥へ沈む。
「止めなさい! それは条件違反よ!」
凛は男の胸を押した。だが脚を抱え込まれた姿勢では力が逃げる。後退しようとした腰を、深い一突きで寝台へ縫い止められた。
「くぅっ……!」
「中へは出しません」
「そういう問題じゃ――あっ、ない……!」
生の粘膜同士が擦れるたび、同調を介さなくてもわかる熱が内側を掻き回した。そこへ資産家の快感まで重なり、凛の身体は拒絶とは裏腹に濡れていく。
(違う。これは許した反応じゃない)
凛は呼吸を整え、男の動きを読むことに集中した。
抗議して止まる相手ではない。ならば、せめて中にだけは出させない。
腰の速度が乱れ始めた。資産家の指が膝裏へ食い込み、同調の向こうで射精直前の熱が膨れ上がる。
「……もう、出ます」
その瞬間、凛は片脚を強く振り下ろし、腰を横へ捻った。
ずるっ、と肉棒が膣口から抜ける。
「っ――」
びゅるっ、びゅっ。
白濁が凛の内腿へ叩きつけられ、続く精液がシーツを汚した。
凛は即座に同調を閉じた。流れ込んでいた男の絶頂が断ち切られ、頭の内側が急に静まる。
「離れなさい!」
両手で胸を突き飛ばす。体勢を崩した資産家から脚を引き抜き、凛は寝台の端まで身を退いた。
「避妊は契約の条件だったはずよ」
内腿を伝う精液をタオルで拭いながら、凛は睨みつけた。
「結果として、中には出していません」
「外した時点で違反でしょうが」
「そう判断されるなら、ジェイクに確認していただいてかまいません」
資産家は乱れた呼吸を整え、脱いだ避妊具を拾い上げた。悪びれた様子はなかった。
「次回は、最後まで条件通りにいたしますよ」
「次があると思ってるの?」
「三回を無駄にしてもよろしければ」
穏やかな言葉が、凛の逃げ道へ正確に蓋をした。
◇
その夜、凛は自室でジェイクへ抗議を送った。
契約外のことをされかけたこと。第3回を完了として扱うなら、第4回では条件を厳守させること。
返事はほどなく届いた。
『第4回は、合意済みの条件を厳守させます。必要額は第4回の完了確認後に確定します』
短い文面を、凛は何度も読み返した。
今ならやめられる。
だが、やめれば三回分の奉仕は金にならない。士郎にも桜にも嘘をつき、身体を差し出し、顔まで汚された意味が、すべて消える。
(ここまで来たんだから、あと一回だけ)
それが罠の考え方だと、凛自身が一番よくわかっていた。
それでも、画面を閉じる指は、契約を破棄する文面を打てなかった。
◇
四回目の部屋は、妙に静かだった。
資産家はいつもと同じ笑顔で凛を迎えたが、触れ方まで別人のように穏やかだった。
「同調をお願いできますか」
「条件を守るなら」
「承知しています」
凛は術式を開いた。
資産家は凛を立たせたまま衣服を脱がせ、寝台へ座らせた。髪を乱暴につかむことも、喉奥まで押し込むこともなく、ただ勃起した陰茎を口元へ差し出す。
凛は根元を握り、亀頭へ舌を這わせた。
「ん……」
唇で先端を包み、半ばまで咥える。じゅぷっ、と唾液の音を立てて抜き、またゆっくり含んだ。
同調から流れ込む快感は強い。それでも、呼吸を奪われないだけで前回までとは違った。
資産家の手は凛の頭へ触れず、髪を撫でるだけだった。
「もう結構です」
そう言われ、凛は口を離した。
次に資産家は、凛の目の前で避妊具を開封した。先端へ被せ、根元まで巻き下ろす。
「確認を」
凛は縁と先端を目で確かめた。
「ええ」
仰向けになり、脚を開く。
避妊具に包まれた肉棒が膣口へ当たり、時間をかけて入ってきた。
「ぁ……っ、ん……」
資産家は凛の腰へ手を添え、浅く動いた。深く突き上げることも、身体を押さえつけることもない。
くちゅっ、くちゅっ、と控えめな水音だけが、静かな部屋に続いた。
同調の向こうで、男の快感が徐々に高まっていく。凛の内側も擦られ、腹の底に熱が溜まった。
「んっ……はぁ……っ」
穏やかな動きほど、身体の反応を誤魔化せない。凛はシーツをつかみ、早く終われと念じた。
やがて資産家の腰が深く沈み、止まった。
「出します」
「……ゴムの中にして」
「ええ」
肉棒が内部で脈打った。びゅっ、びゅるっ、と薄膜の先へ精液が溜まる感覚が、同調を通して凛にまで伝わってくる。
資産家はすぐに根元を押さえ、ゆっくり抜いた。
避妊具は外れていない。破れてもいない。白濁は先端の溜まりに収まっていた。
凛は大きく息を吐き、同調を閉じた。
「これで四回。終わりね」
「はい。四回とも完了です」
資産家は避妊具を処理しながら、スマートフォンを操作した。
「ジェイクにも完了を伝えました。必要額については、彼から連絡があるでしょう」
ほどなく、凛のスマートフォンが震えた。
『4回の完了を確認しました。必要額の確定手続きを開始します』
画面の文字を見た瞬間、肩から力が抜けた。
終わった。
これでもう、この男の部屋へ来なくていい。士郎の前で言い訳を考える必要も、桜の目を避ける必要もない。
喉がひどく渇いていた。
卓上には、まだ開けられていない水のペットボトルが置かれていた。凛は自分で手に取り、蓋の下のリングがつながっていることを確かめる。
蓋を捻ると、ぱき、と封が切れた。
凛は口をつけ、水を半分ほど飲んだ。
「……今日は、ずいぶん穏やかだったわね」
「最後ですから」
「そう。条件を守ったことだけは、礼を言っておくわ」
水をもう一口含む。
舌の奥に、かすかな苦味が残った。
「この水――」
言葉の途中で、指からボトルが滑った。
ごとん、と床に落ち、水が絨毯へこぼれる。
凛は拾おうとして腰を浮かせた。だが、膝に力が入らない。
「な……に……?」
両脚が急速に重くなる。腿から爪先まで、感覚だけを残して命令が届かない。
立ち上がろうとした身体が傾き、凛は寝台へ片手をついた。
その手も、すぐに肘から崩れた。
「何を、入れたの……!」
「麻痺薬です。意識は失いません」
資産家の声は、四回目の最中と同じく穏やかだった。
凛は魔力回路へ意識を集中した。
起動しない。
回路の所在は感じられる。だが、火花ひとつ流せない。術式へ伸ばした意志が、身体の内側で泥に沈む。
「ふざ、けないで……」
肩をつかまれ、仰向けに倒された。
凛は腕を振り払おうとした。指先がわずかに震えただけだった。
黒い布が視界へ下りる。目を閉じる間もなく、後頭部で結ばれた。
「やめなさい……目隠しを、外して……!」
返事の代わりに、金具の触れ合う硬い音がした。
右腕を頭上へ伸ばされる。
冷たい輪が手首を囲み、かちり、と閉じた。続いて左手首。さらに両足首が左右へ開かれ、それぞれ寝台の端へ固定される。
凛の身体は仰向けのまま、四肢を広げて縫い止められた。
何をされているか、すべてわかる。
冷たい金具も、むき出しの肌に触れる空調も、心臓が激しく胸を打つ感覚も消えていない。ただ、動かせない。
「四回は終わったでしょう……!」
「ええ。奉仕四回の契約は終わりました」
「だったら、これは……契約違反よ……!」
「いいえ」
資産家の声が、目隠しのすぐ向こうから降ってきた。
「これは、四回の外です」
凛の背筋を、冷たいものが走った。
契約を守らせれば終わると思っていた。
四回を完了すれば、解放されると思っていた。
その言葉の外側に、別の罠が口を開けていた。
「ジェイクを呼びなさい……今すぐに」
資産家は答えなかった。
代わりに、部屋の扉が開く音がした。
誰かが入ってくる。
足音はほとんどしない。衣擦れが一度、かすかに鳴った。やがて寝台のそばで、低く抑えた呼吸が聞こえた。
資産家とは違う、もう一人の気配。
凛は目隠しの下で目を見開いた。
「……誰?」
返事はない。
「そこにいるのは、誰なの」
低い呼吸が、止まった。