「縄跳びだ」
ジム中の視線が集まる中、熊谷は事も無げにそう言った。
「……縄跳び、ですの?」
拍子抜けしたような声を出すリンに、熊谷はにやりと笑みを深める。
「3分1ラウンド、それを2ラウンド。休憩は1分だけ。その間、一度も足に引っかけずに飛びきれたら——お前の入部を認めてやる」
ジム内がにわかにざわついた。部員の一人が小さく笑いを漏らす。
「なんだそんなの、簡単そうじゃん」
「ふん、それだけでよろしいんですの? お安い御用ですわ」
胸を張って即答したリンは、周囲の視線などものともせず、壁にかけてあった縄跳びを勝手に手に取った。
「善は急げですわ。今、この場でやらせていただきますわね」
「お、おい待て、心の準備とか——」
九十九が止める間もなく、リンは縄を構え、意気揚々と跳び始めた。
(ふふん、水泳で鍛えた私の運動神経を舐めてもらっては困りますわ! こんなもの——)
シュッ。
一回転目。縄が足首に引っかかった——かと思うと、なぜか片足がもう片方の縄の輪に潜り込み、腕までもがその流れに巻き込まれ、気づけばリンは自分の体で縄を三重に巻きつけた、奇妙な蓑虫のような姿になっていた。
「……あら?」
「な、なんでそうなる!?」
思わず九十九が声を上げた。
「い、いまのはノーカウントですわ! もう一度——」
体を捩って縄をほどき、リンは仕切り直す。だが再び跳んだ瞬間、今度は縄が両足の間で謎の八の字を描き、片足首と反対の膝裏を同時に拘束するという、物理法則を無視したような絡まり方でリンをその場に固定してしまった。
「きゃあああああっ!? 動けませんわ、動けません!!」
「どうしてこうなるのーっ!? わたくし、水泳選手でしたのよ!? リズム感には自信がありましたのに!!」
半泣きになりながら悪戦苦闘するリンの姿に、ジム内が静まり返る。
その視線の先——リングの脇に立っていた礼堂玲は、表情ひとつ変えていなかった。眉一つ動かさず、口角も上がっていない。ただ、その体だけが、小刻みにプルプルと震えていた。
(な、なんですのあの震え方……寒いんですの……?)
奇妙に思いながらも、それどころではなかったリンは、なんとか自力で縄をほどき、体勢を立て直す。
「な、なによ、そんなに見て。失礼ですわね!」
「……別に」
玲は表情を変えないまま、そっけなく答えた。声はいつも通り平坦で、笑っている様子など微塵もない。ただ、その肩だけが、やはりかすかに震え続けていた。
◇
——あんなはずでは、なかった。
「わたくし……とんだ醜態を晒してしまいましたわ……」
帰り道、リンはとぼとぼと肩を落として歩いていた。
(水泳では、あんなに正確にリズムを刻めましたのに……なぜ縄跳ごときに……!)
悔しさと羞恥心で、顔から火が出そうだった。だが、九十九からも熊谷からも、決して「二度と来るな」とは言われなかった。
『……ま、今日のところは出直せ。挑戦したくなったら、いつでも来い』
九十九の素っ気ない一言だけが、かろうじてリンの中に希望を繋いでいた。
(挑戦は、いつでも……ですわよね……)
◇
——リンが去ったあとのジム。
「良かったんですか、会長」
片付けをしながら、九十九がぽつりと口を開いた。
「あのまま不合格で、良かったんじゃないですか。……わざわざ再挑戦の余地を残さなくても」
熊谷は椅子に腰掛け、湯呑みのお茶をすすりながら、のんびりとした口調で答えた。
「構わんよ。面白かったし」
「面白かった、って……」
「それに、もしあの子が本当にクリアする事があればじゃな」
熊谷はにやりと笑みを深めると、意味ありげに目を細めた。
「その時はまた、医者とも話しながらじゃろうしのー。ふぉっふぉっふぉ」
「……」
何を考えているのか読めない、飄々とした笑い声だけがジムに響く。
九十九はそれ以上何も言わず、小さくため息をついた。
「……まあ、あれだけ引っかかってりゃ、笑い事じゃすまねえのも分かってるでしょう、会長も」
「ん? どういうことじゃ」
「未経験の奴が3分1ラウンドを2セット、縄跳びだけで完走するのは、想像以上にキツいですよ。心肺も、集中力も。……今日みたいに絡まって笑われることはあっても、実際にやりきるのは並大抵じゃない」
九十九の言葉に、熊谷はふっと目を細めた。
「……分かってるさ。だから、これは冷やかしじゃない」
その声には、いつもの飄々とした調子とは違う、静かな重みがあった。
◇
翌日から、リンの放課後は一変した。
「とりあえず……練習ですわ~」
公園の隅、誰の目もない場所を選んで、リンは意気込んで縄跳びを構えた。
シュッ、シュッ——ぺちん。
「……」
もう一度、シュッ——今度は縄が足首に絡んだかと思うと、勢い余った反動でリン自身の体が縄跳びの持ち手ごと一回転し、気づけば背後で両腕がクロスした、謎の拘束スタイルで固まっていた。
「な、なぜ後ろで縛られておりますの!? どういう構造ですのこれは!?」
「上手く飛べないですわぁ~(´;ω;`)ウゥゥ」
情けない声を上げながら、リンは何度も何度も体に絡みつく縄と格闘した。何度やっても、10回と続けて跳べない。
(おかしいですわ……ただ跳ぶだけですのに……なぜこんなに難しいんですの……!)
水泳では誰よりも正確にリズムを刻めた自分の体が、こんな単純な動作すらままならない。悔しさと戸惑いが、じわじわと胸の中に広がっていく。
それでも、諦めるという選択肢は、リンの中になかった。
歯を食いしばり、何度も何度も、同じ失敗を繰り返す。
「あら?」
ふと、視線を感じてリンは顔を上げた。近所の小学生らしき少年たちが数人、少し離れた場所からこちらを見ていた。
「ねーねー、お姉ちゃん何してんの?」
「縄跳びの練習ですわ。真剣な、大事な練習ですのよ」
胸を張って答えるリンだったが——
シュッ、シュッ——次の瞬間、縄が両足と片腕を巻き込みながら空中で複雑に絡まり、リンはその場で見事な「体育座りのまま縄で梱包された状態」になり、そのままごろりと横倒しに転がった。
「……」
一瞬の静寂ののち。
「「「ぶわーっはっはっはっは!!」」」
少年たちが、腹を抱えて大爆笑した。
「お姉ちゃん下手くそすぎ! 俺でももっとうまく跳べるよ!」
「見て見て、荷物みたいになってるー!」
「な……ななな、なんですのその笑い方は!! 失礼にもほどがありますわよ、この……この……!」
顔を真っ赤にして怒鳴るリンだったが、少年たちは容赦なく笑い転げるばかり。夕暮れの公園に、リンの悲痛な叫びと少年たちの笑い声が、いつまでも響き渡っていた。
このまま特訓は上手くいくのか——? どうなる!?