一人称が「俺様」の褐色爆乳美女は好きですか? 作:ビジュゲイト推し
数日後、ミクリオは中央支部の窓口で、また書類に止められていた。
「ですから」
受付の対魔士が申し訳なさそうに申請書を指す。
「次回の調査区域は、第二種危険区域に指定されています」
「それは承知しています」
「でしたら、同行する聖隷については正式な契約登録が必要です」
「……」
ミクリオは黙った。
以前にも、ほとんど同じ理由で、ザビーダを任務へ連れていけなかったことがある。あの時は、まだザビーダ自身も、調査へ同行することにそれほど強い意思を持っていなかった。だから、別行動にした。だが、今回は違う。前回の調査で残した地下中央区画。ザビーダ本人が、続きを調べたいと言っている。
実際、帰宅してからも、「次はいつ出るんだ?」と聞いてきた。ミクリオは申請書を見る。
《同行聖隷》
《真名》
空欄。
「……所有登録だけでは駄目ですか」
「危険区域への同行は、契約による霊力経路の確認が必要です」
「本人が同行を希望していても?」
受付係が、少し困った顔をする。
「希望、というのは……」
「ザビーダ本人が行きたいと言っています」
「……」
またあの顔だ。何を言われているのか。少し分からない。そんな顔。
「規則上は」
受付係が言う。
「本人の意思は、同行要件には含まれていません」
ミクリオの眉間に少しだけ皺が寄った。
「そうですか」
「はい」
それ以上ここで言っても仕方がない。ミクリオは申請書を受け取った。
「一度持ち帰ります」
「正式契約後であれば、再提出できます」
「分かりました」
窓口を離れる。
歩きながら、空欄を見る。真名。そこだけ、白い。
***
「また?」
帰宅して事情を話すとザビーダは長椅子の背へ腕を掛け。
露骨に面倒そうな顔をした。
「まただ」
「お前ら、契約好きだねえ」
「制度だからな」
「じゃあ」
ザビーダはあっさり言う。
「今度こそ契約すりゃいいじゃん」
ミクリオの顔が、思い切り歪んだ。
ザビーダが笑う。
「すげえ顔」
「……あの真名で?」
「まだ嫌なの?」
「嫌だ」
即答だった。
「そこだけほんと変わんねえな」
「変わる理由がない」
「あれから結構経ったぜ?」
「時間が経過すると、意味が変わるのか?」
「変わんねえけど」
「なら嫌だ」
ザビーダが肩を揺らして笑う。
「お前の真名じゃねえのにな」
「そういう問題じゃない」
「じゃあどういう問題?」
ミクリオが何か答えようとする。
ミクリオは口を閉じた。もう何度も話したことだ。あの真名は、古い言葉でザビーダの身体の一部を指す、それもひどく下品な俗称だった。本人を表すためではなく、何に使うものなのか一目で分かるように、誰かが付けた名前。ミクリオは今でも、あれを契約のたびに呼ぶ気にはなれない。
「……とにかく嫌なんだ」
「お前のわがまま?」
「ああ」
「認めるんだ」
「僕は最初からそう言っている」
ザビーダが少し笑う。
「そっか」
それから、机の上の申請書を見る。
《真名》
ザビーダは空欄をしばらく眺める。
「……なあ」
「何だ」
「俺様さ」
少し間を置いて、ザビーダは言った。
「……あれ、嫌かもしれねえ」
ミクリオが動きを止めた。
「……何?」
「いや」
ザビーダが何となく落ち着かなそうに鼻の下を擦る。
「あの真名」
「うん」
「前は、別にって思ってたけど」
少し笑う。
「最近、お前が毎回嫌そうな顔するからよ」
「僕のせいなのか」
「半分くらい?」
「残り半分は」
「知らね」
いつもの。
逃げるような答え。けれど、少しして、ザビーダは自分から続けた。
「……俺様の名前なのに」
「うん」
「俺様のことじゃねえな、って」
ミクリオは何も言わなかった。
ただ、聞いていた。
「あれ」
ザビーダが指で机を軽く叩く。
「俺様がどういう奴かじゃなくて」
一度、言葉を探す。
「どう使うかの名前じゃん」
「……ああ」
「だから」
少し顔をしかめる。
「今は」
言う。
「嫌だな」
ミクリオは息を吐いた。
ザビーダが横目で見る。
「何」
「いや」
「嬉しそうじゃん」
「……嬉しい」
「認めんの?」
「君が」
少し考える。
「嫌なものを嫌だと言えるようになったから」
ザビーダが何とも言えない顔になる。
「俺様の嫌いなもの増えて喜ぶ奴、初めて見た」
「増えたんじゃないだろう」
「ん?」
「多分」
ミクリオはザビーダを見る。
「前から嫌だったことに、気づけるようになっただけだ」
「……」
「違うかもしれないが」
「逃げ道作んなよ」
「断定する方が嫌だろう」
「まあな」
ザビーダが笑った。
***
「じゃあ」
しばらくして、ザビーダが申請書を引き寄せる。
「変えるか」
「真名を?」
「ああ」
「……本当に?」
「何だよ」
「いや」
ミクリオは少しだけ身を乗り出す。
「君がそうしたいなら」
「したい」
また少し間。
「……多分」
「そこは多分なのか」
「初めてやるんだから仕方ねえだろ」
ザビーダは申請書を眺める。
空欄。
「何にすっかな」
「……」
「風、とか?」
ミクリオは黙る。
「酒」
黙る。
「肉」
黙る。
「旅」
黙る。
「自由」
黙る。
ザビーダが顔を上げる。
「お前も何か言えよ!」
「僕が?」
「そう」
「嫌だ」
「即答すんな!」
「僕が候補を出したら、君はそれを選ぶかもしれない」
「そんな信用ねえの?」
「信用していないんじゃない」
ミクリオは真面目な顔で答える。
「僕の言葉を、君が必要以上に重く受け取る可能性を警戒している」
「言い方が堅え!」
「事実だ」
「じゃあさ」
ザビーダが少し意地悪そうに笑う。
「俺様が『ミクリオが決めて』って言ったら?」
「断る」
「何で!」
「君の名前だからだ!」
「所有者サマなのに?」
「だからこそだ!」
ザビーダが声を上げて笑った。
「めんどくせえ!」
「君にだけは言われたくない」
「じゃあ俺様が適当に決める」
「適当に決めたいなら、それも君の自由だ」
「そこまで俺様に返す?」
「返す」
「ほんっと」
ザビーダは額を机につけた。
「最近、何でも俺様に決めさせるよな」
「君のことだからな」
「何食うかも」
「君の食事だ」
「どこ行くかも」
「君が行く場所だ」
「誰と寝るかも」
ミクリオの眉が、僅かに動いた。
「……当然だ」
「その一拍何?」
「何でもない」
「嘘くせえ」
「真名の話をしている!」
「はいはい」
ザビーダは笑う。
けれど、また空欄を見る。
***
夜、ザビーダは自室の窓辺に座っていた。机の上。紙。何枚か。適当に書いた言葉。
《風》
違う。
《自由》
何となく格好をつけすぎている気がする。
《旅》
悪くない。でも、それだけでもない。
《酒》
さすがに嫌だ。
《肉》
もっと嫌だ。
「……」
紙を丸める。
投げたが、外れた。
「ちっ」
拾いに行く。
拾いに行く途中、鏡に映った自分を見る。銀色の髪、女の身体、首元の所有環。その奥には、長い時間の中で何度も呼ばれた、あの真名がある。最初に誰が付けたのかは、もう覚えていない。自分が受け入れたのか、拒んだのか、それすら曖昧だった。ただ、あまりにも長く使われ、自分でも名前とはそういうものだと思っていた。
誰かが、用途に合わせて付ける。誰かが、呼びやすいように決める。誰かが、必要だから登録する。でも、今、空欄がある。そこへ何を書くか。自分で決めていい。
「……難しいな」
本当に難しかった。
その時、扉が、軽く叩かれる。
「ザビーダ」
「ん?」
「入っていいか」
「いいぜ」
ミクリオが顔を覗かせる。
手には、本。
「何してる」
「真名考えてた」
「そうか」
「全然決まんねえ」
「急がなくていい」
「スレイが泣くぜ」
「遺跡は待たせておけ」
「お前がそれ言う?」
「名前の方が大事だ」
ザビーダは少しだけミクリオを見る。
「……そんなに?」
「ああ」
「俺様にとって?」
「君にとって」
またそれだ。ミクリオにとってではない。ザビーダにとって。
「なあ」
「何だ」
「ほんとに」
少し笑う。
「お前が決めてくんねえ?」
ミクリオはしばらくザビーダを見た。
「嫌だ」
「やっぱり?」
「ああ」
「何で」
「君が」
少し考える。
「後からその名前を嫌いになった時」
答える。
「僕が付けたから変えられない、と思ってほしくない」
ザビーダの笑みが、止まった。
ミクリオは続ける。
「自分で選んだ名前でも、後から嫌なら変えればいい」
「……そんなもん?」
「名前だって、君のものだろう」
「……」
「僕に決めさせなくていい」
ザビーダは視線を落とす。
紙の真名欄は空欄だった。
「そっか」
「うん」
「じゃ」
少しだけ笑う。
「もうちょい考えるわ」
「そうするといい」
ミクリオはそれだけ言う。
何を選ぶべきか。何が似合うか。一つも言わない。ザビーダはそれが、少しだけありがたかった。そして、少しだけ困った。
***
翌朝、申請書の真名欄はまだ空白だった。ミクリオは何も言わない。ザビーダも埋めなかった。でも、以前とは違う。決められないから、どうでもいいから、空いているのではない。自分で決めたいから、まだ空けている。
「今日どうする?」
朝食の席で、ミクリオが聞く。
ザビーダは少し考える。
「市場行く」
「何を買う」
「まだ分かんね」
「そうか」
「そのあと」
少し笑う。
「真名でも考えるわ」
ミクリオもほんの少しだけ笑った。
「ああ」
「何だよ、その顔」
「何でもない」
「最近お前もそれ多くね?」
「君の影響だ」
「悪影響じゃん」
軽口を交わす。
机の端には、真名欄が空白のままの申請書がある。そこにはいつか、誰かが使うために決めた名前ではなく。ザビーダ自身が自分をどう呼ばれたいのかを考え、選んだ名前が書かれる。今はまだ何もない。それでよかった。その空欄は不足ではなく、初めてザビーダ自身のために残された場所だった。