一人称が「俺様」の褐色爆乳美女は好きですか? 作:ビジュゲイト推し
朝の鐘が鳴る少し前、ミクリオは目を覚ました。
窓の外にはまだ夜の青さが残っており、聖都ローグレスの屋根々は朝と夜の境目に静かに沈んでいる。その中で、遠くにそびえる大聖堂の尖塔だけが、ひと足早く差し込んだ朝の光を受けて白く浮かび上がっていた。
寝台を抜け出して窓を開けると、冷たい空気が部屋へ流れ込んでくる。雲は薄く、今日も晴れそうだった。
階下から食器の触れ合う音が聞こえ、その直後、聞き慣れた声が続いた。
「あなた、それ焦げてますよ」
「いや、まだ大丈夫だ」
「煙が出ています」
「これは香ばしいだけだ」
「焦げています」
朝から何をやっているのだろう。
けれど、あまりにもいつものことなので、驚く気にもならない。ミクリオは小さくため息をつき、部屋を出た。
***
「おはようございます、母さん」
食堂へ降りると、食卓を整えていたミューズが振り返った。
「おはよう、ミクリオ」
その向こうでは、ミケルがフライパンを前に難しい顔をしている。漂う匂いだけで、ミューズの判定が正しかったことは分かった。
「父さん」
「何だ」
「焦げてますよ」
「お前まで言うのか」
「事実ですから」
ミューズが堪えきれずに笑った。
結局、黒くなった部分だけはミケル自身が引き受けることになり、三人はいつものように食卓を囲んだ。
聖寮の
「今日の予定は?」
ミューズに尋ねられ、ミクリオはパンを手に取りながら答えた。
「午前は中央支部で報告書の確認、午後は訓練所です」
「実地任務はないのか?」
ミケルが聞く。
「ありません。昨日帰ってきたばかりでしょう」
「お前なら今日も行けるだろう」
「行けるかどうかと、行くべきかどうかは別です」
そう返すと、ミケルがどこか懐かしそうに目を細めた。
「そういうところは、昔から変わらないな」
「何がです?」
「いや、何でもない」
まただ。
父は時々、懐かしいものを見るような顔でミクリオを見る。
「また誤魔化しましたね」
「父親には、息子に言わないことの一つや二つあっていい」
「便利な立場ですね」
「でしょう?」
ミューズまでさらりと同意したので、ミクリオはそちらへ視線を向けた。
「母さんまで」
また食卓に笑いが落ちる。
それも、いつもの朝だった。
***
食事を終えると、ミクリオは自室へ戻り、仕事用の服を整えた。
白を基調にした正装の胸元には、特等対魔士の徽章が留められている。ミクリオがその位階を得たのは、同年代と比べてもかなり早かった。高い霊応力に加え、術式理解や実戦指揮にも適性がある。努力だけでは届かないものを、生まれつき自分が持っていたことも理解している。
だからこそ、持っているものは使うべきだと思っていた。
玄関で靴を履いていると、後ろからミューズが手を伸ばし、少し曲がっていた襟元を直した。
「母さん、自分でできます」
「知っています」
そう言いながら、最後まできちんと整える。
その後ろからミケルが声をかけた。
「ミクリオ」
「はい?」
「無理はするなよ」
「今日は事務仕事ですよ」
「今日に限った話じゃない」
「分かっています」
「本当に?」
ミクリオは少し考えてから答えた。
「少なくとも、父さんよりは」
「言うようになったな」
「あなたも昨日、帰宅が遅かったでしょう」
ミューズに言われ、今度はミケルが黙った。
ミクリオは思わず笑う。
「では、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
二人の声を背に、家を出た。
***
聖都の朝は早い。
市場にはすでに露店が並び始め、通りには焼きたてのパンや煮込み料理の匂いが漂っている。店先へ品物を運ぶ者、通りを掃く者、通学途中の子供たち、その合間を巡回の対魔士たちが行き交っていた。
そして、その横を、荷物を抱えた聖隷たちが歩いている。
「おはようございます、ミクリオ様!」
声をかけられて振り向くと、顔なじみのパン屋の娘が店先から手を振っていた。
「おはよう」
「昨日、北部から戻られたんですよね?」
「ああ」
「
「もう問題ない。街道も今日から通常通り使えるはずだ」
「よかったあ」
少女がほっとしたように笑う。
その隣では、大きな籠を抱えた火属性の聖隷が静かに頭を下げた。首元には、所有者がいることを示す環がはめられている。
ミクリオも軽く会釈を返したが、聖隷は何も言わなかった。
珍しいことではない。
むしろ、人間の言葉を話さない聖隷の方が多い。
人間の指示に従い、術を使い、与えられた仕事をする。それが聖隷というものだと、ミクリオも幼い頃から教えられてきた。
「ミクリオ様?」
呼ばれて、いつの間にか足を止めていたことに気づく。
「ああ、すまない」
「どうかしました?」
「いや、何でもない」
再び歩き出した。
少し先では、別の聖隷が重そうな荷車を押している。傍らを歩いていた男が、その背中を軽く叩いた。
「ほら、急げよ」
聖隷は黙ったまま、歩調を速めた。
ごく普通の光景だった。
毎日のように目にするものなのに、なぜかその日は、妙に目に残った。
***
中央支部へ入ると、受付係が立ち上がった。
「おはようございます、ミクリオ様。報告書は机にまとめてあります」
「ありがとう」
執務室へ向かう途中、二等対魔士の青年に呼び止められた。
「あ、ミクリオ様!」
「何だ?」
「昨日の北部遠征の記録、見ました。業魔三体が同時に出たんですよね?」
「三体いたな」
「同行聖隷がいた。僕一人で戦ったわけじゃない」
「でも、指揮はミクリオ様でしょう?」
「指揮と戦闘は別だ」
それでも青年は目を輝かせ、「俺もいつか特等になれるよう頑張ります」と頭を下げた。
特等になってから、こうして尊敬や期待を向けられることは増えた。自分には適性と能力があり、その力は実際に誰かの役に立っている。両親も喜び、周囲も認めてくれている。
自分がここにいることは正しい。
そう思えるだけの理由は、いくらでもあった。
それなのに時々、どうにも落ち着かない瞬間がある。
「……何なんだろうな」
独り言に答える者はいなかった。
***
午前中は、ほとんど書類仕事で終わった。
討伐記録、器の更新申請、聖隷の譲渡許可、対魔士の配置変更。似たような書類を一枚ずつ確認し、不備がなければ印を押していく。
聖隷の故障報告も珍しくない。
最後の一枚を手に取った時、ミクリオの指が止まった。
《風属性聖隷一体、出力低下につき廃棄申請》
廃棄。
別に珍しい文言ではなかった。
術を使えなくなった聖隷、命令への反応が著しく鈍くなった聖隷、霊力が低下し、維持する価値がなくなった聖隷。そうした個体を所有者が処分する際には、正式な申請が必要になる。
制度上、何の問題もない。
申請理由、推定年数、現在の状態、代替聖隷の希望。必要な項目はすべて埋められており、書類上の不備もなかった。
あとは印を押せば終わる。
それだけのはずだった。
「……」
なぜ手が止まったのか、自分でも分からない。
聖隷は道具だ。
聖隷には、人間のような自我はない。
千年前、カノヌシによる秩序が完成して以降、その認識は対魔士教育の基礎として扱われている。
稀に、まるで感情があるような反応を示す個体が存在することも知られてはいた。だが、それも長期使用による高度な学習や、命令に対する模倣行動、あるいは器となった人間の影響によるものだと説明されている。
ミクリオ自身、その説明を疑うだけの根拠を持っていない。
なのに。
「……廃棄、か」
口にしてみると、ひどく嫌な響きがした。
結局、その申請書だけを他の書類から外し、机の端へ置いた。
午後に担当者へ状態を確認しよう。
ただ念のために。
それだけの理由でいいと思った。
***
昼休み、大聖堂前の広場を通りかかると、教師に引率された子供たちが銅像の前へ集まっていた。
社会見学らしい。
広場の中央には、千年前の英雄オスカー・ドラゴニアとテレサ・リナレスをかたどった像が並んでいる。その少し後ろには、顔のないもう一体の像。
《アベル・エインズ》。
「千年前、世界は大きな危機にありました」
教師が子供たちへ語っている。
「オスカー様とテレサ様も、世界を守るために戦った対魔士です。そして、お二人を窮地から救ったとされる人物が《アベル・エインズ》です」
「なんで顔がないの?」
子供の一人が尋ねる。
「詳しい人物像が残っていないからです。アベル・エインズという名は複数の記録にありますが、身分も出身も、資料によっては性別さえ違います」
「ほんとにいたの?」
「実在したこと自体は、ほぼ確かだと考えられています。ただ、後世の創作も多く混じっています」
教師は二人の英雄像へ視線を戻した。
「オスカー様とテレサ様はその後結婚し、その婚姻は法制度にも影響を与えました。現在では異母きょうだい同士でも、双方が成人し、同意が確認されれば正式な婚姻として認められます」
「先生、オスカー様が先に告白したんですか?」
「そこは諸説ありますね」
楽しそうな声に、ミクリオも思わず口元を緩めた。
平和な光景だった。
千年前に生きた者たちが何を考えたのか、今となっては分からないことの方が多い。それでも英雄は銅像になり、一組の婚姻は法律へ影響を残し、素性すら定かでない者の行動も教科書に刻まれている。
「ミクリオ様だ!」
一人の子供がこちらへ気づき、周囲も一斉に振り向いた。
教師が慌てて頭を下げる。
「失礼いたしました、特等対魔士殿」
「構いません」
気づけば子供たちに囲まれていた。
「ミクリオ様のお父さんも導師なんでしょ?」
「ああ」
「ミクリオ」
背後から聞き覚えのある声がした。
振り向くと、買い物袋を片手に持ったミケルが立っていた。
「父さん」
今度はミケルが子供たちに囲まれた。導師や業魔、聖隷術について投げかけられる質問へ、できるだけ分かりやすい言葉を選んで答えていく。人から敬われることより、誰かが何かを理解することを喜ぶ。ミクリオは、そういう父が好きだった。
その時、一人の子供が尋ねた。
「じゃあ、聖隷って何を考えてるんですか?」
ミケルの返事が、ほんの少しだけ遅れた。
「……そうだな」
考えるように視線を落としたあと、静かに笑う。
「それを知るのは、案外難しいことかもしれない」
「でも、教科書には自我がないって書いてあるよ?」
「ああ。今は、そう考えられている」
「今は?」
教師の眉が、わずかに動いた。
ミケルはそれ以上踏み込まず、穏やかな調子で続けた。
「学問というものは、いつだって、その時に分かっていることを教えるものだからな」
子供たちは特に気にした様子もなく、次の質問へ移っていった。
けれどミクリオだけは、父の返答にあった僅かな間を、妙にはっきり覚えていた。
***
午後の訓練を終えた頃には、空が赤く染まり始めていた。
新人対魔士たちを解散させたあと、ミクリオは訓練場の壁際に並ぶ聖隷たちへ目を向けた。
首から下げられた札には、《命令待機》と記されている。
そのうち一体、水属性の聖隷と目が合った。
ような気がした。
「……何だ?」
もちろん、返事はない。
自分でも何を期待したのだろうと思い、ミクリオは小さく苦笑して視線を逸らした。
聖隷へ話しかける対魔士自体は珍しくない。命令を理解させるため、人間の声を使うことは日常的に行われている。
けれど、返事を期待する者はいない。
ミクリオだって、期待しているわけではなかった。
それでも訓練場を出る前に、何となく一言だけ告げた。
「今日は終わりだ」
聖隷は動かなかった。
それでいい。
それが普通なのだから。
――今は、そう考えられている。
昼間の父の言葉が、ふいに頭へ浮かんだ。
ミクリオは僅かに眉を寄せた。
***
帰宅すると、夕食はミューズが作っていた。
三人で食卓を囲みながら、ミクリオはその日にあったことを話した。
訓練所の新人、大聖堂前で会った子供たち、《アベル・エインズ》の銅像。
そして、少し迷ってからミケルを見た。
「父さん」
「ん?」
「今日、聖隷について妙なことを言っていましたね」
ミケルの手が、ほんの少し止まった。
ミューズも黙ってこちらを見る。
「『今は、自我がないと考えられている』と」
「ああ」
「なぜ、『今は』なんです?」
すぐには答えが返らなかった。
代わりにミューズが尋ねる。
「ミクリオ。何かあったの?」
「今日、廃棄申請を見ました」
「聖隷の?」
「はい。別に珍しいものではありません」
ミクリオは自分の中を整理するように、ゆっくりと言葉を選んだ。
「術が使えない。命令への反応が鈍い。維持する価値がない。だから廃棄する。制度上、何の問題もありません」
ミケルは黙って聞いている。
「自我がないのなら、壊れた道具を処分するのと同じでしょう。それなのに」
ミクリオはフォークを置いた。
「嫌だった」
食卓が静かになる。
「なぜそう感じたのか、自分でも分かりません」
ミューズが穏やかに尋ねた。
「おかしいと思う?」
「……分かりません」
「じゃあ、今すぐおかしいと決めなくてもいいんじゃない?」
「でも、根拠がない」
「根拠がないからって、感じたことまで間違いになるわけじゃないでしょう」
昼間の父と似たようなことを言う。
ミクリオは二人を見比べた。
「二人とも、何か知っていますね?」
ミケルとミューズが顔を見合わせる。
ミューズが笑った。
「気になるなら、見てみたら?」
「何をです?」
「聖隷を」
あまりにも単純な答えだった。
「教科書に書いてある聖隷じゃなくて、あなたが実際に会う聖隷を見てみたらいいんじゃないかしら。それで同じ結論になるなら、それでもいいと思うわ」
ミクリオはしばらく黙ったあと、小さく息を吐いた。
「……母さんまで曖昧ですね」
ミクリオは呆れたようにため息をついたが、不思議と少しだけ気は軽くなっていた。
***
寝る前、ミクリオは翌日の予定表を開いた。
午前は中央支部、午後は西地区の巡察。市場と宿場、その奥の古い歓楽街も区域に含まれている。
予定表を閉じ、窓辺へ立つ。
今日も平和な一日だった。
窓を開けると、夜の聖都に灯った明かりが、遠くまで点々と続いていた。
美しい街だと思う。
市場には食べ物が並び、子供たちは笑っていた。自分は家族に愛され、力を認められ、その力で人の役に立っている。
何も問題はないはずだった。
それでも、その日の朝に見た聖隷の目が、なぜか頭から離れなかった。
《廃棄》。
あの二文字も。
「……変だな」
何が変なのかは、まだ分からない。
自分なのか。
それとも、別の何かなのか。
昼間の父の言葉が蘇る。
――今は、そう考えられている。
続いて、母の言葉も。
――あなたが実際に会う聖隷を見てみたら?
ミクリオはしばらく夜の街を眺めたあと、窓を閉めた。
明日は西地区へ行く。
そのことに、この時のミクリオはまだ、特別な意味など見出していなかった。
翌日。
そこで一人の風の聖隷に出会うことになるとも、まだ知らなかった。